6-E

「はぁはぁはぁ……くそっ、くそっ、くそっ!」


 木々に囲まれた暗い森の中を、一人の男が足を引きずって走っていた。

 男達が破格の報酬で受けたのは、ある施設から逃げ出した子供二人を捕まえるだけの、簡単な仕事の筈だったのに。

 目的の潜む村へと向かって、森を進んでいた彼らを出迎えたのは、機関銃マシンガンの弾雨だった。

 十二名居た傭兵仲間は、その奇襲で半分以上がやられ、残りも正確無比な狙撃で一人一人殺されていき、今や生き残ったのは彼一人である。


「畜生、こんなの聞いてな――うわっ!」


 必死に逃げ続けていた男は、傷付いた足を木の根に引っかけ、無様に転んでしまう。

 そして、無慈悲な追跡者が追い付くには、それだけで十分だった。

 チュインッという硬質で静かな音が鳴り、立ち上がろうとしていた男の脳天に小さな黒い穴が空く。

 崩れ落ちる死体の後ろに立っていたのは、制音器サプレッサーを付けた拳銃を手に、満月を受けてより黄金色に染まる金髪の女。

 女は平然と男の死体に歩み寄り、蹴ってそれが完全に死亡した事を確認すると、耳に付けた通信機のスイッチを入れる。


「こちら半月ハーフムーン、最後の『狗』を処分し終えたわ」

『ありがとう御座います、わざわざ指揮官殿の手を煩わせてしまうとは』


 そう謝罪する部下を叱る事も無く、女は次の指令を出す。


「それより『焼き鳥』の準備は出来たかしら? そろそろオーガが『小鳥』を捕らえ終えるわよ」


 住人が死に絶えているとはいえ、村一つを焼き払うという蛮行を『焼き鳥』などと呼称する指揮官に、部下は悪い冗談だと思いながらも了承を伝える。


『完了しています。遠隔起爆装置付きテルミット焼夷弾を計七十八個、建物の全てと周囲の森に配置済みです。鶏肉が炭にならないか心配ですよ』


 そう冗談を返して笑う部下に、やはり女も笑って返す。


「ふふふっ、結構よ。それで、フェザーは何処に居るのかしら?」


 彼らとは別に、今回の作戦に参加した同僚の行方を尋ねる指揮官に、通信機の声は固くなる。


『……ポイントT3で我々と共に集合しています、今から休暇・・を楽しみにしていますよ』


 皮肉と苦みの混じったその声に、女は何も言わず通信機を切ると、指定された場所に走り出す。

 夜の森を駆ける事一時間、村を眼下に入れながら、これから起きる山火事に巻き込まれない場所で、十五人の男達が女を待っていた。

 その内十三名が彼女の部下であるファルコンチームであり、残り二名が直属ではないフェザーだった。

 敬礼を持って迎えた彼らに、指揮官は美しい微笑を以て応える。


「皆ご苦労だったわね。今宵の行いは許されざる罪悪なれど、これも全ては我ら猟師の掟を守るため。太陽神アポロンは許さずとも、月の女神アルテミスは貴方達を祝福するわ」


 ギリシャ神話に登場する月と狩りの神であり、故に狩人達が好んで使う女神の名を以て、指揮官は部下達に労いの言葉を掛ける。

 例え命令とはいえ、七十四名の村人を見殺しに、その生きた形跡すら焼き払うという罪を背負った彼らは、その言葉でほんの僅かだけでも救われた気持ちになるのだった。

 だがそこへ、元から痛みを感じていなかった二人が口を開く。


「指揮官殿、準備が終わったのなら早く花火を上げて帰りましょう」

「えぇ、こっちは四日も子守をさせられて、早く女遊びひあそびをしたくて堪らないですよ」


 下卑た笑いを上げる二人に、女は一瞬だけ冷めた目を向けると、直ぐに微笑んで告げた。


「貴方達には特に頑張って貰ったものね、今すぐ報酬を払って上げるわ」


 そう言って、大きな胸の谷間に手を差し込む女に、男達は追加報酬で指揮官殿が頂けるのかと鼻の下を伸ばすが、そこから出てきたのは小さな金属塊。

 小型拳銃デリンジャー――それが二度閃光した時、二人は力を失って地に倒れていた。


「…どう…して……?」


 わざと急所を外され即死せず、苦痛と共に疑問を吐いた男達に、女指揮官は冷酷に告げる。


「どうしてって、それは貴方達が一番良く知っているんじゃない? 『首無し死体』の事をヤクザに話したの、忘れた訳じゃないんでしょう?」


 能面で首を傾げてくる女に、男達は目の前に迫った死も忘れ、恐怖に身を震わせる。

 女が元相棒と最後に行った任務――廃ホテルで首を切られた死体が見付かった事件は、確かに怪物の手によるものではなかった。

 身分証を全て捨てられたそれは、都心を縄張りにする大手暴力団の下部組織が、ある企業に頼まれて、敵対する企業の重役を殺害したというのが真相だった。

 事件から三週間以上が経った今、すでに身元は判明し、事件は全国区で大々的に放送され、その企業は大黒柱を失った上にイメージを低下させて大混乱に陥っている。

