9 降臨

「先日はありがとうございました。僕は大学を辞めました。就職先も見つけました。すべて各務様のお陰です。ありがとうございました。」


 健太郎が学校を辞めた数日後、わたしのもとにメールが届いた。

 全部健太郎から聞いていたから、わたしは驚かなかった。

「一緒に卒業したかったけど、俺は独り立ちすることにするよ」

 スタバでいつものようにくつろぎながら、健太郎はそう言ったのだった。

「部屋も借りるから、お前遊びにきたり、飯作ったりしてくれよ」

 そういって健太郎は笑った。

「いくらでも作るよ。苦手だけど」

「まさか。あんなうまいクッキー焼けるやつが料理苦手なわけあるか」

「お菓子作りと料理は別物よ」

 わたしは笑いながらカプチーノをすすった。

 健太郎との新しい付き合いに、少し期待していた。

 これからはスタバではなく、健太郎の家でくつろぐこともあるのだろう。

 だらだらとふたりで部屋で過ごすのも、悪くない。


 そして健太郎の学生生活が終わりに近づいた頃、わたしは健太郎に連れられて、各務様の会に行くことになった。

 健太郎がわたしを「彼女だ」と紹介してくれると「健太郎さんこんなかわいい彼女が居たのに、ずっと隠してたんですねー!」なんていわれて、わたしは照れた。

 しかしもっと照れたのが、みんなが各務を褒め称えるときだった。

「しかしこの前のお言葉、各務様は常人ではないな」

「何か専門的なものを修得してらっしゃるのかもしれない」

「男性でも女性でもきっと美しい方だ」

 それを、各務のことを知っている健太郎は、ニコニコしながら聞いているのだ。

 その横でわたしはおどおどしながら聞いているのだ。

 妙な画だった。そんなおどおどしているのが、今みんなが称えている各務なのだから。

「彼女さんは、各務様にははまってるんですか?」

 急にそう聞かれて、わたしは焦った。

 えっとかあのっとか言ってたら、「こいつはまだなんです」と健太郎が言ってくれて助かった。

「えー、よさが判らないんですか?」

 そう聞いてくる人はその中では珍しく、女の人で、健太郎ではなくわたしに直接聞いてきた。

「ページ見たことはあるんですか?」

「はい・・・」

「えーなんでだろう?じゃあなんではまらないんだろう?」

 わたしは黙っていた。

「もしかして、偏見とかあるんですかぁ?」

「えっ、ないですけど・・・」

「じゃあなんでですか?あんなにいいのに、よさがわからないんですかぁ?」

「よさは判ります」

 わたしはちょっとその言い方にイラッとしてきっぱりとそう言った。

「えっ、じゃあどうして・・・」

「ちょっと、もう、やめたげて」

 健太郎がそう止めてくれた。

 そんな健太郎とわたしを交互にその女の人は見て

「あーっ、もしかして彼女さん、各務様に嫉妬してるんじゃ」

 と言った。

 わたしはため息を吐いて少し笑った。

「ちょっと、なんですか」

 女の人が食って掛かってきたので、わたしは一気に喋った。

「嫉妬なんて感情はとても意味のないもの。己に自信のないものがするもの。嫉妬とは、即ち己を同時に見下していること。そんなさび付いた感情は生憎持ち合わせていない」

 わたしが喋り終えると、周りは水を打ったように静かになっていた。

 みんなわたしのことをびっくりした顔で見ていた。

 わたしはなんかやばかったかな、と焦った。

「・・・各務様みたいだ」

 ひとりがそう言い出すと「僕もそう思った」「同じこと思ってた」と周りが騒ぎ出した。


 まずい。つい・・・。


 どう切り抜けよう、と廻らない頭で考えていた。健太郎を見ると健太郎も焦っているようだった。

「各務様なんですか・・・?」

「知りません!」

 やばい、ちぐはぐなこと言ってしまった。

「そんな、俺の彼女ですよ?各務様が俺なんかと付き合ってくれるわけないじゃないですか」

 そう笑いながら健太郎が言った。

 その言葉に「そうか、健太郎さんの彼女さんだった」「そんなわけないか」と同調する人が出てきて、その場は収まった。

 ただ、さっきの女の人だけが訝しそうにこちらを見ていた。

 わたしは気持ちが悪かった。

 宗教者としてのプライドのようなものが、わたしにはあったのかもしれない。

 そして、それは爆発した。

「わたしが各務であったら、何か不都合か?」

 再びその場はしーんとした。

「いかにも、わたしが各務である。今日はわたしの会とやらがどのようなものか見に来た。なかなか楽しそうで、わたしは満足である。だが心しておいて欲しい。わたしを慕うのは自由だが、わたしを慕わないものを責め立てるような真似はするべきではない。わたしはそれは望んではいない。よいな」

 一気にわたしはそう言ってしまうと「では帰る」と素早くお店を後にした。

 後ろからは「お待ちください!」とか「各務様!」とか聞こえたが、わたしは無視してお店を出た。

 健太郎が慌ててついてきた。

 早足で歩くわたしの横を健太郎がついてくるので、ちらりと健太郎の顔を見た。

 健太郎もまた、そんなわたしの顔を見て

「今は各務様か」

 と言った。

「ご気分害されましたか」

 健太郎がそういうので

「隠すということは、嘘を吐くということは悪いことをしているときにすることであり、わたしは何一つ悪いことはしていない。そのことに気づかされた」

 と言った。

「今日のことはホームページにも書く。店に居た各務と名乗る女はまさしく各務であったと書く」

「僕はあなたのそういうまっすぐなところが好きです」

 わたしに歩調を合わせながら、健太郎はそういった。

「嘘がつけないようなところが、とても」

 健太郎は続けた。

「自分に対しても、嘘が就けないのでしょう?」

 早歩きをしていたのでわたしは疲れた。急に立ち止まって、肩で息をした。

「自分の正体に自分でも自分に嘘がつけなかったから、素性をバラしたのでしょう?」

 わたしは前を見つめたまま黙っていた。

「今度、あなたと、もうひとりのあなたにお話があります」

 その言い方に違和感を覚えて健太郎の顔を見た。

 すると健太郎は「あ、かるなだ」と言った。

「遅いから送るよ。いこうぜ」

 そういうと健太郎はわたしの手を取り歩き始めた。

 わたしはそんな健太郎の態度に、そこはかとなく安心感を感じていた。

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