湖畔の魔術師
咲部眞歩
湖畔の魔術師
市街から車を二時間も走らせると、周囲は山々に囲まれ自然一色になり、緑の匂いが強くなる。避暑地として有名なここは、中世ヨーロッパにタイムスリップしたような建築様式の金持ちの別荘が点在し、いまぼくたちの目の前にあるのはその中でも群を抜いて目立つ、「古城」だった。目の前に大きくはないが静かな湖があり、空から見れば左右対称に作られた古城が湖に映し出され、見事な自然の絵を完成させるだろう。
「あそこね」
横に立つ彼女は言った。両手を合わせ、足元の芝生を靴ですりつぶしている。瞳は古城に向けられたままだ。
「ああ、今回の事件の関係者であろう佐伯氏の別荘だ」
数週間前に舞い込んだ失踪人捜索の依頼。対象を追っていくうちに、佐伯氏が経営する製薬会社の元社員が複数人、連絡がつかなくなっていることがわかった。どの人物も身寄りがなく恋人もおらず、いつの間にか消えていても気にするのはアパートの管理会社くらいであろう人物たち。対象には恋人がいたが、彼女はその存在を会社には完全に隠していたようで、その恋人からの捜索依頼だった。
「失踪人全員が会社を辞める直前に佐伯と面談を行っている。そして、そのうちにさらに何人かは、“いい話がある”と周囲にこぼしていた」
対象もその一人だった。対象と恋人は結婚の話を進めており、会社を辞めるのに、「お金のことは心配いらない」と言っていた対象に疑問を感じたという。
「におうか?」
「うん」と彼女はうなずいた。
「佐伯氏が魔術師本人かどうかはわからない。でも、あの人と依頼人から微かに漂ってきた匂いと同じ匂いが、この古城からは強く感じる。ここで魔術が使われたことは間違いないと思う」
話を聞いたときはただの失踪人捜索だと思った。しかし彼女は依頼人から僅かな魔術の匂いを感じ取った。魔術には使用者によって個別の匂いがあるという。おれにはそれを感じ取ることは出来ない。
「嫌な匂い。黒くて、どろどろしてる」
「それは匂いに対する形容としてはいまいちわかりづらいな」
「そういうものなのよ。魔術師じゃないあなたにはわからないだろうけど。若い女性ばかり狙うゲスな魔術師らしい匂いだわ」
失踪したのはすべて二十代の未婚の女性だった。それだけでも十分オカルト的な要素がある。捜査を進めれにつれて、この件には魔術師が関わっているという予感は強まった。
「しかし、お前が助手としてうちにきてからなんでこういう依頼ばかり舞い込むんだ。言っとくがな、以前は浮気調査やペットさがしとか、普通の依頼だけだったんだ。おれにはお前が事件を呼び込んでいるとしか思えない」
「それはあるかも」と、彼女はにべもなく言う。
「魔術師同士はどうしても引き合うの、否が応でもね」
「いますぐお前をクビにするっていうのはどうだ?」
「あなた一人で今回の魔術師に立ち向かえるとは思えないわ。予想だけど相手は西洋の黒魔術を修めている。拳やけん銃だけじゃ太刀打ちできない相手も世の中にはいるわ」
そのとき、強い風が吹いた。生ぬるく肌に絡みつくようなそれは、湖面を激しく震わせた。さっきから彼女がすりつぶしていた芝生が舞い上がる。それは刃のようにするどく、一つが痛みとともにおれの頬に小さな傷を作った。
「気づかれた。でも、こっちも気づいた。魔術師はいまあの中にいる。あら……?」
彼女はおれの頬についた傷に気付き、少しだけ黙るとその幼い顔に似つかわしくないにやりとした笑みを浮かべる。
「なめた真似してくれるのね。今日はもう帰りましょう。なんの準備もしてきていないもの」
「おい、勝手にしきるな」
背を向けて車に向かう彼女に声をかける。
「逃げられたらどうするんだ。手がかりなくなっちまうぞ。いま踏み込んだ方がいいんじゃないのか?」
だが実際は足がすくんでいた。魔術師と対峙するのはこれが初めてじゃない。だが、周囲の雰囲気と頬に出来た傷がおれの恐怖感をあおっている。
彼女は首だけを振り向かせる。その顔はまだ笑っていた。
「大丈夫。魔術師はここから動かないわ。言ったでしょう? 魔術師は引き合うの。仮にここからいなくなってもすぐにまた会うことになる。でも心配なら挑戦状を叩きつけておく?」
そういって足元に落ちていた小石を拾い上げると、ふっと息を吹きかけた。そしてそれを湖に向かって思いきり投げる。
石が着水する小さな音が聞こえ、一拍の後巨大な水柱が轟音と鳴らして立ち上がった。小さな湖の全体を占めたそれはやがて力を失って超局所的な雨を降らせた。おれも彼女もただそれを黙って受け止める。おれは唖然とし、彼女はこれが当然であると言うように。
「うちの所長を傷つけた償いは、きっちりさせてやるわ」
水滴に濡れる彼女の笑みは、ますますその顔には似つかわしくない妖艶さを演出している。
魔女だ、とおれは思った。
湖畔の魔術師 咲部眞歩 @sakibemaayu
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