第2話 【友情と恋人】


 ―――翌日。



 今日はよく晴れている。その男は晴天を嫌う。


「あーだりぃ……。なんでクローンの俺が勉強なんかしなきゃなんねーんだ」


 青年は独り言をぶつぶつ言いながら、通学路を歩いている。


「おはよ、柊」

「ん、……はよ」


 校門前でクラスメイトの一人と合流する。柊と呼ばれたその男は、亜結樹が通う学校の生徒である。名は海鳴かいめい陵莞爾みささぎかんじという男が名付けた。教室に入ると鞄を机にドサッと下ろし、いつもの窓際の席に座り込んだ。

 窓に目を遣ると、どこまでも澄んだ青空が拡がっていて嫌気が差す。自分は男性型クローン。儚い空を眺めると、ふと運命に踊らされているような気がして、自分の生まれてきた理由や過去を知りたくなってしまう時がある。しかしながら、今生きてることに、過去を知る必要があるのかと疑問を投げ掛ける己も存在する。


「……はぁ……ねむ」

 机にへばりつくように両手を前に伸ばしてのびのびをする。

「柊君! ねぇ聞いた?」

「ん……何?」


 気安く話し掛けてきたのは、同じクラスのリーダー格の女、立花友美香たちばなゆみかだ。


「今日転校生がうちのクラスに来るんだって」

「へー……そーなんだ。男? 女?」

「そこ大事だよね」

 そう言って立花は笑う。立花は海鳴の一つ後ろの席である。

 彼女は鞄を机に下ろすと、そのまま机に身体を凭れ続けて話す。


「ねぇ、どっちに賭ける?」

「は? かける?」

「あたしは女子が来る方に。今日の学食のメロンパンおごってもらおうかな」

「何だよ、俺んち金あると思って言ってねーか? じゃあ俺は男子が来る方に……そーだなぁ……」

 海鳴はにやにやしながら――

「お前の初恋の相手、暴露してもらおうかな」

 と言った。

 その言葉を聞いた途端に、立花は急に冷めた顔をした。

「……」

「ん? どした?」

「あ、いや何でもないって」


 立花は我に返り、直ぐ様笑顔を作る。

 そんな会話をしてる間に、教諭の足音が近づいてくる。

 朝は生徒が出入りするので戸は開きっぱなしであった。開いてる戸の入り口前に転校生は立っていた。彼女の姿は、窓際からだと丸見えであった。


「ズボン穿いてるけどあれ女だな……」

 海鳴は後ろの机に寄りかかると、先生にばれないよう立花にこっそり話す。

「……そうね」

 そう呟いた立花は、純粋で恋人を見つめるような眼差しだった。

「入ってきていいぞ」

 先生に言われ、彼女は教室に入って来た。黒板に自分の名前を書き始める。

 クラスの皆は彼女が、生理的に男であることに気づいていない。

 ズボンを穿いた、男らしい女に見えたようだ。海鳴もそう思っていた。


「あれ何て書いてあるの? あ、ゆ、き……って読むの?」

「当て字だな……片仮名表記でいいじゃん別に」

 立花と海鳴はひそひそ会話を交わしている。

「氷峰亜結樹です。よろしくお願いします」

 亜結樹が皆の前の方を向き挨拶をした。

「えー時間無いから……みんな仲良くしろよな……以上」

「せんせー、そりゃないよ」

 クラス中に笑い声が広がる。

「えーと、彼女の席は……あそこな。柊の隣な」

「はい」

 亜結樹は返事をしてから海鳴の隣の席へ向かった。

「……よろしく」

 少し緊張した面持ちで、彼女は海鳴に挨拶する。

「ああ……よろしく」

 海鳴も亜結樹の顏を見て、軽く会釈をする。亜結樹の左斜め後ろに立花の席がある。

「氷峰さん」

 小さい声で亜結樹に声をかけてきたのは、立花だった。

「!」

 亜結樹は後ろに振り返る。

「あたし立花友美香たちばなゆみか。よろしくね、亜結樹

「うん……よろしく」

「それじゃ、メロンパンおごってもらおうか」

「え?」

