第19話 白き魔猫の足掻き
「最近、なんか平和じゃいかなって思うか?」
部室で相田と仲良くPCむ向き合ってた誠司がふと、変な質問を投じた。
声量からその発言が部室内にいる全員に向けられたものだと分かる。
二ノ宮が持ち込んだラジコンプラモデルの組み立てを手伝わされていた俺と睦月は一瞬だけ視線を交わす。
スピネカーマを倒した晩、猫キメラに遭遇したあの夜から既に一ヶ月近くが経っていた。
日に日に盛り上がりつつあるクリスマスのムードとは裏腹に今日はあまり天気が良くない。
少し冷える。ヒーターの設定温度を少し上げようか。
そういえばこのラジコンプラモデルを使ったアマチュア参加型のレース番組が昔、日曜の朝に放送していたな。
最近はあの手の番組を観なくなった。そもそも今どきラジコンプラモデルを取り扱っている店舗を見ない。二ノ宮は何処で買って来たのだろうか。
「おい恭護、無視するなよ」
おっと、思考が本筋から逸れていた。
誠司が言う平和というのは、キメラ怪人絡みの事件が起こっていないという事を指しているのだろう。
そういう意味では既に一ヶ月、平和だと言えるのかもしれない。
「きょーごくん、次は何番?」
「ああ……Fの十五番と十六番、十七番と十八番をそれぞれ……」
しかし、スピネカーマを倒した晩から数日の間はキメラ怪人の気配を感じる事があった。
俺にしか分からないように猫キメラが姿を見せていた事もあった。
だがそれも一週間ほどの話で、そこからの約三週間はキメラ怪人の存在を全く感じなくなった。
「なぁ恭護」
「ちょっと待て、複雑なところなんだ。二ノ宮、それぞれを引っ掛けたらくるっと回すようにしながら……」
「こう?」
「ああ、いや、そうじゃない」
「むっちゃんやって!」
「分かった、貸して」
テレビやラジオ、新聞などのメディアでは相変わらず不自然なくらいキメラ怪人の話題は取り上げられない。
混乱を防ぐ為に行政が報道規制を敷いているという噂は聞いているが、それは相変わらず続いているのだろう。
「平和かどうかは分からないが、キメラ怪人に怯えてた日々が随分と昔のような気がしてきているのは確かだな」
「そうなんだよなぁ……でも、なんかおかしいんだよな」
「何がだ?」
「断定はされていないけど、キメラ怪人の目撃情報が少しずつ増えてる」
「目撃されているのか?」
「キメラ怪人が関与しているんじゃないかっていう暴行致死事件の噂も出ているんだよ。それも全国各地で」
投稿された情報を見ているのであろう。誠司はノートPCを睨んでいる。
キメラ怪人は俺たちの目の前に現れなくなっただけで、活動を止めたわけではない。
俺たちの常識の枠から外れた、キメラ怪人という怪物の存在は最早隠しきれないレベルで認知されつつある。
インターネット限定でしか把握していないが、その目撃情報は日々増えている事を誠司は知っていた。
というのも、実は怪人調査クラブのWebサイトには現在、何もしなくてもキメラ怪人に関する情報が集まって来るようになっているからだ。
ここから先は完全に閑話休題で、相田に説明してもらったインターネット限定の話なのだが──
シザーアングとグリフィンが病院で対決した怪物事件以来、キメラ怪人という異形の怪物について興味を持つ人は増え続けていた。
国民総インターネットユーザーと言っても過言ではない現在、分からない事があればインターネットで調べる人もかなり数に上るだろう。
インターネットで何かを調べる時、最初に使うのがサーチエンジンだ。一つ以上のキーワードに適合するページを広大なインターネット空間より探し出し、その適合率順にリストアップするシステムだ。
最も利用者数が多いとされているサーチエンジンでは、検索結果リストから実際に閲覧された回数が多いWebサイトをより適合率の高いものだと判断し、リストの表示順を変動させるように出来ている。
しかもそれだけではなく、ある程度連続して検索されたキーワードを関連付ける機能もあるらしい。
キメラ怪人の事を知る為に怪人調査クラブのWebサイトへ辿り着くにはどうしたらいいだろうか。
【キメラ怪人】というキーワードを知っていれば、それを検索にかければすぐに見付かるだろう。だが知らない人は、怪物事件のニュースを基に例えば【怪物】【病院】【事件】辺りをキーワードに検索するのではないだろうか。
