3-3

「高坂部長、赤銅です」


 ノックと共に名前を告げ、柘榴は高坂の居る部隊長室の扉を開けた。

 狭い部屋の中は本棚と机、それを満たす大量の書物とファイルで埋まりながら、部屋の持ち主の性格を表すように、綺麗に整頓されている。


「柘榴か、報告書が仕上がったようだな」


 高坂は手元のノートパソコンに落としていた視線を上げ、赤銅の部下を快く招き入れる。

 部屋の中に足を踏み入れ、鞄から数枚の書類を取り出して上官に渡すと、柘榴は率直に本題を切り出した。


「高坂部長、U・Dの事で話があります」


 険しさを含んだその言葉に、報告書に目を走らせていた高坂も顔を上げる。


「何か問題が有ったか?」

「問題が無いと思っているんですか?」


 平然と問うた上官の声に、部下もまた平然と問い返す。

 処罰を言い渡されかねない無礼な態度だったが、柘榴の心情を察していた高坂は、怒る事もなく椅子から立ち上がった。


「息が詰まってきた、屋上でコーヒーでも飲もう」


 高坂は防犯と機密保持の為に窓が無い自室を見回し、備え付けの冷蔵庫からお気に入りの缶コーヒーを二本取ると、指で上を指す。

 それが秘密の話を――監視カメラとマイクが設置されたこの部屋では出来ない話をする合図だと知っていた柘榴は、黙って扉を開き、高坂を先にしてその後に続いた。

 階段を上り重い金属の扉を開け、ヘリポートが設置された協会ビルの屋上に出た二人は、幾つか設置された監視カメラに映らず、かつ不審に見えない位置のフェンスに寄り掛かると、缶のプルトップを開けて冷えたコーヒーを一口すする。


「彼女、U・D君は『富士』に送らず、今のままお前の元で狩りに出すと決まった」

「馬鹿な、あいつを死なせる気ですかっ?」


 高坂が告げたその内容に、柘榴は堪えていた怒りを爆発させた。

『富士』とは言葉通り、日本で一番有名な山である富士山を示していたが、同時に、そこに建造された狩人の訓練施設の事も指していた。

 自衛隊の演習場も近く、政府から物資の供給を受けやすいそこが、日本支局の狩人を育成する場所だった。

 狩人と成る者はそこで、基礎体力の向上から始め、徒手格闘と銃火器の取り扱いを学び、車は無論、船やヘリなどあらゆる乗り物の操縦も学び、万にも及ぶ怪物の特徴と弱点を暗記し、盗聴技術や尾行術等も身に付ける。

 柘榴もそこで二年を過ごし、特に格闘戦に特化した狩人へと鍛え上げられた。

 そんな、狩人ならば誰もが通る登竜門。そこへU・Dを行かせないという事は、素人のまま怪物と戦わせて、見殺しにするのと同義だった。


「あいつはただの子供です。かなり変な奴ではありますが、軍人や傭兵として戦の経験が有る訳でもない、特殊な能力が有る訳でもない、普通の子供なんです、それを……っ!」


 二日間と一つの狩りを共に過ごし、柘榴が出した結論はそれだった。

 U・Dは確かに変わった少女で、狼男や蠱という怪物と遭遇したというのに、パニックを起こすでも自分の正気を疑うでもなく、自然に異常な現実を受け入れた。

 そもそも、住所不定無職で国籍すら分からない、謎の人物ではある。

 だが人間だ。恐怖に震え、一人では眠れないと請うような普通の少女なのだ。


(それを化け物の前に差し出し、殺させると言うのかっ?)