 立花がにっこり笑って亜結樹に話すと、それを聞いた海鳴が――

「は? 何パンの数増やしてんだよ!」

 と立花にツッコミを入れた。


 ***


 チャイムが鳴り、お昼休みになった。海鳴が勢いよく椅子から立ち上がり教室を去って行く。

「メロンパン二個よろしく~」

 立花はそう言って彼を見送った。

「あの、立花さん……」

「友美香でいいよ、亜結樹ちゃん」

「……」

「どうしたの?」

「あの……ちゃんづけ苦手だから、呼び捨てでいいよ」

「そうだったんだ……。ごめんね」

「うん……」


 ***


「はぁ~ぎりぎり間に合った……メロンパン二つください」

「はい二百円です」

 海鳴はメロンパンを購入し、階段を駆け上がり教室へ向かった。亜結樹、海鳴、立花のいるクラスは売店があるエリアから一番遠い。運がなければ、売店に一番近い高一のクラス生徒が、メロンパンを買い占めてしまう日もあるそうだ。


 ***


「あ、来た来た!」

 立花が嬉しそうに亜結樹に声をかける。海鳴が袋を下げながら、亜結樹と立花の元へ歩いてくる。

「ほらよ」

 海鳴が袋からメロンパンを取り出し机に置いた。

「へぇ……意外と大きい」

 亜結樹は初めて食べるので、どんな味がするのかワクワクしていた。

「ちょうど俺が着いた頃には二個しかなくてよ。間に合って良かったぜ……はぁ」

「それじゃ、いただきまーす」

 立花がそう言ってパンを一口齧る。


「あれ? 柊君はお昼食べないの?」

 メロンパンを手にした亜結樹は、ガゼットパウチを片手に持った海鳴を、不思議そうな目でみる。それを昼食と思えるかどうかは、人それぞれだ。

「ん? ああ俺は水とこの栄養材だけでいいんだ。ちょっと特殊な体してんだ」

「特殊な体……?」

「なんか普通のクローンとは違うとか、この前言ってたよね。純粋だとか……よく知らないけど」

 立花が海鳴の言葉を補足する。

「まぁ……人間の出来損ないって話だよ。そういやお前何で男子の制服着てんだよ」

 予想通り聞かれた。

「あたしも気になってた! どうして?」

「それはえっと……、足全体に、大きな傷跡があって……それ隠してるの」

 海鳴と立花は目を丸くした。

「あ……聞いちゃまずかった話?」

 海鳴は亜結樹の顔色を窺った。

「そう……なんだ……ごめん」

 立花はすぐ謝った。

「まぁそういうことなんだ。あたしも海鳴とはちょっと違うけどクローンだから色々と……」

「そっか……なんか悪いな……」

「……」

 亜結樹は自分のことを言い切ると、パンを一口齧かじった。

 海鳴と立花は亜結樹がクローンであることを知った。だがイフであることには気づいていない。


 亜結樹は服装のことを氷峰に言われた通り『足に傷跡がある』とだけ二人に伝えた。下半身が男性であることはばれずに回避した。最初はぎこちなかった三人の会話も、徐々に弾んでいった。亜結樹は自分が畏怖クローン――イフであることを絶対ばらしてはいけないと、隠すので必死だった。



 ―――昼・同時刻・キュプラモニウム施設内。


「事後報告遅れました。亜結樹を氷峰弓弦の所へ預けてきました」

「あぁ昨日の話? 何、一日くらい大丈夫だよ。了解」


 陵莞爾みささぎかんじは振り返り、しとむの顏を見て返事をする。したと思ったら、すぐパソコンの画面にかじりついた。彼の髪型は、オリーブブラウンの天然パーマのショートヘア。顔立ちは名前に似合わず、目の下に大きなくまがある。莞爾の名の通り、にっこり微笑んでも、周囲からはその笑みが不気味だと思われがちである。彼の態度は、飄々ひょうひょうとしていて、頭の回転が人一倍早い。そして口調は流暢りゅうちょうであり、彼と会話すると、答えが倍返しされることも時偶ときたまあるという。