それで検索をした場合、大抵は怪物事件におけるニュースサイトの該当記事がリストアップされる。だが怪人調査クラブには怪物事件のレポートがあるから、検索結果の末席に並ぶだろう。
ユーザーは片っ端から検索結果を確認し、やがて怪人調査クラブに辿り着いてそこで望んでいた情報を得たのだろう。そこで怪物がキメラ怪人の事を知る。
元々が実体験なだけに、情報の精度は折り紙付きだ。正しい情報を与えられずに眉唾レベルのニュースしか出せないマスコミとは確度が違う。
そうなれば後は口コミでどんどん怪人調査クラブの存在は広まり、今やキメラ怪人専門に情報を取り扱う有名Webサイトへと成り上がっていた。
口コミといってもインターネットには国境という壁が無いので、その広まり方は現実世界の比ではない。
先日、誠司のアイデアと相田の努力で情報提供を受け付ける場をWebサイトに追加した際の反響は物凄かった。
日本語、英語、仏語、独語、世界中から様々な言語でキメラ怪人に関する情報が送られてくる。あまりの量にレンタルサーバが負荷に耐え切れずパンクしてレンタル元からクレームが来たほどだ。
余談だが、負荷についても何か対策をしたらしい。【分散】とか【当面は日本語以外は弾く】みたいなことを言っていたが詳しい仕組みについて俺は殆ど理解出来なかった。
とにかく、閲覧者からの情報提供を受け付ける事により、俺たちの元には毎日のようにキメラ怪人の情報が虚実織り交ぜて届いているというわけだ。
──そう、毎日のようにキメラ怪人の情報が届いている。
誠司によると八割は勘違いか、或いは面白半分の嘘だという。
逆に言えば二割は真実の可能性があるということだ。
たった二割でもその件数は毎日数件、月換算で百件近く。範囲は北は北海道、南は沖縄とほぼ日本全域に渡っていた。
それだけの規模を持った連中に俺たちは数ヶ月に渡り狙われ続けていたのだ。
「……ねぇ、辻崎くん。ちょっと思ったんだけど」
隣に座る間が、自らの肩で誠司の肩を突っついて注目を向ける。
なんだ、あれは。少し羨ましい仕草ではないか。
何気なく隣を見ると、睦月は指同士を接着してしまい大騒ぎしている二ノ宮に除光液を差し出している。残念なことに俺の視線に気付いた様子はない。
「わたしたちが初めてキメラ怪人に出会ってから、殆ど休まる日が無かったよね」
「夜寝る時とか怖かったなぁ」
「だけどこの一ヶ月くらいはそれもなくて、最近のこの平和ってもしかしたらこれが関係あるのかもしれない」
キメラ怪人の目撃情報が集まっている事と、俺たちが平和な日々を過ごしている事の関連性。
……そもそも、俺たちがキメラ怪人に狙われていたのは、キメラ怪人という怪物を目撃してしまったからだ。
存在を秘匿しておきたいからこそ、目撃者を殺そうとしていたのだが、怪人調査クラブが有名になった事でその前提が崩れつつある。
キメラ怪人の存在についてはインターネットを普段から利用している者にとっては最早常識であり、認知度は今も広まっている。
その流れは今さら俺たちを始末したところで止められない。殺そうが殺すまいが、キメラ怪人の存在は広まっていく。
更に俺たちは数度に渡り、キメラ怪人の襲撃から生き延びている。率直な言い方をしてしまえば【戦い慣れ】している。
俺たちを殺し損なったら、その時の情報を俺たちはWebサイトを通じて公開するだろう。それはキメラ怪人側からすればリスクでしかない。
殺す必要も無く、下手に取り逃がしたらリスクを生む、それなら放っておいてもいいのではないか。
そう判断してくれたのだとしたら……。
「じゃあ、我らが怪人調査クラブの今後の活動はより重要性を増すというわけだな」
「勝手に実績がついているだけで、活動らしい事なんか今までしてなかったけどな」
だが、誠司の言いたい事は分かる。
キメラ怪人からしてみれば、対象が俺たち五人から不特定多数へと変わっただけだ。
敢えて狙う理由が無くなっただけで、俺たちが巻き込まれる可能性は依然として残っている。
それも踏まえた上で、寄せられるキメラ怪人の情報を取り纏めて注意喚起する事には意義があるだろう。
「みんなの情報を総合すればキメラ怪人の正体も分かるかもしれない。そうすればスピネカーマの時みたいに、或いはあの時以上に立ち回る事が出来るかもしれない」
「やっつけられなくても、追い払う事が出来ればいいよね!」
「ちはやちゃん、ゆっくり指を動かして」
「あ、取れた! むっちゃんありがとう!」
