暗殺者の居る街で。
レライエ
Flash
第1話閃光
「はぁ………はぁ………はぁ」
息が上がる、鼓動が弾ける。
意識が遠退き、足がもつれる。
それでも走る、走る、走る。
少女は走る、嵐を告げる風のように。
或いは――嵐そのもののように。
石畳を蹴り飛ばす。
着地の衝撃を殺さず、前方への加速に変える。前へ、前へ、ただ前へ。停まらぬ足が、身体を前へと運んでいく。
少女は息を切らしながら、姿勢を崩しながら、それでもその相貌から熱意を消すことなく走り続ける。
その、目的は。
「ま………待ちなさあああああい!! 財布泥棒!!」
………その言葉に、走る少女を不思議そうに眺めていた街の住人たちが、ああ成る程と頷いた。それきり興味を無くして、少女から視線を逸らして、住人たちは自らの
何しろそれは良くある風景。人が集まる所には金が集まり、金の集まる所それを不法に得ようとする者もまた、集まる。
特にここ、【
カモになるのは、観光客や世間知らずな貴族のみ。少女が被害者なのは珍しいが、結局目新しい騒動ではない。
ただ強いて言うのなら。
泥棒が追い掛けられているのは珍しいな、と誰かが思ったくらいだろう。
何しろプロの泥棒たちだ、被害者が盗まれたと気が付くのは、彼等が影も形も消え失せたあとになるのが常だった。
それに少女が気が付き、犯人を追い掛けるというのは、2つの可能性を意味している。泥棒が下手を打ったか、或いは――。
――確かめてみるか。
そう考えて、私は裏路地からスッと通りに足を踏み出した。
「っ、危ない!!」
途端に少女が目を見開く。
私の位置は、少女よりも1
覆面で顔を隠した泥棒も驚いたように目を見開き、しかし速度を緩めず突っ込んでくる。突き飛ばすつもりなのか、それとも上手くかわすつもりか。
ここでこいつを止めてやっても良いが――私は敢えて、軽く半歩程道を開けてやった。
泥棒の瞳に安堵の色が浮かび、私の直ぐ脇をすり抜けていく。
それを見送り、私は視線を少女へと向け、やはりそうかと頷いた。
少女は、足を止めていた。
見開いた目は、最早満月みたいに真ん丸だ。私は肩をすくめた。
「追わないのか?」
「あ、え? えっと、その………」
少女は言い淀み、やがておずおずと私の左ポケットを指差した。
「私の財布を、取り返してくれたんですよね?」
やはり、泥棒が下手を打ったわけでは無いらしい。
私は肩をすくめると、さっきの一瞬ですり盗った少女の財布を投げ渡した。
少女は片手でそれを受け取ると、早速中身を改め、ホッと安堵の息を漏らした。
「良かった………」
余程安心したのか、道の真ん中でへたり込む少女を見下ろすと、私は首を傾げる。
「旅行者か?」
十中八九そうだろうと思いながら、私は尋ねる。少女の服装と長い夜色の髪、同じ色の瞳、そして腰のものはこの大陸では見掛けないものだ。
果たして少女は頷いた。
「はい、
「カドの………」
カド………火土は、ここから遠い島国だ。海に囲まれた小さな島で、今なお活動する大きな火山が国名の由来だ。
行ったことは無いが、常に燃え続ける草原があるらしい。
それで理解できた。
少女が持つ物に見覚えがあったが………成る程、以前私が振るった武器と似ているのだ。確か、カタナとかいったか。
私の半分程しか生きていないような少女が、腰に武器を下げている事に関しては、驚くに値しない。
カド国は狭い国土を幾つかの氏族が奪い合う戦乱の土地だと聞く。常に内乱を繰り返す国だ、この少女の年齢ならば、それなりの技量を持っていてもおかしくはないだろう。
「それにしても、不用心だな。異国で盗賊を追い掛けるなんて、危険だぞ?」
私は、投げた財布の重みを思い出す。
あのくらいの軽さなら、中身は大した額ではあるまい。少なくとも、命を引き換えにするには安すぎるだろう。
私の予想は、しかし裏切られる結果となった。少女はふるふると首を振った。
「いえ! 何しろ路銀全てでしたので!」
「………え」
あれで?