「よくそんな平気な顏していられるわね……。私は平気だけど」


 陵の席から二つ空いた席に座っていた速水紫苑はやみしおんが、作業をしながら蔀に声をかける。彼女は、蔀よりひとつ年上である。だが蔀より、組織に属した時期は遅く、彼の後輩にあたる人物である。髪型はストレートのショートヘアボブで色は赤めの濃い茶。顔立ちは穏やかであるが、口調は蔀と似ていて、あまり感情を表に出さない話し方をする。


「……前から知っていたからな」

「……知っていた?」

 彼女は允桧まさひの存在そのものをまだ知らない。

「……」

 蔀は微かに暗い表情を浮かべていた。

「速水さん、ちょっと席はずしてくれるかな? 蔀君と二人きりで話したいことがあるんだ」

「わかりました」

 速水は書類を抱え、蔀と陵がいる研究室から立ち去った。


 ***


「お前さ……亜結樹を造り出した張本人なんだぞ? もう少し責任感持てよ」

「持ってます」

 蔀は即答した。

「あっそ。イフは差別される存在だってわかる? 俺は差別するよ。允桧まさひの様にな」

「そうですか……」

 蔀は無表情だった。感情を押し殺している。

「允桧の事を思えばこんな失敗……亜結樹は十七になる。法律で一般家庭へ引き取られなければならない……ああ何で亜結樹は産まれてきてしまったのか……允桧の様にならなきゃいいけどさぁ」

「允桧は本当に失敗だったんですか?」

「それ……今聞くことかい?」

 パソコンの画面から目を離し、蔀の方へ振り向く。

「なら亜結樹が産まれてきてしまったことも今言及しないでください。亜結樹を失敗だとは、認めたくありませんが……畏怖クローンも人と同じで成長する生き物なんですから……」

「そーだね。まぁその事はおいといて――」

 デスクに肘をかけ、頭を支えながら蔀に話しかける。

「君の弟の八束君て言うんだっけ?あの子の性格何とかしてもらえないかなぁ……」

 陵は苦い顔をする。

「はい?」

「海鳴君は俺の純粋なクローンなんだよ。それを汚すようなことをしてるんだよあの男は……! 何で男同士でセックスなんかするのかなぁ……。あー考えただけで寒気がするわ」


 ――彼は同性愛に否定的だ。好きに言わせておけばいい。


「海鳴が愚痴ったんですね……あなたに」

「そうそう、あの子、何かあればこの施設に顔出して俺に会いに来てくれるんだよ。いい奴だろ?」


 ――陵が「いい奴」と使う表現は「頭のいい使える人間」と言っているようなものだ。


「クローンに純粋とかあるわけですか?」

「何言ってんの~、遺体を合成してないから、純粋な生き物だろ? 海鳴君は、俺のクローンだ。ほら髪型とかさぁ、顔立ちも若い頃の俺そっくりなんだ。でさ、その話聞くと、どういうわけかさぁ、八束君に俺が犯されてる気分になるわけ。あー気持ち悪っ!」

 ぶつぶつ話ながら、スーツの胸ポケットから写真を取り出し、蔀に渡す。


「……言われてみれば確かに。そっくりですね」

 蔀は写真を一目見るとすぐ陵に返した。

「ねぇ……君ならわかるでしょ? 海鳴君を八束君に与えたのは、八束君の為じゃなくて……海鳴君の為だってこと」

「どういう意味ですか?」

「ふふ……クローンは人間より頭が優れているんだよ。俺は彼を彼よりも劣っている人間と一緒に居させることで、海鳴君の成長を見守りたいと望んでいる。君はそうは思わないかい?」


