6-6
「ちっ、臭い体で近寄らないでくれないかしらっ!」
腐敗臭を撒き散らし、緩慢な動きで畑の畦道を突き進んで来る人の群に、U・Dは悪態を吐きつつ、ピンク色に塗られた趣味の悪い
軽い破裂音が鳴り響き、五発の弾丸が全て命中するが、彼女を襲う人の群はその足を止めもしない。
六体いるその人影は、誰もが体の何処かが欠け、体中から血と腐肉の臭いをさせた、生者を憎む屍鬼達。
U・Dは素早く排莢と装填を終え、めげずに銃を構える。
「やっぱり9㎜じゃ力不足ね。無理してデザートイーグルでも持ってくるべきだったかしら」
舌打ちしながら今度は頭を狙い、引き金に指をかける。
だが、引き金を引くより早く、屍鬼達の背後から駆け寄ってくる赤銅の影に気が付いた。
「柘榴、遅いわよ」
「馬鹿野郎、何で逃げなかった!」
「説教は後にして、まずは助けてくれないかしら」
「それが助けを頼む態度か!」
こんな時でも態度の変わらぬ少女を怒鳴りつけながら、赤銅の鬼は屍鬼の群に飛び込み、躊躇なく鉄塊を振り下ろす。
「しっ!」
呼気一閃、一文字に薙ぎ払われた断首刀が、二体の頭部を吹き飛ばす。
そして、返す刀で唐竹割に撃ち落とし、一体の脳と心臓を真っ二つに粉砕する。
「凄い……」
自分が歯の立たなかった怪物を、紙でも千切る様に蹴散らす柘榴の勇姿に、U・Dは恐ろしさと興奮で身を震わせる。
所要時間は約三十秒、全六体の屍鬼が肉片と化した後も、赤銅の鬼は息さえ切らしていなかった。
柘榴は一振りして断首刀の血を払うと、気楽に拍手してくるU・Dの襟元を掴み上げた。
「お前、何でここに居る!」
少女がこんなに早く回復していた事、そして逃げずに戦っていた事。
その全てを何故と問う柘榴に、U・Dは一言で答えた。
「アタシは貴方のパートナーよ。それ以上の説明が必要?」
無粋な事を言わせるなと、歳に似合わぬ迫力を込めてくる少女に、赤銅の狩人は何も言い返せず襟を放した。
「それに、化け物のいる村で孤立するなんて、死亡フラグもいい所よ。強い鬼の横に居た方が絶対に安全だもの」
「そう、だな……」
茶化した物言いのU・Dに、柘榴も小さな笑みで頷いた。
(自分の知らない所で大切な人を失いたくない。そう言ってたくせにな……)
己の言葉が胸に刺さり、そして同時に、知らない所で失ったはずの人を思い出し、鋭い痛みに胸を押さえる。
とそこへ、不意に鋭い殺気を感じ、柘榴はU・Dを庇う様に断首刀を構えた。
予感は外れず、丸いボールの様な物が高速で投げ付けられて、盾にした鉄板にぶち当たる。
鈍い音を立てて地面に落ちたそれは、良く見れば切りたての人間の頭。
柘榴が投げられた方向に目をやると、そこには桜を連れ去ったのとは別の、人ならぬ少年が立っていた。
「へっ、やるじゃんオッサン」
人間の頭を切って投げ付け、平然としているその態度に、柘榴は聞くまでもなく彼も吸血鬼である事を理解する。
「あんた、誰?」
U・Dが珍しく敵意を表し、険しい声で言うと、少年は可笑しそうに吹き出した。
「誰って? 決まってるだろ、この腐れた村を滅ぼしてやった吸血鬼様さ!」
胸を張って誇り、死に絶えた村を悪し様に言う少年に、柘榴は直感的に気付く。
「お前、この村の人間か?」
あの少年と桜がどこから現れたのかは分からないが、目の前の少年はこの村に住み、この村で死に、そして吸血鬼として蘇った人間。
その推測は、口が裂けるような笑みで肯定された。
「それがどうした」
「村人を殺したのも、お前か?」
「八割位はな。家のムカツク
「外道……っ!」
愉快げに吐く吸血鬼を、U・Dが怒気も顕わに睨み付ける。
