第14話 【動き出す歯車 -3-】
―――七月某日・終業式の前日。
今日は祝日、海の日だ。
海鳴と八束は同じベッドに横たわっていた。
朝方、先に目を覚ましたのは――
「ふわぁ……今何時? や……――うわっ!?」
海鳴であった。ベッドの脇から足をはみ出して上体を起こそうとした時、彼は隣で伏せて眠る男に後ろ手を引かれ――
「おはようのキス、して」
と言われた。
「う……うん」
枕元に頭が勢いよく落とされる。真横にある八束の俯せの横顔と倒された海鳴の仰いだ顔との距離は数センチにも満たない。二人は暫く見つめ合うと、互いの吐息に触れる。そのまま海鳴の方から八束に近づき――鼻が微かに擦れて、八束は海鳴の頭を、細長い女性のような指をした大きな掌で覆う。二人は昨夜の余韻を引き摺る濃厚な口づけを交わした。
***
狭苦しい2LDKのアパートのリビングには、食卓机の他に二人掛けのアイボリーのソファが、テレビに向かって設置されていた。
二人はそこに、隣り合わせに座っていた。
八束は横向きに座り、腕掛けに背を凭れて、片足は膝を曲げ、もう片方の足は椅子からはみ出している。体育座りを崩した様な体勢になっていた。
「え? 明日終業式かよ。学校終わんの海の日の前じゃねぇの?」
「うん。なんか面倒だよなぁ……。祝日明けにまた学校……ってかさ、八束さっきのキス痛い」
海鳴は先程、舌を勢いよく吸われて噛まれた。
「アハハハっ。……悪ィ」
そう言って彼は、片頬を掌で包む仕草を見せながら、にやける。
「あんたさぁ……また最近になって普通じゃ飽きたみたいな事言い出してさ……――はぁ……」
頭の中で言いかけた言葉を
頭の中で――
――マンネリ化するのが嫌なんだろうな……。
――セックスの時だけ生きてる実感がして、終わると罪悪感抱えてんの、まだ治らないのかな……。
――ていうか、この人からセックス取ったら一体何が残るんだろう……。
と、八束から目を逸らしながら考えた。
「何ィ? ……言いてぇことあるならはっきり言えよ……」
「……別に」
八束の相変わらず目付きの悪い顔を見て軽く返事をする。
「あっそ。あー……あのさァ、俺は言いてぇことあんだよ。あの時の事」
「え?」
「おめぇ……俺より性格悪いだろぜってぇ」
「なっ……、何で今更そう思ったんだよ……」
海鳴は真剣な八束に動揺した。
「だってさァ、いじめられっ子守り抜いてきたおめぇがさ、その張本人窓から突き落とそうとするなんて、裏切りにも加減ってもんがあるっつーか。そのひねくれた感じやべぇと思うわ、マジで」
「あぁそうですか。説得力、全然無いんですけど」
海鳴は、何で八束にそんな事言われなきゃならないんだと目を伏せて、考える。
八束は俺の事になると真面目に、真剣に人との関わり合い方を教えてくれる。
それはきっと、八束が昔の何かの過ちを償う為なんじゃないかって思うから。
あと、本気で俺の事を好いているからだ。
「別に説得とかそういうんじゃねぇんだけど。おめぇあの子好きなんだろ?傘貸したのもアイツだって言ったしさぁ」
「何でそう思うの? ……亜結樹には俺と八束が付き合ってる事話したし……」
「は? あの子、俺と付き合ってんの知ってんのかよ。いやだからさァ、あんな真似したの何で?理由は?」
「理由なんて……。あ……亜結樹だから……、亜結樹だったから手が出ちまったんだよ」
「その子お前の何なんだよ。やっぱ恋仲なんだろ? いい加減白状しろや」
「だからそういうんじゃ……。そういう
「は?……てい?」
――俺が知らねぇ言葉を使うんじゃねぇよ。今、俺のこと軽く馬鹿にしただろ。
「八束……あのさ、頼むから亜結樹の事は気にしなくていいからさ――ッ!」
海鳴がソファから立とうとすると、八束は海鳴の手首を掴み――
「海。四人で行くだろ? 八月になったら」
そう言いながら、手首から滑らす様に、手の甲を親指の腹で撫でる。