「その言い方……まるで私が弟に海鳴を引き渡す許可をもらったのも、計算の内って聞こえますけど?」

「あれ? そう? 彼、あの時まだ中学生だったし、本当は法律違反なんだよ? 十七になるまでクローンを人様に居候させるのって」

「知ってて許可してくれたじゃないですか。伯父さんも黙っててくれましたし……」

「ふふ……甘えてるね? まだ二十三だもんね? はははっ」

「笑わないでください……弟の面倒を見るのが煩わしかっただけですから」

 蔀は無表情のまま、思った事を口にした。

「ははは……そこが笑えるんだよ」



 ―――昼・同時刻。


 氷峰は携帯を眺めていた。今は仕事の休憩時間中だ。

「何だ氷峰……これか?」

 そう言って仕事仲間の先輩が、小指を立てて近寄ってきた。氷峰の職業は、鳶職だ。あらゆる建設現場に派遣されている。今日は、自宅近郊の、一戸建ての改築現場に駆り出されていた。


「何すか……別に昔の男友達の連絡先見てただけっすよ」

「あーそっち? 俺平気だからそっちの話も。気にしねぇから何でも相談しな?  な?」

「だから違いますって! 何で恋愛に持ってくんすか話を」


 だが心の中ではそれを否定できずにいた。氷峰は、柊八束とは高校時代に、友達以上の関係を持ってしまったことがある。蔀はそれを黙認していた。


「まぁそんな顏すんなよ、どうした?」

 隣に腰掛けてくる。

「俺、今……クローンと暮らしてるんです」

「へぇ、その子……男なの?」

「いや男っぽい女の子って感じです」


 その答えは間違っていた。事実、亜結樹の体は下半身は生物学上男である。だが氷峰は、亜結樹の表情、上半身を見ると、どうしても男として見ることができずにいた。畏怖クローンと接するのは初めての事ではない。允桧に続いて二度目であり、不気味だとか、気持ち悪いとは思わなかった。だが、彼女の性に困惑している。いざ目の前にすると、下半身が男性であることに対して、過去の自分を省みるようなことになってしまい、苦しんでいた。それは、八束と体を交えたこと、そして允桧を見棄ててしまったことと頭の中で繋がってしまう。


 彼は中学二年生の時、一つ上の先輩に告白し、ふられて以後女性不信になった。それで、女性から距離を置くようになり、同性愛者になった。だがその心境も、亜結樹という名の畏怖クローンに出逢って変わろうとしているのかもしれない。


