第2話 青い瞳の若旦那

 鼻水と涙を毛深い拳でぐしぐし拭いながら駆けて参りましたのは、御殿の奥にあるお世継ぎの居室でございます。

「若旦那? 若旦那? こんな広うて暗いお部屋のどこにおいでで?」

 薬の臭いがつーんと鼻を突く陰気な部屋の奥から、若者の声がいたします。

 病ですっかりよれておりますが、それでもただのお人ではない気品が感じられるのは、生まれお育ちのおかげでございましょう。

「来るなと言い置いたはず! 誰だ、無礼な!」

「クレルヴォでごぜえやす!」

「おお、待っていたぞ」

 この国で一番偉いお人の息子のところへ下働きの者がずかずか上がり込めるというのは、幼いころから気心の知れた間柄だからこそ。

「もう心配で心配で!」

「心配なら大きな声を出すな、僕は病人だ」

「それでも有り難いのは、クレルヴォなんぞを頼ってくださいましたこと。『不滅の賢者』にさえも言えないようなことを……」

「うるさい、人の話を聞け」

「へえ、それで話とは」

「そのナイフで、僕の胸を突き刺してくれ」

「こうでございますか」

 単純な男でございます。

 枕元のテーブルに置いてある果物、そこに添えてあるナイフを逆手に持ったかと思うと若旦那の胸にブスッ!

 ……と思えばベッドの上は空。

 ナイフは音もなく絨毯の上へ。

「わ、若旦那! 若旦那!」

 今にも死んでしまいそうな声を立てているのはクレルヴォのほう。

 若旦那はと申しますと、いつの間にか背中に回って首を裸締めにしております。

 病んでいるとは申しましても、さすがは音に聞こえた武術の達人でございます。

「いかん、つい締め落とすところだった」

「ぜ~、は~、元気じゃごぜえやせんか」

「いや、命が危機にさらされると身体が勝手に」

「そうでごぜえやすか、では」

 その辺にいかつい鎧兜一式が飾ってございまして、手には大きなポールアックス。

 筋肉隆々たる大男がそれをひっつかんで一振りいたしますと、たちまち旋風が巻き起こります。

 若旦那は長い黒髪をゆらめかせ、大きくのけぞるや紙一重でかわします。

「何をする!」

「いや、死にかかれば元気になると先ほど」

「死んだら意味がない!」

 のそのそベッドに潜り込んだ若旦那、何事もなかったかのように病人に戻ります。

「クレルヴォ、おまえにだけ教えてやる。笑ったらお前死ぬからな」

「お話によりますが」

 そこでカッと見開かれた若旦那の目。

 クレルヴォのいかつい体はふわりと宙に浮きまして、天井に叩きつけられます。

「笑いません、そんな怖い顔して、死んでしまうなんて、あ、痛い、笑いません……」

「何を隠そう」

 若旦那がころりと寝返りを打ちますと、クレルヴォは大の字のまま床に激突いたします。

 その様子がよほど可笑しかったのか、若旦那の声も多少震えております。

「笑うなよ」

「笑ってるのは若旦那のほうではごぜえやせんか?」

「ならば死ね」

 ベッドの上に起き上がった若旦那の手に握られているのは剣の柄。

 ぼうん、とそこから暗闇の中で伸びる光は、なんと申しますか、らいとせいばあ? 

 とにかく、その手の光る剣でございます。

「聞きます! お願えでごぜえやすから、どうかその、らいとせいばあを」

「うむ、20日ほど前のことだ」

 ぷしゅう、と光の剣が柄におさまりまして、改めてシーツにくるまって背中を向けた若旦那の告白が始まります。

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