 だが何故、暴力団組員達は被害者をコンクリート詰めにして東京湾に捨てたりせず、怪談に見せかけるなどという面倒な方法を取ったのか。


 一つには、被害者が呪い殺されたように見えるショッキングな方法を取り、前述のように企業のイメージを悪くするという理由も有る。

 だがそれよりも、捜査を混乱させて実行犯の逃走時間を稼ぐという意味があった。

 このような怪物の手によるものと思しき事件が起きた場合、どうしても狩人協会が出てきて、警察を事件から閉め出してしまう。

 そうなれば人数の少ない協会の事、国家機関よりは明らかに捜査人数が足りず、さらに普通の人間に気を使わない為、真犯人は容易に逃亡が出来るという算段だったのだ。

 もっとも、今回は情報部の者が適切な分析をした為、協会は直ぐに怪物の仕業ではないと判断し、捜査権を警察に戻し、数日後に一度確認するだけに留まったのだが。


 だがしかし、当初の狙いである重役の殺害と企業イメージの低下は果たし、彼らは――暴力団にその方法を唆した二人の狩人は、多額の礼金を受け取っていたのだ。

 その事が知られ、さらに後幾つかの裏取引も露見しているだろう事実に、彼らは死に逝く体を恐怖に震わせ、冷酷な金髪の指揮官を仰ぎ見る。


「貴方達も協会の掟は知っているでしょう?  『どの国にも、宗教にも、思想にも、組織にも、個人にも属さず、ただ怪物を狩る弓矢たれ』――それを破った者は、例え同僚だろうと許されないわ」


 秘密組織の割に自由奔放な感がある狩人協会だが、それでも決して破ってはならない三つの掟が有る。


 一つ、人外かいぶつの存在を世に明かさぬ事。

 一つ、協会に仇なす者は全て許さぬ事。

 一つ、協会以外の何モノにも属さぬ事。


 この鉄則の内、一番目と三番目を破った為に、彼らは処分される事となったのだ。


「…そん…な……あの…程度で……」


 暴力団に少し怪物の話をして小銭を得た、それだけなのに、何故?

 そう疑問を浮かべる裏切り者達を、女は靴の踵で踏みにじった。


「何故? それが狩人協会全体を危機に陥れるとも知らず、貴方達は禁を破ったの?」


 物を知らぬ子供に語り掛けるような優しい声を出しながら、女は二人の傷口を抉る。


「私達は怪物という異常を狩る者、ただそれだけの暴力機械。だからこそ存在を許されている弱者にすぎないという事を、貴方達は自覚していなかったのね」


 全世界に支局を持つ狩人協会だが、その総勢は十万人にも満たない。

 そんな、一国の軍隊で滅ぼせるような小さな組織が、何故各国の政府と対等の契約をして資金を得、民間人に死者を出しても問題とされないのか。

 そこには様々な理由が有るが、その一つが協会の徹底した役割厳守に有る。

 怪物は狩る、だがそれ以外には一切干渉しないという理念は、協会を守る最後の盾なのだ。

 全世界に点在し、様々な兵器や通信網を持ち、異能者という切り札さえ持つ狩人協会を、どの国の政府も危険視している。

 彼らがいつ他の敵国と手を組み、自国の情報を横流しして害を為すか――そう疑うのは、自分達の国を守る者として当然の思考であろう。

 そう疎まれ、排斥される可能性が有るからこそ、狩人は他の何モノにも属さず、怪物を狩る事と自らを守る事しか許されないのだ。

 例えどの国がどんな政策をし、どの国と戦争をする事になろうとも、誰に味方する事も敵対する事も無く、ただ怪物という異常を狩る便利屋であり続ける。

 それが狩人協会全体を守る掟であり、それを破る真似はどんな小さな事であろうとも許されない。


「分かった? では、さようなら」


 せめてもの手向けと説明を終えると、女は手を上げて振り下ろす。

 それを合図に隼の十三名は銃を構え、同僚の苦しみをせめて短くしようと、銃弾の雨で二人を即死させた。

 火薬の臭いと苦い思いが広がる部下達に、指揮官は輝く髪をたなびかせ、厳粛な顔を作って歌う。


「彼らは勇敢に人外と戦うも、その手により命を散らした尊い殉職者。彼らの誇り高き死に、月の女神の慈愛が授けられる事を祈りましょう」


 政府等への体面上、協会も犠牲を払ったと示す為に、彼ら裏切り者の死は装飾される。

 生き残った者達も、明日は我が身と恐れを抱きつつ、自ら手に掛けた同僚達に黙祷を捧げるのだった。

 それを見送ると、女は明るくなってきた空を見上げて、通信能力が強化された携帯電話を取り出す。


「さて、鬼は『小鳥』を食べ終えたかしら?」


 愉快そうに、だが何処か寂しげに笑い、元相棒への短縮ダイヤルを押した。

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