泥沼で飛ぶ魚

とびうお

第1話

あやまって殺めてしまった。それが始まりだった。


時は戦国と言われ、いくさは珍しい話しじゃなかったが田舎の農村で殺人というのはやはり目立った、ケチな喧嘩で殴った相手の打ち所が悪かっただけだったのだが俺は村一番の大悪党ということになっちまった。


名は猿飛魚太、昔からのツレには飛び魚なんて呼ばれている。いつかは空を飛ぶ龍になるなんておだててくれる奴もいるんだが、生憎俺にそんな野望は無い。特別喧嘩が強い訳でも無いんだが人を殺めちまってからは周りから一目置かれちまって何と無くヤクザみたいになっちまった、酒場の用心棒が主な仕事だ、元々ヤクザなんてのがいない村だったから俺の力は絶大だ。まぁ楽してメシにありつけるってんで今の生活には満足してる。


ある時、酒場で飲んでいると珍しく見ない顔の奴等がいた、狭い村だったので若い奴等の顔は大体わかる筈なんだがなと思い、少し観察しながら子分共と酒を飲んでいるとその連中はとにかくデカイ声で喋り、態度も悪く、店の女にちょっかいを出していた。まぁ若い連中のバカ騒ぎだと気に留めずに飲んでいたら子分の猿松が連中に『うるせーぞ!』とふっかけた、こいつは気が短くていけねぇ、すると連中の中の1人が立ち上がって『文句あんのか!』と叫びこっちに向かってくる、俺は猿松をなだめては見るんだが猿松は完全にやる気だった。相手の若いのも今にも切りかかるといった感じである、相手が4人、こっちが6人といったとこで中々の騒ぎになってしまった、そのうえ酒場は混んでいて野次馬も多く、用心棒としては最早やらざるおえなくなっちまった


「店じゃダメだ、表にでろ。」


と俺が言うと若いのはツバを吐き、店を出る、そこを狙った、後ろから斬りつけるとそいつはもう動けなかった。これで3対6、だが向こうはもうびびっちまって、殺すだとか卑怯だとか叫ぶだけで斬りかかってこない。

そこでこれで終いにしないかと持ちかける


「俺はここらを仕切っている魚太って者だ、見逃がしてやるからこいつ連れて帰れ!」


すると連中は決まり文句のように『覚えてろよ!』なんていって震えながら斬られた奴を担いで逃げ帰る、そこを狙った、俺が右肩を担いでる奴を刺し、猿松が左の奴を刺した。すると猿松に刺された奴が刺された刀を握り猿松に蹴りを入れる、そのスキに無傷のもう1人の奴が猿松を斬りつける、俺と仲間はそいつに斬りかかるがそいつには当たらず走って逃げていった、俺は仲間に追いかけるよう指示をしたが逃げ足の速い奴でとうとう逃げられてしまった。

残った連中はもう誰1人ろくに動けない、猿松は左手を斬られてのたうちまわっている、さぞや痛かろう。野次馬の1人に猿松を医者に連れて行くように告げ、酒場の店員に斬られた奴等の後片付けを頼み、俺はアクビをして家に帰った。



  次の日、猿松は死んだ。死因はおそらく出血多量だろう、ケチな喧嘩で命を落とすなんて馬鹿な奴だ。とはいえ、子分が死んでしまったのだから弔わなくてはならない。めんどくさい、この上なくめんどくさい、そう思いながらも何と無く神妙な顔をして坊主を呼び、葬儀にとりかかる。まぁ俺は悲しそうに座っているだけなのだが、そもそも宗教が嫌いなもんで居心地が悪いったらありゃしない。なんとかこの場をやり過ごそうと静かにしていると猿松の母親が泣きながら話しかけてきた。


「あんな馬鹿息子の為にわざわざすいません」


ごもっともである。


「あんなのでも私にとっては可愛い1人息子だったんです、親分さんどうか仇をとってください、本当は心根の優しい子なんです、こんな若くして殺されるなんてあんまりではありませんか。」


猿松が仕掛けた喧嘩に仇も何もあるまいと思ったが泣きじゃくる母親を無下にもできず


「わかりました、必ず猿松の無念は晴らしましょう」


などと調子を合わせ嵐が去るのを待つ、しかし尚も母親は猿松の短気を棚に上げ、死んだ息子を褒め、時にはその時一緒にいたのに猿松を助けられなかった俺達を罵った。まぁ母親が子を思う気持ちもわからないでもないが、この猿松という男はお世辞にも褒められた男ではなかった、年は俺より下であったが悪評では完全に俺よりも上であり、機嫌が悪ければ誰彼構わず喧嘩を売り、スキがあろうものなら女を襲う、誰からも好かれるような男では無かったのである。だが俺はもっと酷い人殺しであるからか猿松からは随分と慕われた、自分より悪い奴が欲しかったのだろう、また俺も猿松が子分というのは都合がよかった、村の厄介者を飼い慣らしているってのはヤクザ稼業には何かと便利だったのだ。

思えば惜しい奴を亡くしてしまったのかもな、そういえば猿松は団子が好きだったな


「おい、誰か団子を買ってこい、町外れの熊野屋とかって団子屋だ、猿松が好きだった団子をあるだけ全部だ」


俺は子分に言いつけ、外に出た。持っていた葉っぱをキセルで吸って空へ煙りを吹きかけると、何とも思わなかった猿松の死も少し悲しいような気がしてくる。


しばらくすると団子を買いに行った子分がこちらへ走ってきた。随分と急いでいる様子である。『おう、早かったな、団子は買ってきたか?』と声をかけようとすると子分の後ろからガラの悪い連中がぞろぞろと歩いてきているのが見えた、仇討ちである、そりゃあそうであるコッチは3人殺している、猿松の仇などといった話しはおかしな話しで仇討ちを仕掛けてくるのであれば当然相手側なのだ。


「昨日ウチの連中を殺っちまったのはお前らか?!」


偉くゴツいやつが怒鳴りちらす、明らかにやばい状況である、こっちは組総出でも30、いや猿松を引いて29しかいないのに対して相手はゆうに倍はいるではないか、相当なことが無い限り勝ち目は無い。


「いや、何のことだかわからぬのだがどうかなさったのか?」


しらをきるしかなかった。


「この村にウチの若いのを殺した奴等がいるらしいんだが、本当にお前らじゃねえのか?」


「それは不幸でしたね、しかし自分らとは関係のない話です。どうかお引き取りください。こちらも葬儀の最中ですので」


などとゴツいのとやりとりをしていると部屋の奥にいた猿松の母親がでてこようとしているのが見えた。俺は慌ててゴツいのとのやりとりを子分のタカに任せ、母親を止めに入る


「あいつらが猿松を殺したのですか親分さん、仇を、仇をとってください」


声がでかい、泣いている。


「いやいや違いますよお母さん、旅の方達のようで、ここいらのことをちょいと教えているのですよ、お母さんは落ち着いて奥へ戻っていてください」


「いや親分さんきっとあいつらです、そんな気がしてならん、ならんのです、殺してくれないのなら私がやりますからどいて どいて、どいてよ!」


母親は錯乱して、大声で叫んでいる。俺は母親の口を抑え、奥へと追いやり出来るだけ静かに喉元を掻っ切った。

思いのほか静かに母親は死んでくれた、今の所誰にも気づかれていない、しかし、遺体は一体増え、俺の着物も血だらけである、このまま奴等と会えばたちまち異変に気づかれてしまうであろう。さぁどうしたものかと考えていたら外が騒ぎだした。怒鳴り声が鳴り響き、無数の足音がこちらに近づいてくる。俺は遺体を物陰に隠し、自らも身を潜めた。


最初に入ってきたのは先程のゴツイ奴だった、続いて俺の子分のタカが入ってきてゴツイ奴のツレが囲んでいる、最後に入ってきたのはやたら綺麗な女だった。女はキセルを吹かしながらタカに何か耳打ちをした。