体当たり気味に睦月に抱き着く二ノ宮を羨ましく思いながら眺めていると、視界の隅で相田が首を傾げている。
「ねぇ、辻崎くん。キメラ怪人の目的って何なんだろう」
「そんなの分からないよ」
「勿論そうなんだけど、人間がキメラ怪人になって何の目的も無いって事は考え難いよね」
「例えばキメラ怪人以外の人類を滅ぼすとか?」
あまり現実的ではないと思う。
キメラ怪人は確かに脅威だ。警察の持つ重火器でも完全に対応出来るかは怪しい。
だが所詮は生き物だ。力尽くで倒す事が出来る存在だという事はグリフィンが証明している。
もっと強力な武力を持つ部隊ならキメラ怪人を倒す事も可能だろう。だがその場合、戦場となる市街地もただでは済まないと思うが。
「少し前なら、キメラ怪人は人類を敵視しているとは限らない、なんて仮説も立てられたんだけどな」
キメラ怪人は目撃者を狙うのであって、人類全てが襲われる対象ではない、と思っていた。
柳瀬さんを通して聞いたキメラ怪人が無差別に人を襲っているという情報が正しいのであれば、その仮説は最早成り立たない。
目的は分からない。考えても想像すらつかないのだと思う。
三ヶ月近く、俺たちはキメラ怪人に狙われ、生き延びてきたが、結局キメラ怪人について分かっている事など何も無いのだから。
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その【平和】も仮初めでしかないという事を、俺は口にしなかった。
口にしても仕方がないからだ。むしろ、出来る限り誠司たちには心穏やかでいて欲しいと思っている。
「……出来れば、お前も同じ考えでいて欲しかったんだけどな」
睦月を途中まで送った帰り道、首筋が焼けるような感覚を覚えて頭上を見上げると、電柱の上に【猫キメラ】が立っていた。
猫キメラは俺が気付くまで待っていたのだろうか。俺の視線を受けた事を確認してから音も無く目の前に着地する。
白い毛皮に身を包み、要所を鱗甲板で保護したキメラ怪人は今までの奴らと違い無暗に敵意を撒き散らしてこない、不思議なキメラ怪人だ。
猫キメラとの遭遇は二度目、キメラ怪人との戦いという意味では三回目ともなると、少しは肝も座ってきたのだろうか……以前ほどの恐怖を感じない。
いや……これはもしかしたら、睦月という理解者を得られた事による恩恵なのかもしれない。
一番守りたい人が、俺が戦う理由を知っている。共に戦う事は出来なくても、折れ掛けた心を支えてくれる。
「……」
猫キメラが大きく一歩、横に逸れた。
道を空けてくれた? いや、違う。向こうから車がやって来る。
車は徐行しながら俺の真横まで来たところで停車する。同時に運転席の窓がゆっくりと下りた。
「初めまして、グリフィン」
運転席に座っている女が口の端を軽く吊り上げながら言った。
俺より年上……もしかしたら一回り上か、美人だと思うが……何だ、この不穏な気配は。
「突然だけどお願いがあるのだけど、いいかしら」
そうだ、今この女は俺の事をグリフィンと呼んだぞ。
この状況で俺をグリフィンと呼ぶという事は、この女は猫キメラと──。
「お前もキメラ怪人なのか?」
「私は違うけど、彼はそうね」
女の肩越しに車内がを覗くと、助手席で一人の男が腕を組んだまま目を瞑っている。
薄らを目を開け、眼球の動きだけで俺を睨む。
「!?」
目が合った瞬間、全身からどっと汗が吹き出し、無意識に数歩後退していた。
例えて言うなら心臓を握り絞られるような苦しさ。視線だけで命の危険を感じる、本能的な恐怖。
男がゆっくりと車から降りる。車を挟んで、感情が読めない瞳が俺を射抜く。
「乗れ」
「……え」
さらに一歩下がったところで何者かに肩を掴まれる。
首を捻るとほんの十センチほどの距離にある猫キメラと目が合った。
「ここを何処だと思っている、ここで戦えば付近の人間が巻き添えになるぞ」
「まぁ、そういうわけだから乗って頂戴」
車から降りた女が、まるでエスコートするように後部座席の扉を開ける。
人間の体でキメラの力に抗う事など出来ない。俺は猫キメラによって車内に押し込まれた。
「お前はどうする」
猫キメラは男の呼び掛けに首を横に振ると、音を立てず跳躍して姿を消した。
男は運転席に戻った女を一瞥すると、何も言わずに扉を閉めた。
「ケット・シーが寄り道しないように見張って行く」
「分かったわ、後で」
男をその場に残し、車が発進する。
どうする?
