6-3

 蒸し暑いその日の午後、トレーニングを終え、そろそろ夕食の準備を始めようとしていた柘榴とU・Dは、突然、高坂部隊長から司令室へ来るよう呼び出された。


「赤銅柘榴、入ります。えっ、局長?」


 ノックをして扉を開けた先に、柘榴は意外な人物を見つけて驚きの声を上げる。

 黒髪をオールバックにした、四十代前半で偉丈夫の男、狩人協会日本支局の最高責任者、竜崎宗一郎その人が居たのだ。

 一般の狩人の前にはほとんど姿を現さない彼が、司令室に高坂と共に居た事に、柘榴はただならない事態を感じで顔を強張らせる。

 竜崎はそんな柘榴とU・Dを眺め見ると、部屋の戸を閉める様に促してから切り出した。


「緊急事態だ、お前達には今すぐ現場に向かってもらう」


 竜崎の指示で高坂が取り出したファイルの色は黒色。

 怪物の存在が確定し、既に被害が出てしまっている事を示していた。


「××県山中、東ヶ谷とうがやという住民七十四名の小さな寒村に、人外が現れた」

「二日前の夜から村との連絡が取れなくなり、危惧した隣町の警官が昨日東ヶ谷に赴いたものの、十九時二十分の連絡を最後に消息を絶った。その連絡を受けた時点で人外による犯行と断定し、近隣に待機していた狩人二名が現場に到着したのが今日の午前一時。しかし、十二時に送られてきた連絡を最後に、こちらも消息を絶った」


 竜崎の言葉を継ぎ、高坂が平静を装って告げた内容に、柘榴は愕然とする。

 狩人二名が殺された。それは、現れた怪物の恐ろしさを伝えると共に、東ヶ谷村住民の生存が絶望的である事も示唆していた。

 言葉を失くす柘榴と、今一事態を把握していないU・Dに、竜崎は重い声で最も重要な事実を告げる。


「確証は無いが、消息を絶った者達が残した情報から、現れた人外は『吸血鬼ヴァンパイア』だと推測されている」


 吸血鬼ヴァンパイア夜を駆ける者ナイト・ウォーカー命無き者の王ノーライフ・キング不死者ノスフェラトス――

 あらゆる伝承に、あらゆる名を持って現れるその化け物に、U・Dを除くその場の全員が、氷柱を刺し込まれた様に体を強張らせた。

 数多に存在する化け物の中で、人型の怪物として最凶に分類される、危険度Aランク、発見次第殲滅が義務付けられている、人類の天敵。

 吸血鬼に比べれば、狼男なぞただの犬っころにすぎない。

 せいぜい数名を殺害するのが限界であるBランクの獣人ライカンスロープと違い、Aランクの吸血鬼は数十、数百という単位での殺害を可能とする。

 狩人協会に残る古い資料には、たった一体の吸血鬼が、一夜で二万人の都市を全滅させたという記述さえある。


 人体の限界に達する怪力と俊足、血さえ呑めばどんな傷も治せる超回復力を持った、不老で不死身に近い正真正銘の化け物モンスター

 そんな吸血鬼の最も恐ろしい点は『増える』という事。

 長い犬歯で被害者の血を啜る際、自らの血を送り込む事で、被害者を同族と化す繁殖能力。

 ほとんどの化け物達が、突然変異で生まれる一代限りのモノに過ぎないのに対し、吸血鬼は被害者となる生物が居る限り、決して滅びず増え続ける致死性の病原菌キラー・ウィルスなのだ。

 狩人協会にとって最大の敵と言える吸血鬼が現れ、既に狩人二名が殺害され、村一つが壊滅させられたという事実に、柘榴の額に冷や汗が滑る。


「お前達は装備が調い次第、現場へ急行してもらう。目標の東ヶ谷村まではヘリで二時間、今からだと丁度日没と重なってしまうが、事は急を要する」


 そう言って腕時計を確認する竜崎に、柘榴は苦渋の思いをはらみつつ頷く。

 最も危険な怪物として恐れられている吸血鬼だが、そんな彼らにも弱点は有る。

 一般にも広く知らているが、最も効果的なのは太陽の光。

 動く死体と言える吸血鬼達は、生命の象徴たる太陽の光を浴びると、全身が灰になって崩れ去ってしまうのだ。

 一説には、吸血鬼を吸血鬼たらしめる病原菌が、太陽光に含まれる紫外線に弱い為、日焼けをより過剰にした現象が起きるのではないかと言われているが、真相は協会でもまだ掴めていない。

 ともあれ、太陽光という致命的な弱点を持つ吸血鬼と戦う場合、真昼を選ぶのは当然の策で、曇りの日や日陰になる建物は出来るだけ避けたく、夜に戦うなど論外と言えた。

 だがしかし、今は時間が無い。これ以上被害を広めない為に、一秒でも早く殺戮の現場に辿り着き、元凶を滅殺しなければならない。

 柘榴もそれを承諾し、過酷な任務を告げる竜崎と高坂に、力強く頷いて見せた。

 竜崎は鋭い視線で、高坂はすまないという顔でそれに応えると、残る情報を伝える。


「富士に居るファルコンチームにも召集をかけたが、最悪の場合に備え、周囲一帯を焼き払う装備を調えさせているから、到着は〇時近くになる。それまでに吸血鬼の居場所を特定し、可能であれば殲滅しろ」

