第45話 【相談事 -5-】
―――数分前・空き教室。
海鳴の番がきた。教師との二者面談でなにを話すことになるだろう。
――プリントは白紙のままだしなぁ……。
教室の中央に二つの机が向かい合わせにくっ付いていて、海鳴はその片側の椅子に座り担任と向き合っていた。白紙のプリント見た担任は、少々頭を抱え込んだフリをした。
なにか考えでもあるのか、怪しいと思った海鳴はとりあえず自分のことについて話を切り出した。
「なぁ、先生……クローンに未来ってあんのかな」
「それは、今君と一緒に暮らしている人のことを思えば簡単なことだろ?」
「それって未来は立ち止まってても勝手に訪れてくるとか、そういう意味?」
海鳴の話は飛躍していた。
施設にいた頃の記憶はもうどこかに置き去りにしてきたかもしれないのに。
「なにも考えないで生きてきたわけじゃないだろ、お前だって」
担任の言葉の返しが不覚にも身に沁みてる自分がそこにはいた。
「先生は俺の正体知っててこの学校に入れたんでしょ?」
続けて海鳴は陵がテレビに登場して話したことを淡々と伝える。
「俺は存在してはならないクローンだったってこと知ってたんだろ?」
「……ひとつ、昔話でも聞いてくれるかな」
「昔話?」
担任は海鳴が悩んでいるものが計り知れないものだと理解した上で、ある話をした。
「この学校も数年前は荒れていたから、俺も大変だったんだ……。お前のようなクローンはいなかったけど、確かに”クローン”の生徒はいた。その子はとある生徒のせいで大怪我を覆ってそのまま学校を自主退学した」
「やめちゃったの? 行く理由がなくなったから?」
「そんな単純な話じゃなかった。その生徒がいたから行くのを怖れていた……だけだと俺は思った。けど違った。その生徒のおかげで目が覚めたらしいんだ。自分がクローンでどうしてその生徒の相手をしてしまったのか」
「……つまりクローンにはそれなりの生き方があるって言いたいわけ?」
「鋭いね。それで俺は怪我を負わせた生徒にその行動を取った理由を突き詰めてみたんだ。そしたら彼、なんて答えたと思う?」
「……クローンだからいじめたとか?」
それなりの生き方ってことは……つまり――。
「世の中搾取するかされるかだ……って胸ぐらを掴まれて言われたんだ。高校を卒業したら晴れて自由の身……ってわけにはならない。柊もその生徒の言葉の意味、わかるか?」
「俺も今のパートナーと離れたら本当の自由を手にできるかっていったら、わかんねぇな……」
「白紙のプリントはとりあえず受け取ったけど、お前は学校を卒業したらそのあともクローンなりの人生を歩んで行くことになるんだぞ」
「エスカレーターみたいなもんか……」
「そういうこと」
担任の昔話を聞いた海鳴は再生された人間のそれなりの人生の歩み方を、それなりに理解した。
――八束のそばにいる俺は、変われないのかな……。
――亜結樹と一緒にいたら、変われるのかな……。
五分か十分くらい経っただろうか。海鳴は担任とふたりきりの教室を出て、亜結樹のいる教室まで向かった。
――数分後・空き教室。
次の生徒が入れ替わり、亜結樹は担任の待つ教室の戸をノックして開けた。
「あれ? プリントは?」
「その……忘れてきちゃって……」
亜結樹は俯きながら呟いた。反省はしているようだった。
「白紙のプリント渡されるのと比べたら、まぁなにか考えてることでもあるのかな?」
担任は亜結樹がプリントすら渡せなかったことを、とやかく悪く言うつもりなんてなかった。
「先生……私、考えてるフリして実は……なにも考えてないかもしれません」
「……それはどういうことだい?」
亜結樹は「将来を不安視しているのか」と言われれば、そうだと答えるはずだった。
だが将来に対して自ら答えを出そうとしても、なにも出てこないのが現状だった。
「迷っているのに……考えることが怖いんです、きっと……」
施設を出て、氷峰弓弦という男と出会って一年が過ぎた。たった一年の間にいろんな経験をした。
亜結樹の迷いは学生服を着たその身なりにも現れている。
担任は亜結樹をこの学校に迎え入れる際に、何も知らなかったわけではなかった。
――この学校に入ってなかったら、海鳴に出会うこともなかった。
「海鳴はなにか先生に相談してましたか?」
亜結樹は担任の顔色を窺った。担任はほんの一瞬不味そうな顔をして見せたが――
「相談というか、いや相談のうちに入るのかあれは……。まぁ俺の若かった頃の話をしたんだが……」
表情が一変して亜結樹を見るなり笑みをこぼす。
「先生って昔っから教師だったんですか?」
「そうだったんだよ、実はね……こう見えて教師歴長いんだ、あはは」
そう言ってまた微笑んでいた。
