恋の形は様々で。

端旗

恋の形は様々で。


「ねえ、聡くん、いるんでしょう? さっきね、管理人さんとお隣の女のひとが話してるの聞いちゃったの。聡くんが今日は家から出れないから、買い出し頼まれた、って。ねえ、なんで? 私、今日会ってきちんとお話ししたいって言ったよね? LINEも送ったし、何回も留守番電話入れたし、聡くんのツイッターにも、あとFacebookのメッセも送ったのに。どうして返事くれないの? どうして家から出ない、なんていうの……? ひどいよ……すごく悲しい……。ねえ、まだあのこと怒ってるの? でもね、そのことだったら聡くんも悪いんだよ? だって、バイト先のあの女の子とか、店長さんとか、このアパートだって、お隣のお姉さんとか。いろんな女の人と仲良くするから、私だって不安だったの。だからね、仲直りしよう? 聡くんの大好きな食べ物、たくさん作ってきたんだよ。鳥そぼろのおにぎりに、ふわふわのだし巻き卵に、中にチーズの入ったハンバーグ。お野菜もないと、って思って、聡くんがコレなら食べれる、って言ってたからほうれん草とベーコンのバター炒めも作ったの。ねえ、だから開けて? 今回は大丈夫だよ、上手に作ったから。こないだみたいに変な失敗してないし、味見もしたけどすっごくおいしかったの。自分で何言ってるんだって話なんだけど、きっと聡くんも喜んでくれるなって思ったら嬉しくなっちゃって。ねえ、一昨日は本当にごめんなさい。私ね、もう一回チョコケーキ焼いてきたの。だから、これでやり直そう? ねえ、聡くん、開けてよ。お願い。開けてくれるまで、私ずっと待つから。ずっとずっと待ってるから、開けてよ……」


ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。


 連打されるチャイムと、ほとんど息継ぎなしで紡がれ続ける僕を呼ぶ声。扉の前に立っているのは、一昨日のバレンタインデーに僕からお別れした、一つ年下の女の子である。

昨年、クリスマスの一週間前に告白されたふわふわしたくり色の髪が似合った可愛い女の子。彼女が何らかの行動を起こしたのだろう、彼大学の友人数名から、「あんなかわいくていい子泣かせるなんて何してんだてめぇ!」と正義感にかられた見当違いの連絡が来ていた。


 でもね、友人たちよ。彼女、僕に自分の爪と髪の毛と血の混じったチョコケーキ食わせたんだぜ。一口目でずるっと出てきた髪の毛にびっくりして吐き出すと、「ねえ、これで私たち、一つになれるのに、どうして食べてくれないの…?」と淀んだ瞳でぽろぽろと泣き出すので、「体の一部を食べたところで一つにはなれないよ」と冷静に諭して、別れを告げて速攻家まで逃げ帰った。嗚呼、僕の精神面の健康を考えるなら、血を入れたことまでカミングアウトしてくれなくてもよかったのに。


 しかし僕の人生、こうした展開に慣れきってしまっていて、対応だけは迅速だった自信がある。帰宅して即アパートの管理人さんと両隣のお兄さんお姉さん、階下のお兄さんにご迷惑をお掛けしますと連絡して、ついでにお姉さんには買い物をお願いした。まあ買い物のお願いは今こうして仇になってしまっているわけだけれど仕方がない。


 チャイムを鳴らし続けている彼女に気取られないように、家の扉から一番離れた窓に凭れ掛かって携帯電話を握りしめる。しばらくすると、ぱっと画面に明かりが灯り、待ち望んでいた連絡が届いたことが通知される。ゆっくりと空気を吸い込み、音にならないように吐き出す。携帯電話と財布だけをポケットにねじ込めば準備は完了。

慎重に慎重に、できる限り音をたてないようにしてベランダにつながる窓を開ける。ゆっくりとベランダから顔を出すと、階下のベランダからにょっきりと生えた二本の腕がこちらに向かって振られている。おそらくふにゃりとした、砂糖菓子のような笑顔を浮かべているのであろう、階下のお兄さんである。その証拠に、ベランダにはお兄さんが立てかけてくれたであろう梯子。


