第8話 【見えてくる形 -1-】
亜結樹に対する小さな嫌がらせは五月になっても続いた。
亜結樹の身に何かある度に海鳴が手助けをしてくれた。
そしてついに教室から亜結樹の机と椅子がなくなる事態となった。
「今日、保健室にずっといろよ。放課後、机と椅子持ってこような……」
「……うん」
――呼び出しとか話つけようとしても応じねぇしな、あいつら……。
海鳴は立花とその友人達の姿を遠目に睨んだ。
―――放課後。
保健室で亜結樹はベッドの上で横になっていた。
先生は職員会議に行っていて亜結樹以外誰も保健室には居なかった。
ノックの音がした。亜結樹は海鳴だと思い軽く返事をした。
ドア越しに笑い声が聞こえる。海鳴ではなかった。
「アハハ『はい』だって」
エミが笑って入る。次にもう一人、最後に――
「友美香……」
立花が入ってきた。
「体調悪いって聞いたからお見舞いに来たよ」
「違……。別にそんなんじゃ……」
「ねぇ友美香から聞いたんだけどさ、足全体に傷跡あるんでしょ?あたしたちに見せてよ」
エミが面白半分で言うと、亜結樹はすぐ――
「な、何言ってるの!? ダメだよ」
と言い返す。
「どうして? あたしじゃなくて友美香とは友達でしょ? あー違うか…今はこ――」
「エミ……言い過ぎ」
「あはは、ごめんごめん」
友美香がエミの言葉を抑えた。エミが次に二人のことを『恋人同士』と言おうとしたからだ。
「友達同士でも見られたくないものってあると思うんだけど…」
亜結樹は強く拒否した。
「じゃあ上だけ脱いで」
立花がそう言うと、エミが、亜結樹のブレザーを無理矢理剥ぎ取る。
「ちょっと止め……て」
「ブラウスも脱いで……」
立花は無表情で言う。
「……」
手を動かそうとしない亜結樹をエミが睨む。
ブラウスに手をかけようとしたその時――
「亜結樹……机と――ッ!?」
海鳴の声がした。
立花が振り返りカーテンを即座に閉めるが――
「お前ら何やって――!」
駆け寄って来た海鳴によって、カーテンが勢いよく開けられる。
「ホントしつこい……」
立花が静かに海鳴に文句を言う。
「……」
エミは黙っていた。立花が亜結樹の裸が見たいとは海鳴の前では絶対言えなかった。
「お前……明日授業終わったらちょっと話そうぜ。いい加減終わらせてぇんだよ……こういうの」
「いいよ……あたしも海鳴には言いたいことある気がしてたの」
友美香と海鳴は明日の放課後二人きりで話す約束をした。
立花達は保健室から去っていった。
海鳴と二人きりになる。
「亜結樹……先生に言って、空いてる机と椅子もらうか探すかしようぜ?」
「……わかってるよ」
亜結樹はブレザーを着てベッドから立ち上がると、海鳴と一緒に保健室を出た。
***
亜結樹と海鳴は今日も一緒に帰り道を歩いている。
「お前さ……立花達のこと気にしすぎ」
「無視したくてもできないよ。だって……」
友達だから……そう言おうとした時――
「向こうは友達だなんて思ってねぇよ。いい加減察したら?」
「何で? そんなわけ……」
言われてしまった。
――海鳴……怒ってる?