そして手の甲の裏側を残りの四本の指を立てて軽くくすぐる。
海鳴は、自分の手の感触にそわそわした。八束はにやける事無くただ海鳴の手を眺めながら弄る。
「う……うん」
「もし、亜結樹ちゃんがお前の事を本気で好きって言うなら、俺はそいつにお前の事を誰よりも愛してるってのを見せつけてやるからな」
そう告げた八束の視線は、海鳴の色白の人形の様な冷えきった手だった。手の動きが止まる。
海鳴の顔を見ずに言った。もう片方の手で上から海鳴の手を包み込む。そのまま海鳴の片手を、ぎゅっと両手で握り締めた。やっと顔を上げて海鳴の顔を見つめる。海鳴は八束の顔を見た瞬間、目を見開いた。八束の表情は今まで見たことも無い『生暖い優しさ』を感じさせた。
「ちょ、冗談だろ? 止めろよそんなやり方……俺達が付き合ってる事はミネって人も亜結樹だって知ってるし……。じゃなくて――……っ」
――屈辱的だ……。他人に見せる前戯なんてあるもんか。
――馬鹿じゃねぇの? 何で見せつけたいの? しかも亜結樹に……。
「おめぇの言いてェ事わかってんぞ? お前の性格わかってっから、あえてそういう事言ってんだけど?」
八束はそっと海鳴の手を手放した。
彼に暫く握られていた方の手が温かくなっていたのを嫌がる事は無かった。
寧ろ不思議そうに、もう片方の冷えきった手で触れる。八束に握られていた手との温度差を感じた。
海鳴は、人肌に触れる優しさというものを改めて考えた。様々な感情が心の中で蠢いていた。
「あんたも十分性格悪いと思うよ。たまに塞ぎこんで何に思い耽ってんのかは知らないけど……」
海鳴は握られていた手を冷たい片手で摩りながら八束の悪戯に満ちた顔を睨んだ。
「あはは……。昔話……知りたい?」
「いや……今はいいよ。その内ちゃんと話して……。ちゃんと聞くからさ……。俺クローンだから。あんたの大事なパートナーだから」
三年くらい経っても今尚、縮まらなくて伸び切ったまま放置してある話。
海鳴はそれを知りたいと改まった態度で話す。
――あんたが病に
「ハッ、大事なパートナーねぇ……。ほんとお前いいことばっか言うよなぁ……可愛い」
八束は海鳴の性格を理解した気でいる。それは、海鳴を心から好いているからこそ、海鳴の心を理解しようと必死でいるからだ。彼は、海鳴に秘密にしている事がいくつかある。その一つに、海鳴が組織の重鎮のコピー人間である事を把握している。しかし、重鎮が誰であるのかを知らされていない。その事がどうも頭から離れないまま時が経ってしまい、蔀から聞き出すきっかけを失ってしまった。更にもう一つ。彼は三年経った今も、海鳴に中学時代や高校時代の話を一切話していない。それは話し出そうとした彼を、海鳴が宥めて話さなくていいと止めてしまったからである。これもまた話すきっかけを失ってしまった。
出会った当初は海鳴を『性的な欲求を満たす為だけの道具』として愛玩していた。だがここ数ヶ月、それが間違いだと気づき始めている。
それに、好きな相手に距離を置かれる恐怖を感じ始めたのは海鳴が初めてではない。
新たに陵から電話で亜結樹の存在を知り――六月の終わりに初めてその彼女と顔を合わした。亜結樹という子についてまだ何も知らない。相反する様に氷峰は海鳴の事をまだよく知らない。お互いのパートナーが惹きつける相手が誰なのか、二人は既に予感していた。海へ行く約束を交わした時、お互いの事を話せるチャンスだと思っているのだろう。
八束は、海鳴と性行為をする度に、脳裏に昔同居していた氷峰や、付き合っていた華木の面影が現れ、快感が病理に浸ってしまう事を理解している。本物の快感に向かうまで、彼は海鳴と決して別れるつもりは無いのだろう。しかし、彼は多情な故に氷峰と再会し、『氷峰弓弦』という男の存在に
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