第31話 【あの頃と同じ様な気持ちで -2-】
白い息を吐きながら、氷峰の家に辿り着く。玄関前まで来て、急にもやもやした感情に囚われる。それは、なんてことない、自分が好きな様に相手を欲すればいいだけのこと。だが、いざその状況を作ろうとするのには緊張感が隠しきれない。
八束は
―――夜・氷峰宅。
インターホンの音が鳴った。亜結樹は玄関のドアを開けた。
目の前にいた彼は少し耳を赤くしながら、さっさと入れろと言わんばかりの険しい表情をしていた。
亜結樹はすぐさま、氷峰の閉じ籠っている部屋へ案内した。
「部屋どこだ?」
「廊下出てすぐ右に曲がった奥。鍵かかってて返事もないの……!」
八束はドタドタと足音を慌ただしく立てながら、氷峰の籠っている部屋へ向かう。ドアの前に立つと、ガチャガチャとドアノブを引っ張った。
「おい、ミネいんだろ? 今すぐ開けろ!」
――生きてるよな?
握った手に変な冷や汗をかいてしまう。
「くそっ……おい! 生きてんなら開けろってんだよ!」
氷峰が部屋の中で、ナイフを喉元に突きつける瞬間だった。ドアノブの鍵が鳴っていることに気づき、気のせいなのか八束の声がぼんやりと聞こえてきた。
――八束……? 何で……。
氷峰はナイフを片手に握りしめたまま、立ち上がる。彼はドア越しに、弱々しく声を上げた。
「八束……なのか?」
「ミネ! おいドアを開けろ!!」
「ミネ! さっきは変なこと言ってごめん……」
八束の側まで近寄り亜結樹は氷峰に声を掛ける。彼が密室で何をしていたのだろうか……と不安になる。
氷峰は亜結樹の発した言葉に反応した。
――変なこと言ってごめん? 変なことって?
――今俺は何を考えて、命を絶とうとしたんだ?
ドアの鍵が開く音がした。すると勢い良くドアは開いて、目の前にいた八束が氷峰の様子を窺った。
「ミネ……お前っ!」
彼の手に握られているナイフに気づいた八束は、彼のナイフを握っている方の手を掴んで、捻り伏せた。
「痛っ……何、すんだ……よ!」
氷峰も尽かさず抵抗するが、ナイフは八束の手によって部屋の隅へ弾き飛ばされた。
「馬鹿野郎っ! マジだったのかよっ! !」
八束は思いっきり叫んだ。そして氷峰を押し倒し、馬乗りの状態になる。憔悴しきった彼の目を覚まさせようと、必死になった。彼は八束に倒されても尚、状況がよくわからないといった表情を浮かべていた。八束の顔を見上げるが、焦点が合わない。虚ろな目をしていた。
「お前、何しに来たんだよ……。あぁそうか……亜結樹に言われて来たのか」
「違ぇよ。……蔀だ」
「……――!?」
――蔀?
氷峰は八束の口から蔀の名前を聞いて目を見開く。驚きを隠せずにいたが、彼の目はまだ虚ろいでいた。八束は馬乗りになるのをやめ、彼の傍に胡坐をかく。そのまま彼の上体を抱きかかえるように起こしてやる。氷峰は怪訝そうな顔をしながら、彼の差し伸べられた手にされるがまま――身体を起こされ八束と目線の高さが合う。
そして――、
「細けェことはいいんだ。おい、こっち見ろ」
八束は氷峰の頭を片手で抱き寄せると、強制的に彼の口を塞いだ。
「――っ……!」
氷峰の瞳は口を塞がれた瞬間、輝きを取り戻した。
キスは長かった。そのまま八束の舌は氷峰の口を割って入り、彼の舌を弄ぶ。
氷峰は八束に頭を抱えられており、身動きが取れずにいた。
「……んふ……」
ディープキスを終えると、彼は思いっきり強く氷峰を抱擁した。氷峰は呼吸を求めて息が上がっていた。
「はぁ……何で……いきなり、何なんだよ、っ……お前」
「なァ、覚えてる? 俺らが高校生ん時のさ……。キスだけじゃ思い出さないっての?」
「……っ覚えてるって……何を……?」
氷峰を抱き締めたまま、彼は語りかけてくる。今さっき、氷峰が本気で死のうとしていた瞬間を止めた。蔀に言われた通り、口づけを交わして抱き締めた。抱き締めてやった。氷峰が息を切らしながら相槌をする。八束はずっと抱き締めた手を放さないでいる。
――やっと正気取り戻したか……。
「ほら、お前が高三の時に、お前が允桧を家に連れて来ててセックスしてるところ、偶然俺が見ちゃってヤキモチ妬いてさァ……」
「ああ……そこまで言われたら思い出したわ。……何で今更」
この状況を知ってか、今の氷峰は昔の自分に浸っている。だから「今更」という言葉を今の自分に言い聞かせてるみたいだった。
八束にキスをされたのは何年振りだろうか。允桧が八束を怒らせたのも今となってはもう思い出話だ。
「蔀が俺に言ったんだ。お前にキスしろってな……そんでェ……」