「あー何ていうかさ……わかってんならさ……顔に出せよ。それともあいつらのこと嫌いにならないわけ?」
「うん、別に嫌いじゃないよ」
「そーなんだ……」
「何?」
――あぁ……やっぱり放っておけないタイプだな。
――何だろ……もう少し近づいてみたい気がする。なのに――。
――何だか違う胸騒ぎがする。……この感情は……恋じゃなくて……。
「俺さ……お前の事好きなんだ」
「……うん」
「けど――……」
海鳴は何か言おうとしたが、続きの言葉は口にしなかった。
亜結樹は彼が何を言いたかったのか、まだわからなかった。この時はまだ――。
「あたし、気づいてたよ……海鳴があたしのこと好きなんだって」
「いつから?」
「机の落書き見た後から。あたしも……そう接しなきゃって。……恋人みたいに」
――何となく……だけど。あまり意識してないけど。だって――。
――あたしにはミネがいるから……。
「ふーん……じゃあ――」
海鳴は亜結樹より前に出て、振り返り足を止める。
亜結樹も釣られて歩くのを止める。
「これからも恋人同士ってことでいい?」
海鳴は不敵な笑みを浮かべる。
「……うん」
亜結樹は海鳴の表情を見て、少し疑いの念が芽生えた。
澄んだ瞳が彼の少し濁った瞳を捉える。
海鳴の黒い瞳の中には何か裏があるような――そんな気がした。
「じゃ、俺こっちだから……」
「じゃあね、また明日……」
亜結樹は海鳴と別れ、帰宅する。
―――翌日・放課後。
「誰もいないところで話そう?」
立花が席を立とうとすると――
「いいよここで。そのうちみんな教室からいなくなる……」
海鳴が制する。
「……」
立花は海鳴を睨んだ。目が合った海鳴は――
「何?」
と言った。
立花は自分の席に座り込み――
「別に……わかった。亜結樹もさ……海鳴ほっといて、先に帰れば?」
亜結樹に目を向ける。亜結樹は立花から一瞬目を逸らし――
「図書室に借りてた本返さなきゃ……」
と呟く。
「はぁ……そうなんだ」
立花は目を閉じ両手で頬杖をついて、嘆いた。
「ご、ごめん……じゃまた、ここに来るかもしれないから……」
亜結樹はそう言って、本を片手に教室を出ていった。亜結樹は先に帰るとは言わなかった。何故なら亜結樹は海鳴と一緒に帰ると心に決めていたからだ。
立花は亜結樹が海鳴と一緒にいたい気持ちに既に気づいていた――。
彼女は――何度も海鳴と亜結樹が手を繋いで歩く姿を見ていたから。
***
廊下の足音も無くなり、校内は静まり返る。教室内は海鳴と立花の二人だけになった。
「……柊君の話したいことって何?」
「……お前から話せよ。俺の話、長ぇから」
「そう……。ねぇ、あたしが何で亜結樹を苛めてるか……理由気づいてる?」
「うん、気づいてたよ。別に言わなくてもわかるよ」
「そうなんだ……」
「お前さ、アイツのどこが好きなの?」
「そんなの柊君に言いたくない……関係ないじゃん!」
「関係あるよ……。だって俺、亜結樹と付き合ってるもん。俺はアイツの話し方とか、声とか、見た目とか……全部好きだぜ」
海鳴は飄々と亜結樹と付き合っている心情を吐露する。その態度に立花は少し苛ついていた。
「知ってるよそんなこと……。やっぱり、柊君に聞いてみたら予想通りの答えだったみたい。もういい」
――あたしは亜結樹のことが好きだから……苛めているの。
「じゃ、俺の話していい?」
「いいよ? 何?」
「お前みたいなのがいると……亜結樹が馬鹿に思えてくんだよね。これ以上亜結樹に関わろうとしないでくれる? 無理?」
「それ……亜結樹のこと思って言ってるの?」
立花は海鳴の目をまじまじと見る。海鳴が何を言い出しているのか、状況を掴もうとしていた。彼女の言葉を聞いた海鳴の態度には嫌悪感が滲み出ていた。彼女を見つめる目付きが変わった。
「どうかな……。俺が亜結樹の事どう思ってるかなんて、俺の勝手だろ? 違う?」海鳴は嘲笑う。立花に向かって刺々しく言う。
「なんか……その言い方……。何それ……ムカつく……」
「お前には話しておこうと思うんだけどさ……。俺……亜結樹のこと――」
そう言いかけて、椅子から立ち上がると、一番後ろの席まで歩き出す。
そして窓に手を添え――
「貶めたいと思ってんだよね。心のどっかで」
立花にそう告げる。窓の外を眺めた後、振り返り立花の顔を見下ろすと――
「ふふ……柊君て、そういうタイプだったんだ……」
立花は冷笑し、彼女も椅子から立ち上がり海鳴に少し近づく。
――俺と立花は……恐らく同じタイプだ。
――恋愛に上下関係というか……どこか自分が優位に立ちたいと思っている。
――誰かを虐めたい……そういう感情があるんだ。
――同等の恋人関係なんて築けない……。それに俺自身は――。
「だからさ……亜結樹の事苛めんのそろそろ止めたら?」
「どうして? 柊君は何でそこまでして亜結樹に執着するの? あたしが亜結樹のこと好きだってわかってるのに!」
「気持ちわりぃからだよ……」
「――ッ!」
――ゲイは認めるけど女同士は認めたくない……。どうしてかな。俺の中で、女に対してどうも偏見があるらしい……。誰の影響だろうか。
「女同士でねちねち、傷つけ合ってさ……――」
「――そういうの見てっと虫酸が走るっていうかさ……」
海鳴は言いたいことを続けざまに、くどくど吐き出す。そして――。
「亜結樹じゃなくて、さっさと他の男と付き合えよ! 亜結樹がレズビアンなんて勝手に決めつけんなよ!このレズ女!」
憤慨した。海鳴の言葉のマシンガンに打ちのめされた立花は一瞬足を竦めた。だが唇を噛み締め――
「……最低――!」
一歩踏み出し、海鳴の頬を叩いた。
海鳴は叩かれた衝撃に驚き、反感する間もなかった。その場に呆然と立ち尽くす。
しばらくすると、瞳に光が宿って考えが頭の中を巡る。
――少し言い過ぎたか。でもスッキリした。
――俺は亜結樹のこと、好きなんだ――。
――だけど立花と同じで……この恋愛は……上手くいくわけないな……。
――きっと上手くいかない。それに――。
――俺は亜結樹が男らしくいる見た目に……一番惹かれてんだ……。
――でもアイツは男じゃない……。何で? 俺は……男が好きなの?