 そろりそろりと彼女に勘付かれないように梯子を下りる。降りきって、お兄さんのおうちのベランダにお邪魔したところで、お兄さんと音を立てずにハイタッチ。そのままお兄さんの家にお邪魔して、前々から預けておいた家出セットを抱えて、アパートの小さな庭の端っこについた扉から、管理人さんの住む一戸建ての敷地内へ。そこでも待っててくれた管理人さんとハイタッチ。もちろんモードはサイレント。管理人さんの家の勝手口側にある小さな門から抜け出せば、彼女の視界に入ることなく家から脱出できたことになる。


 勿論、だからと言って悠長に歩いてたらばれてしまう可能性も無きにしも非ず。もう一度深呼吸してから荷物を抱え直し、僕は目的地に向かって走り始めた。


   ★


「どうしていつもこうなるんだろうね……」

 グラスに注がれた梅酒を飲み干して一言。カラン、と氷が小気味よい音を立てる。

 アパートをベランダから脱出して、辿り着いたのはバイト先の喫茶店。歴代の彼女たちによる襲撃によって住む所も働く場所も無くした僕を「面白そうだから」と拾ってくれた物好きなアパートの管理人さんが紹介してくれた職場である。店長は管理人さんの妹で、中身もそっくり。何故か付き合った彼女が必ずおかしくなるんです、と話したら即採用された。


 バイト先は一階がお店で、二階三階は店長の住居兼学生限定の下宿になっている。大学に近いし、住人もみんないい人ばかりでこちらに住みたいくらいだったのだけれど、残念ながら現在満室。四月になったら一人卒業して出ていく先輩がいるので、その空き部屋に入れないかと画策している。


 でも、今の家も気に入っているので悩みどころではある。管理人さんは恩人だし、他の住人達も僕が三か月に一回は厄介ごとを運んできているのに、普通に接するどころか手助けまでしてくれるし。特に隣のお姉さんと階下のお兄さん。お姉さんは家から出れないときに代わりに買い物してベランダから差し入れてくれるし(もちろんお金は事前に渡してる)、お兄さんは家から出る手助けをしてくれるし。あ、でも そういえば初めて助けてもらった時にお兄さんに言われたのが「君のことをモデルに小説、書いてもいいかな?」だったから、やっぱりあのアパートには変な人しか住んでいないのかもしれない。


「いやぁ、しかし髪の毛チョコケーキかー。気付いて良かったねえ」

 氷の入ったグラスが立てたからんころんという音で思考が途切れる。僕を現実に引き戻したのは、目の前の椅子に体育座りをして、ちびちびと梅酒を嘗めるバイト仲間の唯だった。

 バイト先の裏口に飛び込むと、待っていてくれたのが彼女だった。部屋に泊めてもらうつもりの親友は現在一階でバイト中。下宿人以外が勝手に住居スペースに入るのは禁止なので、共用のリビングで待たせてもらっている。荷物をリビングの端に置いて一息ついた僕に、「まあまあ、ぱーっと飲もう!」と彼女が梅酒のボトルを出してきて、今に至る。


「すごいよね、聡くんのヤンデレ製造機能。今のところ百発百中でしょー?何人だったっけ?」

 十五人だよ、と答えてグラスに梅酒を注ぐ。唯の、「どうせ夜も佐々木君と飲むんだから飲みすぎないようにねー」なんて言葉は聞き流す。大丈夫、僕ワクだから。今回こそ大丈夫だと信じてた癒し系の年下彼女も残念な結果になって、これでも結構落ち込んでいるんだ。

 そして、彼女の言葉に一つだけ混ざっていた聞き捨てならない部分を指摘する。


「あれはヤンデレではなくて、メンヘラって言うんだよ、唯ちゃん」

「ごめん、違いが分かんない」

 彼女がきょとんと首を傾げる。正直、説明するのは気が引ける。だって、自分の性癖を晒さなければならないからだ。まあ、歴代の彼女に追いまわされてるところを見られているのだから今更か。

