Parched love

メラミ

〜1章〜

第1話 【出会い】

 夜明け前。鳥の鳴き声も未だに聴こえてこない、静寂に包まれていたマンションの一室で電話が鳴りやんだ。上半身裸の男は、寝たまま枕元に置いてある携帯電話に手を伸ばし、通話ボタンを押した。耳に当てると親友の声がする。


 ――『もしもし……』


「こんな朝早くに何?」


 男はそう言うと、上体を起こし、ベッドに腰かける。


 ――『お前に紹介したい人物がいるんだが……今からその人と共に家に向かっていいか?』


「え? ……ああ。今日、日曜か……」


 ――『名前は……亜結樹あゆき。遺体の一部を合成して再生された、畏怖クローンだ。中学生ぐらいの姿で生まれ、今日まで俺が勤めている施設で育てられていた。人間の年齢で言えば十七になる』


「!? ……イフ……だと?」


 淡々と話す男の冷静な態度が目に浮かぶ。彼は、一瞬耳を疑った。直ぐ様親友を問い詰める。再び、あのような悲劇を繰り返したくはないと、親友に投げ掛ける。


「おい……イフを……俺に会わせてどうする気だ……」


 ――『みささぎさんいわく、お前にしか頼めないそうだ』


「誰だよ陵って?」


 ――『彼のことはいい。今は允桧まさひのことは忘れろ』

 と言った時の、彼の声が微かに震え声になっていた。


「……わかったよ。俺以外に頼めないんだったら仕方ねぇ……引き受ける。今日はいつ来てもいい」


 ――『……ありがとう』


 俺達の国はクローンと共存している。クローンがどうやって、人々の暮らしに馴染んでいくのか―――それは、教育だ。十七歳になったクローンは学校へ通わせている。国について話すと、法務と医療機関がタッグを組んで新たな組織が発足した。その名は――キュプラモニウム。クローンを生成する際に使われる水溶液の色が、高級感のある再生繊維の物質と同じ色から、その名を取ったそうだ。その組織が所有する施設で、一時的に保護されるクローン達を担当医師が、任意の一般市民に引き渡している。詳しく言うと、その施設では研究も兼ねて、誰かが死亡した際、親近者が死亡届けを出さなかった場合、死亡者が不特定多数のクローンになる意思表明をしていた場合、任意で提供されるDNAを死亡届が提出されていない人及び死亡者本人と合成し、蘇生を行っている。それを世間は仮にクローンと言っているが、それはクローンというよりフランケンシュタインの生み出した名前のない怪物の様な話だ。人間と区別するためにそう呼んでいるのだろう。

 また施設で合成の際に、物珍しがられたクローンが産まれてしまったことが、過去にあったという。


「イフ……二人目か……」


 その名は畏怖クローン。通称イフと略される。遺体の組違い、遺伝子操作の誤りで産まれる異端のクローンだ。俺が昔出会った允桧まさひがその最初の畏怖クローンだった。

 その正体は、男性の容姿に女性の性腺や、外性器、内性器が存在する。その逆も有り得るそうだ。性分化疾患のクローン人間のことを、組織の人達がそう名付けた。施設は、允桧のことをおおやけにはしなかった。その理由は、性が曖昧な人間を人工的に創り出してしまったということが、性に対する冒涜行為だと懸念したからだ。遺体を再生利用していて、ヒトクローンを創造しているのにも関わらず、セクシャルマイノリティに否定的なのがいぶかしい。過去に允桧が産まれたのには何か理由があるはずだ。


 この世では医師が神扱いされているようなものだ。

 亜結樹を紹介してきた人物こそ、まさにその医師である。名は柊蔀ひいらぎしとむ。双子である俺の義父の弟と母の間に産まれた人で、俺の義父――彼の伯父が組織のトップを勤め、彼自身もまたその組織の一員である。中学が同じで成績が優秀であり、隣のクラスにいた有名人だった。幼少期遊んでいたこともあったが、小学校は別々だった。中学生の頃、不良に絡まれているところを助けられ、六年ぶりの再会に喜んでよく一緒に帰る仲だった。高校時代はこっちも色々問題を抱えていたから、ちゃんと会って話す機会は少なかった。だが、今ではたまに飲みに誘う仲だ。彼は施設に勤めて三年ぐらいになるそうだ。


 彼は高校生の時、允桧の存在は伯父から聞かされていた。彼も俺と同じように、允桧に一度会っている。だが、彼とは通っている高校は違ったため、允桧とは直接関わらないように過ごしていた。が引き起こしたあの事件に出会でくわすまでは。


 蔀には二歳下の弟がいる。俺は弟のある事情で中学・高校時代を彼と共に過ごしていた。


 ――昔話はさておき……。

 ――俺はまた、允桧と同じ様に接することになるのか?

