異 眈(いたん)

漆目人鳥

第1話 同窓会

「私たち、結婚するんです」

高校卒業後5年目の同窓会会場。

突然、クマこと、熊谷博美から発表されたサプライズに、集まった当時の同級生たちは軽い混乱に見舞われ、ざわめき、やがて静まり返った。

もちろん、私、杉山和子もその中の一人であったのは言うまでもない。

「えっ……なんで……」

滑稽なほどシンとした会場で、誰かが小さく呟いた。

 だが、多分、その呟きが意図するところは、この場にいる誰もが思うところだっただろうと私は思う。

 なぜ、熊谷が?

 もちろん、それは、彼女の容姿や性格が人並み外れて醜悪で、とても相手を見つけられるとは思えなかったといったような、彼女の尊厳を個人的主観で傷つける的な意味合いでは決してない。

 むしろ、熊谷博美は美人の部類に入ったし、クールビューティとして男子に人気がある一方で、ショートカットの似合う、そのボーイッシュな外見と、面倒見の良い姉御肌から、女子からも絶大な信頼を受けていた。

問題は、彼女の結婚相手にあった。

彼の名前は『クズオ』意図するところは『屑男』だ。

もちろん、本名ではない。

だが多分、その呼び名は当時の全校生徒の間で通じたと思う。


うちの高校は、1年から3年までクラス換えを行わない学校だった。

その中で、私の所属していたB組は、まとまりも良く、テストの平均点数は常に上位という優良学級を絵にかいたようなクラスだった。

そう、ただ、一点を除いて。

優良学級のただ一つの汚点。

それは、『いじめ』だった。

最初は山口友子がその被害者だった。

友子は優しく、おとなしい性格の女子で、引っ込み思案な割には、見かけによらず運動神経もそこそこ、成績も中より上。

要するに、器用な子だった。

努力もしないで、なんでもそこそここなせる。

そういう性質(たち)。

そんな彼女の言動は、たまに他人を馬鹿にしたような印象を与えた。

『そんなの簡単だよ』

それが彼女の口癖だった。

悪気はなかったし、嫌味でも無かったのだと思う。

ただ彼女は、他人がなぜ、努力しなければならないかを理解できなかったのだ。

普段、引っ込み思案である故に、常に活発で友子を下に見ていた連中には、それが屈辱的だったのだろう。

『どうして、そんな事ができないの?』

友子の言葉は、彼女達にはそんな風に変換されて届いたのだ。

『友子の癖に』

やがて、友子を嫌う女子のグループが出来上がり、彼女を陰険に無視し、根拠のない噂を流し、孤立させた。

気づいた友子がグループに執り成そうとしたとき、彼女のその弱みに付け込んで、グループの面々は彼女を奴隷とし、おもちゃにしようと決めた。

そう、友子は自分からクモの巣に飛び込んでしまったのだ。

それは、今思えば異様な風景だっただろう。

教育テレビの青春ドラマのような、なにげない日常が営まれる中で、その風景の一部として、髪を毟られたり、画鋲を敷き詰めた椅子の上に座らされたりという、いじめが行われているのだ。

