第10話 布団侵入事件:旅行に連れて行ったら布団の中に入ってきた!

3月下旬に、食品の安全性対策についての研修会が伊豆の下田で開催されるので、出席のため2泊3日の出張が決まった。


宿泊先は本人が手配するので自由だ。久恵ちゃんが東京に来てから、ほぼ2年たつので、気分転換に一緒に来ないかと誘ったら、有給もあるから行きたいという。


昼間は研修会でいないから、一人で気ままに散策すればと言うと、そうするとの返事だった。部屋はどうすると聞くと、同じで良いというので、海の近くの民宿に一室を予約した。


◆ ◆ ◆

朝、品川駅から特急で伊豆下田へ直行した。途中、河津桜が満開できれいだった。予約した民宿に到着したが、ほとんど旅館と同じだった。案内された部屋は2階で海が見える。


午後から研修が始まるので、二人で近くの食堂へ行って昼食を摂った。食べ終えると僕はその足で研修会へ向かい、久恵ちゃんは付近の散策に出かけた。「早く帰って」「迷子にならないで」と別れた。


研修会を終えてすぐに宿に戻ると、久恵ちゃんが部屋で待っていた。夕食まで時間があったので海を見に行かないかと誘った。


海はもう薄暗くなっていて、月が出るところだった。黙って月を見ている久恵ちゃんが、愛おしくなってそっと後から抱いて、頬に挨拶代わりの軽いキスをした。


考えごとをしているのかじっとして黙っている。寒いから帰ろうというので、宿へ戻った。帰り道、久恵ちゃんが手を繋いできた。柔らかい手だった。


部屋に夕食が用意されていた。民宿なので、豪華な食事ではないが、新鮮なお刺身、焼き魚などが並んでいる。「おいしいね」といっても「うん」というさり気ない返事しかしない。


「体の具会でも悪いの」と聞くと「何でもない」といつもの久恵ちゃんを装った。きっと今夜のことだなと思ったが、そのことにはあえて触れなかった。


食事の後「お風呂がまだじゃないですか」と宿の人から声がかかる。「パパ先に入って」というので、ひと風呂浴びに1階の浴室へ行った。温泉だった。気持ちがいい。


部屋に戻ると布団が並べて敷いてある。それをじっと見ている久恵ちゃんに「お風呂どうぞ」というと、着替えを持って出て行った。まずいなと思い、布団を離した。


昔のほろ苦い記憶が思い浮かんだ。入社して間もないころ、帰省しての帰りの列車の中で、同郷の年頃のかわいい女性と知り合いになった。新潟に就職して住んでいるという。意気投合して電話番号を聞いて、帰ってから電話した。遠いので中間の長野で落ち合って周辺の1泊2日の旅行を約束した。部屋は同じでも良いというので民宿を予約した。


1日目は正にさっきの散歩からはじまって今この時とほとんど同じだった。あの時、二人はそれぞれ布団に入って寝たのだけど、沈黙の時間の後、思い切ってこちらから、彼女を布団の上から抱きしめた。


その途端「そんなんじゃないよー」「そんなんじゃないよー」と拒絶された。すぐに謝って、もうしないと約束して、その場をなんとか繕った。


次の日は何もなかったように楽しく過ごしたが、結局、後日彼女から別れようとの手紙が来た。その時の「そんなんじゃないよー」「そんなんじゃないよー」がずっと耳に残った。


今考えると、早急過ぎたし、まだ、若かったので迷いもあった。もっとお互いに分かり合ってからであれば、うまく付き合えたかもしれない。一番の後悔は彼女を大切に思っていなかったことかもしれない。


今、久恵ちゃんは僕の宝物だ。大切にしなくちゃいけない。絶対に悲しませてはいけない。縁側のソファーに腰かけて、海を見ていた。月が随分高くなってきた。


久恵ちゃんが戻ってきた。浴衣姿がぞくとするほど色っぽい。話しかけてくるかなと思ったが、黙って離れた布団に入り、こちらに背を向けて寝たので、部屋の明かりを消して布団に入った。明かりは枕元の小さいスタンドだけだが、月の光が射している。


