第53話
目の前の灯りが、吸い込まれるように一か所に凝縮される。体にどっと疲れが押し寄せてきて、青嵐と黎は座り込んだ。額を押さえ、自分の中に洪水のように押し寄せてきていた情報を咀嚼する。弦月魚もまた、濁流の中を泳ぎ切って疲れたかのように、二人により添った。
「こうなる気がしてたんだ」
ようやく口が開けるようになって、青嵐はこぼす。黎は顔を上げた。
「俺が最初から都に来ていれば、親父は死なずに済んだ。でも、間に合わなかった――」
ぽたぽたと、言葉が、感情が、零れていく。黎はそれを受け止めるように口を開いた。
「僕がもし、お父様と同じ立場なら、同じようにするよ。親が子を思うのは当然だもの。そうやって、次に命を繋いでいく。守りたかったんだよ、きっと」
青嵐は、ようやく少しだけ顔を上げた。黎は、それを温かく見つめる。
「きみのこと、ずっと気になってた。迷いながら、自分の身を削ろうとしていたから」
穹が体を傾げて、より顔の近くに寄る。黒いまん丸の目が、どこか心配しているように見える。
「……ありがとう」
青嵐は水球を撫でた。
『後悔はしていないか?』
響くような声が再び届く。ぬっと、龍の顔が二人の目の前に現れた。目玉だけで一抱えもありそうな龍だ。青嵐は、その大きな目玉に向かって、まっすぐに言った。
「知りたかったんだ。知らないままでいたくなかったんだ」
ずっと、六年前のまま、時を止めていたくなかった。
ぽたりと涙が頬を伝う。龍は目を細めた。ふっと息を吐くと、風はくるくると舞い、闇を払うように丹曦の姿を現す。丹曦は、夜の灯りのようにぼんやりと揺れながら近づいてくる。その後ろに、人影が見えた。青嵐は立ち上がり、一歩、また一歩と近づく。
「親父、お袋……?」
丹曦は体を震わせる。火の粉が飛び散るように、人影の全体が照らされた。それは、確かに青嵐の記憶の中と同じ、両親だった。互いに寄り添いながら立つ二人は、青嵐に微笑みかけている。緑雨が口を開いた。
「青嵐。龍の言葉ではない、お前の道を生きなさい」
青嵐は小さく頷いた。それ以上は近づかない。縋ることもしない。わかっているのだ。もう、時間は戻りはしないのだと。時は、止めているべきではないのだと。黎はゆっくりと立ち上がって歩み寄ると、肩を叩いた。ぽつ、と再び涙が落ちる。それでも、青嵐は息を吸い込んだ。
「星は爆ぜ 川面を、焦がし
魚の……涙は、海と……なる」
ぽつ、ぽつ、と涙はとめどなく溢れてくる。声は揺れ、音はとぎれとぎれになる。
「「風は止み 雲は千切れて
空へ昇る術はない」」
青嵐は隣を見る。両親の方を見て、黎もまた青嵐の声を補うように歌い始めた。それに後押しされるように、青嵐も声を振り絞る。
「「魂は龍に抱えられ天の向こう
名は歌に刻まれ地に留まる」」
二人の声が重なり合い、響きあう。両親はそれに穏やかな表情で聞き入っていた。龍もまた、濡れた瞳で優しく見守っている。穹と玄珠の体が、ちかちかと光り始めた。光はだんだんと大きくなり、周囲を包んでいた暗闇を、夜が明けていくように明るく変えていく。それとともに、両親の体も、花びらが風に散るように、淡い光の粒となっていった。粒は舞うように、二匹の弦月魚の先導の元、光の下にあらわになった龍の体に溶け込んでいく。
この世の悲しみも虚しさも、すべて溶けてなくなってしまえばいい。ただ安らかに。そう願えば願うほど、輝きは増していく。先程過去の記憶をのぞいた時とはまた別の一体感が、青嵐を包んでいた。言葉は、自然と旋律に乗る。
「「この声が枯れても
神話になるまで歌い続ける」」
ふっと声が途切れる。春の山を駆け巡るような風が二人の周りを舞い、光の粒もそれに乗る。やがて両親の姿はすべて溶け、龍と一つになっていった。弦月魚たちは、それを見届けると、二人の元へ戻ってきた。
もう、声が出ない。すべてを出し切ったように、青嵐は空っぽになった。
「魂は、龍の腹に帰る。そうしてまた、生まれてくるんだ」
黎の言葉に、青嵐は思い出したように袖で涙をぬぐう。傍らを見ると、穹の尾に空桃の花の模様が浮かんでいた。
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