「親分、出てきてください。こちらの方々が探してる悪党は見つかったそうで、もう出発なさるので最後に迷惑をかけた御礼を申し上げたいそうなのです」


おかしい、その悪党は俺だ。もしかして他の奴が捕まったか?そういえば村はずれに俺にそっくりな奴がいる、昨日は夜で真っ暗だったし、間違ってそいつが捕まっていてもおかしくない。どのみち何時迄も隠れてはおれまい、と仕方なく俺は姿を晒した。


「あら、随分と血だらけじゃないの?」


女が俺にいう


「ちっと派手に転んじまったもんでね」


次の瞬間、俺は本当に転んでた。

俺が転んだ一瞬後に俺の体も転がってった。薄れゆく意識の中で女狐とかいう女親分がいるっていう噂を思い出していた。



タカは叫んだ。悲鳴だった。

自分にとって絶対であったトビウオが首を切られ、陸にあげられた魚みたいにピクピクと跳ねていた。

『こいつが殺ったんだろ?』

女狐が部屋の隅にいた子分に聞くと、子分は素早く数回頷き、女狐は外へ出ていった。

それとほぼ同時に悲鳴と怒号が鳴り響き、暫くするとまた部屋に女狐が戻ってきた。


「あんた名前は?」

女狐が尋ねる


「タカです。」

「こいつは?」

「猿飛魚太、トビウオです」

「やっぱりこいつがそうかい、噂には聞いてたけど噂ほどたいした男じゃあなかったね。それに比べてあんた、タカって言ったっけ?あんたはいい男だねぇ、どうだい?ウチに仕えるなら助けてやるよ。」


女狐がタカにそういうとタカは震えながら土下座をし、お願いしますと声を漏らした。


「あんた今日からトビウオを名乗るんだよ」


女狐はそう言い残し外に出て行った。


トビウオは暫く放心状態になってしまい土下座をしたまま動けずにいた。半刻ほどたったあたりでゴツイのに担がれて外にでると、かつての仲間達の死体が道の隅に並べられていた。大方の予想はできていたということもあり、もう何も感じなかった。少し離れた所で怒鳴り声が聞こえ、俺はそこに連れていかれた。そこには生き残った数名の仲間が女狐一派に何か言われている、恐らくは俺と同じような事を言われているのだろう、俺達はこの先どうなってしまうのだろうか?あまり本気で考えないようにしながらボンヤリと仲間達の亡き骸を眺めていると女狐が来て俺達に言った。


「お前達には今日からアタシの下についてもらうよ。忠誠を誓うようであれば悪いようにはしない、とりあえずアタシらの村に戻るから、おとなしくついて来な。」


俺達は女狐の言葉どおりついて歩いた、道すがら生き残った仲間らを確認すると俺を合わせ4人、僅か4人ばかりであった。皆、顔のいい男ばかりが残されている気がする、改めて女狐一派を見回してみるとゴツいのもいるにはいるが顔のいい男が多いように思えた。



女狐の村に着くとアジトらしき屋敷に連れて行かれた。そこは所謂遊郭で、俺たち生き残りの四人はでかい宴会場のような広間に通されて真ん中に立たされた、そこを女狐一派が囲み女狐が俺たちの真ん前に立って話し始めた


「お前らはアタシの下につくってことでいいね?」

「はい」

「そうかい、じゃあ歓迎の儀式を始めるからね、トビウオから前にでな」


言われたとおりに前に出ると女狐に服を脱がされた。女狐はキセルを片手に俺の体を触りはじめ、一通り全身を撫でるように手を這わせると、その手を俺の下腹部へと滑らせる


「あら、随分と活きがいいねぇ」


そう言うと嬉しそうに笑みを浮かべソレを握り、激しくその手を動かし、もう片方の手でキセルを吸った。それはこの世のものとは思えない程の快楽であった。俺はすぐに果ててしまったが女狐はその手を止めず、何度となく射精させられた。この儀式が終わる頃には身も心も女狐に完全に囚われてしまっていた。


  俺の番が終わると他の新人は近くにいる順に儀式がおこなわれ、皆、女狐に骨抜きにされてしまった。ついさっきまで恐怖と怨恨の対象でしかなかった女狐が今では完全にご主人様である、それはまるで狐に化かされてしまったようであった。


こうして新人歓迎の儀式が終わると一派の男達は各々別々の部屋で宴を始め遊女と戯れ始める。部屋に残ったのは女狐と俺達新人、それと女狐の護衛らしき奴が数名


「お前等今日は色々あって疲れただろう、部屋にいって休んでな、ほら新人共を部屋に案内してやんな」


「はい、女狐様。おうお前等、じゃあ部屋行くからついて来い」


痩せ型で背の高い護衛の男に案内され部屋に通された。そこは新人の俺たちに与えられるには綺麗で立派な部屋であったが4人で使うと思うと少し狭いのかもしれない


「おい新人共、俺はお前等のお目付役の麒麟ってもんだ。ここじゃお前等の兄貴分にあたる、まぁ時間はかかると思うが過去は洗い流して仲良くやろうぜ、せっかく生き残ったんだからよ」


麒麟と名乗った男は俺たちに酒をそそいで配ってくれた。酷くせっかちな男のようで、少しでも酒が減るとすぐに注ぎ足してくれ、自らもよく呑んだ。もしかしてこの麒麟って男もこの部屋を使うのだろうか?贅沢を言える立場では無いが5人で使うには狭すぎる。足を伸ばして寝れないではないか、まぁ本来ならば奴隷や捕虜といった立場なのだから仕方のないことではあるのだが


「麒麟様もこの部屋で寝泊まりするのですか?」


「ああ、そうなるな、狭いところだが少しの間だけ我慢してくれ。ウチの組では手柄を挙げればすぐに出世できる、そうすれば広い部屋も与えられるからよ、基本的にウチは外の組から連れてきた奴等だけで構成されてるから結果が全ての実力社会だ。外と違っててめぇの腕次第で何だって手に入る、仲間殺されて連れて来られた奴等に言うのもなんだがそんなに悪い所じゃないさ。元々遊郭だから女にも困らんしな」


麒麟は荒々しく腕をまくり酒を呑む、いい呑みっぷりだ


「手柄ったってシノギは一体何をすればいいんで?」


子分のトンビが興奮気味に麒麟に訊ねる。今日の今日あれだけの仕打ちを受けたってのにその顔は希望に満ちていて、なんとなく馬鹿らしくてこっちの緊張も緩む


「基本的にはここいらの遊郭街の用心棒だ、後は外の組からの略奪、アヘンなんかを扱ってる奴等もいるな。それと組ごと戦に呼ばれることもよくある、そこで手柄を立てるのが一番の近道だろうな。なんたって俺達はこの国公認のヤクザだからな」


「公認?そんな馬鹿な、それは一体どういうこっで?」


「女狐様とウチの殿様ができてるんだよ。ウチの殿様は大うつけで有名だからな、城を抜け出して遊郭に通ってるうちにのめり込んじまったんだとよ。ウチの組にゴツいのが何人かいるだろ、あいつらは元々はお侍だったって話しだ、女狐様にかたいれして殿がよこしたんだろう、全くたいした大うつけだよ、まぁ女狐様にはまっちまう気持ちは痛い程わかるけどよ」


そう言って麒麟はまた酒を飲んだ


「いい女ですもんねぇ、あっしはあんないい女他じゃ見たこともありませんよ、そのうえ床上手ときたもんだ、男なら誰でもはまっちまいまさぁ」


「最後までさせてもらった奴はいないっつう話しだがな。まぁ何にせよ俺たちにゃ高嶺の花よ、少しでも近づくためにも手柄ぁ立てねぇとな、お前等には期待してるぜ、なんたってカラスの奴を殺した奴等なんだもんな。あぁ、そうだ、そういやぁトビウオってのはどいつなんだ?」


カラス?先代が飲み屋で揉めて殺っちまったあいつらの誰かか?


