犬系女子は名探偵?なのに俺だけ助手である。

椎鳴津雲

プロローグ

あの子が壊れた日


 それは俺がまだ六歳の話だった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。

 電灯の消された居間、泣きじゃくる母の背中、夜の十時を過ぎても眠りにつかない自分自身。外を見れば土砂降りの雨が続いていた。

 それはまるで、俺の父の死を悲しんでいるようにも見えた。

 父は優秀な探偵の助手だった。

 近所に住む名探偵・犬飼いぬかい純一郎じゅんいちろうと助手の琴鳥ことどり和ノ島どりかずのしまのコンビは巷じゃ有名だった。

 解いてきた事件は数知れず、警察が迷入りとした事件を解決に導いてきた。

 そんな二人が今朝、とある事件に巻き込まれて殺された。犯人はまが捕まってはいいない。

 当時の俺はまだ五歳だ。人間の死が何を意味しているかなんて分からなかった。


「ねぇ、ママ。パパはいつ帰ってくるの?」


 声をかけても母が返答してくれることはなかった。うずくまる彼女の前方へと回り込み、そっと腕の中を見る。すると、そこには父さんがよく着ていたオーバーオールが握られていた。なんでママはそれを抱きしめ、泣いているのだろうか。


「……パパはね……もう、帰って来ないのよ……ごめんね和斗かずと……ママ、頑張るから……」


 母さんはか細い声を振り絞るようにして答えた。

 謝られたり、頑張ると言ったり、俺には何に対しての言葉か分からなかった。

 彼女は突然、俺を強く、強く、強く抱きしめた。

 どう反応していいか分からなかった。

 考えていたその時――玄関のドアがひとりでに開いた。


「ママ……」 


 俺は直感的に死を覚悟した。きっと父さんを殺した犯人が来たんだ。

 でも、俺は違った。

 玄関先に立っていたのは雨に濡れ、ずぶ濡れとなった犬飼純一郎の娘、俺と同い年の幼馴染、犬飼いぬかい純名じゅんなだった。

 呆然と立ち尽くす彼女の後ろで、轟音と共に雷が眩く光った。


「――パパの死を見たの――」


 静かに、ハッキリと、表情を一つ変えることなく彼女はそう口にした。

 彼女はおそらく殺人鬼たちの魔の手から逃げてきたのだろう。


 後日、彼女の目撃情報が決め手となり、容疑者は特定された。

 犯人は猿川さるかわ夫婦だった。

 しかし、彼らの情報は少なく、警察は逮捕どころか、目的情報を得ることすらできなかった。

 犯人は今も逮捕されてはいない。不安の毎日が続く。

 純名の父は殺され、母は精神的に狂い、入院生活。

 それでも俺は、猿川夫婦と呼ばれる犯人よりも、病院で狂う純名の母よりも、純名本人の方が心配だった。

  

 なぜならあの日以来、純名がぶっ壊れたからだ。

 

 前みたいに優しく微笑む純名も、いつも俺の後ろに隠れて歩いていた純名も、楽しそうに毎日を過ごしていた純名も、バカみたいなお門違いな発言をする純名も、今の彼女には存在しない。彼女は変わってしまった。

 父の死を目の当たりにした彼女はもう、俺の知る純名ではなくなっていたのだ。

 純名は琴鳥家に引き取られ、僕の隣に部屋に居る。

 しかし、部屋に閉じこもってしまったまま、あの日から出てこない。


「純名、あーそーぼ」


 返事はない。きっと今日も彼女が部屋から出てくることはないだろう。


 ×   ×   ×


 彼女が出てきたのは三日後の朝のことだった。

 母はスクランブルエッグを作っており、純名はキッチンにあるテーブルへと座る。

 俺が「おはよう」と声をかけると、彼女は「わんっ」と答えた。


「ワン……?」


 その日から彼女は、当時飼っていた犬のマリモのような態度をとるようになった。

 数日後、犬のマリモは病気で死に、純名の母は病院で自殺したという。

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