第74話 「岡目八目」

 エニシが冷たい飲み物を持ってやってきた。

大きな噴水がある公園にあるベンチに座り、太陽めがけて盛んに噴きあげる水を漫然と眺めていたパンパカーナの頬を、

火傷に似た鋭い冷たさが襲った。予想に反して、彼女は驚かなかった。


「なんねえ、ノーリアクションかい」


「ん」


 虚ろに返事をして、目線はそのままに、手だけを動かして受け取る。

 ここは教会から数キロ離れた場所にある公園だ。子供達が追いかけっこをして遊んでいる。母親らしき人物がそれを見て微笑んでいる。

 エニシはやれやれという風に鼻息をこぼすと、ベンチの横に佇んでいるアーミラに飲み物を手渡す。


「......ありがと。エニシ」


「いいってことよ」


 いうと、エニシはパンパカーナの隣に腰掛けた。

親指で瓶の蓋を弾き飛ばすと、酒気が漂いはじめた。


「——ッ! 酒じゃないか」


 口に含んで気づいたパンパカーナが咽せながらいった。

アルコールが鼻を抜ける。気管にちょっと入ったようだ。


「もしかして、お前さん、下戸か?」


 エニシがそしらぬ顔で訊く。


「違うけど......。いまは、気分じゃない」


 パンパカーナは、瓶の細い口から溢れそうな白い泡を凝視していった。

柑橘類とオークチップのような香りがする。メジャーな酒類だ——私も、よく飲んだ。


「っかしまあ、不思議なもんじゃのお」


 エニシは美味そうに飲んでからいう。


「......不思議?」


 アーミラが訊ねる。


「ああ。世界全体の趨勢が捗々しくないこの状況で、子供らは無邪気に遊んどるし、

かくいうワシらは昼間っから呑気に酒を飲んどる——まるで、ここだけ切り取られたみたいに平和だ」


「......平和。うん、たしかに、平和」


「私は、こうして怠けている暇はないと思う」


 パンパカーナは瓶のくびれを握りしめていった。

 勇者陣営のことが心配で、矢も盾もたまらないのだ。


(俺たち三人が全力を出せば、確実にお前らを巻き込み、殺すだろうぜ)


 エレボスはああいったが——それでも——加勢に向かった方がよいのではないか?

万が一、考慮したくないことだが、勇者たちが全力を以てしても倒せなかった場合は、自然、

私たちが戦うことになる。


自信がない。神器が二つ揃えば勝てるかもしれない——拮抗した勝負になると思っていた。

けれど、違った。それは驕気的思想だった。

 小鬢(こびん)から汗の粒が吹きでる。オークチップの香りが強くなる。


「まあ、そう思い詰めんこうに。ちょいと休もうや」


 背中を叩かれて、反射的に背筋が伸びる。

自分が背中を丸めていたことに気がつかなかった。

パンパカーナは眉をひそめてエニシを見やる。


「相変わらず楽天的なやつだな」


「そういうお前さんは厭世的じゃのお。しかし——」


 瓶口を逆さにして、もう酒がないことを確認すると、キセルを取り出して刻みたばこに火をつけた。

 そして、煙と一緒に言葉を吐き出した。


「聞きたかったんじゃけど、なんであのとき、泣きそうな顔しとったん?」


 あのときとはおそらく、エニシを女衒と間違えた、彼と初めて会ったときのことだろう。


「いや、それは......。というか、いま話すことではないだろう!」


「まあ何もからかおうとしとるわけじゃあない。ワシはお前さんのことを知りたいんじゃ——あ、口説いとるわけじゃないで?」


 惚れるのは勝手じゃけどな。はははといって、紫煙を味わった。

 パンパカーナは当時を思い出し、赤くなった顔をフードで隠した。

同時に戸賀勇気の姿が思い浮かんだ。一応、話しておくべきだな。

そう思い、彼女は、経緯を訥々と話しはじめた。


「——そうかあ。戸賀勇希君と喧嘩別れしてないとったんかあ」


 エニシはしみじみという。


「やっぱり、からかってないか?」


 パンパカーナは彼を睨んでいう。


「いや、全然。過ぎたことをあれやこれやというのは矜持に反するが、これだけはいわせてくれ」


 エニシは一拍置いて、


「お前さん、アホじゃろ」


「——ッ! あ、あほって。なにがあほなのだ」


「あのな、男はな、女から信頼されたい——頼りにされたいと思う生き物なんじゃ。

万人がそうじゃないけれど、そういう男は多いと思う。

お前さんは、そんな戸賀勇希君の自尊心をボロボロにしてしもうた。

じゃけえ彼は業腹だったんじゃろ」


「わからない......」


 わからない。理解しがたいことだ。

どうして男はそんなつまらぬことにこだわるのだろう。

 私は戸賀勇希を信頼していないわけではなかった。

ただ、彼が約束を顧みず、ただ会稽の恥を雪ぐことに取り憑かれ、

徒らに命を散らそうとしているのを座視できなかっただけなのだ。


 それが間違えだったというのか?

