08/12/18:10――ソウコシ

 夕食後、それぞれお茶を手にして一息ついていたのだが、しかしと改めて状況を確認した舞枝為は首を傾げた。既に状況に馴染んでいる蓮華はともかくも、しかしだ。

 しかし。

「瀬菜姉さん、いつになく世話してるよね?」

「――あら。食事時には凶暴熊グリズリーみたいな舞枝為がいつになく静かだと思っていたら、そんなことを考えていたの?」

 うんと頷く。忍の隣には二ノ葉がいる――これは普通だ。対面には自分が座っているのも頷ける。けれど右側には瀬菜と蓮華が並んで座っており、食事中もやれ傷に良いので食べなさいだとか足は投げ出して良いから座布団を折って尻に敷けだとか、的確な指示を瀬菜が飛ばして蓮華はそれに頷いている形だった。

 おかしい。

 普段の瀬菜を知っている人間ならばそう思うのは当然だろうが、けれど忍も二ノ葉も何も言わない。

「蓮華も普通に受け答えしてるし」

「お? そりゃァ世話ンなってるし感謝もしてッけどよ、いちいちご尤もじゃねェのよ。嫌だと突っぱねるのもおかしいし、ありがてェ限りだと受け取るのッておかしいかよ?」

「や、おかしくはないかもしんないけど……なんだかなあ」

 仲が良いと片付けるのは簡単だが、妙に複雑な関係が築かれているようにも思える。

 ――ま、邪気はないからいっか。

 自分が警戒できない相手は往往にして邪気がない。そうした意味では舞枝為もまた蓮華を認めているのだけれど。

「でもさ、蓮華って料理できるんだね」

「おゥ、まァ兄夫婦に世話ンなってる身じゃァそれくれェはしねェと、申し訳が立たねェのよ。野雨のざめにあるリリィ・エンって中華料理屋の厨房で働いてたこともあるのよな――ああ、両親がいねェから特例でバイトッてことなのよ。そこの親父さんとは顔見知りだからよ」

「おや、あのお店ですか」

「知ってンのかよ」

「ええ。二ノ葉とも一度行ったことがありますよ。本場仕込で本場味――日本人の舌に合わせたのではなく、あくまでも本場の味を追求した料理は、舌に合えば絶品だと謳えるものでした」

「うん。また行こうって話をしたものね」

「それなら、明日辺りの夕食は俺が作るよ。そんくれェはいいだろ?」

「構いませんが……」

「残念。あたしと二ノ葉は明日っから稲森神社にお勤めで出ちゃうんだ」

「へェ――ンならよ、戻ったらまた振舞うよ。期待しとけ」

「うん。期待しとく」

「その折には是非」

 舞枝為は嬉しそうに――二ノ葉は差し障りない返答をし、蓮華もまた苦笑してそれを受け止めた。

「さて、明日は早い。二ノ葉と舞枝為は先に湯浴みをどうぞ。夜の仕事は私と瀬菜さんでやっておきます」

「はい。……じゃ舞枝為、行こうか」

「はあいっと。んじゃお先にね」

 二人が居間を出て行ってから、さてと一度立った忍は少し古い地図を手にして戻り、それを卓に広げる。

「これが地図になります」

「お、ありがとよ。……あれ? これ草去更そうこしッて書いてあるじゃねェか。蒼狐そうこじゃねェのかよ」

「ああ――そうですね。蓮華さんはハガクシ、という遊びをご存知ですか?」

「ハガクシ? いや、聞いたことねェよ」

「これは言葉の中に別の言葉を混ぜる遊び、言葉遊びと呼ばれるものの一種なのですが……そうですね、さてどう説明しましょう」

「そうね、私の名前もハガクシの一つよ」

「そうなのかよ?」

「ええ。一ノ瀬という姓は湖畔を示す言葉なのよ。一つ目の瀬、湖の淵と考えるべきかしら。そして瀬菜とは、湖の淵に咲く花を示しているのね。あるいは湖に浮く花かしら」

「ん……おゥ、わかるぜ」

「妹の二ノ葉は、つまり二つ目の葉なのよ。私が姉であり最初の花ならば、二ノ葉は妹として二つ目の葉として瀬に浮いている。これがまず一つ目の意味ね。では一ノ瀬の過去を遡ると、その切欠は戦場から逃げた男の一人が雨天うてん家――武術の総本山、筆頭と呼ばれる武術家に迷い込み、教えを請うた結果に小太刀一刀術を受け継いだとされているの」

「ああ、昔の話ッてやつよな。それで?」

「一ノ瀬を、つまりと皮肉を込めて呼んだらしいわ。戦場から逃げた一人目、背を向けた一人目という皮肉ね。だからこそ私は瀬菜――つまり、背を向けること否ずという意味を込めて名付けられたのよ。そして二ノ葉は、。覇道という言葉があるように、私が背を向けずに作った道と同様に、二つ目もまた覇を謳って道を作れと、そう名付けられたの」

「そいつが、ハガクシ?」

「そう、こじ付けにも似た言葉遊びよ。そこに含まれる意味はともかくも、この土地はかつて草去そうこと呼ばれていて、今では一般的には蒼狐と呼ばれるようになった。それだけのことね」

「ふうん」

 そんなもんかと頷いて、蓮華は地図を見る。草去更ソウコシ――市ではなく更と書かれているのを確認した上で、一つ頷いてから問う。

「いくつか名前が載ってるじゃねェのよ。これは? 稲森いなもりは聞いたけどよ」

「それは九箇所、九尾の一尾のあるやしろを持つ家名です。それぞれ入江いりえ一ノ瀬いちのせいわお漁火いさりび、稲森、五木いつき猪野いの石杖いしづえ、そしていさかいとなります」