「あ、俺です。先代は女狐様に殺られ、今は俺がトビウオと名乗ることになりまして」

「ふ〜ん、お前がねぇ」


麒麟は俺の顔を覗きこみ、目を細める。


「なるほど、いいツラしてやがる。どういう訳か女狐様はいつも気に入った野郎がいるとそいつの元親分の名をそいつに付けちまうんだが、丁度みんなお前みたいなツラしてるよ、好みなんだか知らねぇがよ。他の奴はよっぽど出世しねぇ限り名前なんて呼んで貰えねぇんだからお前は特別、お気に入りって訳だ。」


そうだったのか、、、訳もわからずトビウオを名乗ることになってしまったことには少なからず困惑していたのだが、もしかしたら良いことだったのかもな。


「良かったな、お気に入りは口でもしてもらえることがあるらしいぞ、そん時はどうだったかちゃんと報告しろよな、さっきみてぇに情けねぇ声ばっかださねぇように気をつけろよ」


麒麟が見下したような顔で笑いながら俺に言うと他の仲間達も卑しい目で俺をみつめ嘲笑する、その話しぶりには明らかに嫉妬心が宿っていた。俺は恥ずかしい素振りで苦笑いをするしかできなかったが、どこか勝ち誇った気持ちで今に見てろよと、そう思った。

その後も引き続き麒麟等と話していると女狐が部屋にやってきた。


「随分盛り上がってるじゃない、もう打ち解けるたぁアンタもやるじゃないか」


麒麟は驚いた様子で姿勢を正した。


「はっ、酒の力でございますよ。まぁこいつらともたまたまウマがあったのかも知れませんが、それよりどうなされました?俺なんかの所に来て頂けるなどとは随分と珍しいじゃありませんか」


ちっ、俺達と話す時とは全然態度が違いやがる


「いやなに、そこのトビウオを少し借りてこうかと思ってね。急な話しで悪いんだが、ちと出かけるから付いてきておくれ」


「はい、わかりました。」


そう言われ女狐と部屋を出る、背中には麒麟や仲間達の視線が刺さるのがヒシヒシと感じ取れた。


「やっとひと休みできるってとこだったろうに悪かったね、あんたにどうしても会いたいって人がいてね。」


「いえ、そんな滅相もない、自分は体力だけには自信がありますんで。そんなことより、先程はその、ありがとうございました。」


「ありがとう?何だい、あんた自分とこの親分を殺したかったのかい?たまにいるんだよ、あんたみたいなの。救ってくれてありがとうってんだろ、こっちはその気は全くないってのにさ。まぁ憎まれるよりか随分楽だがね、どのみちアタシの為に尽くしてくれるならそれに越したことはないよ。」


「いえ、あの、その話しではなく、儀式の…、あの何というか、とにかく、その、ありがとうございましたと」


女狐はとても満足そうに笑みを浮かべた、その顔は人をばかした狐、まさにそういった風であった。


「何、その話しかい、可愛い子だねぇ。野郎を手なずけるには手っ取り早いとは思ってたけど最初っからそんなこと言う奴はいなかったよ。あんな事ならまたやったげるからね、あんたがアタシを喜ばしたらね。」


そういって女狐はキセルで俺のを撫でた、俺のは少しだけ脈をうち、飛び跳ねた。俺は先代のトビウオに憧れヤクザになった、あの人が全てだった、親父や兄貴すら目じゃない、絶対的な存在だった、その筈なのに、もう既に仇の筈の女狐に完全に惚れてしまった。己の軽薄さに嫌気を覚えながらもその女の圧倒的な魅力に虜にされてしまっていた。


「あんた、出る前にとりあえずこれを被っとくれ。いいと言われるまで外すんじゃないよ。」


女狐は虚無僧が被る笠のようなものを俺に投げた。俺は言われるがままにそれを被ると女狐と共に屋敷をでた。


屋敷をでると女狐の側近と思われるゴツイのが数名と俺の知らない他のゴツイの数名とが話しをしている。

何やら和やかな雰囲気である。


「おう女狐、相変わらずべっぴんじゃのう、元気しておったか。商いの方は上手くいっておるか?」


白髪が混じった一際ゴツイ男が明るく女狐に話しかける。年は50くらいであろうか。


「はい、お陰様で上手くいっております。お暇でしたら鯨様も今度遊びにいらして下さいな」


「そうかそうか、毎日でも遊びに行きたいところなのじゃが、なかなか暇が作れなくての、溜まる一方じゃわい。がはははは」

随分と豪快に笑う男だな


「それで?こいつがそうなんだな?では早速じゃが向かうとするかの、あまり待たせる訳にもいかんからの」


  鯨様と呼ばれた男がそう言うと皆どこかへ歩きだす。和やかだった雰囲気は消え、何かに警戒してるような張り詰めた空気が広がっていく。まるで俺を護送しているかのようで何となく怖くなった。誰も何も話さないまま半刻程歩くと老舗といった装いの大きな茶屋に着いた。鯨様が店の女将と思われる女と何やら話すと店の奥の部屋へと通され、俺と女狐だけを残し皆外へと出ていってしまった。


  少しすると何の変哲もない目元に穴を開けただけの木の面をつけた男が二人入ってきた、すると女狐が深々と頭を下げたので俺も其れを真似し、頭を下げた。


「トビウオ、被ってるもんとりな。そしたらその方たちにあんたの顔をよおく見せるんだ、いいね」


俺は言われたとおり笠を外した。面の男達が俺を覗き込む。


「おぉ、これはこれは素晴らしいではないか、合格じゃ、まるで生き写しのようであるぞ」


「おいジジィよく見ろよ、悪かないのはわかるがもうちっと男前の方がいいんじゃないか?」


「いやいや、これは見事でございますよ。遠くからでは儂とて見間違うてしまうのでは、という程でございますよ。」


「そうかぁ、ジジィが歳とっただけじゃないのか?まぁいい、ジジィがそう言うならそうなんだろ。そいつでいいとするか。おい、女狐、喜べ合格だ。」


面の男達が好き勝手喋っている、随分と偉そうだが一体何者なのだろう


「ありがとうございます。アタシから見ましてもそっくりでございますよ。それでは、此奴はこれからどうすれば宜しいんで?」

女狐も偉くかしこまっている。


「そうだな、まぁ隠し刀といったところだからな。引き続きお前の屋敷で面倒みてやってくれんか?絶対に怪我などはさせぬよう気をつけるんだぞ、あとくれぐれも他の者には気付かれぬようにな」


「怪我。怪我といえばお顔の傷は?」

「傷?あぁ傷か」


そう言うと、特に態度の大きい方の面の男がその面を外した。その顔の右眼の下には大きな刀傷があったが、それを除くとその顔はあまりにも俺とそっくりで俺はとても驚いた


「殿、その面は外してはなりませぬぞ」


殿?殿なのか!そんな馬鹿な!俺はさらに驚き、愕然とし、ついには動けなくなり固まってしまった


「なに、どのみち此奴にはいずれ話さねばなるまい。それよりジジィお前こそ、何を口走っているんだ」


殿?が面の男を見つめながら言う。言葉使いこそ綺麗なものでは無かったがその話しぶりはとても静かなものであった、しかし、その瞬間ジジィと呼ばれる男から尋常じゃない焦りが感じとれた、一瞬止まったように間が空くと、ジジィは土下座をして許しをこう、心底怯えているのだろう、声も体も震えが止まらない


「申し訳ございませぬ、申し訳ございませぬ」


「まぁいいよ、どのみち此奴には全て話さなきゃならないんだ。それよりあまり狼狽えるな、いいな」


「はい、わかりました。」


面の男とのやりとりが終わると殿は俺の方に体を向け、頭を掻きながら少し不機嫌そうに話し始めた


「改めての挨拶といこうか、俺が噂の大うつけだ。もうわかるよな?」


「はい、殿、殿様なのですか本当に?」

俺はまだ半信半疑であった。


「本当?そう言われると少し語弊がある気もするが、まぁその話はおいおいするか、今のこの国の殿は俺だ。そこは信じてくれていいぞ」


やはり殿なのか、だとしたら何だ?ケチな田舎ヤクザに何のようがある?


