第73話 「カバラ」

 熱風と爆風が収まりつつある。

 鎧を纏ったアーミラはエニシを庇い、

パンパカーナとエレボスを、マキナの召還した『潜水空母の半身』が守っている。


 クリスティアンは、自身の内包型の魂の神器である『禁域』を発動させ、

その能力——『己以外のすべてを遮断する空間』を形成していたため、無傷だった。

無敵だが、この力は少々使い勝手が悪く、自身から範囲三メートル以内が限界であることと、

発動中に呼吸ができない。だから、長時間の使用は禁物である。


 彼は減りゆく煙の量や、吹き飛んでくる危険物がないことを確認すると、禁域を解除した。


 無色透明な天使の羽衣が取り払われる。


 クリスティアンは彼の視界を不明瞭たらしめている、空気中を漂う粉塵に顔をしかめ、


「やったのか......?」


 と手で口元を覆いながらいった。


 ——お前ら! 無事か!?


(エレボスの声だ。姿は見えないが、とても近くにいるぞ)


 ——ワシとアーミラは大丈夫だ! パンパカーナはどんなじゃ!?


(あの与太者のような風貌をした男の声だ。少し遠くにいるな。パンパカーナとは誰のことだろう)


 ——問題ない! マキナがエレボスと私を守ってくれたから!


(ほう。マキナは、そのパンパカーナとやらと一緒か。すると、黒き鎧の者は与太者と......)


 ——クリスティアン! クリスティアンは無事か!


(エレボス! ああ、わたしはいつものように無傷だ。よし、安否を伝えねば)


 ——無事だ! 問題ない! わたしは大丈夫だ!


(——ッ! いったい誰だ。わたしは、まだ喋っていないぞ!)


 ——そうか! よかった。みんなそのまま動くなよ、奴の姿を目視するまでじっとしていろ!


 ——承知した!

 ——わかった!

 ——了解じゃ!

 ——うん!


 方々から諾う声が聞こえてくる。マキナ、エニシ、パンパカーナ、クリスティアンの声が。


(待て......。それはわたしではないッ! 皆の者、惑わされるなよ! 今——いまから本物が喋るからな!)


 クリスティアンは塵を吸い込まないよう注意を払いながら、


「聞け! エレボス! わたしはここだ! それはまやかし——


 いいかけた言葉はプツリと千切れ、ついでに彼の首も千切れた。

精緻に整えられた、棒のような髪の束を一つ摘み上げて微笑するラルエシミラは傷一つない。


 ——どうした! 何をいいかけた! クリスティアン!


「ダメじゃないですかあ、戦闘中に力を抜くなんて......もう、仕方のない人なんですから」


 ラルエシミラはクリスティアンの首を抱きかかえる。艶冶な表情で、彼の頭部を慰撫している。


 ——返事をしろ! クリスティアン!


 エレボスの懸命な呼びかけに応える者はいない。なぜなら、私が摘んでしまったから。

私がその人の命を攫ってしまったから。ゴメンなさいね、でも仕方がないのよ。

障害物は撤去しなきゃいけないの。——この世界に、余計者は必要ない。


「さて、そろそろ行こうかしら。ルイ・アルベールがまだ一人のうちに......」


 翼をはためかせ、ラルエシミラは大穴を開けた天井から飛び去った。

ややあって、クリスティアンの首が降ってきた。その首は、慈愛の女神像の手のひらに収まった。


 煙が完全に晴れたとき、まず、クリスティアンの遺体を見つけたのはマキナだった。

彼女は絶叫し、泣き崩れた。慄然とするパンパカーナ一行は、言葉を探しては飲み込んだ。

なんと声をかけてやれば良いのかわからなかったのだ。


「......待っていろ、今、降ろしてやるからな......」


 エレボスが女神の手から故人の頭を受け賜る。

そして彼は簡易的な墓穴をつくると、そこにクリスティアンを埋葬した。


「すまねえ......。絶対に、俺たちが仇を取るから」


 合掌してそういうと、エレボスは墓の周囲で黙祷するパンパカーナたちを見回した。

祈ってくれているのか——俺たちの仲間に。こいつらからすれば、クリスティアンは赤の他人なのに——

 エレボスの心裡は、彼女たちに対する謝辞と悔恨の念で埋め尽くされていた。


 だが、悔いている暇はない。これ以上、徒らに友を殺させはしない。

 エレボスは立ち上がった。


「叡智の国・ネリナールへ行く」


「......わ、わかったわ。じゃあ、行くね——クリスティアン。また、来るから」


 マキナも立ち上がると、泣き腫らした顔で別れを告げた。

パンパカーナたちも同様に続いた。皆、精悍な表情をしていた。


「今度は俺とマキナとルイの連携でいく。お前らとは、ここでお別れだ」


 エレボスがいった言葉に、パンパカーナは憮然としていう。


「なぜだ」


「連携は慣れ親しんだ仲間とやる方がいい。じゃねえと、奴を倒すことはできねえ」


「私たちが足手まといだというのか」


「そうはいってない。ただ——俺たち三人が全力を出せば、確実にお前らを巻き込み、殺すだろうぜ」


 パンパカーナは下唇を噛んだ。

 足手まといだと——婉曲に言っているようなものではないか。

 私があそこで仕留め損なっていなければ、クリスティアンは横死を遂げることはなかった。


それはまごうことなき事実——大いなる失態。呵責し、譴責されるべき行為。

しかし、彼らは私を責め立てはしなかった。

いっそ、罵詈雑言をぶつけるなり、気の済むまで殴りつけて欲しかった。


代わりに、私は己を叱責した。想像で火あぶりに処し、生爪を剥がした。

けれど何度自身を殺害しようと、心の瑕疵は治らなかった。

むしろ、傷は広がる一方だった。


 と、パンパカーナは右肩を強く叩かれた。

痺れるような鋭い痛みに顔をしかめる。

太く伸びた腕の先を見やると、エニシがいつもの勝気な顔で紫煙を燻らせていた。


「ああ。行きんさい」


「エニシ......!」


 エニシはパンパカーナを「まあまあ」とたしなめる。


「すまねえ。時間が惜しいから、もう行くぜ」


 とエレボスがいった。

 マキナは眉を下げて、申し訳なさそうにしていた。


「気いつけてな」


「ああ。ありがとうよ」


 黒いマントに隠れたマキナとエレボスは、まるで透明人間が透明になる瞬間みたいに消えた。

 外が騒がしくなってきた。野次馬や消防団が駆けつけて来ているのだろう。


「......これから、どうするつもりだ」


 パンパカーナはいった。声に覇気が感じられなかった。

 エニシはキセルを髪に挿して、


「とりあえず、場所を変えねえか。話はそれからじゃ」


 といった。

 不承不承、パンパカーナは頷くと、一行はカルト教団の教会を後にした。


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