第4話『全てはパンツに始まり……』視点:ジュノ
ふっと苦しみから解放されたシャムエルは、良かったまだ生きていられるんだと心から安堵し、思わずうるうると涙する。
でもそれだけが涙の理由ではなかった。置き去りにされたと思っていたのにそうじゃなかったのだ。
「ジュノさん……、戻ってきてくれたんですねぇええええええええ!」
「うるさい。近所迷惑だろ。おとなりで寝てるミミズくんが起きたらどーすんだ」
「す、すみません……。でもほんとに良かったですぅううう!」
「はいはいそーだな。おれがいて良かったな」
「本当に良かったです!」
いつの間にか泣き止んでいたシャムエルは今度はニコニコし始める。
「こんな事があったわけですし、ジュノさん、ここから下ろしてください」
「んー、でもその前にー」
「その前に?」
「やっておかないといけない事、ないっけ?」
「やっておかないといけない事……? なんですそれ」
なんて奴だ、とジュノは呆れて目を細めた。
「一番大事なことを忘れんなよ。かの有名な冥王族が命を失いかけているところを誰かに救われたらどーすんだっけー?」
聞いてシャムエルはハッとした。
「そうでしたっ! ワタシ達は命を救われたら敬意を込めてその方の手の甲に口づけをし、敬意を込めてお名前をお呼びしなくてはいけませんっ!! 今は慣れていない状況下に置かれてしまっているのでうっかりしていました」
思い出したか、そうだよそれだよそれ、ぐふふ、と思わずジュノはにやける。
「よーし。じゃあその冥王族流の敬意とやらを見せてもらおうか。ちなみに、忘れんなよ? その場合、誇り高き冥王族は、両手で命を救った相手の手をやさしく包み込むように持つんだぞ?」
「その点はお任せをっ。抜かりありませんので!」
では……、とシャムエルは差し出されたジュノの手をやさしく迎え入れる。命を救ってくださったお方に失礼があってはいけないと……。
しかし……。
悲しいかな、条件反射から両手で迎え入れた瞬間、手のみによって守られていたスカートが呆気なくバサッと、一気に落っこちた。
「…………」
暴風に負けて反り返った傘と化したシャムエルは、事態の重さがすぐには受け止めきれないらしく沈黙を破ろうという気配すら見せない。
その一方で、「うお」と反応したジュノはとっても驚いた顔で「純白かよ……。色気なさすぎだろ」とがっくり肩を落としたのだった。
――冥王星 53番エリア ホワイトカウハイド砂漠
その砂漠は白い砂、白い岩石によって形成されていた。
とはいってもウユニ塩原のように塩というわけではなく正真正銘の砂で、しかし特殊な加工を施せば低コストで革に似た性質をもつ製品を作り出せること、外部からの刺激がない箇所はすべて牛革のような質感に見えることから〝ホワイトカウハイド砂漠〟と名付けられた。
幾つかの国が領有権を主張しているというその砂漠の上を、一台のジープが疾走する。
運転席には冥王族の少女、シャムエルが座っていて当然ハンドルを握っている。しかもかなり不安そうにしながら。
「ジュ、ジュノさまぁ……、ぶ、ぶれーきってどのタイミングで踏めばいいんですか……?」
「ああたまんねー。かの有名な冥王族に〝様付け〟で呼んでもらえるとか、はあ、お胸がドキドキしちゃう」
「だって仕方ないじゃないですかぁ」
ムッとして言うシャムエルは頬をぷくーっと膨らませる。
「ワタシ達は命を救われたら、救ってくださった方をそのように敬意を込めてお呼びするのが古くからの習わしなんですもん」
隣の助手席に座っていたジュノは、ふん、と鼻で笑った。
「かわいそうに――。あ、いや。今のはべつに、それ狙いでおれが全部仕組んだから良心の呵責に苛まれてつい口から漏れちゃったわけじゃねーぞ? 心の底から大変だなって思ったから出た言葉だって事は察してくれ」
「べっつに良いですよーだ。それよりもワタシのパンツを見たからにはちゃんと責任取ってくださいね!」
「責任かー……」
あれ? 続きは? とシャムエルが隣を見るとジュノはいびきを掻いていた。
「ジュノさま!? そのタイミングで寝ちゃうの!?」
「おい豚。ちゃんと前見て運転しろ」
「お、おっと。ふふ。なんだぁ起きてたんですね」