「実は近いうちにでかい戦を仕掛けようと思っている、相手は荒鷲、最近隣国を次々と打ち破っている暴君だ、真っ向勝負だと分が悪い、そこでだ、影武者を立てて奇襲にでようと考えた。その影がお前ってわけだ」


「影?俺がですか?そういうのは普通お城で子飼いにして立ち振る舞いなんかも似せるよう教育するもんじゃないんですか?俺なんぞに務まる自信なんて無いですよ」


「何、お前は言われた通りにやればいい、それに俺の方がお主等の素行に合わせている天下の大うつけだ、大概の事は誰も気にも留めんよ。それに城の中ではどうやったって影の存在が漏れるであろう、できるだけ仲間の中でも知っている者の数は減らしたいんでな。」


まさか俺が影武者とはな、そんな危険な役はっきりいって気のりしないが殿の命令に背く訳にもいくまい


「そうですか、わかりました。他ならぬ殿の命令とあれば断れませぬ、このトビウオ、殿の影となりましょう。」


殿はにやりと笑みを浮かべた、その顔はなんとなく嫌な感じがした、俺たちと同じ品の無いヤクザの匂いがした。


「龍だ。俺は龍で通ってる、そこまで言えば隣り村の奴ならわかるよな、それが俺の正体だ。」


「そこまで話すなんて聞いてないよ、あんた何のつもりだい?必要の無いことまで話すんじゃないよ」


女狐が凄い剣幕で割って入ってきて、部屋の空気が凍る。


「なーに、影はこいつで決まりなんだ、全て話すのが筋だろうよ。それにコイツは俺によく似てる、何でも話したくなっちまうってもんだよ」


そう言って豪快に龍が笑う。女狐はまだ暫く龍を睨んでいたが、そのうち呆れたのか、そっぽ向いてキセルをふかし始めた。


「俺とお前と一緒でな、本物の殿様も俺に似てたんだよ。で、取って代わったってわけさ」


展開が急すぎてついていけない、目の前の男が殿だったということが既に現実離れしてるってのに、その上偽物だと?どうなってるんだよ一体


「どうやって?何があったって言うんです?」


龍が得意そうに笑みを浮かべる


「本物の大うつけは元々女狐の上客でな、城を抜けては女狐を抱きに来てた、いかにもな馬鹿殿でいけすかねぇ奴だったよ。俺はそこの用心棒をしていたんだが殿とは歳も近かったんでよく話し相手をさせられててな、そこで殿の連れで来てたこのジジイと会うんだが、ジジイが俺のことを殿とそっくりだ、そっくりだ、って会う度にしつこく言うもんだから俺と殿がすり替わってもわからないんじゃないかって冗談で言ったわけよ、そしたらジジイが本気にしちまってな、なんたって生粋の大うつけだ、下からも嫌われまくってんだよ。で、女狐に話して女狐と殿が寝てるとこを襲って殺しちまって俺が殿としてすり替わったってわけだ。どうだ、理解したか?」


龍は興奮してやたら嬉しそうに話す、中々言える相手もいない話しだ、さぞ誰かに自慢したかったのだろう


「そんなに上手くいくもんなんですか?いくらそっくりだからって近しい者には気づかれちまうんじゃ?」


「とにかく嫌われてたうえに兄弟も父親もいなくてな、母親1人くらい殺したって事故と言っちまえば誰も何も言わねぇ。それに俺の方が前の馬鹿殿よりは殿としていいらしくな、何と無く違和感感じてる奴も居るのかも知れんが皆黙ってついてきてくれるってわけ。実際、政務やってんのは馬鹿殿の頃からジジイだしな。おかげで路地裏のチンピラが一国の主、凄ぇだろ、天に選ばれたとしか思えないぜ」


龍は無邪気に語り続けた、俺はそれを素直に羨み、興味津々で聞いた、まるで絵に描いたような戦国の世の夢物語は他人事とはいえ胸が熱くなる。一方ジジイと女狐は何度となく聞かされているのか呆れきった様子でただずっとキセルを吹かしていた。


  龍、そういった名のヤクザがいるって話しは噂で聞いたことがある、ガキ同士でつるんで、それを率いてた奴が確かその名だ。冷酷で手段を選ばない奴が隣り町で幅きかせてるから気をつけろって話しを先代から聞いた覚えがあるが数年前に突然いなくなったってんで野垂れ死んだんだろうと思っていたが、まさかこんなことになってるとはな、世の中わからねぇもんだ。 


「で、本題の荒鷲を殺るって話しだが…、お前馬は得意か?」


「それなりに乗ることはできますが、あまり早く翔けたりはできませぬゆえ、戰場でお役に立てるかどうか」


「ちったぁ乗れるってことだな?少しでも乗れるってんなら大丈夫だ、お前は適当に偉そうにしててくれりゃこっちで勝手に利用するからよ。それはそうと後はあれだな、あんま騒ぐなよ」


龍は俺の横にきて女狐になにやら目配せをした。すると右頬に激痛がはしった、女狐に抉られたのだ。俺はあまりの痛みにのたうちまわる、すかさず龍が俺に馬乗りになって口を抑える


「騒ぐなつってんだろ、影でもあんまうるせえようだと次は首斬るぞ。」


龍はニタニタと笑みを浮かべ、俺に静かに言う。その顔には良心など欠片もなく、気が触れた殺人鬼にしか見えなかった。それがあまりにおぞましく恐ろしかったので俺は血の気が引いて結果的に痛みを堪え静かにすることができた


「おっし、いいだろう。そんじゃ今日はもう帰って傷を良く冷やしとけ、傷がある程度治ってこねぇとばれちまうからな。荒鷲との戦の話しはそれからだ。」


俺は布で顔をぐるぐる巻きにされ笠を被された。



  あれから数ヶ月が経つ。右頬の痛みは消え、傷は龍の顔と同じように残った。龍からの連絡はまだない。俺は女狐一派の屋敷に戻り、一派と生活を共にしていた。俺は麒麟ではなく、女狐の部屋で寝泊まりをして、飯や衣服も他の奴等とは違う特別扱いを受けていた。今日の飯は俺の好きな猪鍋だった、猪の出汁がよくでていてうまい、具材は大根などの野菜をふんだんに使い、大きめに切ってあるため素材の味もしっかりしていて、これまた美味だ。俺は女狐のお気に入りとして皆に認識され、皆俺にはよくしてくれる。女狐は気が向くと手でしてくれるし、ここでの生活は最高だ、唯一の不満は女狐がその先をさせてくれないということくらいである。ずっとここで暮らしていきたい、いつしかそんな事すら思うようになっていった。


  まだ秋だってのにとても寒い朝だった。季節外れに降り続く雪の中に鯨様がいた。肩で大きく息をして体からは湯気がたち、ひどく急いで来たのが伺え知れる。女狐が表へ出て何か話し、血相を変え戻ってくる。俺はそれを見て腹を括る。女狐が用意をしろと俺に言った。特に無いと答えると笠を被され屋敷を出た、鯨様は相変わらず豪快に笑い、俺を迎えてくれた。


  龍のいる城に向かう途中、どこからともなく汚い老婆が現れ鯨様に話しかけた。恐らくは物乞いであろう、鯨様は老婆と一言二言交わすと大金を渡し、歩を進めた。すると老婆は鯨様にろくに礼も言わず何処かへ走り去ってしまった。


 「いいんですか?あんな物乞いに」

俺が聞くと鯨様が答える。


「いいんじゃよ、儂が持ってても金なんて使わないんじゃ、殿のおかげで儂等は大抵の物はただで手に入るのでな、あんな婆さんでも民が喜んでくれるならそれでいいんじゃ。がははは」