 憤り、血が出そうなくらい拳を握りしめる柘榴に、その気持ちを和らげる為にか、高坂もまた同じ不満を口にした。


「私も今回の処置はおかしいと思っている。素人のまま狩りの現場に出すなぞ、日本以外の支局でも例を聞いた事がない。こんな馬鹿げた命令を竜崎局長が出した事も、それに本部が異議を出さない事も、何もかも前代未聞だ」


 そう言って、しがない中間管理職でしかない高坂は、残ったコーヒーを一気に呷った。

 協会の上下関係は、今はルーマニアに有る狩人協会本部を最上位とし、その下に各支局の局長、実働部隊を指揮する部隊長、一般の狩人となる。

 構成人数の多い支局ではその間に幾つかの役職が割り込むが、協会全体では小規模な日本支局では、局長、部隊長、平の狩人の三階級しかない。

 軍隊同様、上の命令には絶対服従が当然とされる協会において、局長の竜崎が決めた事を、部隊長の高坂が覆す事は出来ない。

 だがそれにしても、協会本部までもが少女を見殺しにする処置に、何の文句を付けて来ない事が不可解だった。


「まさか、竜崎局長が事実を隠蔽しているんじゃ?」

「それは無いだろう。本部への情報隠蔽はバレれば首切りものだぞ、役職だけでなく体の方もな。あの竜崎局長がそんな危険を犯すとは思えない。ただでさえ、七年前の件で本部のお偉いさんに睨まれているんだからな」


 柘榴の疑惑を高坂は即座に否定するが、その顔はやはり晴れない。


「だがそうすると、本部もこの決定を認めている事になる。正直な所、私にはさっぱりだよ」


 高坂はお手上げを示し、空になった缶を押し潰した。

 嘘のない怒りを発する上官に、柘榴はもっとも懸念していた予想を口にする。


「協会は、U・Dを謀殺するつもりなのでしょうか?」


 怪物の存在を知り、記憶を消す事も出来なったU・Dを殺して口封じする。ケイトも口にしていた事だ。

 過去に何度か行われ、だからといって認める訳にはいかない悪行を、柘榴は暗澹とした気分で想像する。


(もしそうだとしても、俺はあいつを守ってやれない……)