逃げる事は出来ると思う。
扉はロックされているが、相手は人間の女一人だ。
運転中の彼女を狙えば、男の俺なら何とか押さえ込んで脱出くらいは出来るだろう。
いざとなれば、車を喰らってグリフィンへ変身してしまえばいい。
「用が済めばちゃんと解放するから安心なさい。貴方の家は分からないけど、さっきの場所までなら送ってあげましょう」
用が済めば? 俺を殺すつもりじゃないのか?
もしそうなのだとしたら、やはりここでグリフィンへ変身した方がいいか?
「こっちにも色々と事情があるから少し付き合ってね。そうじゃないと……」
貴方の大切な友人に迷惑が掛かるから。
その一言で俺は抵抗する気力を失ってしまった。
「こちらが【ケット・シー】よ」
車から降りた女は先回りして待っていた猫キメラを指して【ケット・シー】と呼んだ。
ここは森の中にある開けた場所だ。
より正確に言うならば、俺が初めてシザーアングに遭遇した場所でもある。
わざわざここに連れて来た意図はなんだ。グリフィンがここで誕生した事を知っているのか?
「……」
ケット・シーと共に先回りしていた男は、木の幹に寄りかかったまま山頂を見上げている。
状況が掴めない。
どうしてこんな状況になっているんだ?
「私の事は【アーティファクト】、あっちの不愛想なのは【フレスベルク】と呼んで頂戴」
アーティファクトにフレスベルク、どちらも変わった名前だ。
外見は俺と同じ日本人だが、実はハーフなのだろうか。
「ちなみに彼はキメラ、貴方たちの言い方に合わせればキメラ怪人です」
フレスベルクもキメラ怪人!?
……いや、アーティファクトもキメラ怪人の可能性がある。口では否定していたが嘘かもしれない。
むしろ三人中二人がキメラ怪人なら、残る一人もそうだと考えるのが普通ではないだろうか。
「フレスベルク」
「分かっている」
茂みの奥へと姿を消したフレスベルクが、暫くして大型バイクを手で押しながら戻って来る。
俺の前まで押して来たバイクを、無造作に地面に倒した。
ガチャン、と音を立ててサイドミラーが割れた。何をしているんだ?
「これがあれば貴様はグリフィンに変異出来るのだろう」
そこまで知られているのか?