足軽が将軍に挑むような戦いに目を瞑れと?

死地へ赴く仲間を笑顔で送り出せと?


 無理だ。そんなこと——できるわけがない。

できるはずが、ないのだ......。


「彼も彼で悪いがのお。女との約束は破っちゃあいかん。

死んでも守るのが男じゃけえ——と。以上、おっさんの感想でした」


 いうと、エニシはキセルを髪に挿して腕を組んだ。


「......もう気は済んだだろう! さあ、私たちも行く——」


 パンパカーナはいいながら立ち上がると、動かなくなった。

胸に矢が刺さった感触がした。自身の言葉にハッとしたのだ。


 私は、戸賀勇希と同じことをしようとしている。


 ふと立ち眩みに似た症状に襲われる。頭を抱えてしゃがみこむ。


(莫迦だ......! 私は本当に莫迦者だ! ここまで来てやっと——

人にいわれてやっと——戸賀勇希の気持ちが初めて分かった。

一緒だったんだ。何かを守りたい想いと、何事も自分なら可能だという、

根拠のない青臭い自信。


十二単牡丹に挑む戸賀勇気と、彼奴に挑む私が重なって映る。

なんら変わらない。なにひとつ違わない。

ごめんなさい......。迂愚な私を......どうか......許して)


 パンパカーナはうずくまった。声もなく、静かに涙を流した。

彼女の背中を、アーミラが懇ろに撫でている。


「本当にキツイ、苦しいと思ったら、そんときはゆっくり休んだらええんよ。

人間そんなに強くないんじゃけえ、あんまり無理しなさんな。

元気になったら、また立ち上がればええんじゃけえのお」


 エニシが破顔していった。

いつもと変わらぬ、勝気な笑顔だった。


「......よし、よし」


 いつもは嫌いなタバコの臭いが、ちょっとだけ良い匂いに感じた。



 $$$



「あれ? なんか変だよ? ここ。みんな不安そうだよ」


 戸賀勇希を求めて、マーレはバジコーレへ到着した。

 騒然としている街の空気は不味く、なんとも居心地が悪い。

住民に訊ねると、どうやら城が崩れたらしい。また、その城主が行方不明ということがわかった。


「ここには戸賀勇希はいなさそうだよね......。ああ、もう! 次はどこへ行けばいいんだよ〜!」


 マーレは盛大にひとりごちると、バジコーレを後にした。


「いたっ」


 マーレは門を抜けたところで、弾力のある肉塊にぶつかった。

それは筋肉だった。下を見て歩いていたので、気がつかなかったのだ。


「あら? ごめんなさいね、お嬢ちゃん。怪我はなあい?」


 心配そうに眉をひそめるオカマが手を差し伸べる。

赤すぎるチークと口紅。長すぎるつけ睫毛。瞬きが鬱陶しい。


「おい、カマ子! 何やってんだよ。大丈夫か? 衛生的に問題ないか?」


 赤毛の少女が中腰で覗き見る。オカマを嘲っている。


「もう、失礼しちゃう! 一日五回はお風呂に入ってるわよ! ばかぁん!」


「ウッホ」「ウッホ」


 青竹のように長いちょんまげの男と、針山地獄のような頭の男がウホという。

ふざけているのだろうか? マーレは尻を払いながら立ち上がる。


「大丈夫だよ。あなたたちは、旅人?」


「そうよ。もしかして、あなた一人? もしよかったら、一緒に行かない?

これから『叡智の国・ネリナール』へ行くんだけど——どうかしら?」


 マーレは懊悩した。本当にいいのか? こんな得体の知れない人類と一緒にいていいのか?

でも、悪い人じゃなさそうだし——まあ、いいか。


「貴様は道連れ、世は無情だよ!」


 マーレは諾領した。


「まあ! なんて物騒なの、この子! でも関係ないわ。だって、あなたすごく面白そうだから!」


「あはは......。ようこそ、地獄へ」


「ウッホ」「ウッホ」


 パンパカーナが神秘の国・リセリカで戦闘中の頃の出来事であった。


 

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