 ――違うと思いたい。

 ――アイツは自ら命を弄び、そして自ら命を捨てた。

 ――俺は彼を引き止めることができなかった。

 ――アユキという名のイフは……どんな性格を持っているのだろうか。


 そう考えている間に、インターホンの音が鳴る。蔀と例のイフが来たようだ。

 氷峰は静かに戸を開ける。


「よう。ほら、挨拶しな」

 隣にいた人物はそう言われ、蔀の脇から顔を出して、氷峰と目が合う。


「は、はじめまして。亜結樹あゆきです……」


「……」


 ――……見た目は女? いや短髪だし、胸は少しある。

 ――そういうことか……。

 氷峰は挨拶もせず、まじまじと彼女の体を見ている。


「おいミネ。お前も挨拶しろよな」

「お、おう。悪い……よろしくな……」

 ため息混じりの呆れた蔀の声に、ふと我に返り――

「……とりあえず、中入れよ」

 と言い、二人を招き入れた。


 テーブルに蔀と氷峰が向かい合わせに座り、蔀の右隣に亜結樹がきょとんとした顔をして座る。


「この子の苗字は?」


「同居人ならお前の苗字でいい。同じが嫌なら母親の旧姓でも構わない。言っておくが、クローンを住まわすのは養子縁組ではないぞ」


「嫌な法律だな……あと、学校に通わせるんだよな?」


 氷峰は蔀に冷静に話しかける。

 蔀は氷峰の言葉を聞きながら、書類にペンを走らせる。


「当たり前だ」


「学校?」


 亜結樹が呟いて蔀に問いかける。


「君も人間と同じ様に勉強しなくちゃいけない。今から高校生になるんだ」


 彼はそう言いながら書類をしまい、腰を上げる。

 部屋のドアノブに手を伸ばした時――


「なぁ……八束やつかは元気か?」


 氷峰は蔀の足を止める様に、口を開く。


「ああ……。あの後も、無事高校を卒業したし……おそらく元気にしてるだろ……」


「そうか……」


 氷峰は安堵した表情を浮かべた。


「あいつまだ何か問題抱えてんじゃねぇかと思ってさ……」

 氷峰がそう呟いたとき、間が空き――

「何とぼけた事言ってんだ……問題ならまだあるだろうが」

 蔀は嘆いた。


「は?」


 氷峰は、ぼんやりした顔をして反応する。蔀はドアノブに手を伸ばすのを止め、振り返り氷峰に一言にやけながら言った。


「お前ならわかるだろ? その問題とやらに直接会って答えてあげたらどうだ?」


「んだと……俺はもう昔の俺じゃない。あいつとはもうそういう仲じゃねぇ」


 その意味を理解するかのごとく、氷峰は眉をひそめて、蔀を見上げた。お互い地獄を見てきたような眼差しに、亜結樹は疑うことなく側にあるオレンジジュースに手を伸ばした。


「ねぇ八束って誰ですか?」


 亜結樹はコップから口を放すと二人の会話に入る。すると氷峰は――


「ああ、蔀の弟だよ」


 片手で頭を掻きながら、向かいに座っている彼女に返事をした。


「ふーん……」


 亜結樹は頬杖をついて、淡々と返事をした。

 氷峰は椅子から立ち上がり、蔀が廊下に出ていく姿を見送る。


「なぁ、今日からもう一緒に暮らせってのか?」

「何言ってんだ。彼女が、允桧のようになるかはお前次第だ」

「おい、お前も引き摺ってんじゃねぇかよ……允桧のこと。しかも今、亜結樹のことさりげなく彼女って……」


 氷峰は、亜結樹の下半身に目が行く。


「允桧は俺の上司が初めて創造してしまったことだったんだ。俺だって最初はアイツの態度に気が狂いそうになった。それにアイツは……」


「それ以上允桧の事言うんじゃねぇよ……。アイツの事はもう過ぎた事なんだ……」


 玄関前で緊迫した会話がされている。亜結樹はドアの隙間から二人の会話に耳を傾ける。


「お前なら亜結樹のことは、允桧のようにはならないと信じている」


「それはアイツが、女顔の男だから言ってんのか?」


「そうじゃない」


「……」


「言い方は悪いが、彼女は女性としての機能を持たない。だから彼女自身が大事に至る事はない」


「………」


 氷峰は無言で蔀を睨んだ。彼の冷淡な態度に胸中がわだかまる。

 彼はこれから亜結樹と共に暮らすことになったのをまだ不幸だと思い込んでいた。


「あと、もう一つ言っておく……」

「何だよ」

「お前、イフの性別を勝手に決めるのはよくないと思っているのか?」

「いや……そりゃわからねぇな」

「亜結樹にも允桧と同じような真似をするのか、それはお前の自由だ。俺は黙認する」

「だから、何でそういう―――……」