連中は俺の事を何処まで知っているのだろう。
「貴重品を預かりましょう」
差し出されたアーティファクトの手をまじまじと見詰める。
「……はぁ」
深い溜息と共に長い髪を耳に掛けるように掻き上げ、フレスベルクを一瞥する。
フレスベルクは頷くと、アーティファクトが乗って来た車の運転席に乗り込み、バックで下がらせる。
「警戒する気持ちは分かります。こうして敵に囲まれているのですから」
「やっぱり敵、なんだな」
「戦闘記録を見た限り、貴方とは戦いたくはありませんけど」
「それならこのまま手を引いて、俺たちの前に一生出て来ないで欲しい」
咽喉に力を入れていないと声が震えてしまいそうだ。
黙っていると不安に押し潰されそうだった。
「俺は、俺たちはお前たちのやろうとしている事なんかどうでもいい。ただ、俺たちを巻き込まないで欲しいだけだ」
「例えば、それが人類滅亡だったとしても?」
「……そうだ。俺は、俺と俺の大切な人さえ無事なら、それでいい」
エゴ剥き出しの俺の言葉を、否定する者はいなかった。
アーティファクトは笑顔と泣き顔の中間のような表情で唇の端を歪め、フレスベルクは大して興味が無い様子で目を逸らし、猫キメラは無言で俺を見ている。
「戦いたくはありませんが、今は戦って貰わなければ困ります」
「安心しろ、少なくともこの場で殺そうというわけではない。……死にたいのであれば、相談には乗るが」
フレスベルクから陽炎のように殺気が立ち上る。
キメラ怪人として得た動物的本能によるものだろう。無意識に相手との力の差を感じている。
やはりこの男もキメラ怪人、それも桁外れに強力な……。
「貴重品は帰る時に返すと約束しましょう。早く変異して、ケット・シーと戦いなさい」
「どうしてお前たちはこっちの都合を考えもせずに」
「ならば、都合を考えてやろうか」
男は唇の片端をクッと上げた。
「戦わないのなら、お前の仲間を殺す」
「フレスベルク!?」
「黙ってろ」
アーティファクトの非難をフレスベルクは一蹴する。
「ただ殺すだけでは勿体ない。こちらにも理由があってな、二十歳前後の若い男女は貴重なサンプルだ」
「サンプル……?」
「キメラの臨床実験にうってつけだと言ってるんだ」
目の奥がカッと熱くなり、一瞬で俺の意識は怒りの赤に染め上げられた。
何故か慌てた表情のアーティファクトが何か叫んでいるが、頭に血が上った俺の耳には何も入って来ない。
「それがお前たちのやり方か……!」
横倒しになったバイクに手の平を叩き付ける。
怒りの熱量が、恐怖という冷気を打ち消し、感情を沸騰させる。
──殺してやる。
「お前たちを全員……」
殺してやる!
アーティファクトは人間がキメラへと変異する光景は今まで何度も見て来た。
その彼女でも、目の前の男がグリフィンへと変異する姿はおぞましい光景だった。
メキメキと音を立てて萎んで行くバイク。あてがわれた手は皮膚の内側を大量の虫が這い回っているかのように激しく脈動していた。
実際に調べないと分からないが、彼が金属を体内に取り込むメカニズムはいわゆる【癒着】に近いものらしい。
傷が塞がる際に触れていた別の部位と物理的に融合してしまうように、彼は触れた金属と融合、体内に取り込んでいるのだろう。
まるでモーフィングのように歪み、膨張していく全身。
表皮は徐々に変色しながら角質化し、金属の硬度を持った外殻へと変化して行く。
その過程で絶えずグシャリ、グシャリと音がするのは、異物を取り込んだ変異による負荷で彼の体内──骨や内臓──が損傷し、変異の影響で急激な再生をしている為だろう。
「こんな変異……何、これ……」
一度肉体の全てを破壊した上で別の形に作り直す、まるで予め作られた粘土の模型をこね直して新たな模型を作るような、常軌を逸した変異現象。
彼女が知る変異現象はただ単に、キャリアの肉体膨張とともにキメラ体と同化するような自然(人間がキメラへと変異する事が自然かどうかはともかく)なものだ。
このような自らの肉体を破壊するような変異ではない。
「こんな変異を繰り返していたとしたら……彼の体はまともでいられるの……??」
吐気すら覚える陰惨な変異現象が止み、赤い瞳を爛々と輝かせながらグリフィンが立ち上がる。
彼から感じるのは凄まじい怒りと、それに端を発する殺意だ。
