第27話 「中世最大のカリスマ」サラディン

 サラディン、正式名はサラーフ=アッディーン(1138-1193)はこの時代またはそれより過去を遡っても、彼ほど博愛精神をもち仁義に長けた人物はいないだろう。もちろん、王として、政治・軍事に優れた人物であった。


 教皇ウルバヌス2世の呼びかけによって十字軍が結成され、まずは、隠者ピエールと呼ばれた修道士が民衆を率いコンスタンチノープルから小アジアに攻め込んだがイスラム軍に殲滅させられた。(民衆十字軍1096-1097)

 このことは、エルサレムを落とすには軍隊が必要という教訓になった。


 そこで、フランスの諸侯と騎士を中心として、第一回十字軍が結成され(1096)、小アジアに攻め込み、シリアのアンティオキアを落とす(1097)。

 十字軍の諸侯たちは非常に領土欲が強く、アンティオキアを落とした南イタリアの騎士ポエモンは、この地にいすわり、アンティオキア公国を建てた。

 また、エデッサを攻略したボードアンも同じくエデッサ伯国を建てる。


 そうしてついに十字軍はエルサレムを奪取する(1099)。ここにはエルサレム王国が建てられた。しかしこのとき、十字軍はエルサレムに居住していたイスラム教徒を虐殺し、略奪し、後世に悪名を残すことになる。

 このころキリスト教は他の宗教に触れることがなく、キリスト教の隣人愛はキリスト教徒にしか向けられなかったのであった。


 次に、ダマスカス(ベイルートがあるあたり)の攻略のため、第二回十字軍が結成されたが、失敗に終わる(1147-1149)。


 この失った領地を取り戻すべくイスラム勢力は立ち上がり、ザンギー朝のヌレディンがダマスクスを奪還する。このザンギー朝に仕え、のちにアイユーブ朝を興すのがサラディンである。


 彼は叔父の仕えたザンギー朝において、エジプト遠征で多大な武勲をたて(1164)、後に、ファーティマ朝の宰相に任命される(1169)。

 エジプトの地盤を固めたサラディンは、アイユーブ朝を創始し、ファーティマ朝に世継ぎがいなかったため、実質アイユーブがエジプトを支配する(1169)。

 1174年にはシリアを奪回し、ついに、エルサレム王国に攻め込む。そして、ハッティンの戦いでアイユーブ朝がエルサレム王国に勝利すると、エルサレムはアイユーブ朝の手に落ちた(1187)。

 前回、キリスト教徒がエルサレムを落とした際には、イスラム教徒は虐殺されたのだが、サラディンはキリスト教徒を殺すことなく、捕虜とし、身代金を取って解放した。



 エルサレム陥落の報を聞いたヨーロッパ諸国はかつてない強力な十字軍を結成する(第三回十字軍1189-92)。

 その構成は、イングランド王「獅子心王」リチャード、フランス王「尊厳王」フィリップ、神聖ローマ皇帝「バルバロッサ」フリードリヒ一世とオールスターが集結したのだった。

 しかし、この結成は机上の空論となってしまう。イングランドとフランスは領地問題で遠征が遅れ、単独で出発したフリードリヒは小アジアのサレフ川を渡航の際に溺死してしまう。これをもって、ドイツは撤退する。

 反目しあいながらも、フィリップとリチャードは別ルートで出発し(1190)、サラディンを打ち破りアッコンを奪回する(1191)。しかし、アッコン奪還後、フィリップは病気を理由に帰国。

 残されたリチャードはイングランド軍のみで、エルサレムを奪還せんとし、サラディンと勇猛果敢に戦う。しかし、サラディンにエルサレムを死守される。このときの戦いの様子が後世に語られ、騎士物語となった。


 1192年に両者の間で和平が結ばれ、ヨーロッパ諸国の自由な聖地巡礼を認める代わりに、エルサレムとアッコンは、アイユーブ朝の領土となった。


余談

 サラディンは少数民族クルド人であった。少数民族の英雄としても彼はたたえられている。


もう一つ余談

 ベリサリウスのところで少しでた「最初の騎士」トティラも虐殺を避け、敵であった市民を無傷で逃しています。

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