君にきざまれた時を

魚住すくも

1.Prelude ――プレリュード

「じゃあ、今日のクラブはこれで終わります。お疲れ様でした」部長の理沙りさちゃん先輩が言った。

「お疲れ様でした!」みんなの声が一生に響く。

 わたしは、マンドリンと楽譜を片付けるために音楽室のすみへ行った。

(あれ? 腕時計がない)

 確かに合奏の前に、ケースの上に置いていたのに。腕時計は弦にあたって弾きにくいから、いつも外しているのだ。

 慌てて、かばんの中やマンドリンケースの中を探してみる。

 しかし、ない。

(うっそぉ、あれ、ないと困るのに……)

 わたしはバス通いの人間なので、時計がないと、とても困る。荷物の前でしょぼん、と肩を落としていると、

「なっちゃん」と、話しかけられた。振り返ってみると、理沙ちゃん先輩だった。

「どうしたの?早くしないと、警備員さんに怒られちゃうよ?」

 先輩は小首をかしげて言う。

「腕時計が見当たらないんですよ〜。先輩、見てません?」と、わたしは聞いた。

「え? なっちゃんの?どんなのだっけ?」先輩はわたしのそばまで来た。

「えーっと、まるくって文字盤が大きくて、革の部分が緑色のなんですけど……」わたしは、身振り手振りで説明する。

「あ、いっつもしてきているのだ。そうでしょ?」分かったというふうにうなずいて、笑った。

「そうです! 見ましたか?」わたしは、身を乗り出さんばかりに聞いた。

 先輩は笑顔のままはっきりと言った。

「ううん。知らない」

「……」

 わたしは、心の中で思いっきりずっこけた。

「谷山、何してんだー」

 廊下の方から、優也ゆうやの声がしてきた。しばらくすると、バタバタという足音とともに、少年が音楽室に飛び込んできた。

「あ、先輩まで何してるんですか? もう、やばいですよ。ほら、お前も早く支度しろよ、夜の中学に閉じ込められたくなかったらな」

「わかってるわよぅ」わたしはふてくされてた風に言う。

 斉藤さいとう 優也ゆうやは小学校からの知り合いだ。一年生の頃から知っていたので、幼なじみと言えるだろう。

「わぁ、もうこんな時間。なっちゃん、腕時計は明日にして、もう帰ろう? 斉藤君の言う通りになっちゃうもん」理沙ちゃん先輩が音楽室の前にある時計を見ていた。

 時計は、もう五時十五分前だった。わたしは急いで、荷物をまとめた。

「先輩、ホントにごめんなさい」わたしが頭を下げると、先輩は笑って気にしてないと言った。

 そして、わたしたちは音楽室を後にした。

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君にきざまれた時を 魚住すくも @uozumi-sukumo

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