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 都心の外れにある、九階建てのビル。

 看板には『竜崎警備株式会社』と書かれたそこが、普通の営利を目的とした組織でない事を知る者は少ない。

 一見普通のコンクリート壁の中には鋼板が埋められ、ポリカーボネートを積層した防弾ガラス窓を二重に填められたそのビルは、戦車砲でもなければ崩せない強固な城。

 中に居る四百名あまりの社員は、誰もが過酷な訓練を積んだ兵士であり諜報員。

 地下の駐車場には普通の乗用車に紛れ、大型のジープや軽装甲車の姿さえ窺える。

 さらにその下には射撃場が設けられており、拳銃ハンド・ガン短機関銃サブ・マシンガン突撃銃アサルト・ライフルさえもが何十丁と並べられ、実弾が紙の標的を穿っている。


 地上の階はワークステーションや通信器機で埋め尽くされ、日本中の情報を合法、非合法の手段を問わず収集し、異形の存在を探査している。

 陳腐な表現だが『秘密基地』という言葉が良く似合う、暴力と謀略にまみれた建築物。

 そんな危険な物が日本の中心近くに有りながら、警察や公安がそのビルに踏み込む事はない。

 そこが国と手を結んでいる、特殊な組織だったからだ。

 あらゆる国、宗教、思想に属さず、ただひたすら、常識から逸脱した危険な生物――怪物と戦い、人の世を守る全世界規模の巨大な武装組織。


 狩人協会かりゅうどきょうかい


 人々が知らない闇の中で、異形を狩り滅ぼす者達は、畏怖と共にそう呼ばれていた。

 その日本支局において、活動の中心となる八階の指令室コマンド・ルームに、今は三名の人影があった。

 赤銅色の肌をした大柄な男で、怪物と直接戦う戦闘要員の赤銅柘榴あかがねざくろ

 長い金髪をなびかせた白人女性で、怪物の探査を専門とする諜報要員のケイト・マクレガー。

 髭を蓄えた初老の男で、彼らの指揮を行う部隊長の高坂祐司こうさかゆうじ

 机とホワイトボードだけが置かれたがらんとした部屋で、高坂は革の椅子に座り、机を挟んで柘榴とケイトが直立している。

 彼らは狼男の捕縛から一夜明けた今朝、最後の報告を行っているのだった。


「二人共、昨夜はご苦労だったな。話の前にまずは報酬を渡しておこうか」


 高坂は穏やかにそう言うと、机の引き出しから二つの封筒を取り出し、二人の前に差し出した。

 札束で膨れ上がったそれを、ケイトは喜色を隠しきれぬ様子で受け取り、柘榴は平然と懐に仕舞った。

 狩人協会では一つの作戦終了時に、それを解決した狩人達にのみ、通常の給料とは別の特別手当が支払われる。

 金額は作戦の難易度、対象の危険度によって変わり、時には億に届く金額が支払われる事さえあった。

 この特別手当の制度は、狩人協会が怪物専門の賞金稼ぎの集まりであった遙か昔の名残だと言われている。


「ともかく、これで世間を騒がせていた『連続婦女暴行殺人事件』は解決した。三週間に渡る狩りが無事に実り、局長も『良くやった』と褒めていらしたぞ」


 札束を数え出すケイトを軽く横目で諭しながら、高坂は上官からの謝辞を伝え、机に広げていた新聞に目を落とした。

 開かれた紙面には『連続婦女暴行殺人犯、遂に捕まる!』と大きく書かれ、世間を騒がせていた猟奇事件の終わりを告げていた。

 ここ三週間の間に、三人の女性が性的暴行を加えられた上で殺害された残酷な事件。

 本来なら警察が担当すべきそれに、狩人協会が手を出したのは、被害者の異様な死に方が原因だった。

 首が獣に噛まれた様に切り裂かれ、腹を割かれて内蔵が食い散らかされた、とても人間の犯行とは思えない異常な殺害方法。

 それを独自の情報網から掴んだ協会は、直ぐにこれが怪物の仕業であると断定し、狩人を派遣して犯人の確保に乗り出した。

 柘榴とケイト以外にも二人一組で六組、計十四名の狩人が駆り出された結果、さらに二名の犠牲者を出してしまったものの、昨夜ついに犯人の狼男を捕獲する事に成功したのだ。


「こちらが本腰を入れる前に、マスコミに事件を報道された時は肝を冷やしたが、人目に付く前に捕らえられたのは僥倖だった。もしも警察に先を越されていたら、私や竜崎局長は今頃、隠蔽工作で走り回されている所だぞ」