ジャキッ、と音を立てて背中の翼が展開された。一歩踏み出した足が地面に少し食い込む。
以前、この森で【後始末】をした時に見付けた足跡はグリフィンの物だったのだとそれを見て気付いた。
そして同時に、グリフィンが峠の事故の時に出現していたという事実を初めて知った。
「ここでグリフィンに変異して、シザーアングと戦ったという事か……」
事故車両のトラックが見付からなかったのも、グリフィンが変異の際に取り込んでしまったからだ。
そこでシザーアングは重傷を負い、変異が解けた後で保護されて病院に運ばれたのだろう。
今ここでようやく、アーティファクトは当時の状況を正確に理解した。
「でも、報告よりも体重が軽い……?」
地面についたグリフィンの足跡はもっと深かった。
もしかしたら取り込んだ金属の量に比例しているのかもしれない。
「何をしている、アーティファクト!」
フレスベルクが彼女の腰に腕を回して横に跳ぶ。
直前まで彼女が立っていた場所をグリフィンの腕が薙ぎ払った。
「奴は暴走してる! 相手が人間だろうと容赦してくれはしないぞ!」
グリフィンの格闘能力は低いといわれているが、それは飽くまでもキメラとしてはである。
生身の人間がグリフィンの拳をまともに受けたら、その体は文字通り磨り潰されてしまうだろう。
「ケット・シー!」
樹上からムーンサルトのようにケット・シーが宙を舞う。
十五センチほどの長さまで伸びた爪は先端へ行くほど細く、鋭くなっていた。
着地の勢いを乗せて真上から振り下ろされた爪は、グリフィンが防御の為に掲げた外殻に数本の深い傷を刻む。
飛び散る破片を振り払うようにグリフィンの腕が伸び、ケット・シーの爪を払い除けながら飛び掛かった。
「ケット・シーの爪でも外殻を貫通する事は出来んのか!」
翼から聞こえる回転音が高音へ変化する。
フレスベルクは咄嗟にアーティファクトを連れて車の陰に飛び込んだ。
ズドン、という爆発音と共にグリフィンの翼が高圧縮空気を噴射し、至近距離からの蹴りがケット・シーを吹き飛ばす。
巻き上げられた土砂が車に叩き付けられてバチバチと鳴り響く擦過音に、アーティファクトは思わずフレスベルクにしがみついた。
フレスベルクはフレスベルクで、至近距離の爆風に煽られて今にも自分たち目掛けて横転しそうな車を必死に押さえている。
「間近で見ると益々馬鹿げたパワーだな!」
ケット・シーは周囲を囲う木の一本に叩き付けられていた。
木はそれを支えきれず、根を引き剥がされるようにメキメキと音を立てながらその身を傾け、横たえる。
ふらつきながら起き上がったケット・シーの上腕の鱗甲板は割れ、そこから血が垂れていた。
ケット・シーの体にある鱗甲板は角質化した表皮で覆われた肉のクッションで、非常に優れた衝撃吸収力を持っている。
キメラの中でも屈指の怪力を誇ったシザーアングの猿腕も、ケット・シーの鱗甲板ならば容易く受け止めるだろう。
その強度で物理的な攻撃を防ぐグリフィンの外殻とは対極の性質を持つ鱗甲板だが、グリフィンの一撃は受け止め切れなかった。
「スピードもそうだけど、加速が異常ね」
流石に一瞬で最高速とまでは行かないようだが、それでもグリフィンの翼による高速移動は凄まじい加速を誇る。
高圧縮空気を噴射した瞬間には時速百キロ近くまで加速しているだろう。そう考えると今、アーティファクトたちが体感している爆風は思ったより弱いとさえ思える。
ケット・シーの爪がグリフィンの外殻を切り刻む。そのうちの幾つかは外殻に収まる生身の体にも達したのか、爪は赤く濡れていた。
「ふっ……!」
小さく息を吐くと同時に四足走行のような姿勢で地面を滑り、翼の勢いを加えた一撃をかわす。
空振りした事でバランスを崩したグリフィンが立て直そうとしている間に、逆立ちをするように体を伸ばした蹴りがグリフィンの顎を撃ち抜いた。
小柄なケット・シーから繰り出されたとは思えない威力によりグリフィンは背中から地面に倒れる。
グリフィンはその翼のお陰で非常に強力なキメラだが、弱点が無いわけではない。
一つ目は格闘能力だ。キャリアである男がそういう経験をしていないのだろう。肉体を使った戦いに慣れていない事が分かる。