鯨様はまた豪快に笑った。


  城に着くと龍のいる部屋へと通された。龍の城は特別どでかい城という訳ではなかったが庶民の俺には恐れ多くてとてもじゃないが落ち着かない


「おう、来たか。まぁ座れよ」


龍は俺と女狐を座らせると、家来を全て部屋からだした。そして俺から笠を外すと俺の顔をよーく見て笑みをこぼす。


「いい顔になったじゃねぇか、その傷なら俺に見えなくもないな。」


俺は苦笑いを浮かべて視線をずらした。龍の顔を見てると飲み込まれてしまいそうで怖かったからだ。


「鯨から聞いてるとは思うが、ついに荒鷲と一戦交える。しいてはお前には影として動いてもらう、いいか?」


「はい、勤めさせていただきます。」


はっきりいって龍のことは好きにはなれなかったが偽物とはいえ殿の命令を断れるはずもなかった。女狐の為ならともかく龍の為に命など賭けたくない、それが本音であったのだが


「そうか、やってくれるか。では早速だが入れ替わるぞ、服を脱げトビウオ」

龍がそそくさと服を脱ぎ始める。


「はっ、今すぐでございますか?拙者、何の準備もしておりませんが」

あまりに急だったもので俺は気が動転した


「別に準備なんて何もねぇだろ。もしかしたら荒鷲がこっちの動きに気づいて俺を殺しに来るかもしれねぇんだぞ、ほら脱げ」


龍にそう言われてしまえば従うしかない、俺はいまいち状況も把握できないまま偽物の殿様になった。そういえば先代のトビウオをいずれ龍になるんじゃないかなんて言ってよく煽てたっけな、まさか俺がトビウオになって今度は龍になるなんておかしなこともあるもんだ。


「どうだ女狐、トビウオは俺に見えるか?」


「いいんじゃないかい。よぉく見ないとアタシにもわからない程だよ、あんた達イチモツまでそっくりだしね。」


女狐が少し意地悪そうに言うと龍がニタァと笑い、言葉を返す


「そうか、そこもそっくりか。じゃあお前のも普段は皮被っとるってわけだな。くくっ、小さい者同士だ、仲良くしようぜ。どうだ、女狐は良かったかトビウオ」


  「あ、いえ御手は拝借させてもらいましたが自分は手は出しておりませぬので」


「手で出してもらっただけってことか、ははっ、昔からこいつは勿体ぶるのが上手いからな。まぁ手ぇ出してたら殺しちまうけどな。」


龍は笑いながらそう言った、だが眼は笑っていない、今日はなんだか上機嫌なようだがどこまでが冗談なんだか全く油断はできない。


「まぁ、馬鹿話はこれくらいにして本題に入るか。前にも言ったが戦力では荒鷲が上、真っ向勝負じゃ歯が立たない。そこでお前に囮になってもらう、お前は鯨やこないだのジジィ等と共に城の本隊と正面から荒鷲と戦え、お前の姿が確認できれば荒鷲も本気でくるだろう、まぁ絶対にかなわないだろうから時間を稼ぐだけのつもりでいい。その隙に俺と女狐がヤクザ達と後ろから荒鷲を挟み撃ちにする。女狐のおかげで今や傘下のヤクザ達の数も城の本隊に引けを取らない。まさか俺がヤクザを手なずけてるとは他国の連中は知らねぇはずだ、周りからは弱国に見えているウチが攻めてくるとも思ってないはずだろう、予想外の数で奇襲をかければ荒鷲の首も穫れる、これが俺の策だ。」


戦の策を話す龍の眼がだんだんと鋭さを増していく、徐々に狂気を含んでいくさまは恐ろしいがどこか魅力的で惹きつけられてしまう。


「近日中には荒鷲が他国との戦に向けてこの辺りの山道を通るであろうと聞いている。俺達が動くのもその時になる、それまではお前は俺として過ごせ、俺もお前として過ごすからよ。ジジィや鯨、その周りの連中にだけはこの策を伝えてあるからお前は支持を待ってその通りに動けばいい。」


「はい、わかりました。」


俺が答えると、龍は首を捻り頭を掻き少し困った様子で俺に言った。


「お前ヤクザだろ?仮にも俺を演じるんだろ?もっと偉そうにしろ!今日は酒でも飲んで女でも抱けばいい、言っといてやるから好きにしろ!いいか?もっと俺らしく傲慢に振る舞うんだ!真面目なんてクソだ!礼儀なんてクソ喰らえだ!お前は数日間殿なんだ、やりたい放題やれ、いいな!」


さっきまでの上機嫌が嘘のように怒鳴る龍であったが、俺はそれでも静かに頷くことしかできず、それがまた龍の機嫌をそこねてしまったようで龍に平手で横っ面を叩かれた。


「まぁいいじゃないかアンタ、この子もなんだかんだで上手くやるよ。じゃなきゃこの戦国の世でヤクザなんてな務まらない、案外こういうのが悪い奴なんだからさ。」


女狐が龍をなだめる、右手でキセルを吸って左手で龍の股間をさする、するとゆっくりと龍の機嫌もなおっていったのか、俺のことなどどうでもよくなったのか、振り上げた利き手を下げてくれた。


「なぁ、龍。あんたこそヤクザだと思ってあんまり偉そうな態度だと下のもんにばれちまうよ、トビウオは優しい男だったからねアンタも見習って優しくしておくれよ」


女狐が左手の動きを早くすると『あぁ』とだけ龍は素っ気なく返して黙りこくった。もう、話しなどどうでもいい、そういった感じであった。


女狐が帰り際に俺に耳打ちをした


「あんた、いい男だったよ。達者にやるんだよ。」


俺は作り笑いで会釈して2人を見送った。いったいあの2人はどういった関係なのだろうか、恋仲なのか?ただの仲間か?いずれにせよ古い仲といった風であったな、なんだか女狐を取られてしまったみたいで、孤独感に囲まれた。俺はそこから逃げるように女を部屋に呼んだ。


「龍様、お久しぶりでございます。ミケでごさいます。」


女は部屋の前で挨拶をし、部屋に入るなり深々とお辞儀をした。童顔の垂れ目で素朴だがなかなかの美人である


「いいよ、いい、形式はいいから早く近くに寄ってくれないか?」


俺は早く人肌に触れたくてミケと名乗った娘に懇願した、すると娘はひどく驚いたようであったが、すぐに側に来て寄り添ってくれた。ミケの肌は適度にハリがあって心地よく、触ってるだけで寂しさを紛れさせてくれた。


「龍様、何か嫌なことでもおありですか?」


ミケが甘えるような猫撫で声で俺に尋ねた、絶対に俺の気を損ねないように気を使っている様がヒシヒシと伝わってくる、俺は少し間をあけてミケに答える


「何でもない、お前はただそこにいてくれ。」


ミケはまた少し驚いたような素振りをみせたが、俺の顔をじっと見つめるとそっと頷いて抱き寄せてくれた。


「龍様、今日は優しいのですね。こうして寄り添うてくれるなんてとても嬉しくございます。」


ミケがそう言った、そう言ったミケは言葉とは裏腹に少し寂しそうにみえた。もしかしたらミケという娘は気づいたのかも知れない、龍が別人である事に。だとしたらこの娘は危険だ、いざという時の弱味になりうる、龍ならどうする?多分容赦なく切り捨てるだろう、俺にはできない、例えそれが命の危機に繋がろうとも、臆病者の俺には自ら罪を背負いこむ真似などとてもできなかった。




「おい女狐、トビウオのことを知ってる奴はどれだけいる?」


「うちは新人が入ったらお披露目するからね、全員トビウオのことなら知ってるよ」


「全員、そうか全員か。あいつが特別仲良くしていた者はいるのか?」


女狐はキセルを吸いながら首を横に振る。


「あいつは入ってすぐ影になることが決まったからね、それからはアタシの部屋で二人きりさ。嫉妬するかい?」


龍はキセルを吸って不機嫌そうに返した。


「しねぇよ今更、じゃあトビウオと一緒にこの組に入った奴はいるのか?」


「うん、やけに気にするのね。それなら何人かいるよ、そいつらは仕事ぶりがいいんで最近じゃうちの出世頭だよ。」


「出世頭ねぇ、まぁいい、屋敷に戻ったらそいつらを呼んでこい、話しがしたい。」


女狐はあからさまに面倒くさいといった仕草をしてみせたが、だからといって龍が1度言い出したことを曲げる訳がないことも知っていた。すっかり暗くなったってのに、いまだ降り続く雪の中、震えながら屋敷に着くと暖まる間も無く仕方なしにトビウオが元居た麒麟一派の部屋へと向かった、麒麟一派は今では4番目にでかい部屋に住んでいる、立て続けに遊郭での喧嘩などをおさめた為である。