「あれ? お前女苦手とかこの前飲み会の時言ってなかったっけ? 付き合ってんの!?」

「いやいやまだ会って間もないっすよ」

「お前悪いことは言わねぇよ、両性愛者になんなよ!」

 氷峰は上司に、背中を手で勢いよくどつかれた。

「何言ってんですか…まだ先の話ですよ?」

「はははっ。女とも上手くやってけよ?」

 そう言って上司は立ち上がり氷峰の傍を離れていった。

「……違うっての」


 氷峰は頭を掻きむしる。携帯をポケットにしまい、ヘルメットを被った。

 亜結樹のこと話してる時、誰の事考えていたんだ俺は―――……。


 ―――俺は八束や允桧のことを考えていた。



 ―――夕方・帰り道。


「それじゃ、また明日ね」

「バイバイ」

「じゃーな」

 亜結樹は立花と別れた。海鳴と二人だけになった。

「帰る方向同じなんだね」

「そうだな」

「……」

「……」


 歩きながらしばらくの間、沈黙が続いた。

 亜結樹は海鳴がクローンであることを知り、彼に少し興味がわいていた。

 特別意識をする関係ではないのだが、一つ気になっていたことを尋ねた。

「あのさ、柊君もあの施設育ち?」

「ん? ああ……施設で産まれたよ。で、今は八束って人と一緒に暮らしてる」

「じゃあ苗字はその人の……」

「あぁ、柊ってあの施設立ち上げたあの柊って人だよ。でもアイツは確かその会長の弟さんの息子だとか言ってたなぁ…」

「ん? ええと……もう一度言ってくれる?」

 亜結樹は話についていけなくなったことを苦笑いしながら、海鳴に言った。

「え? だから……会長は双子なんだってさ。会長さんの弟が親父だってアイツ言ってたんだよ」

「そういうことか」

 亜結樹は理解する。続けて海鳴に話し始める。

「あたしさ、柊先生に氷峰って人の所に連れていかれたんだけど……」

「あー、お前もそうだったのか。俺も蔀さんに八束のこと紹介されたんだ」

「え! そうだったんだ。それでさ、柊先生って弟いるんでしょ? どんな人なのかな?」

「弟いるっていうか、俺今、その蔀さんの弟と暮らしてんだよ……っハハ」

 そう言いながら海鳴は笑いだした。

「へぇ~そうなんだ」

 亜結樹は楽しそうに返事をする。種は違えど、自分と同じ施設で生まれ育った人物に出会え、少し明るい気持ちになれた。


「どんな人って言われるとな……。なんか元不良だったから、見た目怖そうな奴だよ。お兄さんとは全然違うっていうか……。あ、でも目つきはお兄さんと似てんなぁ……」

「ふーん」

「じゃ、俺こっちだから」

「うん、じゃあ、また明日」


 一本道が続いていた道も双方に分かれる。海鳴は右へ、亜結樹は左へ向かい、歩き始めた。



 ―――日没後。


「お疲れ様です」

「おう、また明日よろしく」

 氷峰は仕事場を去った。

 夕闇に包まれ、街灯の薄暗い灯りだけが道を示している。氷峰は歩きながら考えていた。亜結樹は、学校に馴染めるだろうか……と。

 反対方向から人影が見えてきた。


「あ、ミネさん」

 明かりに照らされて現れたのは、亜結樹だった。

「お前……その……つけるのやめてくれ」

 氷峰はそう言って苦笑した。

「でも、年上だから……」

「敬語も上手く使えねぇくせに、上下関係とか気にすんな。ていうか初めて会った時、蔀のことって呼んだの、寒気がしたわ」

「え! 先生と知り合いなの?」

「知り合いも何も、アイツとは中学が同じで、高校ん時は一度しか会わなかったけど――」

 言いながら煙草を取り出し、一本口にくわえると、ライターで火を着ける。

「――今ではたまにお互い飲みに誘う仲だ」

 白い息がその場に立ち込んだ。

「そうなんだ」

「だから俺と暮らしてる間は、先生のことはシトムさん、俺のことは呼び捨てで構わねぇ。言っとくがアイツ、俺と同い年だからな」

 煙草をくわえながら、蔀のことを亜結樹に説明した。

「え!? そうだったんだ」

「お前……友達はできたか?」

「うん、席が近い人と、話できたよ」

「そうか……。ま、上手くやってけよ?」

「うん」

「四月になったけど、まだ夜は肌寒いな…早く帰ろう」

「うん」

 二人の姿は冷えきった夜の寒さを感じさせない温かい雰囲気を出していた。



 ―――日没後・同時刻。


 海鳴は帰宅した。


「ただいま~」

「おう……お帰り」

 金髪のショートヘアの男は振り返らず、空返事からへんじをした。