だけど、その時の私達……、少なくても私には、あくまでそれらは対岸の火事だった。

巻き添えになるのは嫌だったし、何よりめんどくさかった。

そんな中で、ただ独り立ちあがった生徒がいた。

委員長の深山恭子だ。

恭子は、まず、女子間のいざこざにわれ関せずだった男子生徒を巻き込んだ。

そうして大半の男子生徒を味方に付けた後、クラスの女子をまとめ上げ、あっという間にいじめに対する反対勢力を作りだし、いじめのグループを追いこんでしまったのだ。

その颯爽とした彼女の雄姿は、少なからずB組生徒達の憧憬と羨望を集め、実質、彼女のファンクラブともとれる、いじめの自衛団を発足させるまでに至ったのだった。

大団円かと思われたこの騒動は、しかし、意外な展開を見せる。

いじめグループの中心人物だった渡邉順子が不登校になってしまうのである。

いや、不登校になることは、じつは私にとっては意外でも何でもない事だった。

意外だったのは、渡邉順子の不登校の理由が『いじめ』だったということだ。


「おめでとうクマ」

「おめでとう!」

 正気を取り戻した会場の元クラスメイト達から、お祝いの言葉が飛び交いだした。

「おめでとう『クズオ』」

 くちの悪い男子が旦那さんになるクズオを冷やかす。

「空気読みなさいよ、クズオじゃなくて齋藤さんっていいなさいよ」

「空気読んだからクズオって言ったんだよ、もう呼べなくなるだろうしなぁ」

「熊谷さん、齋藤さんになるのねぇ。齋藤博美。うーん、なんか違和感」

会場が盛り上がりだす。


B組は渡邉順子という悪に対して団結し、まとまり、正義の名のもとに、『自業自得』という大義名分をかざし、個人を排除した。

つまり、いじめたのだ。

いじめは伝染する。

そして、はじめ大っぴらに行われていたそれは、段々と裏に隠れ、陰湿さと威力を増して行く。

人間は学習するのである。

渡邉順子は自主退学した。

しかし、そのことに対して、誰も罪を咎められることはなかったし、罰を受ける者もいなかった。

すべては正義の名のもとに民主的に行われたことであり、渡邉順子は己の罪を恥じて退学したのである。私達のクラスの中では、そう言うことになっていた。

『悪』に対して一丸となっていたクラスは、悪の存在を失った後も、暫くの間はまとまりを見せていたが、時間が経つにつれてその根底に根差す感情は、悪と戦う仲間としての信頼関係から、自分がクラスの悪として認定されてしまうのではないかという、燻銀に光るエッジのようなぴりぴりとした関係に変わっていった。

お互いがお互いを監視する陰鬱なプレッシャー。

ギクシャクとした人間関係。

B組は、悪を、いや、正確には生贄を求めていた。

そして、次の的に選ばれたのが、クズオだった。

クズオは最初、その壊滅的に優柔不断な日頃の生活態度から、ぐずオと呼ばれていた。

ただこの時は、幼顔なので女子からはマスコット的に人気があったし、成績も良かったので、男子達からもなにかと便利がられて、どちらかといえば親愛の気持を込めて呼ばれたニックネームだった。

そのぐずオが一学期の期末テスト、数学で100点を取った。

もともと勉強の出来る子だったので、そのことは多少話題にはなったものの、すんなりクラスに受け入れられた。

100点を取った数学が、クラス担任の但野凛子が教える教科であることから、先生は非常に喜び、学校の掲示板に張り出したいとか、冗談交じりにはしゃいだりしたものだった。

だが、数日後、事件が起こった。

グズオが100点を取った数学のテストに出題ミスが2問見つかったのだ。

それは2問とも文章問題で、提示された文章を理解し、質問に答えると出題者が意図した回答が出てこないという、完全に出題者である但野先生の勘違いによって出題されたものだった。

つまり、100点を取ったぐずオは、答えようのない問題を、出題者の勘違いした意図を汲んで解いたことになる。

それも2問。

最終的には、グズオが但野先生と同じ勘違いをし、回答したのだということに落ち着いたが、クラスの大半は、そんな出来すぎた話を信じようとせず、ぐずオが、但野先生のあらかじめ作っておいた回答用紙を何らかの方法で持ち出したのではないかと噂した。

夏休みを目前として、クラスが活気づくのを感じた。

そして、すぐに、正義を執行するものが現れた。

それが、熊谷博美その人だったのである。

熊谷は、まず、持ち物検査と称してぐずオのカバンやバッグの中身を机の上にぶちまける行為に出た。

そして、あろうことか、ぐずオのバックの中からは、女子のスクール水着が出てきたのである。

じつは前日、委員長・深山恭子がバックに入れおいた水着が紛失するという事件が起きており、ぐずオのバックから出てきた水着がそのものである事は、誰の目からも明白であった。

この事件により、ぐずオはクズオと呼ばれることになり、B組の敵となったのである。

しかし、この一連の騒動に対して、疑問を抱くものがいないわけではなかった。

私もその中の一人だ。

ひとつに、テストの件。

これは、単純に学校側の主張を信じた。

なぜかと言えば、もし、クズオが回答付きの答案用紙を手に入れていたとするならば、

まるまる答えだけを覚えていたという事もあるかもしれないが、先に言ったように、クズオは頭がいいのである。

多分その間違いにも気付いたはずだ。

だったら、何も100点を取る必要はない。

疑わしい問題は避けるのではないだろうか?