だが、少年はまるで意に介さず、今度こそ声を出して笑い出した。
「くはははっ、それの何が悪いってんだよ? 全部テメエの命も守れない、弱いアイツらが悪いんだろうがっ! 普段は散々人に舐めた口聞いておいて、ちょいと首を捻られれば死んじまうような、貧弱な虫けらどもが悪いのさっ!」
吸血鬼となって得た力に酔い、人の命を虫けらと言い切る男。
そんな虐殺鬼に、ただの無力な子供にすぎないU・Dは、唇を噛みしめて睨む事しか出来なかった。
だが、そんな彼女の肩を、赤銅の大きな手が叩く。
「そうか、お前は自分の意志で、生きる為でもなく、ただ快楽の為に殺したのか」
柘榴は顔を少年に向けたまま、U・Dを安心させる為に頭を撫で、一歩踏み出す。
「だから、それがどうしたよ?」
いまだ薄ら笑いを浮かべる少年を見て、その手に何も握られていない事を確認すると、柘榴は断首刀を投げ捨てて告げた。
「なら、お前は人間じゃない。
「調子こいてんじゃねえっ!」
武器を捨てて余裕を見せる柘榴に、吸血鬼は激昂して襲いかかる。
三十mほど離れた位置に居た少年が消えた。少なくとも、U・Dの目にはそう映った。
吸血鬼の少年はその異能力で、普通は三割ほどしか使われていない人体の筋肉を、百%フルに爆発させ、常人の目には捉えられない速度で跳躍したのだ。
一秒にも満たない刹那で、柘榴の懐まで潜り込んだ少年は、その顔面に向かって加速した拳を叩き込む。
ゴキリッという鈍い音が上がり――少年の拳の骨が折れた。
「……へっ?」
少年は間抜けな声を出し、白い骨が突き出して血を飛び散らす自分の手を、呆気に取られて眺める。
彼の家族を、隣人を、一撃で砕いてきた必殺の拳が逆に砕け、受けた赤銅の男が平然と立つ有り得ない姿に、吸血鬼の少年はその死人の顔をより青くした。
「何だよ……何なんだよテメエッ!?」
悲鳴を呑み込んで叫び、早くも再生した拳で、今度は腹を殴りつける。
だが結果は同じ、拳は砕け、反動に耐えきれなかった膝の骨までが、筋肉を破って後ろに突き出てしまう。
「ひっ……ひやあああぁぁぁ―――っ!」
襲いくる痛みと恐怖に、少年は今度こそ悲鳴を上げ、無茶苦茶に柘榴を殴りまくる。
人体の限界まで加速して襲いかかる拳の弾幕を、柘榴は避けもせず、ただその当たる箇所だけをずらし、吸血鬼が自滅していくのを眺めていた。
柘榴の皮膚や筋肉、骨はその異常な密度のせいで、生物にあるまじき硬度に達している。
そのため、どんなに怪力になろうと、エネルギーを伝える部分が常人と同じ骨に過ぎない吸血鬼の打撃では、何度やろうと赤銅の鬼に傷を負わせる事は不可能だった。
無論、柘榴は鬼といえど人間の形をしている為、鼻や顎、喉元に鳩尾、金的や各種関節など、人体の構造的に避けられぬ急所を持っている。
だが、吸血鬼になる前はただの学生に過ぎなかった少年には、その急所を突く格闘的センスはなく、また柘榴も弱点を突かせるほど甘くはなかった。
「何だよ、何だよ、何だよ、何だよっ!?」
少年は阿呆のように同じ言葉を繰り返し、自らの血で赤く染まった拳を振り上げる。
その三十度目に達しようとした右拳を、柘榴の手が受け止めて掴んだ。
少年は残った左拳で殴り続けようとするが、それよりも早く、柘榴が拳を握り潰して持ち上げ、その細い体を宙に浮き上がらせる。
「ひえっ……!」
少年は間抜けな声を上げて必死に藻掻くが、蹴る大地のない空中では、例え吸血鬼であろうと逃げる事は出来ない。
そうして、重力に引かれ落下する無防備な少年の腹に、赤銅の上段回し蹴りがめり込む。
鉄柵さえ砕くそれを受けて地面に叩きつけられ、少年の内臓は破裂し、背骨は砕け、二度さらにバウンドして、十数mを転げ回った。