「いや、ついさっき耳にした嫌ーな単語を忘れる為に一回リセットした。んでなんだっけ?」
「もう忘れたらいけませんよぉ。責任です。せ・き・に――」
「あークソ。ク・ソ」
「え? ……なんですか?」
「お前が『責任』って言うごとにおれは『クソ』で返すことにしたんだよ。コミュニケーションってのはこうやってキャッチボールするのが大事なんだと。初等部のエッチな先生が言ってた」
「いやいや、ジュノさま、それは違いますよぉ。コミュニケーションは会話が大事なんです。キャッチボールは遊びですよぉ?」
ふふふっと笑うシャムエルに、ジュノはイラッとしてしまう。
「お前、とびっきりの馬鹿だな」
「ええええ!?」
またイラッとしたので気分転換に窓の外に目をやる。
窓の外は一面、真っ白な砂で埋め尽くされている。雪によって出来る銀世界とは違ってそれはどこか生物の皮膚っぽさがあり、お世辞にも美しい景色とは言えない。
「てか、お前はいいの? 見られたからって何も馬鹿正直におれに身を捧げなくてもいいと、おれは思うけど」
「ふっふっふ。いつ捧げるとまでは指定されてませんから、実際のところ捧げるかどうかはワタシ次第なんですよ? ただ大前提として相手の方も清くあらねばなりませんから、ジュノさまもこれからは清く正しい振る舞いを心がけてくださいね」
うふふ、とシャムエルは微笑した。
クソ! そんな情報はなかったぞ……と驚きを隠せないジュノは、忌々しげな視線を隣へ送る。
「お前……、実はけっこう腹黒いだろ?」
「はい! よく言われますっ」
と運転手のテンションが急上昇した結果、ぐわん、と車体が巨人のおもちゃになってしまったかのように左右に大きく揺れた。
「おい馬鹿! ハンドルから手を放すな! 岩にぶつかったらどーすんだよ!」
怒声にびっくりし、シャムエルはあわてて両手の親指を引っ込めてハンドルを握り直す。自分が車の運命(コントロール)を左右する役割を担っている事を思い出したようで、何も起きなくて良かった、とホッと息を吐く。
「すみません……。つい調子に乗っちゃいました……」
「……馬鹿にも程があんだろ」
小さく、はあ、とジュノはため息を漏らした。
丁度その時、後部座席から「ううう、頭がズキズキする」と声がした。
「おっ」
ジュノが後部座席を振り返り、
「起きたかー? お前の名前、クラマで合ってるうー?」
と、わざとらしい大声で重要事項を確認。
「下の名前ならそれで合ってるよ……。いてて。それよりここはどこ……?」
「車の中。場所について聞いてるなら、ホワイトカウハイド砂漠のー……。ま、何はともあれ、お前があの指名手配犯のド変態で間違いねーなら、おれは安らかに寝させてもらうぜー。ついさっきまで純白パンツのブタちゃんとお互いの将来について熱く語ってたから疲れた」
「ちょっ、ジュノさま! それは他言しないと車に乗るとき約束しましたよね!?」
「あーごめん。おれ昔っから時たま独り言で『純白パンツ』って言っちゃう癖があるんだよ。あー辛い。今後はまるでシャムエルちゃんが純白のおパンツを穿いていると勘違いされちゃうような事は絶対言わないって約束するから許して」
「もういいですっ!!」
むくれたシャムエルは前傾姿勢をとり、もう二度とあなたとは口をききませんといったふうな態度を示す。どうやら次はフロントガラスと仲良くすることにしたらしい。
「あーあ。クラマが気持ち悪い格好してるからシャムエルがぷんぷんだぞー?」
「ぼくのせい!?」
ミミズ男ことクラマは両手を縛られた状態のまま起き上がり、前のめりになって前部座席に顔を出す。だがその急激な運動によりまた頭痛が起きたようで、
「あいたた……。ったく、君はいったいぼくに何をしたんだ?」
「いやー、ちょっと前にある男からこんなものを安く買ってさ、んでもよくよく考えたら使い道ねーだろって後悔してたんだけど、お前のおかげでこいつを買った甲斐があったって思えたよ。指名手配犯も役に立つってことがこれで証明されたな」
ジュノが懐から取り出したのは子供でも扱えそうな小さな拳銃だった。しかし実弾には対応しておらず、代わりに体内で分解される超小型の注射器を撃ち出すことが出来る代物である。