 命令を遵守する立場にあり、また自分以外に守らねばならない家族がいる柘榴には、協会全体に逆らってまで一人の少女を救う事は出来なかった。

 そう落ち込む柘榴の考えを、高坂は即座に否定する。


「それは無いな。単に口を封じるというなら、U・D君をわざわざ狩人として迎え、怪物の手で殺させる必要は無い。お前達が連れて来たその時に処分を終えているはずだ」


 もっともだが気分は良くない推察に、柘榴は頷けずに缶を傾ける。

 そんな実直な部下を見やり、初老の部隊長は困った様な笑みを浮かべながらも、直ぐにシワの目立つ顔を顰めた。


「だがそれにしても、上層部はU・D君を殺そうとしているように思えて他ならない。自ら手を下す気はないが、死んでくれればありがたい――そんな気配を感じるな」

「仮にそうだとして、何故そんな回りくどい事を?」


 問う柘榴に高坂が示したのは、やはりお手上げの仕草だった。

 謎の理由により、一人の少女を死なせようとする狩人協会。

 自らの所属する組織ながら、不透明な部分が多すぎる狩人協会そこに、二人は苛立ちと僅かな恐れを感じるのだった。



「あら柘榴、お久しぶり」


 高坂との密談を終え、新たな狩りの依頼もなかった為帰宅しようとしていた柘榴は、エレベーターでケイトと偶然鉢合わせた。


「久しぶりって、昨日の朝に会っただろ」

「そうね。けどここの所、毎日顔を合わせていたから、一日離れていただけでも懐かしく思えるわ」


 元相棒はそう言い、柘榴を中に招いて閉扉のボタンを押した。

 エレベーター独特の浮遊感に身を委ねながら、ケイトはここ三週間の事を思い出す。


「朝は街で聞き込みに走り回り、夜は予想箇所で張り込みを続け、シャワーさえ浴びれず車の中で眠る事もしばしば……久しぶりに肩の凝る仕事だったわね」

「それは胸の重しが原因だろ」


 おばさん臭く肩を叩くケイトに、柘榴はその巨大な胸を指差して苦笑する。


「柘榴がセクハラを口にするなんて初めてね。明日は槍が降るかしら?」

「本当に降ればいいな。そうしたら明日はみんな揃ってお休みだ」


 軽口にも余裕で応じる柘榴に、ケイトは意外そうな顔を浮かべるが、直ぐに目を閉じて笑みを返した。


「そうね、休みになったらUちゃんの歓迎会が出来るのに……はぁ、協会は人使いが荒くて困るわ」


 一階に着き、エレベーターから降りながらまた肩を叩くケイトの愚痴を聞き、柘榴は忘れていた事を思い出した。


「そういえば、ケイトは今何をしているんだ。局長直々の仕事と言っていたが?」


 突然、上の命令でコンビを解消された相棒が、どんな任務に就いたのか気になって、柘榴は尋ねてみた。

 だが、ケイトは蠱惑的なウィンクをもって黙した。


「秘密よ。狩りとは別の仕事だから、柘榴と一緒に行動する事は当分ないと思うけど」


 残念そうな表情を見せながらも、口を固く閉じたケイトに、柘榴もそれ以上は深く追求しようとはしなかった。

 二人はそのまま揃って受付前に行き、何やら浮かない顔をしている沙耶と、相変わらす平然とした歩美に話し掛けた。


「装備課の石森課長来てる? 私のXKRちゃんの調子を見て貰う約束なんだけど」


 ケイトが愛用の高級外車『ジャガー XKR』のキーを取り出して問うと、歩美は手元のノートパソコンを操作し、各局員のスケジュールを調べ出す。


「石森課長ですが、今日は富士の方に出向しており、帰りは明日の夕方になっています」

「そう、じゃあ車とキーは置いておくから、見て貰うように伝えておいて」

「かしこまりました」


 歩美はキーを受け取り、メモ用紙と共に引き出しに仕舞う。

 それを見届け、今度は柘榴が用件を告げる。


「俺も石森課長に武器の整備を頼んでおいたんだが、戻ってきてないか?」

「はい、そちらは承っております」


 そう言い、沙耶にも手伝わせて長い包みを重そうに受付の台に置いた。

 柘榴が包みを開くと、中から鉄板としか言いようのない物体が現れる。

 長さ0.9m、幅18㎝、厚さ11㎜、重量12㎏のチタン合金に、メリケンサック状の握りが付いた、刃も切っ先も無い分厚い金属塊。

【Grimm・B・B・H】と制作者の銘が打たれたそれが、狼男戦でも使われた柘榴愛用の武器、『断首刀だんしゅとう』だった。

 正式名称ではなく、その突く事の出来ない特殊な形状が、処刑用の斬首刀ざんしゅとうに似ている為、柘榴が勝手に付けた愛称だったが。


「見事に磨き上がっているな、流石は石森課長だ」


 柘榴は早速愛刀を握り、その輝きに満足すると試しに一振りする。

 暴風が吹き抜け、女性陣の髪が激しく舞う。


「相変わらず、よくそんな鉄板を振り回そうと思うわね。明らかに欠陥兵器じゃない」

「武器としてはな。だが俺はこれが気に入ってるんだ」


 乱れた髪を整えつつ辟易するケイトに構わず、柘榴は嬉しそうに二度三度と素振りを繰り返す。

