第8話 「真価」
林の中を疾走するマーレは風のように速い。
俺は息を切らしながら、かろうじて後ろ姿だけは失わないように追走する。
木漏れ日の射す緑の天井は、ほとんど整備の行き届いていない土道をわずかに照らしてくれている。
「おい......待て......待ってくれ......」
俺の声に応えたのか、マーレの足はピタリと止まった。
俺は両膝に手をつき、大きく肩を揺らしながら肺に酸素を取り込み、
血中に酸素を送り込もうと体の機能がフルに働いている。
「どうも......ありがとう......止まって......くれて......」
息継ぎの合間に口から釘がポキポキ折れたような断片的な言葉を送り出す。
「別に貴様のために立ち止まったわけじゃないよ。この近くにいる......」
そう言うマーレの表情は険しく、眼は獲物を狩る肉食動物さながらの様子で周囲を見渡していた。
あちこちで木々がガサガサと揺れうごく。
近くに何者かがいる......
俺も彼女と同じように辺りを見渡し、未知に対する警戒を怠らない。
すると、マーレの真横の草陰から何かが飛び出してきた。
「マーレ!!」
恐ろしい反射神経で攻撃をかわしたマーレは、すぐさま標的に向けて釣竿を構える。
飛び出してきたそいつは、異形の姿をしていた。
顔はライオンのようでたてがみは黒く、
目は人間そっくりで、その瞳孔は大きく見開いている。
筋骨隆々の鋼のような肉体に、
通常では考えられないほど大きい拳が地面を殴打している。
それに、白いローブのようなものが腰に巻いてある格好だ。
「
マーレが睨みつけて言う。
こいつが
想像よりもはるかに恐ろしく醜い。
もっと人間に近い容姿を想像していたが、
それは限りなく獣に近かった。
体の震えが、治らない。
身を屈め、空中へ高く飛び上がった。
重力の力を借りて急降下、
そのまま、マーレへに向けて巨大な拳が打ち下される。
「食らわないよ! そんなもん!」
マーレは釣針を遠くに見える木へ引っ掛けると、
某アメリカンコミックのヒーローのように
体を空中へと旅立たせる。
「すげぇ......まるでス○イダーマンみてぇだ......」
俺は感動に胸を震わせる。
正直憧れた。
俺もあんなことができればいいのにと
本気で思ったのだ。
特に今、この状況では。
「おりゃっ!」
釣竿から放たれた針の弾丸は、一直線に敵へと向かう。
しかし魔傑は体を斜めに反らしてかわし、
マーレと針を繋ぐ糸を掴むと
力一杯引いた。
「......!」
引っ張られた糸はマーレを連れ去り、
魔傑へとロケットのような勢いで突っ込んで行く。
それを待ち構えた巨大な拳が狙いを定める。
ドスッ
鈍い音が鳴り、華奢な少女の体は弾け飛ぶ。
草木をなぎ倒し、衝撃波によって
地面には長く、深い溝ができあがる。
マーレは地面に何度も打ちつけられたあと、力なく横たわった。
「......」
声が出ない。
大木をなぎ倒すほどの力を持ったマーレがあっという間に倒されてしまった。
その事実は俺に絶望を
敗北を
緊張を
鬼胎を
畏怖を
憂慮を
噴門を
劣等を
与え、両足は地に屈して赦しをこう。
「今度こそ......死ぬ......」
抵抗をしようと懐に手を突っ込むが、十二単牡丹と戦った時のことを思い出して手が止まる。
どうせまた水が噴き出してくるだけで終わりだ。
武器として使おうにも、非力な俺では弾かれるのが末だろう。
勝手に涙が溢れてくる。
壊れた蛇口みたいに止まらない。
壊れているから、止められない。
太く大きな血管が薄黒い肌に浮き上がり、
飛び上がるために必要なエネルギーを送り込んでいる。
と、地面がえぐれるほどの衝撃。
先ほどよりも高く飛び上がったそいつは、俺に狙いを定めて位置を調整。
ここだ。
そうして静かに落ちてくる巨大な獣。
今度は拳に全エネルギーを集中していく。
俺の体は、魔傑の影に覆われた。
ーーガキンッ
鉄と鉄が
恐怖で閉じた瞼を徐々に開いていく......
白だ。
そこにあるのは純白に輝く人の上半身。
それの持つ白き刃が、魔傑の凶拳を受け止めていた。
「ラル......エシミラ......?」
馬鹿な。
ラルエシミラは十二単牡丹によって短冊に変えられてしまったはずだ。
その彼女が今、目の前に、姿を現している。
白き刃は拳を受け流し、魔傑の左目に斬撃を与える。
すると狂ったように鳴き叫ぶ魔傑。
後ろに飛び跳ね、着地。
怒りに燃えた目はこちらの出方を窺っているようだ。
「トガさん! しっかりしてください!」
ラルエシミラが楕円形のブラックホールのような穴から上半身を乗り出し、俺に鼓舞する言葉を言っている。
「ラルエシミラ......どうして......お前、死んだはずじゃなかったのか!?」
俺は半ば叫びながら言う。
「アンダーグラウンドの支配者である私が、そんな簡単に死んでたまるものですか......!」
ラルエシミラは勝気な顔で微笑む。
「しかし詳しいことは後です。私が現界できるのは、おそらく1分が限界です。その前にあの
「でも、こいつは刺したら水が出るだけだ! 全く使えねぇ!」
「何を言っているんですか! 使い方が違います! それは敵に突き刺すことで真価を発揮するんです!」
知らなかった。
俺は、ずっと地面に突き刺すことで能力が発動するものだとばかり......
というか、それを最初に教えてくれよ!
「最初に教えろよ! でも、それだと近づかないといけねぇ......どうするんだ?」
「それは.......申し訳ありませんでした。私の不徳です。 その点は私がサポートするので、トガさんは隙を見て魂の
「あんな化け物と戦うのかよ......でも、生き残るにはやるしかねぇな......!」
己に喝を入れると、俺は懐からハンドスコップを取り出す。
そして震える足で力強く立ち上がった。
すると
俺とラルエシミラは武器を構え、
戦闘体制をとる。
空を切る音。感じる風圧。
俺の体すれすれを、命を掠め取ろうとする拳が通過していく。
まるで、快速の特急が駅のホームを通過した時の感覚だ。
怖い。
かろうじて避けることができたが、奇跡に近かった。
刹那。
ラルエシミラはその太い腕に狙いを定めると、
木漏れ日に照らされて輝く白き刃を振り下ろし、
断ち切る。
大量の血飛沫。
ドス黒い血の塊が、ボトボトと地面にバラ撒かれる。
俺の足元には躍り狂う
痛みに吠える獣は後ずさる。
そこに、一瞬の隙が生じた。
今だ。ここしかない。
俺は獣のような雄叫びをあげながら、自分の持つ唯一の武器を強靭な肉体に突き立てる。
「トガさん! 思いっきり引き抜いてください!」
俺は殺意を込め、赤黒い血液を引き連れながら引き抜く。
しかし、それがどうしたと言わんばかりの
俺めがけて殺意の塊が飛んでくる。
やはりダメかーー
そう思ったのも束の間、
突如、魔傑から尋常ではない量の血液が噴水のように吹き上がる。
1滴も残さず搾りとられたその血は、雨となって降り注ぎ、鮮やかな緑の景色を艶やかな赤い景色に変えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます