第3話『ぼくなりの愛し方』視点:ミミズ男

「う……、うう……」


 いかなる国の管轄でもない湖を囲う森の中を歩いていると、どこからともなく少女の泣き声が聞こえてきた。


「ううう……、ううう……」


 一度目の夜を迎え、次に二度目の朝がやって来るのはおよそ4時間後。

 全身を赤黒いミミズで覆ったかのような不気味な格好をした男は音と気配を頼りに行動する。たとえ夜間だろうと昼間とほとんど変わらない素早さで身動きの取れる男にとって、一日に二度夜が訪れる冥王星はむしろ歓迎すべき好環境だった。


 暗闇に対抗する手段を持たない女ならば水槽の中に閉じ込められた亀のようなもので、散々逃げ回ったあげく疲れ果てたところを襲いかかり、地獄を味わわせるのは究極の娯楽だ。――男はその地獄をこの哀れな少女にも味わってもらいたくてたまらなかった。


「ううう……、ジュノさん……」


 近くに友達がいるのかとミミズ男は一瞬ためらう。

 足を止め、いったん陰に身を潜めて様子をうかがう。


(このまままっすぐ行ったところに少女はいる。だけどどうだろう? 二人っきりになる為にはどちらか一方をその場でちゃっちゃと殺さなくちゃならない。ぼくにできるかな? いいや……、難しいかもしれないな。もし二対一になっちゃったら絶対ぼく負けるよ。ぼく複数相手にするの苦手だし……)


 ミミズ男は一向にその場から離れられない。

 もっとも懸念すべきは既にこっちの動きがバレていて、何らかの対処をされている事。飛んで火に入る夏の虫になるのは御免被る。

 どうしたものかと考えているうち、先ほどまでの泣き声がちょっとばかし変化した。


「あんな人だとは思わなかったよぉ……、ぐすん……、暗いよぉだれかぁ……」


(おや? おやおや? もしかして1人かい? ふうむ。どうしようか。このまま出て行って驚かせたあと、思う存分楽しむのもありだけど……。でももし今のが罠だったとしたら危ないぞ? 仲間の声真似をして獲物をおびき寄せる奴もいるし、今のはもしかしたらぼくを誘い出す罠かもしれない。1人だから出ておいでって安心させておいて、いざ出て行ったらほれ見たことかってなるかもしれない)


 いや、なんとしてでも少女には地獄をプレゼントしなければ……。

 ミミズ男は覚悟を決めた。

 とりあえず明るくなったら直視出来るくらいの距離まで接近しよう。そこから先はまた様子見してから決めよう。

 音もなく、実体のない影のような動きでミミズ男は距離を詰めた。


 すると。


「ジュノさん……? ジュノさんいるんですか……?」


 事もあろうに少女は、何かまでは分かっていないようだが何かがいると気づいており、それをすかさずアピールするように声に出して言った。

 せっかくすぐそこまで迫ったというのにこの少女はなんとミミズ男が一番嫌うやっかいなタイプだとたった今ここで判明してしまった。


(ああもう嫌だよ……。ぼくと同じタイプじゃないか……。うううううん。これは参ったな。ぼくを誘い出す罠って説がさらに濃くなったぞ。どうする? 一か八か襲撃してみるか? ああ、でも、絶対罠だよな……。もおお、誰か助けてよ……)


 ミミズ男は頭を抱えた。


(もう無理だよこんなの……)


 しかしふと思いつく。

 ついこのまえ覚えたばかりの魔術ならばこの窮地を脱することができるかもしれない……。そんな考えが脳裏を過ぎったのだ。


 因みに魔術とは、他者の魔法を使うために発明された技術である。

 その手法は魔術を考案、作製等行う魔術師によりけりだが、まず前提として、


〝脳内の高次元(多元宇宙)から引き出される魔力(エネルギー)は、さまざまな相互作用を持ち、且つ直線や曲線といった『線』と強い結びつきを持つため、魔力を用いて事象を可能にする魔法の場合、使われる魔力を留めておけるだけの規模(より複雑でより無限に近いほうが好ましいので一部フラクタルを埋め込むことも少なくない)の線を実用的なかたちで表したものに魔法を一度事象させた魔力を保存すれば簡単に運用できる〟


 そして魔術の代表例として、


〝幾何学模様や文字を複雑に組み込んだ多重構造図形の魔法陣(ルーン)(デザインはすべて魔術師次第)を利用する〟

〝フラクタル構造の粒子が内部に蓄積した『魔石』を利用する〟

〝自身の肉体そのものを利用する〟

 ――以上3つが挙げられる。


 ミミズ男は覚悟を決めて一歩前に足を踏み出した。

 ところがすぐに引っ込めてしまう。


(なんだか、うまくいかない気がするな。覚えたばかりだし……。本番前に一回おさらいしておこうか? ……いや、そんな事したらぼくはここにいますよって教えるようなものだ。ダメダメ。やっぱりぶっつけ本番しかない。ああ……、それが何より一番こわいのに……)


 ふとミミズ男は空を見上げた。

 ぐずぐずしてたら夜が明けちゃうな、とため息を漏らす。


 ――よし。


(あの子に……、清らかな心がぐちゃぐちゃに壊れるくらい酷い地獄を体験させてあげよう。この、ぼくの手で)