「クローンはそういう関係を望んでいる。一緒に暮らす以上避けられない」

「じゃぁ……肉体的にどう接するか…俺の自由ってわけだよな……?」


 氷峰は静かに口を開いた。

 その言葉には感情がこもっていなかった。人欠片もなかった。何も感じられない彼の言葉は、無神経であった。それを理解して、付き合わせようとする蔀もまた無神経なのかもしれない。


「……イカれてるな」


 そう言いながら蔀は、人差し指を頭に軽くトンと突き指し、氷峰を睨んだ。


「それはお互い様だろ……こんな世の中」


 壁に肘をあて、彼女に聞こえないように囁いた。


 亜結樹は二人の聞こえない会話に、恐怖を覚えることなく、一人頭の中でぐるぐる考えていた。出生の記憶、施設で育ったこと、蔀から聞かされた允桧という名の畏怖クローンの事を。


 己がイフである事を。


 ――俺は……あたしは理解してるよ……イフだってことくらい。


「だって……高校生だから」


 亜結樹は独り言を小さく呟いた。


 ***


 蔀が氷峰の家から去ると亜結樹と二人きりになった。どうしたものか。允桧まさひといた頃と同じ様にはなりたくない。俺ももう社会人になる。少しは精神的な付き合い方もするべきなのだろう……。

 ドアを開けると亜結樹はベランダの窓に手を当て、外を眺めていた。

 俺の家はマンションの五階にある。高くもなく低くもなく、空を眺めるには調度良いと思った。亜結樹が俺の気配に気づき、振り返る。

 その時の表情はどこか悲しげで、俺は彼女の大きく開いた瞳に吸い込まれそうになった。


「あの、年齢聞いてもいいですか?」


「ん? ……あぁ、俺は二十三になる。お前十七だろ?」


「うん……」

 亜結樹は返事をすると、氷峰の方を見ずに再び空を眺めていた。


「俺は……あたしは、あのマサヒの事故のこと、知ってる。先生から聞いた」


「先生? ああ、蔀のことか」

 氷峰が聞き返すと、亜結樹は彼の顔を見て、ゆっくりと頷く。


「そうか……どこまで聞かされたか知らねぇけど、それ以上お前はもう何も知らなくていい」


 棚に置いてある煙草とライターを取りながら話す。火を点けようとした時――


「一人称を植え付けられたんだって?マサヒは……それってどういう意味?」

 ――手が止まった。


 ――あいつ……。どこまで話したんだ……。


 無表情のまま口に加えたまだ火が点いてないタバコを握りつぶす。

 氷峰は亜結樹の背後に近づく。感情を押し殺していたが、亜結樹に何をさせてあげるべきなのか頭の中が右往左往する。彼女が彼から目を放してまた外を眺めていると、真横にごつごつした腕が傍にあった。


「――!?」

 氷峰は亜結樹の背後から、ガラス戸に手をつき――

「俺が怖い?」

 と亜結樹の耳元に話しかけた。

「別に怖くないよ」

 亜結樹は軽く返事をした。すると彼は亜結樹の頭をポンと軽く押さえた。

「よしっ」

「ちょ……何だよ。えっと……」

 亜結樹が彼の名前を呼ぼうとした時――

「ミネでいい。ヒョウミネはなげぇから」

 と彼は言った。

「うん……ミネ……さん」

 亜結樹は小さな声で返事をすると、独り言のように彼の名前を呟いた。

「さん……って……」

 氷峰はため息をついて頭を掻いた。そしてリビングのソファーベッドに腰を掛け――、

「まぁ座れよ、亜結樹ちゃん」

 と呼び掛けた。

「――!? ……ちゃん、て……何?」

「え? 蔀は教えなかったのか? 一人称のこと」

 亜結樹は小さく頷いた。

「どっち?」

 と言って氷峰の隣に座る。

「女の子」

 と言って彼は、亜結樹の肩に腕を回そうとするが、思い切り振り払われてしまった。

「っ! ……いって……」


「出会った初日から抱かれる奴がいるかよっ!! ばっかじゃねーの!!」


 亜結樹はソファーベッドから勢いよく立ち上がり、怒鳴った。


「あ、亜結樹ちゃん? どうした?」

 ――てか口悪くねーかおい。

 氷峰は突然感情的になった亜結樹の態度に困惑していた。

 やはりいざとなると戸惑う。


「ちゃんづけあたし嫌い!」


「そ、そうなのか……?」


 じゃあ逆にどうしろと。下心を剥き出しにしたつもりではなかったのだが、スキンシップが逆に彼女自身を追い込んでしまった。しかしクローンがそういう関係を望んでいるとしたら、なにも怖がる必要はない。いや、彼女は、彼女自身がイフであることに対して、他人とどう接していいか、わからなくなっているだけかもしれない。

