2―8仕掛け。
「……おい、聞いたかよ、あの話」
場末の酒場、街の外れのはみ出し者の溜まり場。
適度に薄めた
ちら、と視線を巡らせれば、声の主はカウンター席だ。
――見ない
そうであったなら、問題だ。先日壊滅した【土竜】の仔、下請け盗賊たちが何か漏らして、ここを探り当てられたか。
不自然でない程度に声の主、二人組の男性を観察する。そして、【土竜】は鼻を鳴らした。
――ありゃあ、ねぇな。
一人はまだまだ子供と言われるような年齢だ。酒場が丸っきり似合っておらず、頬も赤いし眼も虚ろ、完全に酔っ払っている。
麻のシャツにオーバーオール、ざんぎりの赤毛の下の日焼けした顔、そして歳に合わないがっしりとした足腰。恐らくは、農家の子供だろう。
もう一人は、更に無い。
中肉中背、これといって特徴の無い青年はしかし、その目付きや振る舞いからして間違いないご同業。詰まりは、他人の財布で生計を立てる輩だろう。
まあ、貴族相手の盗みを繰り返す【土竜】からすれば、一言【ケチ】な野郎というだけだが。
――出稼ぎか、或いは出荷を終えた農家のガキから、小銭でも巻き上げようって訳か。
下らない茶番だ。
酒に、都会に慣れていない田舎者の懐を探るなど、全く造作もない。容易い悪事は単なる醜悪で、義賊を気取る【土竜】からすれば無関心を通り越して不快である。
――ちょいと、追い出すか。
自分の前で不愉快な真似をされるのは好ましくない。
軽く脅かして、河岸でも変えて貰おうか。そんな風に考えて立ち上がった【土竜】。
盗賊として鍛えられた彼の耳が、その時、ある単語に釘付けられた。
「貴族の倉の鍵が壊れたんだと」
――なに?
「なにぃ?」
【土竜】の疑問は、遥かに舌をもつれさせた少年によって形になった。
「坊っちゃんの不手際で、ガツンといったらしい。今、慌てて代わりを取り寄せてるって話だぜ」
「ガチュンと?」
蕩けそうな眼で、少年が青年を見返した。「そんなもん、雑貨屋で買って
ごもっともな答えだが、そうはいかない。そんな簡単な話なら、【土竜】がここまで食い付くわけもない。
青年は、その辺りの事情が解っているらしい。ニヤニヤと笑いながらわざとらしく指を振る。
「そうもいかないのさ、田舎者。貴族様のお宝といやあ、おれらの命よりお高いものばかりだ。その辺の鍵な訳ないだろ?」
「あぁ? ってことは?」
「お高い鍵ってことさ。
加えて言えば、家族以外には開けられないおまけ付きだ。
開けるために彼等を人質にしたり、或いは身体の一部を誘拐したりと、中々手間が掛かるのだ。
だからこそ一朝一夕では交換も難しいのだが、しかし、それ故に壊れないようになっているのだが。
【土竜】の疑問を見透かすように、再び少年が舌っ足らずな質問を投げた。
「それが壊れたのか? ガチュンとやったくらいで? 何でだよ」
「鍵の方をやらかしたらしい。挿したままで折っちまったんだとさ」
苦笑しながらの青年の言葉に、【土竜】もひっそりと頷いた。
確かに、それならば有り得る。
破壊不能を歌う錠前も、鍵本体が壊れてはどうしようもない。しかもその場合、本体の中に鍵が刺さった状態ということは……。
「簡単に開く。どうよ、儲け話になりそうだろ?」
「……だから、お前に金を貸せって? 冗談じゃないぜ」
「ホントなんだよ! ……いいか、こりゃあ今生最高の
――西区のジェラル家、ね。確かに、大物だ。
そしてそこまで聞けば、充分だ。
【土竜】はマスターに合図を送る。受けたマスターは自然な態度で彼らに近付くと、丁重に送り出していく。
飲み過ぎの自覚も、飲ませ過ぎの自覚もあったのだろう。青年はバツの悪そうな顔をして、少年を引っ張って大人しく出ていった。
――ごくろうさん。
その頼りない後ろ姿に、【土竜】は声もなく嘲笑をぶつける。
わざわざご馳走を運んでくれた馬鹿に、心からの感謝を。そして、運命の女神様とやらにも。
「さあ、仕事だ」
【土竜】が声をあげ、杯を掲げる。
地鳴りのような歓声と共に、酒場にいる全員が続いた。
「ふいー、ビビったぜ……。まさか、周り全員が敵とは思わなかったぜー」
「お疲れ様です、ラットさん」
騒ぎを背に、ラットさんが大きなため息を吐いた。
その横で、ジンさんが勢い良く地面に倒れ込んだ。思わずぎょっとするが、直ぐに聞こえてきた激しいイビキに私は肩を落とす。
――飲まないんじゃなくて、飲めないんですね、ジンさんは……。
真っ赤な顔で、ジンさんは気持ち良さそうに眠っている。確かに、敵地で隣にいる仲間がこれでは、気が気じゃあないだろう。そんな中で任務を遂行したラットさんは、今回ばかりは誉められて然るべきだろう。
「……良くやってくれた、ラット。作戦の他に、子守りまでしてくれるとは」
「……はー、本当にですよ班長ー!」
緊張の糸が解けたように地面にへたり込む青年を適当に労いつつ、私は喧騒に揺れる酒場を眺めた。
「……彼処がアジトですか」
「数ある内の、だ。攻め込もうなんて考えるなよ?」
「解っています」
そのくらい、勿論解っている。
彼らは賊。根絶やしにするのなら、その住む村そのものを焼き払う必要がある。
村を焼いて炙り出し、森を焼いて追い詰めて、果ては山を焼き尽くして漸く仕留めきれる、そんな厄介な連中だ。
ここで襲撃したところで、彼らは街に逃げ込むだけだ。
家を焼けないのなら、追い詰めるべきではない。だからこその、作戦だ。
「餌には食い付いた。あとは、いかに手際よく網を引くかだ」
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