 覚悟を決めたミミズ男は、風に吹かれる砂のように音もなく闇に溶け込む。それから一呼吸する間に標的のもとへ辿り着いた。


 暗い森の中、突如として目の前に現れた不気味な姿をしたものに、樹に吊された少女は一瞬にして声を失う。

「はじめまして」ミミズ男は少し屈んだ姿勢で目線を合わせ、「手短に言うと、今からぼくは君に」とこれから行うことを説明しようとした。何故この子は逆さづりになっているのだろう? という疑問を抱きつつも。

 だが――。


「ひぃいいいいい! おばけえええええええええええ!?」


 少女は目を剥いて泣きながら叫ぶ。


「おばけってこらこら、ぼくはね」


 そのとき、力ずくで逃げだそうと暴れる少女の頭突きがミミズ男の顔面にヒットした。


「いてっ」


 数歩あとずさったミミズ男はしゃがみ込み、顔を押さえる。


「くう……、意表を突くのは卑怯だよ……。ぼくはただ」


「人さらいっ! 人殺しっ! 人でなしっ!」


「うわ、本人を前にしてそんな悪口……、ひどいよ! このままだともうぼく憤怒するしかないよ!?」


「ひいい! ごめんなさい! 決して悪気があって言った言葉じゃないんです! どうか許してください!」


「いいや許さない。人を見かけで判断してお化け呼ばわりしたあげく、人でなしってあんまりじゃないか!」


「ち、違うんですう……。まだ二回しか会ったことのない男性にこんなふうに置き去りにされてしまったので、ちょっぴり気が立っててそれで」


「え……、何だって? こんなふうに置き去りって……、ひ、ひどすぎるよそれ……」


「ですよね……」


「でも、ごめんよ」


「え?」


「ぼくには関係ない事だから気にせず続けるね」


 頭部を覆う物の下では本当の顔がにっこりさせ、少女の哀れな境遇をまったく意に介さなかったミミズ男は、片手を天に掲げる。と思ったのも束の間、それは単なる予備動作で本当の狙いは手のひらを地面に押し当てる事にあった。


 手のひらが接地すると、彼の身体から妖しい光が一気に駆け抜け、地面へと伸びる腕を通じ外部へ円を描くようにして広がっていく。


 2人の足下を越えたところで、模様や文字を含む円――魔法陣がようやく留まる。


 ミミズ男は魔法陣がしばらくしても消えない、つまり成功したことにホッと胸をなで下ろした。だが、屈んで地面に手を伸ばしたままそこから立ち上がろうとしない。


「たぶんバレバレだろうから先にいっちゃうけど、この魔術……、発動させてる間はずっとこうして手で対象物に触れていないとダメなんだ……。はあ、かっこわるいけど、このままの体勢で失礼するよ」


「失礼するって、いったい何をするつもりなんですか!?」


「何って……、そりゃあ……、君のこころをメッタメタに切り裂くんだよ。……って、サイアクだ。事を起こす前にネタバレしちゃったよ……(あーあ、これだからぼくは……)」


「切り裂くって……そんな、う……っ」


 突如、少女は大きく目を剥き、身体を仰け反らせた。


「言っておくと、それは魔術の効果だからね。その首を締め付けられるような息苦しさから解放されたら、本番開始の合図だよ」


 苦しみに悶えながらも必死にスカートを掴んで制約を守り通そうとしている少女を見てミミズ男は満足げにうなずく。そのままぎりぎりまで近寄り、その顔を覗き込む。


「すごい青筋……。すごく苦しそう。でも本番はもっと辛いよ? みーんな『早く殺して』って口にするんだ。すごいでしょう? そんな地獄の苦しみを――」


 君が味わったらどんな反応するんだろうね……?


 本当はこんな具合に言葉が続くはずだった。

 ところが――、いきなり首の辺りにチクッと小さな針が刺さった痛みに襲われ、反射的にそっちを優先せざるを得なくなり、ミミズ男はしかたなく言葉を一旦切って自分の首を思いっきり叩いたのだった。もちろん接地していない側の手で。


 それからミミズ男は滑らせるように手を動かして首を叩いた手のひらを確かめる。

 しかし虫の死骸はどこにも見当たらない。


(ふん。逃げられちゃったか)


 まあいいや……。

 と諦めたその時、突然後ろから何者からに蹴飛ばされ、傍から見たら隙だらけだった身体はあっという間に地面へ転がってしまった。

 それでもミミズ男はうまく回転を利用して最低限の受け身を取り、


「な……、なんだ!?」


 と蹴った犯人をすぐさま見つけようとした。

 なのに、頭がくらっとして身体がへにゃっとその場に倒れてしまう。


「……へ?」


 同時に目もかすんでくる。

 かろうじてまだ生きている視界で捉えた犯人は、手に明かりを持ち、はっきりと男か女か性別の判別がしづらい人物。

 そいつがポケットに両手を突っ込んだ格好で口を開く。


「ざんねーん。飛んで火に入ったミミズくんゲームオーバー」

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