かすかな星のひかり

 昼、チャイムが鳴る。

 のぞみは「はぁい」とうれしそうにスリッパを鳴らして玄関に向かっていった。


 どこか緊張したまま、ソファにすわった。

 新しい父親になる人間がどういうものなのか、まったく分からない。

 写真も見せてもらっていないから、どんな顔をしているのかもわからない。

 それよりも気になるのは、きょうだいになるかもしれない存在だった。


 自分よりも年上と言っていたが。


「勇魚、蛍、見えたわよ! いらっしゃい」


 出迎えを強要している。

 しかたがない、と腰をあげた。蛍はうれしそうに走って玄関に向かっていってしまった。

 のんきな弟がうらやましい。


 できるだけゆっくりと玄関へと歩く。いつまでたっても少女心を忘れない母親への、せめてもの意趣返しだ。


「遅いわよ、勇魚」

「こんにちは。きみが勇魚くんだね。のぞみさんとお付き合いさせていただいている、真崎和希といいます。こちらは息子のウタです」


 和希は、清潔感のあるグレーのスーツを着ていた。

 髪の毛は、黒々としていて、とても自分よりも年上の息子がいるとは思えないほどだった。

 肝心のウタという男は、和希の影に隠れるように立っていた。


 すこしだけ眠かった頭がさえる。

 あの夢と同じ背格好の男がいた。


 黒い、つやのある髪。すこし長い前髪からは、黒く、それでも薄い色の目がのぞいている。

 服装は白いシャツと黒いパンツと黒のブルゾンを羽織っていた。

 それはぶかぶかで、和希のおさがりだということがすぐにわかる。

 ――その細い線の男は、ぼんやりとした目で頭を下げてきた。

 どこか気品のある存在は、孤独だった。

 孤独。

 ウタは、この世界でただ一人きりだと勘違いさせるほどに、孤独な目をした男だった。


「……はじめまして。真崎ウタです」

「ウタお兄ちゃん!」


 蛍はすぐにウタを気に入ったのか、うろうろとウタのまわりを歩いている。

 おにいちゃん、という声。

 その声にそっと目を細めて、首をかたむける。

 その言葉ははじめて聞いた、とでもいうかのように。


「さあ、どうぞ。和希さん。お昼を一緒に食べましょう。朝から用意していたのよ」

「ありがとう。あがらせてもらおうか、ウタ」

「――うん」


 スリッパに履き終えた和希は、のぞみとともにリビングにむかった。

 ウタは、ぼんやりとスリッパを見下ろしている。


「履けよ」

「……うん」


 おそるおそる、スリッパに履き替えたウタは、じっと勇魚を見上げている。

 勇魚のほうが背は高かった。

 

「……どうかしたか?」

「きれいな家、だね」

「ああ……。うちの母親、フラワーアレンジメントの講師してんだ。あちこち花があるのはそのせい」

「そう」


 ウタは興味がさったように、和樹の背中を追った。

 ふいに手をみる。

 そこには絵具だろうか、色がまざったそれが手にまとわりついていた。


 リビングの机には、朝から作っていた料理が並べられていた。

 サーモンとアボガドのサラダ、オニオンとコーンが入ったスープ、チキンとチーズのソテー。りんごが入ったヨーグルト。

 いつもよりも豪華な昼食だ。

 いいところを見せたいのだろう。


「おいしそうだね、のぞみさん」

「どうぞ、めしあがって。ウタくんも」

「いただきます」


 和希は手をあわせた。この男が自分の父親になるかもしれない男か、と考えると、まあ、なるようになれと思う。

 別にいやな男でもなさそうだし、母とも相性がよさそうな性格をしていると思う。


 蛍はよろこんでごちそうに手をつけていた。

 滅多に食べられない御馳走だからだろう。

 ウタは、勇魚の目の前にいて、ゆっくりとフォークを動かしている。食べるのが遅い。

 蛍よりも遅い。


「食うの遅いな、おまえ」

「ちょっと、勇魚! なにを言うの!」

「いいんだよ、のぞみさん。そうなんだ。ウタは小食でね、食べるのも遅い。本当に、絵にしか興味がないんだからさ」

「絵?」


 まるで、あの夢のようだ。

 あの夢のなかの男も、カンバスに絵を描いていた。

 だから、手があんなにも絵具で汚れていたのだろう。


「ウタお兄ちゃん、今度アンパンマン描いてー!」

「あ……うん」


 そういう絵ではないだろうとは思うが、蛍の勢いに負けたのか、戸惑うようにうなずいた。

 やったぁ、という無邪気な蛍の声に、ため息をつく。


 ごちそうさまでした、というか細い声が聞こえたのは、他の勇魚たちがすべて食べ終わってから10分もたった後のことだった。


「じゃ、後片付けはお願いね。勇魚」

「は? どっかいくのか?」

「そうなの。ちょっと、そこの公園まで。蛍は連れて行くわ。ウタくんと仲良くね」

「しかたねぇな……」


 ウタを盗み見ると、ぼんやりと玄関に向かう三人を見送っている。

 勇魚も、三人の姿を見送った。こうしてみると、本当の家族のようだ。

 

(本当の家族、ね……。)


 そんなものに本当になれるのだろうか。

 分からない。


「……勇魚、くん?」

「あ? ああ、別に何でもねぇ。ったく、片づけまでが料理だろうがよ……」

「僕もてつだうよ」

「いらねぇよ。客だろ、一応」

「でも、一応、家族になるかもしれないから」

「家族か……」


 キッチンに向かうと、ウタも当たり前のようについてくる。

 手伝う気しかないらしい。


「じゃ、洗うから拭け」

「わかった」


 洗い終わった皿を渡すと、慎重にタオルで拭いている。

 ぼんやりとしている目をそのままに。


 窓の外で、えんじゅの木がすこしだけ揺れていた。

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