どうしても100点を取らなければならない理由があったとか、自分の不正に気付いてもらいたかったというのならばいざ知れず、余りにも行動が一辺倒すぎるような気がするのだ。

次に水着の件。

体育の時間に突然委員長が、水着が無くなったと騒ぎ出した。

だがその当日、放課後のホームルームの際にも、そのことは話し合われ、その際にカバン、バック、ロッカーなどの持ち物検査は行われているのだ。

水着は見つからず、外部からの犯行であろうと結論された。

つまり、そういう事だ、私はその結論を信じている。

だとすれば、突然現れた水着は、むしろ、テストの一件で孤立しそうになっているクズオを陥れるために、何者かがいかようかの手段を用いて、工作したものとは考えられないだろうか?

二つの事件に対して、クズオは持ち前の優柔不断さを発揮し、まったく要領を得ない回答を続けたが、取りようによればクズオは本当に何も知らず、戸惑っているだけと考える事が出来る。

私は、クズオをB組の敵にしようとしている作為を感じていた。

誰かが、B組に敵を作ろうとしている。

もし、もしも、そうだったとしたら、これは、恐ろしい事である。

クズオの次は、私かもしれないのである。

その時になって、初めて私は、いじめが、じつは非常に自分の身近にあるもので、もし、それを見逃し続ければ、いずれは自分自身にも降りかかってくるかも知れない火のこのようなものである事を悟った。

私はいじめに立ち向かう決心をした。

まずはじめに、私の考えを担任の但野先生に聞いてもらった。

そして、じつは先生も、自分と同じ事を考えていたのだという事を知る。

しかし、それは何の証拠もないことであり、むやみに騒ぎ立てれば、『真犯人』がこのまま潜んでしまう事が懸念される。

そうなってしまっては、クズオを救う事はもはや不可能であり、クラスの中に疑心暗鬼だけが残る結果となってしまうだろうと先生は言った。

「真犯人がいるのなら、きっと尻尾を出すと思うの。今、犯人にされている彼には気の毒だけど、今はその時が来るまで様子を見るのが一番いい方法なんじゃないかしら?もちろん、彼に対するいじめが起こっているというならば、私もなるべく気をつけるから……」

 そう言った後、先生は、以上の理由から、この件は二人だけの秘密とし、その時が来るまで誰にも話さないようにと私に念を押した。

多分、先生の意見は正しかったと思う。

だが、当時の私にとって、それは大人の意見だった。

信頼できないという訳ではなかったが、ただ先生という立場上、事を荒立てたくないために、逃げているだけではないかという感は否めなかったのだ。

私は、過去にいじめに立ち向かい勝利した実績を持ち、ある意味今は事件の当事者でもある、委員長・深山恭子に今後どうするべきかを相談してみることにした。

彼女の意見こそが、ある意味絶対であり、私に進むべき道へと導く力をくれると信じた。

だが、結果は最悪だった。

「何をしても無駄よ」

英雄は挫折していた。

「もし、水着を盗んだのがクズオでないとしても、犯人が私の所持品を狙ったって事実は変わらないわ、それは見せしめかもしれないし、警告かもしれない。どっちにしたって、友子の件で悪目立ちしてなければ、私に白羽の矢が立つことはなかった。私がいままでやった事は、クラスのいじめをひとつ解決し、クラスメイトを退学に追いやり、クラスの雰囲気を最悪にした挙句、級友から窃盗犯を出してしまっただけの話」