二つ目は鳥目だという事だ。実際のところ、大半の鳥は夜目が利くのだが、グリフィンが宿す鳥のキメラは夜目が利かないタイプなのだろう。
三つ目はグリフィンの最大の特徴である外殻だ。ケット・シーの爪はコンクリートの壁程度ならば豆腐のように切り裂く事が出来る。それを不完全とはいえ防ぐ外殻は取り込んだ金属をより高い強度に変質させて外殻にしているのだろう。
その代償になっているのが重量だ。想定で一トンに及ぶグリフィンの体重の実に八割以上は外殻に依るものだと考えられる。それだけの重りを担いでいるにしては驚くべき身のこなしだが、キメラの尺度で見ると敏捷とは言い難い。
四つ目はグリフィンの最大の武器である翼だ。瞬間加速力が時速二百キロを超える翼は攻撃にも防御にも使える非常に強力なものだ。
だが、その加速力故に小回りが利かない。車の制動距離が速度の二乗であるように、運動する物質の制動操作に必要な距離は速度の影響を大きく受ける。
ただの体当たりが恐るべき破壊力の必殺技だが、それをかわされた時、グリフィンは大きな隙を作る事になるのだ。
「ォォォオオオオオオオッ!」
攻撃が中々当たらない事に業を煮やしたグリフィンは短く吼えると翼の出力を上げ、一気に二十メートルほどの高さまで跳躍する。
地面に叩き付けられた爆風が車を掬い上げるように浮かび上がらせた。
フレスベルクは舌打ちしながらアーティファクトを抱えて生い茂る木々の陰に隠れる。ホバークラフトのように浮き上がった車が二人を追うように滑り、彼らを守る木に衝突して止まる。
轟音と共に空気を引き裂きながらグリフィンが急降下してきた。
ケット・シーはこれを待っていた。非常に危険な賭けだったが、何とか勝つ事が出来たようだ。
もし、この時にグリフィンが高高度まで跳んでいたら、そこからの加速は音速にも匹敵するものになっていただろう。さすがにそればかりはケット・シーでもかわせない。
──だが、ほんの数十メートルほどの高さからの加速ならば、ケット・シーの目と反射神経は充分に対応が可能である。
迎え撃つように跳躍したケット・シーと、空気を引き裂きながら急降下するグリフィンが掠めるようにすれ違う。
形容し難い激突音と共に、グリフィンの片翼が根元付近で引き裂かれ、翼を断ち切ったケット・シーの右手の爪が折れ曲がり、もぎ取られるように剥がれた。
片翼を失った事でバランスを崩したグリフィンは態勢を崩し、スピードを僅かに緩めながら──それでも凄まじいスピードのまま──地面に激突し、地面を抉りつつ何度も全身を回転させながら、何本もの木を巻き込んで吹き飛んでいく。
グリフィンが吹き飛んで行った方角から微かに黒煙が上っている。ケット・シーはそちらを見詰めながら、引き裂かれて落下し、地面に突き刺さったグリフィンの翼に歩み寄った。
爪が剥がれて血が滴っている右手を左手で掴み、思い切り左に引っ張る。骨同士が擦れ合うような音を立てて、脱臼していた肘と肩が嵌まる。
ズッシリと重い翼の断面からはバチバチと火花が散っていた。持ち上げると細かい部品がパラパラと地面に落ちる。
(まるで、機械……)
外殻と違い、翼はただの金属の塊ではないだろうと思っていたが、精密機械のような構造になっている。
生物である筈のキメラに、まるでロボットのパーツのような翼がどうして備わっているのか分からないが、これで目的は果たした。
翼を抱え上げようとして気付く。触れた部分が砂のように崩れ始めている事に。
「どうしたの?」
グリフィンがいる方角を警戒しつつ木陰から出て来たアーティファクトも、翼の状態に目を見張る。
慌てて車に駆け寄り、中から市販のゴミ出しに使うビニール袋を取り出して戻って来た。
「出来るだけこの中に掻き入れて! フレスベルクも!」
崩れて砂の山となってしまった翼をビニール袋に掻き入れる。
これまでグリフィンの痕跡が見付からなかった理由がこれで分かった。
グリフィンの体から剥落した外殻はこうして砂になってしまうのだろう。後は風が吹いて散ってしまえば全て消えてしまう。
「そう言えば、貴方が砕いた外殻の破片もいつの間にか無くなっていますね」
ケット・シーを見上げると、グリフィンがいる方角を見てそわそわしている。
「もしかして、まだ……」
アーティファクトの言葉にケット・シーは首を横に振ると立ち上がり、グリフィンによって薙ぎ倒された木を辿って奥へ消える。