「麒麟、ちょっと邪魔するよ。」


「あ、姉さん、今ちょうど姉さんの話しをしてたとこでして」


「アタシの話し?何が不満なんだい、謀反でも起こそうってのかい?」


元トビウオ組の子分で現麒麟一派のトンビが女狐に軽口をたたくと少し急いだ様子で奥から出てきた麒麟が口を開く


「いえ、謀反だなんて滅相もない。女狐様はいい女だなって、高嶺の花だなって、皆で崇めて話しをしてたんすよ」


「そうかい、そりゃいい心構えだね。その気持ちが続けば高嶺の花にも手が届くかも知れないよ。」


女狐はそう言ってキセルで麒麟の股間をさすった


「それはそうとあんたらちょっと今からアタシの部屋に来ておくれよ」


「女狐様の部屋に?いいんですか?こんなむさい野郎共が?」


「ふふっ、あんたらのことむさいだなんて思ってたらこんな暮らしできないよ。まぁ今回はアタシじゃなくトビウオがあんたらに会いたがってるんだけどね。」


そういった瞬間、一瞬だけ麒麟の表情が曇った気がした


「トビウオが?そりゃあ随分久しぶりだな。」


「まぁ、麒麟にじゃなくて元の同胞達に会いたいんだろうけどせっかくだから麒麟も一緒においで」


「そうですか、じゃあそうさせてもらいます。」


どうも麒麟は気がのらないようであった。


女狐の部屋に戻ると龍扮するトビウオが刀片手にキセルを吸って外の雪を見ていた


「お、いらっしゃい、ちっと遅ぇがまぁ許すとしよう。」


龍が声をかけるとトビウオの元の子分のトンビが嬉しそうに声を返す。


「タカ、いやトビウオの兄貴、元気でしたかい?なんだか顔を怪我されたとか?その後どうですか?」


龍はにやりと笑った


「ん?顔の傷か?まぁ、傷はこの通り残っちまったが痛みはもうないし、もう大丈夫だ。そっちはどうだ?聞いてるぞ、随分出世したみたいじゃねぇか?」


「へぇ、まぁ麒麟の兄貴のおかげですわ、兄貴は腕がたちますし立て続けのゴタゴタに居合わせるってぇ運も持ってるんで」


「そうかそうか、そいつはいい兄貴の下につけてよかったな。で、その麒麟ってのは?」


そう言って龍は一人一人の顔をよく見回した。


「おいおい、仮にもお前の兄貴分だぞ、顔ぐれぇ忘れねぇでくれよ」


麒麟が後ろからニョキッと顔を出した


「お前が麒麟か、そりゃあ悪かったな、長いこと会ってなかったからよ。腕が立つってのは本当なのか?」


「まぁ、腕には自信がある方かもな。しかしお前こんな奴だったか?随分偉そうになったもんだ」


麒麟が龍を睨みつけ龍に詰め寄る、その瞬間、麒麟の太ももには短刀が突き刺さっていた


「うわぁぁぁぁ、痛ぇぇ、何しやがんだテメェ!!」

麒麟は叫びのたうちまわる、龍はその麒麟にさらに追い討ちをかけ、殴る蹴る


「偉そうじゃなくて偉いんだよ、いいか?お前が俺の兄貴分だったのは昔の話しで今は俺がお前の親分だ」


「ふっざけんなよ、俺の親分は女狐様だろうが?!いつからお前が親分になったんだよ」


「今だよ今、なぁ女狐いいよな?」


「ちっ、あんたまたやりすぎなんだよ、何も刺すこたないだろうに」


「おいおい女狐お前まで逆らうのかよ、お前こそ随分偉くなったな?」


龍が刀を女狐に向けると女狐の周りを麒麟一派が守るように囲う


「アタシは別にそんなつもりじゃ、ちっ、好きにしなよ。」


「め、女狐様!!」


「はっはっはっ、聞いたか?俺がお前らの親分だ、今日からは女狐一派ではなくてトビウオ一派だ、いいな?おい、麒麟いいのかって聞いてんだよ?」


「・・・はい。」


「くっくっくっ、やっぱりヤクザはいいねぇ、手っ取り早くって。」


龍はとても満足そうに笑い、またキセルを吸い始めた。


「おい、お前らもう行っていいぞ。その麒麟って奴も早く片付けちまってくれ。」


部屋の中は重苦しい空気が流れていたが龍はまるで何事もなかったかのように平然と振る舞っている、それどころかどこか上機嫌に見え、ルンルンと鼻歌まで聞こえてきそうだ。麒麟一派が悔しさを噛み殺し部屋へ戻って行くと女狐が不機嫌に龍に話しかける


「あんた、いくらなんでもあれは無かったんじゃないかい?麒麟の奴、あんな風にしちゃってさ!それにトビウオは優しい男だって言ってあった筈だよ」


「くっくっくっ、いいんだよ最悪ばれちまっても言い出せなけりゃ同じことなんだからよ。それにあいつらとしても確信はない筈、見た目に関しちゃ何も言ってなかっただろ。だったら力でわからせちまうのが1番なんだよ」


「ハァ〜、全く根っからのヤクザだねあんたって奴は。女狐一派は目立った仲違いもなく居心地良かったってのにさ」


「うんなもん上っ面だろ、結局組織なんてもんは競争なんだからよ」


「そんなもんかねぇ、ま、どうせ何言っても一緒だろうし好きにしなよ、何でそんなに争いたがるんだか、これだから男ってのは嫌だよ」


女狐は心底嫌そうな表情を浮かべ外を眺めた。ここいらじゃ珍しく積もった雪のせいで町には人影が無く、寂しくも綺麗で、思わず見入ってしまう。

龍はそんな女狐を強引に抱き寄せ唇を重ねた


「い、いやだよ、あんたこんなやり方」


女狐は抵抗してみせたが本気ではなかった


「今更上品ぶんなくってもいいだろ、俺もお前も外道なんだからよ。でもな女狐感謝してるぜ、ありがとうな」


「何訳わかんないこと言ってるんだい?あんたらしくもない。」


「いや本気なんだ、女1人で仕切ってくのは大変だったろう、俺は城で踏ん反りがえってただけなのに他の男に目もくれず待っていてくれて本当に感謝してる、女狐、ずっとお前とこうしたかった」


「あんた、ずるいよ。」


その後の2人はもうろくに喋らなかった、龍が前から後ろから女狐の身体を突くと、この遊郭にあって唯一聞いたことのない女狐の喘ぎ声が控えめに響いていった。



次の日の夜、女狐一派は集会を開いた。集会の中身はというと、これからは女狐の代わりにトビウオが一派を仕切って行くということと近いうちに荒鷲と一戦交えるから気を引き締めておけということ、また荒鷲との戦の際は麒麟一派が先陣を切ることとのことであった。途中二、三人納得いかないといった様子で龍や女狐に詰めよったが龍やゴツいのにあっさりと斬り捨てられると龍の醸し出す明らかにおかしな、異常な殺気に意見する者など一人もいなくなってしまっていた。


