僕を愛しさの窮地へと追いやる、あの花の香り。
キヅキノ希月
第1話 出会い
今日も僕は、大して見たい作品などないくせに、いつものレンタルビデオ屋に行った。
僕はこの店の常連だ。・・・の、つもりだ。
おしゃれな人が好きそうな、流行っているDVDを、毎週数本借りては、部屋で流し、返却していた。
僕は恋をしていた。
この店の店員である女の子に。
彼女はすらっとしていて、美人というよりどちらかというと可愛らしい顔立ちをしていた。
そんな彼女は接客のたびにさわやかに笑い、その姿からは仕事を楽しんでいるように見えた。
昼間の店員は僕の知る限り三人。全員女性だった。
その中で、彼女はモデルにもなれそうな顔立ちだったが、何故かそこでオープン当初から店員をしているのだった。
歳は僕と同じくらい。
でもどうだろう、顔はあどけないが、僕より上かもしれない。
肩下まである髪の毛はいつ見ても綺麗で、黒髪で品があり、さらさらと揺れていた。
僕がいつもドキドキしながらDVD数本をレジに出すと、彼女は「いらっしゃいませ」と笑顔で言い、手早くDVDをレジに通した。
「ご返却日は○日になります」
そう言って彼女は笑顔で、どこかいい香りを漂わせながら僕に袋に入ったDVDを渡してくれるのだった。
僕の休日は、彼女に渡してもらったDVDを流し観ては必ず期日に返しに行く、その繰り返しで、僕はそれが堪らなく楽しみだった。
彼女の香り、多分あれは花の香りだ。
僕にはよく判らないが、世の香水の多くがそうであるように、きっとそうなのであろう。
とてもよい香りだった。
僕は彼女の名前すら知らない。
彼女も僕のことなど知らない。
ただの店員と客、それだけの関係だった。
でも僕の19歳の大きな出来事といえば、この店がオープンし、彼女に出会ったことだった。
それほどに、僕にとって彼女の存在は大きいものだったのだ。
店がオープンしたのは秋のことだった。
近くの大きな本屋に隣接するという形でのオープンだった。
僕はその本屋にはよく行っていたので、レンタルビデオ屋がオープンするとなったとき、オープン当日にその店に行った。
「達樹、あんたどうせまた本屋行くんでしょ?だったらあそこのスーパーでお醤油買ってきて頂戴」
「判ったよ。なんの醤油でもいいの?」
「お父さんが高血圧なんだから減塩醤油に決まってるでしょうが」
母さんにおつかいをついでに頼まれて、僕はいつものように、でも新しい店に行くのにワクワクして、バイクを走らせた。
冬がそこまで来ていて、バイクで風を切るともう寒かった。
駐車場に着くと僕はスーパーよりも先に本屋に入った。
中は空調がうっすら利いていて、風を切ってきた僕にとっては暖かかった。
その奥に、新しい店はオープンしていた。
僕はいそいそと足を進めた。
店内は当然真新しく、映画のDVDがたくさん並んでいた。
僕はそれらを眺め、店内を歩き回った。
そこで、会員登録が必要なことを示す張り紙がしてあり、僕は、登録だけでもしてみるか、と、登録用紙を探した。
記入するカウンターはレジに程近い場所にあり、僕は用紙を棚から取ると、それに名前や住所などを記していった。
書き終えると、観たいと思っていた、新作のDVD1本を手に取り、用紙と一緒にレジに出した。
僕は俯き加減で財布の準備をしていたが、視界に入ったその手の白さに驚き、思わずその手の主を見た。
前髪をやや短めに切りそろえた、目のくりくりした可愛らしい女の子がレジを挟んで目の前に居た。
僕の好みの顔だった。
そのドストライクな感じに僕は動転した。
なんだこの子。すごい可愛い。
それが彼女だった。
「本日身分証明書はお持ちですか?」
そう言って彼女は僕の目を見た。
僕は慌てて目を逸らし、財布の中の免許証を出した。
「こちらコピーをとらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
僕が返事をすると、彼女はレジから離れ、免許証をコピーし、戻ってきた。
「ご提示ありがとうございました」
彼女はそう言うと僕に免許証を返した。
そして、緊張した面持ちで、DVDを慣れない手つきでレジに通すと、「300円になります」と言った。
ドキドキしながら財布からきっかり300円を出すと、小皿にそれを置いた。
「ちょうどいただきます」
そう言って彼女は素早く小銭をレジに入れ、レシートを袋のポケットに挟むと、それを確認してから「ご返却日は10月4日になります」と言って僕に袋を渡した。
僕は彼女の顔を直視出来なかったが、その声は笑顔のものと判った。
ふんわりといい香りがして、僕は彼女が香水をつけているのだとそのとき思った。
きつい香りではなく、さり気なくそれは香っていた。
僕は更にドキドキした。
「ありがとうございます」
笑顔の声のまま彼女がそう言ったので、僕は、去らなければならないのだな、と感じ、足早にその場を去った。
僕は無心で本屋を一直線に突き抜けた。
その僕の頭の中には、さっき一瞬見た、彼女の可愛らしい顔が焼きついていた。
何しろ僕の好みそのものだった。
白い肌、やや短い前髪、大きな目、血色のよい唇。白い肌が唇の色のよさを際立たせていたが、その顔に化粧っけはあまりなかったように思えた。
思い出しつつ僕は、醤油を買うのも忘れてバイクに乗り、再び風を切った。
冷たい風に晒されると、僕のドキドキも少し薄れて、やっと運転に集中することが出来た。
そして醤油を買い忘れたことにも気づき、僕は小道に入り、Uターンをしてスーパーへと逆戻りした。
それは、10月に入ったばかりの、日曜日のことだった。
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