「梟と神楽、それに他のチームは、自分達の狩りで忙しく、また遠方に居る為増援には来られない。柘榴、今はお前だけが頼りだ」


 死地へと送り出す上官達に、柘榴は敬礼で肯定を伝える。

 だが、どうしても一つだけ頼みたい事があった。


「竜崎局長、高坂部長、この狩りからU・Dを外して下さい」


 その突然な願い出に、当のU・Dが一番驚いて食って掛かった。


「柘榴、アタシだけ置いて行くって言ってるの? 冗談にしては笑えないわね」

「冗談じゃない。吸血鬼クラスが相手となれば、お前では足手まといだ」


 冷たく言い切る態度の裏に、少女を心配する気持ちが隠されている事は、その場の全員が分かっていた。

 だがそれでも、U・Dは一歩も退かず赤銅の狩人に掴み掛かる。


「足手まといでも囮くらいにはなれるわ。大丈夫、簡単に死んだりしないから」

「その無根拠な自信は何処から出てくる。ともかく、俺はこいつを連れて行くのは反対です」


 柘榴は懇願するU・Dから視線を外し、上官二人の方を見る。

 狩人の仕事に一度も文句を言った事のない、柘榴の初めての願い。

 だがそれは、局長の冷たい声で断ち切られた。


「U・Dは東ヶ谷村に同行させる。これは局長命令だ」

「そんな……」

「流石は局長さん、話が分かるわね」


 言語道断な命令を言い渡され、U・Dが小躍りを始める中、柘榴は声を失った。

 自分の相棒にまで死ねと告げる竜崎に、柘榴は隠しきれない殺意を向けるが、それは狡猾な局長の口で封じられる。


「どうした? 早く準備をしろ」


 指令室から出て行けと言われ、柘榴は苦々しい気持ちを噛み潰し、今は吸血鬼を殲滅するのが先だと自分に言い聞かせ、上官達に背を向ける。

 U・Dが先に飛び出し、それに続こうとした彼の背に、何故か愉快ささえ窺える日本支局最高責任者の声が送られた。


「あの子は生き残るさ、間違いなくな」


 慰めとも誤魔化しとも思えないその声音に、柘榴は不快なものを感じ、振り返りもせずに壊す勢いで扉を閉めた。





 輸送用ヘリコプター・CH―47JAチヌーク。最大で三十名の乗員を搭載可能なその機体に、搭乗しているのは操縦士を除けばたった二人だけだった。

 がらんとした広い機体内に座るのは無論、赤銅の狩人と相棒の少女。

 柘榴は黙々と断首刀の手入れをし、U・Dは暢気に窓から眼下の風景を眺めていた。


「ねぇ、これから吸血鬼と戦おうっていうのに、そんな鉄板だけでいいの?」

「あぁ」

「重機関銃でも持ってくれば良かったじゃない。貴方の腕でも数撃ちゃ当たるでしょう」

「必要ない」


 U・Dが話しかけても、柘榴は言葉少なに会話を断ち切る。

 そこには、自分の忠告も聞かず窮地に足を踏み込んだ少女への、静かな怒りが溢れていた。


「もう終わった事なんだから、いつまでも仏頂面するの止めてくれない。それより、本当にそんな軽装でいいの? せめて十字架とニンニク、白木の杭くらい持ってくるべきだったと思うわ」


 自分の事は棚に上げ、U・Dがそう叱り付けると、柘榴はようやく顔を上げて言った。


「無駄だ、そんな物は効かない」

「えっ、吸血鬼の弱点としては太陽の光と同じくらいメジャーな物でしょ?」

「伝承ではそうなっているな。だが、これから戦う相手は伝承そのものの吸血鬼ではない。いわば吸血鬼モドキの怪物だ」


 そう前置きし、柘榴は協会の資料から得た、知る限りの情報を語り出した。


「人の生き血を吸い、眷属を増やすというのは同じだ。驚異的な怪力と再生能力を持ち、太陽光に弱いのも同様。だが、十字架も聖書も聖水もニンニクも効果は無い。あれは宗教家が自分達の威光を示す為に作ったでっち上げだ。仏教徒や無教徒が吸血鬼になったのに、十字架を恐れるというのも不自然な話だろ」

「成る程ね。でも弱点が減っても嬉しくない話ね」

「その代わり、霞になって消える事も、蝙蝠に変身する事もない。他にも、海や川を渡れないとか、死んでも土を入れた棺の中から復活するとか、そういった超常的な能力は持たない。だから、白木の杭でなくとも、心臓と脳を破壊すれば殺す事が出来る」

「一風変わった血液病患者って感じかしら。浪漫の無い話だけど」

吸血鬼の真祖トゥルー・ヴァンパイアの中には、己の体を無数の血の鳩に変えるようなモノもいるらしい。だが安心しろ、もしもそれが相手なら心配する必要は無い」

「あら、慎重な柘榴にしては珍しく強気ね」

「絶対に死ぬ。生きて帰る事など奇跡が起きても不可能だ」

「……そう、確かに心配するだけ無駄ね」


 柘榴の顔はあくまで平静で、それが脅しでない事を物語っていた。


「だが、真祖は千年近くも協会の追跡をかわし続けるほど慎重な化け物だ。乱痴気騒ぎを起こして発見されるような馬鹿な真似をするとは思えない。そういう意味では、百年を超えた古参エルダーの可能性も低いだろう。今回の敵は九割九分、成り立ての低級の吸血鬼レッサー・ヴァンパイアだ」

「詳しいのね、狩人なら当然なのだろうけど」

「調べたからな、嫌というほど……」


 言いながら、柘榴は断首刀を眼前に構えた。

 狩人の青き目には最早恐怖も戸惑いもなく、ただ黒い業火が燃えさかる。

 その炎が何という感情であり、何から根差しているものか、U・Dは尋ねようとし、だが聞けずに口を閉ざす。

 そしてヘリの中がまた静寂に包まれた頃、操縦士が到着の合図を告げてきた。

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