 そう言って肩を竦める高坂に、ケイトも柘榴も苦笑を返す。

 現在、日本だけでなく世界中のどの国でも、人狼ワーウルフの様な怪物は『存在しない』のが常識とされており、また協会や各国の政府は協力して、そうなるように情報工作をしていた。

 理由はただ一つ、人々に不安を抱かせ、無駄な混乱を起こさせない為だ。

 そもそも、怪物自体は数が少なく、それによる被害の件数もほとんど無い。

 今回は三名の犠牲者が出たとはいえ、トータルで見れば怪物による犠牲者は一年で三桁を越える事さえ少ない。

 年間一万人以上も犠牲者を出す交通事故や、四桁に及ぶ人間による人間の殺害を考えれば、怪物による被害など取るに足りないとさえ言える。


 だが、そんなほぼ無害な怪物の存在も、世間に知られてしまえば甚大な被害を生む事になる。

 貴方の隣人や友人に、人の面を被った怪物、獣人ライカンスロープ吸血鬼ヴァンパイアの様な化け物がいるかもしれないと知らされて、凶行に走らないと言い切れる者がいるだろうか。

 中世の魔女狩りならぬ、現代の怪物狩り。

 そんな未曾有の大混乱を引き起こすくらいなら、存在ごと隠蔽しようというのが世界の意志であり、その意志を代行するのが狩人協会だった。

 その為に、協会の狩人達は闇に潜む怪物を迅速に見つけ出し、人目に付く前に処分する。


「あの男は、どうなりましたか?」


 柘榴が低い声を出し、名も知らぬ捕らえた狼男の事を尋ねた。

 昨夜このビルに連れ帰った後、怪物の捕縛、拘禁を任務とする他の狩人に引き渡した後の事を、彼は聞いていない。

 そう問いを向けると、高坂はシワの増えてきた顔を引き締め、短く告げた。


「処分した」

「そうですか」


 酷く冷めた声に、同じ色の声を返し、柘榴は机に広げられた新聞を見る。

 連続婦女暴行殺人犯として、大々的に載せられた顔写真は、昨夜の男の物ではない。

 猟奇的だが、あくまで人間の犯人としてでっち上げられたその人物は、狩人協会が用意した身代わりで、茶番の裁判を終えれば直ぐに刑務所から出て来るだろう。

 柘榴が捕まえた本当の殺人狼は、文字通り骨の欠片も残らないほどに処分・・され、突然の行方不明者とでも扱われ、誰からも忘れられていくのだろう。

 それを悲しいと思う者はこの場に居ない。存在しない怪物を狩る彼らもまた、存在しない猟師として消えていく定めなのだから。


「では、あの少女はどうなりましたか?」


 僅かの哀愁も感じさせず、柘榴は本題を切り出した。

 昨夜、第四の犠牲者となる直前で彼が救助した、十四か十五歳くらいの女の子。

 彼女が人狼ワーウルフという怪異の目撃者である以上、その口を封じなければならないのが狩人協会の掟だ。

 殺したんですか?――と言外に問う柘榴の視線に、高坂は首を横に振った。


「いや、薬を使って催眠暗示をかけ、事件の一切を夢だと思い込ませた上で、現場近くの公園へ放したよ」


 その答えに、柘榴は安堵して肩の力を抜いた。

 怪物の存在は極秘事項で、狩人の他には一部の政治家や軍関係者、警察の高官しか知らず、それ以外の人物には決して知られてはならない。

 とは言え、怪物に襲われて心身に傷を負った少女を、情報隠蔽の為だけに謀殺するという非道は、冷淡な狩人でも避けたいのが本音だった。


「記憶の改竄は無事に済んだのですか?」


 念を押して尋ねるケイトに、暗示の現場に立ち会っていた高坂は頷いて見せた。


「問題ない。薬の副作用で昨夜どころか数日の記憶が曖昧になっていたがね。仮に思い出しても、誰も彼女の戯れ言など信じやしないさ」


 そう余裕を見せる部隊長に、柘榴達も笑って返す。

 最大の証拠である狼男自体が消滅した今、少女が何と証言しようと、それこそカメラやビデオに映像を残していようと、それをまともに受け取るのは、ネタに困ったオカルト雑誌の記者くらいだろう。