 そうして満足した後、ケイト以外の視線が二つある事をようやく思い出し、慌てて頭を下げた。


「すまない、邪魔だったな。直ぐに居なくなる」


 そう言ってもう一度頭を下げ、柘榴はケイトと共に急ぎ足でその場を去った。

 その横顔には、己の鬼を人に見せつけ、また怖がらせた事への後悔が浮かんでいた。


「そ、そそんな事、わ、私は赤銅さんは優しいと……」


 沙耶は彼女なりに慌ててフォローを口にするが、それは誰も居なくなったロビーに虚しく響くだけだった。


「沙耶、遅い」

「ちちち、違うのに~、ここ、怖がってなんかないのに~!」


 憧れの人との距離がさらに開き、沙耶はまた目元を潤ませて突っ伏した。

 それを溜息混じりに見ながら、歩美はボソリと呟く。


「私は怖いけどね、ケイトさんの方がだけど」

「な、何で? ケイトさん良い人だよ。きき、嫌いなの?」


 純朴な親友にもう一度溜息を吐きながら、歩美は自分の気持ちを素直に語った。


「嫌いじゃないし、私達には優しく接してくれるわ。けど、ケイトさんは怖い人・・・よ」


 好み云々の外で、彼女の本質に恐怖を感じる歩美は、目を片手で押さえてそう言った。

 それが、動揺を沈める時にやる親友の癖だと知っている沙耶は、それ以上言及する事も出来ず、納得のいかない気分のまま仕事に戻っていった。



 玄関の鍵を開け、マンションの中に入った柘榴は、部屋の照明が消えていた事を訝しんだ。


「おいU・D、いないのか?」


 声をかけるが返事は無く、あの口の悪い少女が居る気配もない。

 柘榴は高坂との会話を思い出し、嫌な予感がして居間に駆け入るが、テーブルに置かれた物を見て直ぐに杞憂だったと思い知らされる。

 居間のテーブルに置かれた、『買い物に行きます、ご飯はチンして食べなさい』のメモと、サランラップでくるまれた料理の数々。

 柘榴は全身の力を抜いて息を吐くと、無駄に心配した自分が馬鹿らしくて頭を掻いた。


「あの馬鹿、自分がどれだけ危ない立場に居るのか分かってないだろ……」


 そう一人で愚痴りながらも、柘榴は書き置き通り夕食を電子レンジで温めて箸を取った。

 相変わらず栄養バランスの悪い無国籍料理だが、味は上等なそれを次々と頬張りながら、柘榴はこんな平凡な時間が恐ろしかった。

 朝起きておはようと告げる人がいて、ご飯を一緒に食べて、帰りを待つ相手がいて……。

 そんな、ありきたりだけど温かい人の暮らしが、不安で怖くて仕方なかった。


(壊れてしまうんだ。何の予兆もなく、何の罪がなくとも、唐突に、理不尽に壊されて、永遠になんて続かないんだ……)


 不幸というものは、それまでが幸せであればあるほど、落ちた時の落差で絶望を増す。

 それを身を以て知っている柘榴は、U・Dと共にいる時間を楽しんでいる事を認め、同時にそれに怯えている己も認めていた。

 後で辛い思いをするくらいなら、最初から不幸な方がマシなのか。

 そう後ろ向きな思考に陥る自分に嫌気が差しながら、柘榴は温め直した料理を腹に押し込んだ。

 そうして、綺麗に平らげて食器も洗い、日課のトレーニングを開始した所で、玄関の開く音が響き渡った。


「ただいま、寂しくて死んでないわよね」

「俺は兎か」


 相変わらずなU・Dの台詞に、柘榴は先ほどの憂鬱な気分も忘れて笑みを浮かべた。

 そのツッコミ成分が足りない反応に、U・Dは僅かに怪訝な顔をしつつ、両手一杯に持った紙袋を床に置いた。


「服と当面の生活用品を揃えて来たわ。お陰で三十万円が全て消えたけど」

「金遣い荒すぎるだろ……おい、歯ブラシや枕まであるが、まさかこのまま俺の部屋に住み着くつもりか?」


「まさか。この部屋はもうアタシの物よ」

「清々しいほどに断言しやがったな」


 住み込む気満々の少女に、赤銅の狩人はもう反対するのも疲れた顔で黙った。

 U・Dが狩人となった以上、協会が偽の戸籍や身分証を用意してくれるのだが、それまでは他に泊まれる場所が無いのも事実。

 そして、身近に居てくれた方が、もしもの時に守る事が出来る。


「もう、自分の知らない所で失うのは嫌だからな……」

「何か言った?」

「いや、何でもないさ」


 思わず漏れた呟きを、首を振る事で掻き消し、柘榴はトレーニングを切り上げシャワーを浴びに風呂場へ入る。

 滝のような汗を熱いお湯で洗い流し、ふと鏡を見ると、そこには穏やかな笑みを浮かべた自分が映っていた。


「俺には、そんな資格ないのにな」


 自嘲するように呟き、鏡にお湯を当てて自分の顔を消す。

 それでも、彼の顔から笑みが消える事はなかった。

 非日常を過ごす狩人の、ほんの少しだけ取り戻した日常の一幕だった。

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