 これは僕の主観だけれど、ときちんと前置きを置いてから、持論を展開する。心がけるのは、できるだけ熱を入れないことだ。


「んー、上手く言葉にするのは難しいんだけど、自分のことだけ考えてるのがメンヘラで、自分と相手の関係性のことを考えてるのがヤンデレ、かな?」

「ほほう。で、聡くんが好きなのがヤンデレで、錬成しちゃうのがメンヘラ?」

 錬成しているつもりは一切ない、と言ってやりたい。けれど説得力はない。初めて付き合った彼女から今回の美鈴ちゃんに至るまで、そうならなかった女の子はいない。ある子はリストカットをはじめ、ある子は前のバイト先の人たちに嫌がらせをはじめ、ある子は僕を監禁しようと食事に睡眠薬を盛り。ああ、あんまり思い出したくない。

 グラスの中身を飲み干すと、彼女がボトルを手に取って注いでくれた。彼女も自分のグラスにお代わりを注いで、続きを促してくる。


「今まで付き合ってきた子たちの行動原理ってさ、自分だけを愛してほしい、なんだよね。それって別に僕じゃなくてもいいんだ。実際、美鈴ちゃんの前に付き合ってた由紀子ちゃんとか、半年前にここに突撃してきて店長に秒殺されてた鞠絵ちゃんとか、佐々木の紹介した依存されたいタイプの奴らといますっごく上手くいってるし。」

 元彼女の名前を二人ほど挙げて説明すると、唯は思い出すように口元に手をあてて、嗚呼、確かに。と頷く。まぁ、鞠絵ちゃんなんかは今でも佐々木の紹介した彼氏を連れてバイト先に来るから分かりやすいだろう。一人暮らしの自宅に監禁しようとした僕にまで手を振ってくるから、あの子はすさまじく太い神経を持っているのだと思う。さて、閑話休題。


「僕が付き合いたいのはそうじゃなくて、「僕じゃなきゃダメ」って言って、自分と僕の関係を他に侵害されないためなら何でもしちゃうタイプの子なんだ。僕は、依存されたいんじゃなくて、依存しあいたいんだよ」

 梅酒を大きく一口飲んでから、言葉を続ける。テーブルの上で腕を組み、そこに頭を載せて僕の話を聞いていた彼女は、にっこりと笑顔を浮かべる。


「うん、よくわかんないけど、聡くんの性癖が歪んでることだけは理解した」

 ざっくりと切り捨てられて、ウッと心臓を押さえる振りをした。それから、二人で顔を見合わせて笑う。ひとしきり笑い終わった後、ふと大量の通知を告げる彼女の携帯電話が目についた。彼女もそれに気づいたようで、「私、人気者なんだぜー」なんて言って携帯電話を手に取った。

「随分連絡来てるみたいだけど、どうしたの?付き纏われてるなら相談に乗ろうか?」

「いやだなー、聡くんじゃないんだから。最近友達から紹介されて知り合った子の相談に乗ってるだけだよー。カレシと喧嘩しちゃったんだってさ」

 まあ、SNSだけの付き合いなんだけどね。と、頬杖を突いて唯が何事かを淡々と打ち込んでいく。それは大変だね、と当たり障りのない返事をして、グラスを手に取った。溶けた氷が琥珀色の液体の中に不思議な模様を作って漂っている。グラスをぐるりと回してその模様を消しながら、ふと目の前の女の子だけは、出会った時から変わらないなと思う。


「唯くらいだよ、僕と変わらないで付き合ってくれる女の子は」

 画面から顔を上げた唯が、嬉しいことを言ってくれるねえ、とにやにや笑った。


「じゃあ、付き合っちゃう?」


携帯電話の明かりを落とし、画面が見えないようにひっくり返してから彼女がおどけて言う。

 その時の彼女の表情は、ひどく印象的だった。普段はぱっちりと見開かれ、動きの激しい瞳が少しだけ細められ、睫毛の影が濃くなっている。そして、少しだけ傾けられた首と、それに伴って頬にかかるサイドの髪の毛。お酒が入ったことで薄紅色がほんのりと浮かぶ頬に、少しだけ緩められた唇。