「はは……そうだったのかよ。……てかそろそろ放してくんない?」
八束の鼓動が早くなってるのを感じた。氷峰は八束が「そんでェ」と何か含んだ呟きをしたのを聞き逃さなかった。八束はまだ氷峰を離さないで抱き締めている。その様子を亜結樹はドアの隙間から少しだけ覗き込んでいた。
「……ミネ。今からセックスしよ……」
「は……?」
氷峰は確かにはっきりと言葉を耳にした。暫くしてから「ちょっと待て」と伝えたかったのだが、ドアの隙間から亜結樹が覗き込んでいるのに気づいてしまった。今の言葉聞かれたのかと思い心が焦る。恥ずかしいというよりも、亜結樹の心理状態が心配になった。八束は氷峰を解放し、スッと立ち上がり、亜結樹の方へ目を遣る。
「ちょっと、風呂借りるわ」
と言って、一旦氷峰の部屋を出た。
亜結樹は通り過ぎる八束に一言声を掛けようとしたのだが――、
「あ、あの……」
「あ、タオルだけ用意してくれりゃいいから」
彼の流れるような言葉尻に促されてしまい、何も言えなかった。
***
八束がシャワーに入っている間の束の間、亜結樹は氷峰と二人きりになる。
「……あいつ……本気なのか?」
「ミネ……。八束さんとやっぱり……」
氷峰の部屋に入り一歩づつ、歩みをゆっくり進める。そして遠くにあったサバイバルナイフを手に取り折りたたむ。持ち手の部分に知っている名前が刻まれていた。
――これ、陵さんのだ。
「お前には事情を話さないでおこうと思ってたんだけどな……。やっぱ気になるよな」
氷峰は頭を掻きながら――、
「大分前に、俺と八束は一緒に生活していた時期があった。でも俺が
嫌々ながら昔話を始めた。
「そうなんだね……。あたしには八束さんのことはよくわからないけど、ミネが允桧のことに触れる度に辛そうなのはわかってる。もういいよ話さなくて。八束さんとのことは……」
お互い何だか険しい顔になっていた。嫌っているというよりかは、今は八束がいることによって、二人の距離がある程度離れて保たれている。
「今は、お前の傍に居てやれない……リビングの方に居てくれ……」
「……うん。……わかった」
亜結樹はサバイバルナイフを眺めながら、氷峰の部屋を出る。そういえば八束のために、洗面所へバスタオルを用意しなければならなかった。
――八束さんにいい顔なんてしていられないな……。
亜結樹はムッと顔を曇らせながら、バスタオルを洗面所へ持っていく。洗面所の戸を開けたその瞬間、戸を開けた隙間から腕を捕まれ引っ張られてしまう。
「――!?」
「なァ、あんたどこまでしたの? ミネの相手」
「な、何ですか急に。……って裸のまま話しかけないでくださいっ!」
バスタオルを渡すはずが、それで顔半分を覆いながら、裸の彼を凝視する。彼の質問に冷静に答えたかったが、まずは下着くらい付けてくれと言わんばかりに睨む。
「あぁ悪ィな。で、どこまで相手したことあんの? キスくらいした?」
どうせこれから氷峰と性行為をするのに、渋々トランクスを穿きながら八束は言う。
「何でそんなこと八束さんに言わなきゃいけないんですか?」
「いや、何つーか……。ほら、アイツさァ、ああ見えてこういうことされんのすげー嬉しそうなんだよなァ」
「……?」
――嬉しそう? 俺とした時に嬉しそうだったってこと?
そういえば海鳴が、この目の前の裸の男も、本当に好きかどうかわからないと言っていた。好きそうな割には自分のことを愛してはくれない気がすると嘆いていたことを思い出した。
もしかすると氷峰にもそんなに悲しい結びつきがあったって事なのか……。
「だから、あんたもさァ……アブノーマルな所見せてやれよ」
八束はそう言うと、亜結樹から力任せにバスタオルを奪い取って、体の節々を軽く拭いた。
やはりこの男といると不機嫌になってしまう自分がいる。違う位置に彼はいるのだろう。彼が本当に海鳴のことを愛しているのなら、その気持ちを海鳴は彼に返していけるはずだ。それなのに、この男はきっと人を愛せずにいるのだと、亜結樹は思った。
――人を愛するってそんな簡単なことじゃないよね……。
――普通じゃないことをミネに見せろって?
――今のミネは……こっち側にいないんだ……。
「……あの……八束さ……――」
「……じゃーな」
亜結樹は彼に話しかけようとした途端に口を
八束は愛想無く使ったバスタオルを亜結樹に返した。
「……」
亜結樹は無言で受け取ったバスタオルを、洗濯カゴに投げ入れた。
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