「おい、あいつどう思う?」


集会後、部屋に戻ると寝る間際に麒麟が呟いた。


「あいつってのはトビウオの親分のことですかい?」

トンビが返す


「ああ、俺が会ったのは二回っきりだし時間も短かったけどよ、あいつ前会った時もあんな感じだったか?あんな危ねぇ奴には見えなかったんだけどな。」


「へぇ、そうすね。あんな人じゃなかったんすけどね。同じヤクザとは思えないような優しい人だったすから、なんか本当に別人みたいだったすよ。」


「そうか、やっぱそうだよな」


「そっすね。」


「最初見た時は不意を突かれようと負ける気なんてしなかったんだがな。今の奴は化け物だよ、一瞬もためらわねぇで仲間やっちまうんだからな」


「でも真っ向勝負なら兄貴のが強いっすよ、親分は恐いっすけど腕なら兄貴っすよ」


「そうか、そうかもな。 なぁ、あんなことあった後に先陣につけって言われるってのはやっぱり捨て駒にされちまうのか?」


「いや、まぁ、どうですかね?」


しばし部屋に沈黙が流れ麒麟が再び呟く

「みんな生き延びような。」

皆は黙って頷いた。



そして数日が経った。


城の飯はやはり豪華で、魚の刺身や鰻の蒲焼き、炊きたての白米、旬菜に松茸のお吸い物と普段は食べられない物が多く並んだ、ただ女狐の屋敷での食事の方が素朴でトビウオの舌には合ったようで、それらをとても懐かしく愛おしく思っていた。夜になるとトビウオは龍として毎晩ミケを部屋に呼び抱いていた、ミケとはあまり言葉を交わさなかったが肌の温もりから優しさを感じ、恐怖や不安を紛らしていた。



そんなおりに鯨様から通達があった、明朝ついに荒鷲を攻めるとのことであった。


作戦の詳細はこう、隣国を攻める為に荒鷲本隊が本国の谷を越えて行く、本国の本隊が正面からぶつかり足止めをし、後ろからヤクザ部隊が挟みうちにする。


単純な作戦ではあるが場所は山中の細い谷であるし横に逸れたりもできない所なので上手く嵌れば相手の数の利を殺せる、それに向こうは不意を突かれる形になるのだから一気に攻めれば案外簡単に崩せるかも知れない。そうすればたいして危ない目にもあわず生き延びられるかも、などとその日の晩にミケに漏らすとミケは黙って笑い抱きしめてくれた。これが終わったらミケと逃げよう、二人でどこか遠くで暮らそう、そんなことを震えながら囁くとミケはただ黙って頷いてくれた。


当日、鯨様の姿が見当たらなかった。ジジイに聞くと戦の時はいつもそうらしい、違う場所に潜伏して奇襲をかけて手柄をあげる、そうやって鯨様は出世してきたそうだ。そういえば今朝はミケと会えなかったな、まぁ朝に会ったことなんて無いし、仕方のないことなのだが最後かもしれないから一目顔だけでも見たかったな、そんなことを思いながら戦地へと馬を走らせる、いざ戦だってのに敵将を討とうとか手柄を立てようって考えが湧いてこない、つくづく俺はこういったことが向いてないんだな。



少し遠くから大群の駆ける音が聞こえてくる、地響きと共に男達の怒号が混ざる恐ろしい音だ。その音がだんだんと大きくなって近くなってぶつかった。俺は影とはいえ殿であるから前線には配置されなかった為、最初の合戦では直接ぶつからなかったが一瞬で相当数の仲間が跳ねるように飛ばされたのが見てとれた、明らかに相手はこの戦を知っている、そう感じた。俺は完全にびびっちまって突っ立って見てることしかできなかったが、俺の代わりにジジイが躍起になって指示をとばした、最初こそ勢いにやられてしまったがその後は両者殺し殺され拮抗している、そろそろヤクザ達が挟み討ちしてくれる頃だろう、とにもかくにも踏ん張るしかない。


どれくらいの時間が経ったろうか、互いに凄い数の戦死者がでて兵の数も大分減り、もう俺も狙われてしまう距離に敵がきている、奥に目をやればうっすらとだが女狐一派の旗が見える為、相手もかなり減ってきてる筈である。これならもしかすると本当に荒鷲を討てるかも知れない、そうすれば生きて帰れる、あぁ、早くこの地獄のような戦場から逃げたい、ミケの元へと戻りたい、そう思って天を見上げ祈りを捧げると雨が一粒顔に当たり、瞬く間に強くなっていった、それと同じようにして大量の石や岩が雨に呼応するかのように戦場に降り注いだ、死んだ、その場にいた殆どの人間が死に絶えた。俺の頭もかち割られて、ぼんやりと薄れてゆく意識の中、崖の上に龍や女狐の一団がいるのが見えた。そこからはもう指一本ろくに動かすこともできずただぼんやり眺めていた。


「おい、どうだ?生き残りはいるか?敵、味方など考えるな!皆殺しのつもりでやれよ」


いつにもまして凄い剣幕で龍が怒鳴り散らす


「もう、あんまり動いてる奴はいないようだよ」


女狐が返す、いつもと変わらない気怠い口調だ。


「そうか、よく見ろよ!蟻一匹生かすんじゃねぇぞ!」


「蟻まではここからじゃ確認できないねぇ、まぁ虫の息で生きてんのは結構いるんじゃないかい?」


「元気なのはいねぇか?いると厄介だぞ、あと馬は全部潰したか?ここは馬は連れてこれなかったからな」


「馬は・・・、いなそうだねぇ」


「そうか、いねぇか。本当にいねぇか?よし、いねぇな、全軍降りるぞ!生きてる奴は皆殺しだ、躊躇すんじゃねぇぞ!」


龍達がいたのは崖の上であった、そこには本来足場といえるような場所は無いのであったが龍が山賊に言って予め作らせていた場所であった。そこから石や岩、弓矢に火縄銃と降り注いだのだ。5秒、いや10秒、5分くらいはやったのだろうか、辺りは一面骸の山となっていた。


「おい、生き残りはいるか?あと荒鷲だ、奴の死体はあるか?何かあったらすぐ言えよ!」


龍が怒鳴り、仲間が周りを確認して回る、しかしおびただしいまでの数の骸の山だな、カラス共もどこからか集まってきて死体をつつき始めてる、地獄ってのがあるとすればきっとこんな風なのだろう


「親分!生き残りがいますぜ!仲間のようですがどうしますか?」


若いのが1人龍を呼んだ


「ちょっと待て!見張ってろ!今行く!他の奴はかわらず生き残りを探せ!」


龍が急いで駆け寄るとそこにはジジイが倒れていた。


「ほーう、まさかジジイが生き残っているとはな、しぶといじゃねぇか、運が良いな」


「と、殿!!殿こそ御無事で何よりでございます。ジジイめは無念にも敵襲により足をやられてしまいました、申し訳ありませぬが動けそうにありませぬ。どうかこのジジイめはほっといて殿は殿の仕事を全うしてくだされ」


「相変わらずお前は失言が多いな、俺は今殿じゃねぇだろ、ったく運の悪い奴だ」


龍はジジイの首を跳ね、話しを聞いていた若いのの首も跳ねた。


「無駄に若いのまで殺させやがって、クソジジイが。おら!他にはいねぇか!!」


「敵は?どうする?結構生きてるよ、虫の息だけど」


「雑魚は殺せ!荒鷲なら呼べ!」


「そう、じゃあこいつら殺しといて」


女狐は子分に指示して他を探す、キセルをふかして、まるで普段通りのようにふるまってはいるが、その両眼はとても鋭く腹を空かした獣が狩りをしているようで見ているだけで本能的に恐怖を覚えてしまう。


「いってぇぇぇ、いてぇよ!た、たすけて、こいつ、生きてる!早く!」


突然、若いのが叫ぶと同時に背の高い男が立ち上がる、はぁ、はぁと息を荒げ激昂する男、麒麟だ。


「おい、どうなってんだこれ?俺が配置されたのは最前線だ、危険があるのは承知してる、だが味方から皆殺しにされる筋合いは無いぜ、俺の仲間は岩に潰されちまった、どうなんだこれ?おい、女狐!トビウオ!説明しろクソ野郎!」