 社は九つ――だが。

「でも神社は五木と稲森だけなのよな」

「ええ。……しかし、蓮華さんがどのような経路でこられたかはわかりませんね」

「んー、確かに、こりゃわからねェのよな。この九つが全部神社なら、ある程度はわかったかもしれねェけど。俺ッてどッからきたのよ……」

「それがわかれば苦労しないわ」

「だな。――にしても、ここいらは山岳地帯なのかよ」

「というよりも、一つの大きな山のような感じですね」

「おゥ、境内から見下ろすと結構見晴らしが良いもんな――あれ? 確か九尾ッて諸説があるらしいけど、荒っぽいのよな。地形を変えるような被害とかがあったとか、そういう伝承ッてねェの?」

「あら、興味があるのかしら」

「あるよ。だって九尾を封じてンのよな、本場に行けば本場の伝承が聞けるッて言うじゃねェかよ。こういう機会でもなきゃ聞けねェし、できる範囲で教えて欲しいぜ」

「そうですね。では妖魔について少し」

 武術家たちが古くから敵としていた妖魔、そして家名を標榜とする天魔には同一の位付けがされている。

 一番下に第五位妖魔。これらは人間の視覚にはぼんやりとしか捉えられず、存在が曖昧なままだ。認識上は獣と同じ分類となり、鋭い爪や牙、尾などで狩りを行う。本能に忠実であるため凶暴性が高い。

 第四位になると、特殊な能力を会得したものとなり、人間の視覚にも獣のような形が捉えられるようになる。肉体の一部を可変する、異常性の強い高速移動を行うなど、個性に似た狩りの能力を保持し始め、更には第五位同様に凶暴で人間を襲うため、武術家たちは主にこの第四位を狩ることを日常としている。

 これが第三位となると、自らを頭目とし集団行動を起こすようになる。人間の瞳には明確に映し出され、一般人ならばまず吐き気を覚えることだろう――異形。しかも会得した能力の一部を第四位以下の妖魔に分け与えることも可能で、早急な死滅が検討され緊急連絡が入る場合のほとんどがこれだ。

 そして第二位。これは第三位を純粋にかつ大幅に底上げした種類となる。戦術の思考は当然のこと、こちらの行動を読み取って手を打ち、一般人よりも武術家という敵に対しての攻撃を多く行う。もっともこのくらいの妖魔になると、武術家と相対する危険性も既に知っているため、ある種の取り決めを行って互いの生活をし、共存関係を結ぶ場合が多くある。武術家たちの間では、犠牲なしに倒せない妖魔として認識されているようだ。

 最後に第一位。

 天魔第一位と云えば雨天の〈百眼ひゃくがん〉に都鳥みやこどりの〈鏡娘きょうこ〉が実に有名で、その存在だけ見れば人間とまるで変わらず、底力は人間が到底敵うものではない。俗には妖魔第二位が三桁集まったところで敵わぬとされているが――しかし、ならば何故、雨天や都鳥といった武術家が彼らを使役可能としているのかが謎となる。天魔であろうが妖魔であろうが、人の手に負えぬもので間違いはない。

 あまり詳しく話すのもどうかと思ったので、武術家としての技能はともかく差し障りない程度に説明しておき、その上で。

九尾きゅうびと呼ばれる妖魔は、第一位に該当します」

「つまり、とんでもねェ化け物なのよな」

「はい。今では伝承のみが残り、かつての天災時に生き残っていた人間はおりません。もう数千年も前のことになります。野雨市のおよそ北東に位置する風狭かざま市の地形をご存知でしょうか」

「いや……地形までは詳しくねえよ」

 野雨のざめ市を中心にして北東に風狭、西に杜松ねず、北に蒼狐がある。ここからでは距離が遠いとも思えるが、それはあくまでも、人の尺度だ。

「風狭市は通称双子山と呼ばれます。北西方角に中心を置き、左右にそれぞれ二つの山があり、特に冬は北西の風が野雨市に強く吹き込む原因とよく言われますが――かつて、そう、数百年前は大きなたった一つの山だったのです。そして腕の一振りでそれを斬断したのが九つの尾を持つ女性でした。故に風狭市もまた、九尾に連なる神社も少なからず存在します」

「……だとすりゃ、あれだよな。そいつを封じたヤツがいたッてことだよな?」

「はい。かつての五木が捕縛し稲森が封じた――そう伝えられています。故にこの時期は稲森の方が多忙であるため、明日にお二人が稲森へ」

「そっか。ンじゃ本当に間が悪かったンだな俺ァよ」

「それに関してはお気になさらず。良いこともありましたから」

 そうだ。

 蓮華がいたからこそ、最後の決心がついた。

 ――この時期に一般人と触れ合うことで、私の覚悟は決まったのですから。

「まァそれとなく、祭りの手伝いくれェはしてェよな。世話ンなりッぱなしッてェのは性に合わねェのよ」

「――ならまず傷を癒しなさい。忠告は聞くものよ」

「う……」

 何も言い返せなくなった蓮華の様子に、忍は苦笑する。

 ――明後日の晩。

 だが、頭の隅でそんな言葉が呟かれる。

 ――十四日の晩、十五日になるよりも前に、私は大罪を犯し背負う。

 それは多くを見捨て、二人を取るという行為。

 英雄になどなれなくても良い。

 ただ、見捨てられないものが近くにあっただけのことだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る