 彼は――いや彼女は、性自認が確立されていないのかもしれない。


 氷峰は心の中で思った。


 ――彼女は……允桧と凄く似ている。

 ――さっきまで大人しく人間の言葉に従順かと思えば急に口調が変わったり、癇癪を起こすところがある。

 ――もっと亜結樹の事を知りたい。いや、知らなければならない。これは実験だと思えば……。

 ――亜結樹は允桧と同じ畏怖<イフ>クローンだ。だが允桧と違うところは、下半身は俺と同じ男性であるが、顔立ちは気のせいかもしれないが、


「じゃあアユキって呼ぶから」

「うん……」


 彼女はがらりと態度が変わり、急に微笑んだ。とても自然な笑みだった。イフはヒトクローンであり、アンドロイドじゃない。性を彷徨う人間と同じだ。


 ***


 二人は亜結樹の部屋にいる。ここは昔、氷峰と共に暮らしていた蔀の弟――八束の部屋だった場所である。これから彼女の部屋になる。

 亜結樹は明日から学校に通わなきゃいけないことを聞かされた。氷峰は亜結樹の身支度を手伝っていた。彼は今、亜結樹が学校へ行く準備を手伝っていた。


「亜結樹、学校のみんなには絶対ばらすなよ? 何が起こるかわかったもんじゃねぇ……」

 そう言って亜結樹に明日着ていく制服を渡す。


「わかってるよ」

 亜結樹は、氷峰から制服を受け取りハンガーに掛ける。


「男子の制服着てたら、逆にからかわれるかもな……。でもスカート穿かせるわけにもいかねぇし」


 氷峰の考えが正しいかどうかは人それぞれかもしれない。氷峰は亜結樹の見た目が女性でありながらも、身体的には――特に下半身が男であることに意識が回ってしまったそうだ。


「大丈夫だよ。学校では、あたしって言うし……」


「お前の場合、心じゃなくて体だからな。『俺』って言ったらバレると思うな多分。あと……そうだ……」


 何か考え込み、ネクタイと一緒に女子が身に付ける臙脂えんじ色のスカーフを差し出した。


「中学じゃないよ?」


「身につけるんじゃない。御守りだ」


「御守り?」


「ある人が持ってた物なんだけど……大事に持っとけ。鞄に結びつけといてもいい」


「ある人って? 昔の恋人?」

 スカーフを見ながら亜結樹は呟いた。


「そうだよ。わかってんじゃん。それ以上聞くな」


 その臙脂色のスカーフは、氷峰が中学二年のときにひとつ上の先輩から強制的に受け取った物だった。氷峰はその先輩に恋をし――そしてフラれた過去がある。


「何であたしなんかに…?」


「お前は……俺と友達のままでいたいか?」


「え……?」

 亜結樹は彼のその重々しい言葉に何も言い返せなかった。


 ――あたしはイフだから、今は友達以上の関係になれるかなんて、わからない。

 ――でも、もしそれ以上の関係になれるとしたら……あたしは――俺は、どっちなのだろう?


「明日、みんな……あたしが顔立ちは女の子に近いってことを理解してくれるのかな?」

 鞄にスカーフを結びつけながら彼に話しかける。


「余計な心配すんな。もし服装のこと聞かれたら、『足全体に大きな傷痕があるから隠してるんだ』って言っとけばいい」


「うん……わかった」


 二人は静かに食事を終え、各自シャワーを浴びた。

 亜結樹は風呂から上がると氷峰に呟いた。


「一緒に寝ないの?」


 ソファに座っていた氷峰は、飲んでいた缶ビールを口から漏らしてしまった。


「っ……は? お前まだ早いだろ? そういうの」

「そっか……」

「てかさっきの……腕回そうとして悪かった。怖かったんだろ? 本当は……」

「う、うん……。でも大丈夫」

「明日早いんだから、もう寝ろよ」

「うん、おやすみ……ミネさん」


 そう言って亜結樹は自分の与えられた部屋へ向かった。


「だから……さん……ってなぁ……ったく」


 氷峰は呟きながら飲みかけの缶ビールを一気に飲み干した。






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