そして、またいじめは繰り返されようとしている。

「何をしても無駄よ」

 立ち去ろうとした私に深山恭子はもう一度そうつぶやいた。

一番信頼のできる人物だと思っていた委員長の落ちぶれた姿を目の当たりにして、私はこの問題に一人で立ち向かう事を決意した。

しかし、それは、あまりにも分の悪い抵抗だった。

まず、いじめの先頭に立つ人物は、あの人望有る美少女。

熊谷博美を中心とした男女のクループだったのである。

その時の熊谷は、犯罪者クズオの罪を暴いた名探偵であり、クラスの代弁者だった。

彼女がクズオをパシリに使ったり、小遣いをせびったり、しょっちゅう青アザだらけにしたりしたとしても、それはクズオの受けるべき罰であり、クラスの正義は完全に彼女の側にあった。

他のクラスメイト達は、自分の手を汚さず、そして自分の心に罪の意識をためる事無く、悪人に悔い改めさせるべく報いを与えることが出来たのだ。

しかも、間が悪いことに、クズオの回りには絶えず悪い噂が立つようになっていた。

ある日、学校の近くの公園で、イヌやネコの首無し死体が発見される事件が起きた。

その前日、サバイバルナイフを持ったクズオが公園のベンチに座る姿が目撃されていた。

だが、それはあくまで噂であり、実際、犯人は今現在捕まっていない。

またある時には、クラスの女子の下駄箱にクズオからのラブレターが入っていた。

A4の紙の裏と表にびっしりと『愛しています』の文字を印刷して。

だけど、それもパソコンで作成した文章を印刷したモノで、誰でも作ろうと思えば作れてしまう代物だった。

それから……。

いや、もう止めよう。

きりがない。

とにかく、クズオはすっかり孤立していた。

そんなクズオにとって、確実に味方と言える人物は、私だけだったと思う。

私は、独り、事あるごとに熊谷博美と対立した。

時には、私の側に着いてくれるクラスメイトも若干いたが、基本、私は理不尽に独りだった。

ある日、私がいつものようにクズオをかばって熊谷と口げんかになった際、何時にも増してしつこい熊谷に私がうんざりして口を閉ざしてしまったのを見て、はやとちりした彼女が勝ち誇ったように笑い出したのにカチンと来た私は、「鼻毛がみえてるよ」と周りに聞こえるように嘘を言ってやった。

彼女の顔は、みるみる真っ赤になって、手で鼻を覆うように隠した。

直後、確かに私もやり過ぎたかも知れないと反省したが、初めて熊谷に勝てたことがうれしくて、思わず笑い出してしまったものだった。

そんな私のもとから逃げるように、彼女は教室を飛び出て行ってしまった。

暫くして、何気ない顔で教室に帰ってきた彼女はそのまま授業を受けていたが、よっぽど悔しかったのだろう、突然授業中に泣き出して、ちょっとした騒ぎになったことを思い出した。

もっとも、私が熊谷に勝てたのは、その日が最初で最後だったが。


そんなこんなが卒業まで続いた。

結果。

結論から言えば、私はB組からいじめを無くすことが出来なかった。

私は、一生懸命に訴えた、言い争もした。

少しずつ、影ながらだが私の支持者も増えて行き、そのおかげで私個人が孤立することはなかったし、いじめの対象となることもなかった。

だが、やはりB組は熊谷を中心に回っていたし、最初の懸念どおり、但野先生は日和るだけで、自分から手を出そうとは、ついにしなかった。

ただ、私的には、ちょっと満足している。

いじめを無くすことは出来なかったが、いじめが増えたり、悪化したりすることはなかったし、3年間近くいじめられ続けたクズオが学校を辞めたりしなかったことも、私が彼を庇い続け、熊谷達からの防波堤になって戦ったからだと自負したい。

それにしても、運命とは数奇な物だ。

『あの』ふたりが、今、こうしてかつてのクラスメイト達の前で婚約を発表し、祝福を受けている。

ひょっとしたら、二人の間の運命に、私の行いが少しでも関わったりしたのだろうか?

だとしたら、こんなに嬉しいことはないのだが。

もしそうなら、私は間違っていなかったし、私は自分の責任をしっかりやり遂げたと言えるのではないだろうか?

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