沈黙の時間、どれくらい時間がたったのか分からない。久恵ちゃんの起上る気配がしたかと思うと、僕の布団の中に身体を滑り込ませてきた。


驚いて顔を見ると向こうを向いている。手をそっと握ると握り返してきた。「明かりを消して」と小さな声が聞こえた。同じことを考えていたんだ。気持ちが通じあっていると思うと、決心がついた。


突然「痛い痛い」といって、身体を固くする。「ご免ね、止める?」と耳元でいうと「止めないで」という。続けると「痛い痛い」。止めると「痛いけど絶対に止めないで我慢するから」という。それでも痛がるので「これでおしまい」と身体を離す。


「ちゃんとできたかな?」と小さな声で聞いてくる。「うん、大丈夫」と応えると「よかった、これで、私はパパのもの、ああ疲れた、寝ましょう」と身体を寄せてくる。後ろから抱きかかえるようにして「おやすみ」と言った。疲れた。ほんとうに心地よい疲労だ。


夜中に久恵ちゃんが寝返りしたので、目が覚めた。抱いている久恵ちゃんの身体の温もりを感じる。心地よい寝息が聞こえる。大切なものは手の中においておくよりも、自分のものにして抱きしめておくのが一番とそっと抱き直した。


翌朝、目が覚めると、もう久恵ちゃんは着替えて窓際のソファーに座ってこちらを見ている。


「おはよう、昨日の夜はありがとう、うれしかった。でも今日はだめよ、生理になっちゃった」


久恵ちゃんの早起きの理由が分かった。朝、同じ寝床で余韻を楽しみたかったけどしかたがない。


民宿らしい朝食を食べている。久恵ちゃんの表情が明るくなって、ゆとりと落ち着きが出てきたのが分かる。今日はあいにくの雨の日となった。


出がけに「今日は雨の日だけと見物に出かける?」と聞くと「ここで海を見てる」と宿で休んでいるとのことだった。


2日目の夜、先に横になっていると、隣の布団に入って来て、こちらを向いて話始めた。


「私が中学3年生の時、高校受験のため夜遅くまで勉強していた時だけど、夜中に1階のトイレに下りてゆくと何か声が聞こえるの。パパとママの部屋の戸がほんの少し空いているので中をそっと覗いたら、パパとママが愛し合っていたの。驚いてそこを離れなければと思ったけど、見続けてしまったの。薄暗い中でママの顔が見えたけど、今までに私が見たこともない幸せそうな表情だったわ。でパパはというと、怖いような顔をしてママを見てるの、でもママにとってもやさしくしていた。そっと戸を閉めて2階に上がったけど、二人の姿が目に焼き付いて眠れなくなって」


「・・・・」


「私ね、始めは痛いと聞いてたけど、少しだけで、あとはママのようにもっと素敵なことを想像していたんだけど、ごめんなさい」


「そのうち慣れてくると痛くなくなってママのような幸せを感じるよ」


「昨日明かりを消してもらったのは、パパの怖い顔を見たくなかったから」


「男はそういうときには怖い顔になるんだ、全神経を集中して愛するために」


「ふーん、そうなんだ」


僕も昔のほろ苦い思い出を話そうとしたが、やめた。久恵ちゃんに聞かせる話ではない。男には死ぬまで誰にも話してはいけないことがあると胸にしまった。おやすみ。


研修3日目は12時で終了した。宿に戻って、そのあたりを二人で散策してから早めに帰宅の途についた。


◆ ◆ ◆

自宅へ帰って普段の生活が始まった。久恵ちゃんは、生理中は自分のベッドで眠り、夜も寝床に入ってこなかった。


「生理終わった」と部屋に入ってきて、布団に入った。久恵ちゃんのいい匂いは久しぶりだ。「狭い部屋の方が落ち着くね」と身体を寄せてくるので抱きしめる。


久恵ちゃんの「痛い、痛い」が始まったので頃合いを見計らって、また「おしまい」ということにした。


「昔、同期の友人が得意げに結婚した時のことを話していたけど、初めてなので痛がってまともにできるようになるまで1週間かかったと言っていたよ」


「1週間もかかるの? でも頑張る。初めての夜にしてくれたように、うしろから抱いて寝て下さい」

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