海鳴はまだ亜結樹がイフであることを知らない。
この時はまだ彼女のことを女の子だと思っていた。
立花は教室の入り口の戸を開けようとする。すると先に誰かが戸を開けた。亜結樹だった。
「友美香……!」
亜結樹は思わず声を出した。立花は亜結樹の声に動じることなく、教室を出ていく。
「あ……」
亜結樹は立花の走り去る姿を見た。そして――
「海鳴……?」
真正面にいた海鳴の姿を見る。
「追いかけなくていいのかよ」
「え?」
「立花の友達でいたいんだろ? さっさと行けよ」
そう言った海鳴の片方の頬は赤かった。
「……うん」
***
「待って! 友美香」
「……」
「友美香は……あたしの友達でいてくれるよね?」
「友達? 何言ってるの?」
友美香は苦笑した。
「あたし、亜結樹のこと友達だなんて一度も思ってないよ。恋人だと本気で思っているの。だけど――」
「……」
「女同士ってやっぱり上手くいかないんだね」
「友美香……」
「あたし亜結樹のこと好きだけど嫌い。嫌いだけど好き」
立花は混乱していた。眉間に皺を寄せながら亜結樹に話しかけ――
「亜結樹のこと考えると胸が苦しくてしょうがないの!!」
そう叫んだ。
「じゃあ何で……何であたしを虐めてるの?」
「……快感なの」
「快感?」
「あたし、亜結樹が悩んだり苦しむ姿が好きみたいなの」
立花は悔しそうな顔をする。
彼女は、亜結樹のことが好きという感情を、上手くコントロールできずにいた。
己に対しての悔しさが顔に表れていた。
「何……言ってるの?」
「柊君……鬱陶しいと思ってたけど、何で亜結樹と一緒にいるのか知ったら、なんかもやもやしてたのすっきりしたんだ……」
「海鳴があたしと一緒にいる理由?」
「知りたい?……只の恋人関係じゃないって知ったの、あたし」
「あの……さ」
「何?」
「友美香……本当は……気づいてたんでしょ?」
「……」
立花は無言のまま口角だけ上げる。目は笑っていなかった。
亜結樹が男でもあることに、立花は制服を脱がそうとしたとき、予感がした。
人前で着替えることなど誰でも嫌がることだが、その場で抵抗した亜結樹には、性的な違和感を覚えた。海鳴が亜結樹のことを彼女として見てることに違和感を覚えた立花の心は、亜結樹の性的な魅力が男であるか――女であるか彷徨っていた。
だが海鳴の言葉に傷付いた時点で、もう自分の恋は終わったと思ったのである。
それに海鳴に暴力を振るってしまったこと。
立花はもう亜結樹に対して自分の感情を押さえることができなくなってしまっていた。だからこれ以上、亜結樹に関わったら己をセーブすることができないだろう。
今度自分が何をしてしまうのか、怖くて仕方なかった。
亜結樹の傍に海鳴がいてくれるなら――
――自分よりクローンといる方が亜結樹の為になるなら――。
「……友美香……何か言ってよ」
「……」
――あたしはもう亜結樹の傍にいられない。
――勝手に傷ついて、傷つけたんだ……。
「亜結樹……もう止めるね。今までごめんね……」
立花は、黙って亜結樹の側から立ち去る。
「待って……友美香――!」
――何で今謝るの?
――いじめが悪いことだってわかってる……けど――。
――友美香だって傷ついてるんでしょ?
亜結樹は、立花に付いていこうとする。だが――
「ついてこないで! ……近づいたら、次何するかわからないよ?」
立花の凍りつくような眼差しに足を竦める。亜結樹は立花に脅された。
「……――っ!」
亜結樹は立花の姿が見えなくなるまでその場に立ち止まっていた。
――海鳴……友美香に何言ったんだろ……?
――それは……聞かない方がいいかもしれないけど――。
――知りたいかも。すぐじゃなくても……いつか……。
立花が去った後、亜結樹は教室に戻る。
だがそこに海鳴の姿はなく、彼女は一人で帰った。
――海鳴に疑念を抱きながら……。
―――翌日、立花は学校を休んだ。
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