「くはっ……!」
吸血鬼の少年は血と反吐を撒き散らし、人間ならショック死している激痛に苛まれて藻掻く。
そこへ、断首刀を拾い上げた柘榴が歩み寄り、その右足を踏み砕いた。
「ひぎゃあああぁぁぁ―――っ!」
聞くに堪えない金切り声を無視し、赤銅の鬼は低く呟く。
「吸血鬼ってのは便利だな。脳か心臓を破壊されなければ、幾らでも再生する」
柘榴は既に修復を始めた右足を見ながら、次は左足を踏み潰す。
「ふぎゃあああぁぁぁ―――っ!」
「とは言え、体外に出た血や肉を回収してまで、再生するのは無理か」
また響いた悲鳴の中、柘榴は冷静に少年を観察し、その体が流れた血液の分だけ痩せた事を確認する。
「では、このまま踏み潰していれば、脳と心臓が無傷でもいずれ死ぬのか? 協会の資料には書いてなかったな、実に興味深い」
モルモットを解剖する医者の様に、能面で残酷な実験内容を告げ、鬼はまたその足を振り下ろす。
ぐしゃっ、ごきゃっ、めしゃ。
「ひぎぃっ! ぎやっ! げひっ!」
骨と肉が潰れる音に重なって、少年の哀れな鳴き声が上がる中、柘榴の心を埋め尽くしているのは、八つ当たりじみた憤怒だった。
ほんの少し、人より優れた力を手に入れただけで、思い上がり、衝動のままに村人を殺し尽くした吸血鬼の少年。
この少年が、これと同じ化け物が、ただ平凡に過ごしていたかつての柘榴から、全てを奪い去ったのだ。
桜を殺し、自分を狩人という地獄に落とす切っ掛けを作り、そして幼馴染みを怪物に変えて再会させ、自らの手で殺めなければならない悪夢に追い込んだ、全ての原因を作った元凶。
(殺してやる、俺の味わった苦痛を、憎しみを思い知らせて、苦しめて苦しめて苦しめて、死にたいと泣きつくまで壊して、灰も残さず殺してやるっ!)
涙と鼻水と血に濡れる少年の顔に、七年前の嘲笑を重ね、赤銅の鬼は何度も何度もその足を振り下ろす。
赤い肌を獲物の血でさらに紅く染めるその姿は、血を吸わずに流し尽くす
既に泣き声さえ上がらなくなった少年を、執拗に潰そうと振り上げられた足に、小さな少女の体がしがみついた。
「止めてっ! もう止めなさい柘榴っ!」
服に血が付くのも構わず、全身で止めに入ったU・Dに、柘榴は闇を震わす怒声を上げる。
「こいつは吸血鬼だ、人殺しの怪物だっ! ここで滅ぼさなければ、もっと多くの犠牲が出るんだぞっ!」
「分かってるわよ、そんなの分かってるっ!」
正に鬼の形相を浮かべる柘榴に、U・Dは退かずに涙さえ浮かべて訴える。
「こいつが殺されても仕方ないのは分かるし、止める気もないわ。けど、こんな心まで踏みにじる様な真似をしたら、貴方の方こそ化け物じゃないっ!」
化け物。その言葉に、赤銅の鬼を支配していた黒い熱が急速に冷め落ちた。
(俺は今何をやっていた? 目の前にいる吸血鬼を、義務として狩るのでもなく、感情のままになぶり殺しにして。それでは、こいつと同じじゃないか……)
U・Dの必死の訴えに、柘榴は自分がどれだけ愚かで残酷な真似をしていたのか思い知らされ、頭を垂れた。
「貴方の体は鬼という怪物、その事実は変えられない。けれど、心まで化け物にならないで……」
「……ごめん」
しがみついて涙を零す少女に、柘榴は短く謝る事しか出来なかった。
だがそれでも、彼が正気を取り戻した事を知り、U・Dは濡れた頬に笑みを浮かべる。
「分かればいいの。ただし、このお代は高くつくわよ」
普段の偉そうな態度を作り、精一杯の虚勢を張るU・Dに、柘榴の胸は強く締め付けられる。
そして、足にしがみ付いていた少女を離そうと、手を差し出そうとし――それを、血まみれの少年が阻止した。