戻って来たのはアーティファクトとフレスベルクが外殻の砂を集め終わった頃だった。
その腕には、人間に戻ったまま気を失っている恭護が抱き抱えられている。
背中を支えるケット・シーの腕には血が染み込んでいた。翼を引き裂かれた事で背中を負傷しているのだろう。
「まずは手当をして、着替えさせましょう」
両手についた砂を払いながら、アーティファクトは腰を上げた。
「殺さないのか」
フレスベルクの一言に総毛立つケット・シーを、アーティファクトは手で制する。
「約束しましたから」
恭護を車に運ぶように指示し、ビニール袋の口を固く締める。
これで何とかなるだろうか。
もし、どうにもならない時は……。
その時になって初めて、アーティファクトは憂いを帯びた表情を浮かべた。
△▼△▼△▼△▼△▼
小刻みな振動を全身に感じて、目を覚ました。
全身が痛むが、特に背中が酷い。
「う……」
「起きたか」
車の後部座席に俺はいた。
運転席にはアーティファクト、助手席にはフレスベルクがいる。
「素人なりに中々の力だが、大した事は無かったな」
無表情でフレスベルクが言う。
バックミラー越しにアーティファクトと目が合った。
「貴方の力を見たかったのよ。フレスベルクが必要以上に挑発してしまった事については心から謝罪します」
全身の傷は手当てがされていた。骨や内臓に達している傷は無く、止血もされている。安静にしていれば病院へ行く必要は無いだろう。
見覚えのない服を着ているが丈が少し合わない。これは、フレスベルクの服かもしれない。
「貴方の家まで送ってあげてもいいけど、生憎と貴方の家は知りません。今日会った場所で下ろしますがいいですね」
車の揺れが酷いのは道が悪いのではなく、車自身に問題があるようだ。
強い衝撃を受けてタイヤか車体が歪んでしまったのだろう。
「……俺の家を、知らない?」
ケット・シーに正体がバレた時点で個人情報も調べられていると思っていた。
この様子だと本当に俺の住んでいるマンションを知らないらしい。
俺にとっては幸運だが、何故知らないのだろう。その気になれば幾らでも調べる方法はある筈なのに。
「色々と混乱しているのは分かるが、今時点でお前に対する俺たちの用事は全て終わりだ」
小一時間ほど経過したところで今日、俺とアーティファクトたちが遭遇した場所に戻って来る。
助手席から降りたフレスベルクが後部座席のドアを開ける。
痛みを堪えながら降車すると、運転席から身を乗り出したアーティファクトが俺の財布とスマホを差し出した。
「これ、回収しておきました。中は見ていないから安心して」
「あ……」
礼を言い掛けて止めた俺を見たアーティファクトが苦笑する。
「色々分からない事があると思います、そしておそらく貴方が疑問に思っている事の殆どに対して、私は解答を示す事が出来る」
わざわざこう言うのは、答えるつもりが無いという意思の表れなのだろう。
だから俺が聞くべき事は、一つだけだった。
「俺は……負けたのか」
「別の条件で戦っていたら、分かりませんでした」
嘘をついている様子はない。
痛む体を引き摺る様に一歩下がり、背後の塀に寄り掛かる。
フレスベルクは助手席のドアを開けて中に入ろうとしたところで制止し、暫く考え込んでから俺の顔を見た。
「お前を殺すのは、俺だ」
「……!」
背筋が凍るような思いをしている俺を尻目に、フレスベルクはさっさと車に乗り込んだ。
「つまり、フレスベルク以外には殺されるなと言っているのよ」
「アーティファクト!」
少しくだけた口調になったアーティファクトにフレスベルクが非難の声を上げる。
それを意に介さず、アーティファクトは軽く手を振ると運転席へ体を収め、去って行った。
「何だったんだ……」
いきなり現れて、戦わされて、帰された。
話した内容からあいつらがシザーアングやスピネカーマの仲間である事は明確だ。
今まで散々、俺たちの命を狙って来た連中の仲間だとは思えない。
何が目的だ? 今日のことでその目的は達せられたのか?
それでもはっきりした事は。
まだ、キメラ怪人との戦いは続くらしい、という事だけだった。
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