 ――――一瞬、彼女の冗談に面食らって言葉に詰まる。からん、と溶けた氷がグラスに当たって立てた音で我に返り、僕も笑みを浮かべる。

「だめだよ、唯はたった一人の何でも話せる女友達なんだからさ。」

「豹変しても困るし?」

 梅酒のグラスを呷って、くすくすと笑いながら唯が茶化す。そうそう、と僕も梅酒を飲んで笑った。アルコールが回り始めたんだろう、ひどく気分がよかった。

 しばらく二人で意味もないことをだらだらと話していると、バイトを終えた親友が階段を登ってきた。お疲れさま、と二人で声をかけると、親友の部屋の鍵を渡される。買い物に行くから荷物だけ置いて来い、ということらしい。

 親友にお礼を言って、友人の部屋に向かうために階段を駆け上がる。お別れした美鈴ちゃんがしばらくは付き纏ってくることを考えると少しだけ気分が落ち込むが、友人二人の御陰だろうか。なんだかひどく気分がよかった。


   ★


「……随分嬉しそうだな」

 友人が荷物を置きに階段を登っていくのを見届けてからリビングに視線を戻すと、中澤が随分と上機嫌にグラスに梅酒を注いでいるところだった。

 声をかけた俺の方を向くと、中澤はにんまりと笑って、

「んふふー、だって聡くんがハジメテ「唯一」って言ってくれたんだもん。そりゃあ嬉しいよ」

 と歌うように言葉を紡ぎ、梅酒をまた一口。そうして俺にも飲む?と薦めてきたが、どうせこの後聡と一晩中飲むことになるので辞退する。この二人のペースに合わせていたら、日付が変わる前に俺だけ夢の国の住人に成り果てる。しかし立っているのも何だったので、先ほどまで聡が座っていた席の隣に座った。


「恋人になりたい、とは思わないのか?」

 ――――そんなことまでしておいて。こちらを気にせず携帯電話をぽちぽちといじっていた中澤に、ふと思いついた疑問を口にする。彼女は俺の問いかけに携帯の画面から顔を上げると、きょとんと首を傾げる。齧歯目に似ているな、と少し笑いそうになった。

 彼女の連絡相手が聡の元彼女であることは、直ぐにわかった。彼女はこれまでも、こうして見つからないように聡と付き合う女たちをあいつの望まない方向に唆して来たのだから。


 彼女は俺の言葉を理解すると、おかしそうにけらけらと笑う。

「やだなー。聡くんにとって、「メンヘラにならなかった彼女」と「唯一何でも話せる女友達」だったら、どっちのほうが特別なのか、親友の佐々木君ならわかるでしょー?」

 彼女の笑顔はきらきらと生気に満ちている。アルコールが入って上気した頬も相まって、普段の彼女とは違った空気を纏っているように見えた。そうして、ふと俺の部屋へ向かっていった聡の機嫌の良さそうな顔を思い出した時、俺の中で全てのパズルのピースがかちりと嵌った音がした。


「……あー、理解した。」

 俺がうなずくと、中澤は満足そうに携帯電話に視線を戻す。やっぱり俺も飲む、と宣言して、聡が置いていったグラスに勢いよく梅酒を注いだ。勢いで溶けかけの氷がグラスの中をくるくると回り風鈴のような音を立てる。

 ――きっと、彼女はこの先も知らないままなのだろう。あいつが全てを理解して、そのままの状況を楽しんでいることを。親友である俺にも、聡が意識的なのか無意識なのか判断は付かないが。

嗚呼、関わりたくない、と思いながらも俺はこの二人に関わらずには居られない。



 ――俺自身、この歪んだ行為を続ける彼女に恋をしているのだから。



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