〜3章〜

第46話 【二度目の夏を迎えて】


 ―――7月某日。キュプラモニウム施設内。


 蔀がドアを開けると彼女は座っていた。

 氷峰が中に入ると蔀はそのまま静かにドアを閉めた。

 彼女は氷峰の姿に気づいて椅子から立ち上がり挨拶をする。


「はじめまして」


 初めましてと声をかけられた氷峰は、一瞬暗い表情を浮かべる。平気なふりをして挨拶をした。


「はじめまして……氷峰です」

「速水紫苑と申します。まあ座って」


 椅子を引いて氷峰を座らせる。彼女は壁際の給湯器のある側へ向かい、ふたり分のお茶を淹れる。片方を氷峰に差し出した。


「柊さんから話は聞いたわ。貴方が亜結樹の彼氏ね」

「はい……他には、彼何か言ってませんでしたか?」

「それしか聞いてないなぁ」

「そう……ですか」

「あ、ねぇ……亜結樹ちゃんとはうまくいってるのかしら?」

「え、いや……どうなんですかね」


 氷峰は苦笑する。速水も椅子に腰掛けて――


「ふふっ……どうって言われても困るな……」


 静かに笑みを浮かべながら相槌を交わす。


「私もできるだけ力になってあげる。それでね……私と……」

「……?」

「夏休みの間だけ、私と付き合ってくれる? それで亜結樹ちゃんの様子を見させてくれるかしら?」

「――!? そ、そんなこと……できません」


 速水はお茶を一口飲んで一息ついた。


「……柊さんから何を言われたか知らないけど一つだけ言っておくわ。これは実験と観察なのよ……」


「あの……俺と亜結樹のことなら心配しないでください。そっちこそ蔀に何を言われたのか知りませんけど」

「……」


 二人はお互い目を伏せ、相手の顔を見なかった。氷峰は湯呑みに添えた手を眺めていた。


「親のいない子を作ろうと思えば作れる。そういう時代……」


 速水は突如語り出した。


「不特定多数のクローンになりたいと望んでる人の多くは病死や自殺者」

「……?」


 氷峰は顔を上げ、速水の表情を捉えた。


「生前人生に失敗を感じてる人たちが、クローンに生まれ変わって人生を歩みたいと考えているのよ……でも――」


 速水は言葉を詰まらせる。陵がテレビで吐いた言葉をふと思い出す。

 彼はこんなことも言っていた。


 ――《だが、その人自身はそれで満足かもしれないが、周囲の人間はあまりクローンを歓迎していないのが現状なんです。その逆も然り。クローン達も裏側では人間を信用していない部分もあるんですよね》


「でも……?」


 うつむいて黙りこむ速水を覗き込むように一声かけるが――


「ううん……なんでもないわ。氷峰君は、亜結樹ちゃんのことを今でも好きだと思ってるのよね?」


 それ以上のことはなにも言わなかった。はぐらかすように話題を切り替えた。


「はい……。でも、俺気づいたんです。あいつのこと……」


 言いづらいことなのか落ち着かない様子で首筋を軽く手で掻いた。


「亜結樹の身体が好きなだけなんじゃないかって……」

「……そういうことか」


 氷峰の現段階の亜結樹に対する気持ちを知った。

 速水は蔀の考えを改めて確信するように頷いた。


「え……どういうことですか?」

「超えればいいんだわ、彼氏と彼女の関係を」

「超えるって?」


 ――『クローンとも家族になれればいいと思っている』


「家族……か」

「形だけでもね。そしたら亜結樹ちゃんも含めて三人家族。氷峰君は仮に――」


 ――父親になる――!?


「そんなの無茶ですよ!! そんな話あるわけ……」

「怯えることないわ。今私はあなたの恋人でもないし、必ず妻になるとは限らないわ。家族って言ったけど、亜結樹ちゃんのためにも、氷峰君のためにもこの方法しか、彼は思いつかなかったの」


「……わかりました。あなたの考えにできるだけ対応します」

「望むなら、私の妻になりたい?」

「その話はもう少しあとになってからしませんか? 俺と亜結樹の関係性知ったばかりでしょ」

「私とこれから付き合うって話したばかりじゃない。ふふっ」

「わ、わかってますって!」


 氷峰は頬を赤く染めながら返事をした。

 二人は部屋を出て廊下を歩いていた。

 速水は氷峰を出口まで案内すると言って歩きながら淡々と会話をしていた。


「亜結樹ちゃんは私のこと歓迎してくれるのかしらね」

「俺がなんとか上手いこと言って説得しますよ」

「うまいことって?」

「あなたが言ってた……恋人以上の関係を超えるってことをさ……。最初は意味が理解できないかもしれないけど――」


 氷峰は歩く足を止めた。速水も一旦その場に立ち止まる。


「俺もどこかで家族を求めてるんだなってことを、亜結樹にちゃんと伝えます」

「……そう」


 速水は歩き始めた。だが、氷峰は付いて行かなかった。「あの!」と少し声を張り上げた。

 速水は振り返って「なに?」と呟いた。


「俺……あなたのこと覚えてます。今でもあれ……大事に持ってます」


 氷峰の言い放った一言は、中学時代に遡る。亜結樹に渡したエンジのスカーフのことを彼は伝えた。


「なんのことかな……ごめんなさい。今は思い出せないわ。帰ったらまた連絡するね」


 そう言って彼女は角を曲がって姿を消してしまった。


「……」


 この胸の痛みはなんだろうか。俺は亜結樹と付き合っているのに、速水のことを考えるとあの日のことを思い出して、胸が苦しくなる。


 ――本当の恋は、こっちだったのか?

 ――亜結樹とはもう付き合いきれないのか?


 頭の中がぐるぐるする。氷峰は一呼吸置いて施設の出口に向かった。

 向かいながら亜結樹への思いを整理する。整理して、今度速水と一緒になったときにはこう伝えようと思った。


 ――俺は亜結樹を見捨てはしない。そう誓う。





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