第14話 ゲルマンの農家の家

●木と土の城が登場する前

(木と土の家については、ローマを支えたセメントをご参照ください)


 11世紀になって、木と土の城が登場するが、それ以前の農村の暮らしをまずみてみよう。

 このころの農村は、散在した農家が個別に粗放な耕作や牧畜を行っていて、村落共同体としてのまとまりはなかった。

 農家の姿として、比較的大きな農家の場合は散在するいくつかの小型の建物群から構成され、住居は地表に穴を掘って柱を建てたいわゆる掘っ立て小屋(住居)。

 それに加え、古代日本に見られたような高床式の建物(倉庫)とともに、三角テント型の竪穴式住居のような半地下式の子屋(家畜用)が付随していた。


 簡単にまとめるとこの家は、

◆住居

◆倉庫

◆家畜用建物

 の3つの建物群で構成されていたといえる。


●11世紀以降

 土と木の城が登場するころになると、農業技術の向上を背景に、領主を中心とした一定の治安組織が成立したために、農家のありかたは大きく変貌を遂げる。

 城・教会・を核にして集住する村落が新しく形成され、そこには共同体としての村組織も生まれてきたのだ。

 このころになると、建物の数も多くなり、農家のあり方も多様化していく。

 

 例えば、裕福な農家の場合は、四角い中庭を囲むようにして、複数の建物(住居・倉庫など)が並んで配置されるのが一般的だった。

 また、石造の建物も多くなってきて、母屋にあたる住居とともに、その2~3倍の面積を持つ付属施設がおかれるようになってくる。この付属施設とは、主に増加する家畜のためのものだった。

 これが日本などの米食圏とだいぶことなるところで、ヨーロッパでは家畜である牛に鍬を引かせるのはもちろんのこと、食肉・乳製品・羊毛などにして利用していたから、家畜の量が日本など比べてはるかに多かったからである。

 小さな農家でさえ、一つか二つしか建物はなかったのだが、それでも家畜と人間が同居できるように作られていたのだ。



 いまの私達が見ることができて、西欧ぽいものがこの時代どの家にもありました。それは暖炉です。

 では、このころの暖炉とはどうなっていたのでしょう?


●暖炉

 大きな農家で付属施設があろうと、また小さな農家で付属施設がなかろうと、母屋には一般に居間と寝室という二部屋からなり、今には炉が設置されていた。

 この煮炊きと暖房のための炉は住居の中心であり、炉という言葉は世帯そのものを意味するほどにもなっていく。(例えば、フランスで世帯ごとに課せられた戸別税は「炉税」という名前がついていたほど。)

 ともかく、炉の設置のためには、火災の危険を避けると同時に、煙の排出という問題を解決する必要がある。炉を屋外に出してしまって、家の軒先や外部の小屋に炉を置くこともあるにはあったが、こうすると家の暖房には全く役にたない......

 部屋の真ん中に炉を置いた場合は、屋根に換気用の天窓をつけたり、炉の上に四本の柱で支えられた排気口を設置する方法も行われた。

 

 こうして試行錯誤をしていくうちに、私達に馴染み深いものが出現してくる。壁を背にして置かれ、煙突によって排煙される暖炉がやがて登場する。火に強い石造りの場合には設置が容易であり、王侯貴族の館には9-10世紀にはこのタイプの暖炉が設置された例もある。

 煙突付の暖炉を取り付ける方法は二つあって、最初から石の壁のなかに暖炉と煙突を作りつけにするか、建物完成後にドロや漆喰を塗って耐火措置が施された木製の煙突を取り付ける方法だ。

 中世の暖炉は、後付の方法が一般的で、後に組み込みタイプの物が出現してきたそうだ。

 生活に必須な暖炉の発展によって、わたしたちが今見る西欧風の石造りの煙突付の家が登場してくるというわけだ。

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