 常識という最大の防波堤がある現代、生半可な事では異形の存在が世間に認知される事はないのだ。

 そう笑みを交わしていると、高坂がふと思い出したように付け足した。


「そうそう、念の為身元を確認した所、あの少女は不法入国者らしく、日本国籍が無かったんだ」

「不法入国者ですか?」


 柘榴はオウム返しに呟きながら、助けた少女の事を思い出していた。

 黄褐色の肌と日本人的な丸い顔立ちながら、瞳が澄んだ青色をしていて、薄汚れた大きな服を着ていた不思議な少女。

 何処ぞの家出娘かと思っていたが、路上生活でもしていた不法入国の外国人だったのか、と柘榴は納得して頷いた。

 ケイトも納得して手を打つと、高坂はさらに口を緩めて続けた。


「さらにこれが傑作なんだが、あの子の名前は『U・Dユー・ディー』と言うそうだ」

「U・D?」


 またオウム返しに尋ねる柘榴に、高坂は肩を揺らして笑いながら頷いた。


「あぁ、あの子の名前はU・D。頭文字とかでもなく、渾名でもなく、ただのU・Dちゃんなんだとさ」


 そう言って腹を抱える高坂に、ケイトは冷めた視線を向ける。


「そんなアルファベットだけの名前、どうせ偽名でしょう。ちゃんと尋問したんですか?」

「したさ。暗示用の薬を打って意識が朦朧とした状態でも、ハッキリとそう名乗ったのだから、あの子がやり手の少女スパイでもない限り、国籍不明のU・Dちゃんなのは事実さ」


 高坂にそう言い切られ、ケイトは呆れた様子を見せながも、それ以上追求はしなかった。

 そんな二人の横で、柘榴は少女の不思議な名前を心の内で呟いていた。


(ユー・ディー……U・Dか)


 英字からして西洋圏なのだろうが、それでも人の名前とは思えない記号に、柘榴は僅かに興味を引かれながら、直ぐにその思考を振り払った。


(どのみち、あの子と俺が会う事なんて二度と無いか)


 なら感心を寄せるだけ時間の無駄だと悟り、柘榴は話を本題に戻す。


「対象の処分、目撃者の処置も済み、今回の狩りは完全に終了ですね。次の狩りはもう決まっているのですか?」


 真面目な声でそう問われると、高坂も直ぐに笑みを引っ込め、冷静な部隊長の顔に戻る。


「決まっている。ゴミ掃除のようなつまらない任務だが、お前達二人で現場に赴き調査して来てくれ」


 机の上に差し出された白いファイルを受け取り、柘榴はケイトと共に目を通す。

 狩人協会の任務はその信憑性に合わせて、ファイルの色を三つに分けている。

 白は噂の域を出ない無根拠な事件、灰色は怪物の仕業かどうか可能性は半々の事件、黒は確実に怪物が関わっている危険な事件と、単純だが分かり易い色で管理していた。


「怪談の事後調査ですか。やれやれ、また無駄骨に終わりそうなものを」


 ファイルの色とその中身を見ながら、ケイトはつまらなそうに嘆息する。

 白色の仕事はそれだけハズレの可能性が高く、ほとんど都市伝説や子供達のオバケ話のレベルで、黒色の狼男事件とは違い、真面目に調査するだけ馬鹿らしい仕事に違いなかった。

 そうと知ってやる気を無くすケイトに、高坂はわざとらしい怒声を飛ばす。


「馬鹿者、 我々の仕事は無駄に終わった方が世の為だろうが」

「医者と警官は暇な方が平和だって言いますしね。任務了解しました」


 ケイトもわざとらしく強張った敬礼を返し、ファイルを小脇に抱える。

 その様子に、柘榴は小さな笑みを浮かべていた。

 怪物と命がけで戦い、人々を陰から守りながら、誰からも賞賛される事のない、狩人という報われない仕事。

 そんな辛い任務に就きながら、笑う事の出来るケイトや高坂に、柘榴は静かに尊敬の念を抱いていたのだ。


「じゃあ行きましょう、柘榴。さっさと終わらせて今夜は呑み明かすわよ」


 手に入れたばかりの札束を見せびらかすケイトに手を引かれ、柘榴は指令室を出る。

 一度だけ振り返って部隊長に敬礼すると、彼は直ぐに思考を鋭利な狩人のものに切り替え、重い足音を立てて歩き出した。

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