しばらく、互いに俯いたまま無言状態が続いた。
亜結樹がどうして海鳴のことにこだわるのかまでは、担任でも把握しきれないことだった。
亜結樹は担任の顔をちらっと見て、なにかを訴えかけているようにも思えた。
担任の方から口を開いた。
「柊は……、あいつはあいつなりに将来を悲観しているようには見えなかったぞ。先のことを考えるのをやめるのは勝手だけど、それじゃつまらなくないか?」
担任は真剣に亜結樹に問いかけた。
「……そうですよね」
「氷峰……ひとつ言っておくが――」
担任は両肘をついて手を組んで前のめりになって、亜結樹の顔を覗き込んだ。
亜結樹は視線を避けたくても避けられなかった。担任と目が合う。なにか自分にとっての大切な話だろうか。
「人間は迷い続ける生き物だと思う。だからクローンも
――かつて氷峰
亜結樹は担任の言葉を聞いてほんのわずか眉を顰め、両膝の上で握りこぶしを作っていた。
「先生……クローンは……淋しい生き物なんだと思います。高校に入ってそれだけはわかりました。でも――」
まだなにか訴えようとする亜結樹に対して担任は遮るように――
「この国は優しくて冷たくて厳しい……かもね」
椅子から離れて、片手で亜結樹の頭をそっと上から優しく押さえた。
「……」
――先生……。
頭を一瞬撫でられた亜結樹も椅子から立って、窓際に立つ担任の側まで近寄る。
「先生、私の迷っていること知ってたんですか?」
「ん? それは施設から聞かされていたことだから。特別言わなくていいことだよ……」
だから「迷いのもと」を考えることを諦めないで欲しい、と担任は亜結樹に伝えた。
面談は終わり、亜結樹は担任に一礼すると教室を出た。
そのまま鞄を抱えて、海鳴の待つ校門の前まで駆けていった。
―――昼・キュプラモニウム施設内。
蔀は速水に「氷峰に会ってほしい」と伝えたあと、氷峰に「施設に直接来るように」と連絡を入れた。
休憩室で彼からの連絡を待っていると、急に背後から声をかけられた。
「よう、柊。お疲れ」
潮崎が気さくに蔀に話しかけてきた。蔀は窓辺の隙間風に当たりながら、パイプ椅子に座っていた。
この季節に入るとドアを解放させて風通しを良くしておきたいものだ。
入り口のドアの方も開いていたので、潮崎は通路脇から蔀の姿に気づいて室内に入ってきた。
なにか話しておきたい用件でもあったのかと思い返してみたが、今のところはなにも思い浮かばなかった。
「お疲れ様です」
とりあえず返事を交わした。すると潮崎は、蔀と向かい合うように空いてる椅子に腰掛けた。
「今朝、クローンの子を養護施設からパートナーのところまで送りに行ったんだ。車の中でしばらくずっと黙っていたと思ったらさ、いきなり俺に話しかけてきたんだ。なんて言ったと思う?」
「……わかりません。なにか引っかかることでも言われたんですか? クローンに……」
「いやぁ、俺さ、クローンに諭されるなんて思ってもみなかったよ。その子さ、自分が死んで生まれ変わったことを嬉しいと思わずに悲しんでた。悲しい目で俺を見つめてさ……」
――『クローンは何のために生きてるんですか? 人が必死になって生きるためにいつか死んでいくのなら、クローンは最初から死ぬために生かされているのですか?』
「パートナーとせっかく巡り会えても、感情が追いついてない……そんな気がした。死ぬために生かされてるだなんて、当たり前のように生きてる俺でもそんな考えは無かった」
蔀は嘆いていた潮崎の言葉の意味を真剣になって考えた。
「再生された人間が、死に対して敏感なのは一度死んだ記憶を蘇らせた結果です。生かされていると思うのは……――!」
白衣の下のポケットに入れてあるスマートフォンが振動した。通知を見ると氷峰からの返事だった。
「生かされていると思うのは……? え、答えは?」
潮崎は蔀の言いかけていたことを気にしていた。スマートフォンを見て黙り込んでいる蔀に潔いツッコミを入れた。蔀は顔を上げて潮崎の顔をちらりと見ると――、
「あとは自分で考えてください。クローンを受け入れていくうちにわかりますよ、きっと」
淡々と冷めた態度で言った。
「わかってるなら教えてくれても……――」
潮崎の声は虚しくも蔀の耳には届かなかった。蔀はそのまま潮崎を置いて休憩室を出て行った。
氷峰からは夏頃に速水と直接会えるという返事だった。
――パートナーとの出会いが生かされていると思うきっかけなら、その考え方を変えていくことになるだろうな。
――前に速水と話していた通り、初めからクローンが不幸かどうかを決めるのは組織の役目なわけだ。
――組織の役目……か。
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