「八束……また今日何もしてねぇの?」

 八束と呼ばれたその男は、椅子に腰掛け、スマートフォンをいじっていた。


「何もしてねぇことねぇよ……」

「はぁ……。ゲーム? やってて楽しいの? 働いたら?」

「クローンに言われたかねぇよ。いいんだよ別に、お前は俺の心配なんかしなくて」

「心配というか、お兄さんに迷惑かけてんじゃないの?」

「は? 迷惑だ?」


 八束はスマートフォンから目を離し、海鳴の顔を見た。彼の表情は、別に怒っているわけではない。ただ、生まれつきつり目で、目つきが悪いだけだ。


「蔀さんのお金頼っててさ、俺達、平気な顏して暮らしてんだぜ? 迷惑かけてんじゃん」

「金の事ならアイツに聞け。俺は知らねぇ。俺はお前の保護者になったつもりもねぇしな……」


 海鳴は台所に立ち、ガラスコップに水道水を入れ、一口飲んだ。

 一呼吸おき――

「……今日は……するの?」

 八束の顔を見ずに、呟いた。


「いや……今日はそんな気分じゃねぇな。あー腹へった。何食おうかな~」

 八束は、椅子から立ち上がり、コンビニの袋からカップラーメンを取り出し、お湯を注ぐ。

「んなもん食べてたら早死にするだろ?料理作れば?」

「うっせーな……クローンに言われたかねぇよ。俺よりお前の方が長生きしねぇんじゃねぇの?クローンだからよ」

「! ……」

 海鳴は一瞬ぞっとした。

 八束は蓋を開け、ラーメンをすすり始める。そして一口食べ終えると――

「ははっ、何、冗談だっての。本気にすんなよ」

 と言い放った。


 その態度はとても軽快で身勝手だった。しかし、彼は過去にあったことを今も引きずっていて、暗い表情を時折見せる。海鳴は、そんな彼のメンタルケアのために、三年前、蔀によって、施設から連れて来られた。彼が高校を卒業すると同時に、一緒に暮らすことになった。柊蔀は、海鳴に直接自分が弟と一緒に暮らすのが嫌いだとは言わなかった。だが海鳴は彼が言わなくてもその事に感づいていた。海鳴がまだ中学生の姿だった頃、彼は学校には通っておらず、陵のもとで育てられていた。体は細く、軟弱で、虚弱体質でいることは自覚しており、体調管理には人一倍、気を使っていた。だから、八束の食生活に口を挟むようになったのである。


 海鳴は、八束と出会ってから、同性愛というものを知った。

 知ったというより、陵から同性愛がどういうものか話は聞かされていた。

 海鳴の初めての相手は、八束であった。今も八束にでられ、それを仕方なく受け入れている。


「……今日転校生が来たんだ。そいつもクローンだって言ってた」

「へぇ……男? 女?」

「うーん……男っぽい女かな。顏は女なんだけど、ズボン穿いててさ」

「ふーん……お前そいつに惚れたの?」

「え? まだそんなんじゃ……っていうか八束『惚れた』って言ったら怒るだろ?」

 笑いながら食事を済ませた八束に話す。

「ハハッ、そうだよ……」

 と言いながら、ラーメンの容器を洗い流し、ゴミ箱へ捨てた。八束は、台所でポケットからタブレットを取り出し、口に含む。口の中で噛み砕きながら、海鳴に近づき、上から見下ろした。海鳴はヤツカを見上げる。そのまま栄養材を飲んでいた所を八束に見つめられ、噎せてしまった。


「ゴホッ……っヤツ……っカ何噛んでっ……ゲホ」

「アハハハ! 何噎せてんだよ!」


 海鳴は八束が口直しにタブレットを取り出して中身を口に含んでいる姿を見て、そのときキスされると思った。八束は海鳴のことを好いている。


「お前やっぱ可愛いな……」

「可愛いって男に使う言葉なの? それ」

 海鳴も八束のどうしようもない感情に答えてあげている。お互いその場で数秒見つめ合う。そして――八束は、海鳴の顎を軽く持ち上げ、上体を曲げて、座り込むカイメイにキスをした。


「……ん……。今日はしないんじゃないの?」

「気が変わった。てかさ、お前最初からその気あったじゃん」

 八束はそう言うと今度は、海鳴の口の中を貪る様に舌を入れる。

「ん……ぁ……。ま、待って……」

 海鳴は横を向いた。椅子から立ち上がり、八束の手を掴むと――、

「ベッド行こ」

 八束の手を引っ張り、部屋へ誘う。

「おうおう、わかったって。手ェ離せって」

 八束はニヤニヤしながら海鳴に引っ張られ、連れられる。

 二人はその後、長い夜を共に過ごした。






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