麒麟は刀を振り回し、龍にも負けぬ恐ろしい形相で睨みつける。


「おいおいおい、誰かと思えばこの間俺に刃向かった馬鹿じゃないか。お前は確実に死ぬように最前線にさせたんだがな、悪運の強い野郎だ。で?何?説明?この時代、上が下を捨て駒にするなんざ当たり前のことだろ、それだけだよクソ野郎、早く俺の為に死ねよカスが」


「殺ってみろよ、じゃあ殺してみろよクソ野郎、てめぇは最初っから気にくわなかったんだよ。偉そうにしやがって、だいたいてめぇ誰なんだよ、俺らから女狐奪いやがって!なぁ女狐、何でそんな奴なんだよ?あんた誰にも抱かせなかったじょねぇかよ、それなのにそんなカスに抱かれやがって!どちくしょう!なぁ、俺にもやらせろよ、冥土の土産にやらせてくれよ、俺はあんたに惚れてんだよ、頼むよ、このままじゃあんまりだろ」


「ははっ、面白ぇこと言うガキだな、女狐はもともと俺とできてんだよ。お前なんかに抱かせる訳ね


「うるさいよ龍!ちっと黙ってな。それより麒麟あんた本気なのかい?冥土の土産ってことはあたしを抱いたら死んでもいいってんだね?そうなんだろ?嬉しいねぇ、あんたのはデカいしねぇ」


女狐はそう言って麒麟に近づいていく、麒麟にとってこの反応は意外だったのだろう、少したじろんだ様子を見せていた。


「ははっ、本気かよ!さすがは女狐、いい女だぜ!おい、麒麟!きっちり抱けよ!」


龍がそう叫び、ギラついた目で笑う。女狐が服を脱ぎ麒麟にもたれかかる、女狐の身体は思ってたよりも華奢で、青白く、妖艶で美しかった。紅い花のような斑点がいくつか咲いていたがそれすらも綺麗で、まるで地獄に咲く一輪の花のようで俺は思わず息を呑んだ


「ねぇ、あんたも早く脱ぎなよ」


「ほ、本当かよ?!いいのか?いいんだな?とことん狂ってやがる、まぁ俺は何だっていい。女狐、抱いてやるよ」


麒麟は服を脱ぎ強がってはみせるが龍や女狐の狂気についていけきれないのかガタガタと震え、そのため服も満足に脱ぐことができず、気持ちばかりが焦っているように見えた


「ねぇ麒麟冷めさせないでおくれよ、女が脱いでんだよ、あんたも早く脱いでおくれよ。」


麒麟は苦戦しながらもなんとか服を脱ぎすて女狐を弄り始めたがその仕草は焦りと昂りからか酷く雑で乱暴であった。


「ちょ、そんなに焦っちゃ嫌だよ麒麟、最後のお楽しみなんだからもっと丁寧にできねぇのかい。それからその刀はどっか放っちゃっておくれよ、野暮ってぇもんだよ。」


完全に狂った状況だってのに女狐は変わらない、麒麟は言われたままに刀をそこいらにぶん投げ女狐の身体にむしゃぶりつく、一心不乱に弄る麒麟であったが女狐は退屈そうにずっと龍だけを見つめていた、目の前の麒麟にはまるで興味がないかのように龍だけを見つめていた。少しの時間皆がそれを静観しているとゆっくりと麒麟の動きが止まっていった


「くっ、くそっ、どうして、こんな時に限って」


ボソボソと何か呟き、その場で固まってしまった麒麟を静かに龍が斬り捨てた


「とんだ恥かかせてくれたな、役立たずが」


龍は服を脱ぎ、女狐を荒々しく抱きしめ、弄り、己の昂ったソレを突き刺し、激しく、突き刺し、揺さぶる、女狐は喘ぎ、爪を立て、震え、強く、抱きしめた。二人は純粋にお互いを求めた、喘ぎ声以外は何も喋らず、黙々と。その姿は気高く見るものを魅了し、そこにいる全ての人間が目を離せずにいた。


仲間の死も、敵の死も、降り注ぐ雨も、ここが戦さ場だってことすらも忘れて、皆がそれを見つめていた。


だからか誰も気づかなかった、敵に囲まれているってことに、いや、もしかしたら龍や女狐は気づいていたのかもしれない、二人は最後まで交わるのをやめなかったのだから。


「野暮なことすんなよ、やっと女狐と一緒になれたってのによ。お前に全部くれてやるって言ったろ俺はもう女狐とさえいれれば良いんだ、どーせ死ぬんだからよ」


腰を振りながら話す龍の背中には女狐と同じ紅い花のような斑点が咲いていた


強く抱きしめあう二人の身体を太く長い槍が貫く、突き刺さった槍を持っていたのは、鯨様であった。


「すまんが儂は荒鷲様の忍びなんでな、お前さんが噛みつきさえしなけりゃ死ぬまで待っとくつもりだったんじゃがな」


「あー、そぉゆぅこと。どうりで荒鷲軍が少ねぇ訳だ、てめぇから筒抜けだったってことか。ちっ、ついてねぇな。くそっ、悪ぃな女狐守れねぇで」


「アタシはあんたと地獄行くって決めてたからね、あんたに抱かれて死ぬのなんて出来過ぎなくらいだよ」


「ありがてぇ、あったけぇな女狐」

「あんたも暖かいよ龍」


その後も龍と女狐はのたうち苦しみながら何か互いに声をかけているようであったがはっきりと聞きとれたのはそれが最後であった。


鯨様は暫く物色しながら残党狩りをして、また何処かへと姿を消した、鯨様の一団にはミケによく似た女忍が居たが俺には気づきもせず鯨様と一緒に消えていってしまった。



その後ゆっくりと気を失った俺が目覚めると一目でボロいとわかる小屋の天井が目にはいった。パチッ、パチッ、という囲炉裏の音とうまそうな味噌の香りに横を向くと老婆が1人、黙々とメシを作っている。


「意識が戻りましたか?」


老婆とは逆側から声をかけられて振り返るとトンビが居た。


「ああ、なんとかな。トンビが助けてくれたのか?すまないな。」


「いえ、滅相も無い。殿が、いや兄貴が倒れてたら助けるのは弟の役目っすから」


「トンビ!気づいてたのか?」


「あんまりそっくりなもんで最初は半信半疑でしたけどね。まぁでも兄貴とあの野郎じゃ中身が違いすぎますわ」


「はは、それもそうだな」


確かに違い過ぎるな。どう頑張ったってあんな狂った奴等にはなれそうにない


「ご飯は食べれますかい?」


老婆がしゃがれた声で俺に尋ねた。


「貰っていいですか?すいません。どうやら助けて頂いたようで」


「いやー、寝かせてただけで特に何もしてやっちゃいないさぁ。お侍さん、身体はもうなんともねぇんかい?」


「起きたばっかりでよくわかりませんが、今のところは大丈夫そうです。」


「そうかい。なら良かったぁ、まぁとにかく食べるこった。たいしたもん出せねぇけどもぉ食べて下さい。」


そう言って老婆が差し出してくれた大根粥は少し塩気が強く、大雑把な味であったが、城や女狐の屋敷で食べたどの食事よりもずっと俺の口に合った。


「兄貴、身体が治ったらどうしやすか?ようやく自由になったことですし、新しい組でも旗上げしやすか?ここいら一帯のヤクザ連中はみんなやられちまってるでしょうし、今なら天下獲れるかも知れませんぜ。」


「・・・。いや、トンビには悪いがやめておくよ、俺にはヤクザは向いてねぇみたいだ。お前もわかるだろ、あいつらみてぇにはなれねぇってな。」


トンビは苦笑いをしてキセルを吸った。


「それもそうっすね。」


俺は再び大根粥を口に運んだ。どこでだって食えそうな田舎の味が五臓六腑に染み渡る。なんだかすっきりしちまったな、トンビから回されてキセルを吸うと、虚しさが、ちっぽけな達成感にぽっかりと穴を空けて、煙りで俺を包んでいった。



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泥沼で飛ぶ魚 とびうお @tobiuo

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