千尋の波のはてで見る夢は
平坂 静音
第1話 闇
「メリーナ姫様、お覚悟は決まりましたか?」
もう夕餉の時刻なのだろうか。
地下牢に、すっぽりと黒いフードをかぶった牢番が、いつものように固い
彼を憎むのは筋ちがいだとはわかっている。
彼はただ己の勤めをはたしているだけなのだ。だが、今のメリーナは憎む対象がほしかった。憎しみが、唯一メリーナをささえてくれている気がするのだ。
(いったい、ここに来てから、どれぐらいたったのかしら?)
たしか最後に夜空を見あげたときの月は三日月だったが、石の天井の割れ目からようやく見える今夜の月は満月だ。
牢に入れられた日の前日のことを、メリーナは思い出してみた。
あれはこの
メリーナが十五歳の誕生日をむかえた月であり、やがてくる結婚の日にそなえて、母が商人たちを屋敷の居間にあつめて花嫁道具を見立てていた夜だった。
目をとじれば瞼に浮かぶ。
それからまだ月がひとめぐりもしていないというのに、信じられない我が身の変わりように、メリーナは悪夢を見ている気がしてきた。
(そうよ……これは夢なのだわ。悪い夢)
メリーナは
いまだに自分のおかれた立場が受け入れられないメリーナは、毎夜、かたい木の寝台で、目覚めればすべてが淡い夢に変わるのではないかと期待しつつまどろみに身をゆだね、毎朝、かすかに
「姫様、お気の毒なお知らせでございます」
この牢屋に入れられてから毎日食事をはこんでくる牢番は、いつも覆面や黒衣で身体を包んでいるので顔がよくわからないが、声からするとまだ若い男のようで、今日はその声も心なしかかすれ、ふるえている。
彼のふるえが伝染したかのようにメリーナの背もふるえ、かぼそい身体の芯が凍っていく気がした。
この牢獄生活で、もとは美しかった珊瑚色の衣もすっかり汚れてしまい、
(どうしてこんなことになってしまったの……? わたしが、いったい何をしたというの?)
メリーナは、本来このような牢獄につながれる身分の娘ではない。
父はバリヤーン王国五太守のひとりである。太守とはバリヤーンにおいては貴族階級の最高位であり、生母は降嫁して王籍を捨てたとはいえ、先の国王の娘、王女である。
王家の血をひく国有数の大貴族の大切なひとり娘として、本来なら豪華で堅牢な屋敷の
すべては、あの日、荒くれた兵士たちが屋敷に攻め入ってきたときに、変わってしまったのだ。
メリーナの白い頬に真珠の涙がこぼれる。
想いは〈百合の月〉の三日月の夜へととぶ。
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