「おいぼくは実験台か? そんなのそこらへんにいる動物で試せばいいのに。いや、それよりも、君はつまりぼくに掛けられた賞金が目当てってことかい? てことは君は賞金稼ぎか」
「ブッブー、大はずれ。おれはあの時に、あの森の中で獲物を探し回る暴漢か何かがいればそれで良かったんだ。つまりお前はたまたまおれに捕まったってこと。んんー? よくよく考えたらお前、すごくかわいそうな奴だな」
「君、今ぼくの外見も含めて哀れんだでしょう?」
「とーぜん。そんな気持ち悪い格好、誰も好まねーだろ。かわいそうな奴を除いて」
ガタン、と車が石か何かを踏んだのか、小さくジャンプした。
一呼吸置いてふたりの会話は続けられる。
「ぼくがこんな格好をしているのには理由があるんだ。総じて人の行動には何かしらの理由がある。――君のことだね、彼女が呼んでいたのは。何で、あんな危ない場所にあんなかたちで置き去りにしておきながら、また戻ってきたんだい?」
「お前のほうこそ、こいつに何をするつもりだったんだよ? 指名手配書には『変質者』としか記されてなかったけど、ただの変質者が指名手配なんてありえねー。お前、どんだけ酷いことやってきたんだ?」
ふう……。そんなため息が聞こえてきそうな気怠い感じにクラマは後部座席のシートへ、ドサッと身体を預ける。
「……ぼくは、女の子のトラウマを繰り返し呼び起こす魔法を使って、女の子を泣かせるんだ。そしてその泣いた女の子をぼくが慰めてあげる。ただそれだけ」
「クラマ、お前サイテーだな」
「女の子を樹に吊して置き去りにした君に言われたくはない」
「いいや。お前のほうがサイテーだ。おれが酷いことをしても結局こうやって一緒にいるけどさ、お前はみんなから嫌われたから犯罪者認定されたんだろ? どっちが最低かなんて火を見るより明らかじゃねーか?」
「それは……、シャムエルちゃんがほんのちょっぴりお馬鹿さんなだけだよ」
「ハイ!? 今ワタシ本人を目の前にしてお馬鹿って言いましたね!?」
思いもよらない言葉を耳にし、反射的にシャムエルは後ろを振り返った。
「おう、確かに今言ったなこいつ。シャムエルは重度の馬鹿って言ったぞ。なんてひでー男なんだ」
「え、ちょっと待って。ぼくはほんのちょっぴりって――」
「ひどいです! 気持ち悪い格好した人に言われたくありません!」
「うわ、ひどい! ひどすぎる! いくらなんでもぼく本人に直接気持ち悪いって言うなんて、あんまりだよ! 女の子にそんなこと言われたら傷つくって容易に想像できるでしょう!? もう! 早くこの縄ほどいて! ぼく帰る!」
「あのなー、解いてって言われて解くわけねーだろバーカ」
馬鹿でもなんでもいいから早く解いてよ、とムキになったクラマが両手を前方に差し出す。
その時だった――。
突然カミナリが落ちてきたような衝撃に襲われたかと思ったら、今度はいつ自分はコーヒーカップのアトラクションに乗ったんだろう? と思う程ぐるぐるぐるぐる視界が回転し、すべてが収まった頃には3人全員の意識はもうろうとしていた。
一体全体なにが起こったのか把握すべく、ジュノはふらつきながらも外へ這い出る。地面に辿り着くなり横になる。
それから腹をすっと膨らませ、一気に声を放った。
「おーいっ!! お前ら大丈夫か!? おれは目眩がしてクラマだ!!」
「あのちょっと……、ぼくを『気持ち悪い』の代名詞にしないでよ……」
車内からクラマの声が返ってきてホッとする。
「んなことよりシャムエルの様子を見ろ! ああ頭がぁぁぁー!」
「シャムエルちゃんは気を失ってるようだけどたぶん大丈夫だよ。というか、無理してそんなに声を張り上げなくても聞こえるよ」
「すっげーくらくらするんだって頭が! そもそも無駄に喋らせるお前が全部わりーんだよ!」
「え? ええ……!? 道理も何もあったものじゃないね……」
何で人のせいにするかな、とグチグチ言っているクラマはさておき、徐々に意識が回復に向かい始めたジュノは空に向いていた目線を横に転じた。
そうして横たわったまま、車がぶつかっただろう相手を見つけたのだった。
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