血液を大量に失い、弱りながらも再生した肉体で、吸血鬼はU・Dの体を後ろから掴むと、大きく跳躍して柘榴から飛び退いたのだ。
「はっ……はははははっ、ぶち殺してやるクソがっ!」
そう豪気に吼えながらも、懐から取り出した拳銃を人質に突き付ける少年を見て、柘榴は自分の愚かしさに吐き気を覚えていた。
吸血鬼が再生し終えたのに気付かなかった事もだが、その懐に拳銃を隠していた事も見抜けないとは、狩人失格もいい所だった。
柘榴は自己嫌悪で死にたくなるが、今は後悔を胸に押し込め、如何にU・Dを無傷で取り戻すかに集中する。
説得という札が存在しない以上、こちらに矛先を向けさせ、どれだけ迅速に殺すかが課題になるのだが、動揺した柘榴の頭には、妙案が浮かんでくれない。
歯ぎしりする柘榴と、形成逆転とばかりに勝ち誇る少年。
その間に挟まれたU・Dは、何故か酷く落ち着いた瞳で、相棒の目を覗き込んでいた。
「柘榴」
短く力強い声で、ただ名前を呼んだ少女の顔には、微塵の動揺もなく、静かな覚悟が浮かんでいる。
その表情に、迷っていた柘榴も覚悟を決め、吸血鬼へと一歩を踏み出した。
「テメエ、動くんじゃ――」
ねえ、と命令しようとした少年の声は、その腕に噛み付いたU・Dによって邪魔された。
「痛えっ! 何すんだこのガキっ!」
少年は思わぬ反撃に怒り狂い、噛み付いたU・Dを強引に引き剥がす。
だが、その一瞬が運命を分けた。
U・Dに意識を向けたその瞬間に、赤銅の鬼は疾走していた。
超重量物が突進してくる迫力に、少年は思わず人質の事を忘れ、そちらに銃を向けてしまう。
一発、二発、三発と引き金が引かれるが、弾は全て断首刀と防弾コートに防がれ、鬼の足を止める事は出来ない。
少年が恐怖に顔を歪め、銃口をU・Dに向け直した時には、突き出された鉄塊がその心臓を貫いていた。
断首刀を抜き取り、一文字に薙ぎ払われた一撃が少年の脳を粉砕する直前、銃の引き金に置かれた指が、痙攣するかの様に動いた。
乾いた銃声が響き、少年の頭が脳漿を撒き散らし、U・Dの後頭部に飛翔した銃弾が、その骨を、脳を貫き、額から突き出て血を流したのは、全て同時の出来事だった。
存在器官を失い、灰になって崩れ去る吸血鬼には構わず、柘榴は断首刀を投げ出して倒れたU・Dを抱き起こす。
だが、額に小さな穴が空き、目を閉じた少女は、間違いなく絶命していた。
「……馬鹿野郎っ!」
柘榴はまだ温もりの残る体を抱いて叫び、七年前と同じ過ちを犯した自分を憎んだ。
少女の遺体を胸に、声も無く震える鬼。
その耳に、ジュルッという不気味な音が届く。
慌てて発信源を探した彼が見たのは、少女の額に空いた穴が、そこの骨と肉と脳味噌が、独立した生き物の様に蠢く奇怪な光景。
言葉を無くす柘榴の前で、弾痕は見る見る内に、まるで無から有を産み出す様に埋まっていき、始めから傷など無いと言わんばかりに、染み一つなく再生した。
質量保存の法則さえ無視した、吸血鬼さえ凌駕した、完全な死からの蘇生。
目の前で起きたその現象が、柘榴の頭に一つの単語を思い出させる。
怪物を恐れない態度、危機感の足りなさ、外見とは不釣り合いな知識と精神、素人なのに協会に招かれた事、何故か死なせようとした上層部の処置。
違和感の全てが『
柘榴の脳内でパズルが噛み合っていく中、少女は微睡みから覚める様に、容易く目蓋を開けた。
「バレちゃったわね」
悪戯っ子の様に、だがどこか寂しげに、不死の少女は呟いた。
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