あの軽さじゃあ、銀貨五六枚しか入ってないと思うのだけれど。
「良かった………6ピリ銅貨、全部残ってます!」
もっと少なかった。
基本的に、この街で半日荷運びでもすれば、銅貨の2枚3枚は容易く稼げる。5枚くらいまでは子供の小遣いだ。パンが2ピリ、ステーキなら5ピリといった程度だろう。
6ピリ銅貨――少し豪華な
因みに、銅貨100枚でピリカ銀貨1枚分、銀貨1000枚で1ピリカ金貨となる。
平凡な1日ならば、銅貨30枚もあれば充分で、ということは詰まり、少女の路銀は半日分にも満たないということだ。たぶん、宿にも泊まれない。
「………ここに来て、何日目だ」
「えっと………初日です!」
「………………ここに来るまでは何処かに寄り道を?」
「してません、船を降りて一直線に歩いてきたら着いたんです」
私は質問を切り上げた。
これ以上聞いたとして、恐らく私の求めるような安心は生まれないだろうと予想できたからだ。寧ろ、頭痛の種が増すばかりだろう。精神衛生上、そういうものに近付くべきではない。
私の内心を知ってか知らずか、少女は90度腰を折り、丁寧に礼をした。
「ありがとうございました、お陰で、どうにかなりそうです!」
いいや、ならない。
勿論、もしかしたら少女は私が思うよりも遥かに利口で、金を別に隠しているか或いは、この街に知人がいて、そこに辿り着きさえすればなんとかなる算段が付いているのかもしれない。
出来ればそうであって欲しいものだが、少女の天真爛漫かつ純粋無垢な瞳を見るに、その可能性はけして高くないだろう。少なくとも、私は賭ける気にはならない。
私は、ため息を吐いた。
「………ほら」
「え?」
鞄から巾着を1つ取り出すと、少女へと放った。咄嗟ではあったが中々見事な反応で、少女はそれを受け止めた。
ジャリンと、金属の擦れる音が響いた。
「えっと………ふぇっ!?」
不思議そうに中を見た少女が、変な声を出して飛び上がった。
――あぁ、人間って、驚くと飛び上がるんだ。
疲れた頭でそんなことを思う私に、少女は駆け寄ってくる。
「ああああああの、え、え? こ、ここここここれ!?」
「あんまり騒ぐなよ、変な目で見られる」
「だだだだだだって、これ!」
震える手で少女が広げた巾着袋の中身は、貨幣だ。
その価値は少女の財産とやらのざっと………300倍か。
「良いか、路銀っていうのは、このくらいのことをいう。お前のは、子供の駄賃だ」
「う、うううう」
「………それ、全部持っていけ。返さなくて良いから」
少女が、無言で飛び上がった。
………あの目玉、飛び出すんじゃないだろうな。私は少女の顔を見ながら、肩をすくめた。
「そ、そんな!! こんな大金、私、返す当ても無いですよ!?」
「だから返さなくて良いって………」
寧ろ、返す当ても無いって事が解っただけ、思ったよりもマシだった。
常識的な金銭感覚があったという事実がこれ程安心感を伴うとは………。
私はため息を吐いた。
乗り掛かった船だ、最後まで手を出してやろう。………面倒だとしても。
「それで暫くはもつだろうけれど、その間に仕事か何か見付けるとか、さもなければ帰れ。良いな?」
「………で、でも………私」
「………気にしないでくれ、丁度仕事帰りでね。誰かに親切にしたい気分なんだ」
私の仕事には、そういうところがある。
終わって報酬を貰うと、少し虚しくなる。怖くなるのではない、辛くなるのでもない。ただ少し、世界が色を無くすだけだ。
それをせめて、僅かなりとも遅くしたい。それだけだ。
「じゃあな。帰りは大通りを通れ、宿は………東側を選ぶんだな。そっちの方が安全だ」
「………あ、あの! この御恩は、一生………」
「忘れて良い。その方が良いよ、陽の当たる道を、歩みたいなら」
頭を下げる少女に手を振ると、私は踵を返した。少女は慌てて顔を上げて、叫んだ。
「せ、せめて御名前を!! 私は………」
「私の名前は、聞かない方が良いよ」
私なんかと関わるような旅行は、止めた方が身のためだ。
「………お優しいねぇ、相棒。ギャハハ!!」
「五月蝿い」
私は相棒を叩き、それから路地の奥へと歩いていく。少女が頭を下げる気配を背に受けながら、無言で闇へと進んでいく。
私の名前なんてどうでも良い。
これは、少女の
闇ばかりが、この街ではないのだから。
「………泥棒から、財布を?」
「はい!」
夜、飛び込みで現れた客に、宿屋の女主人は首を傾げた。
この街で、【泥棒路地】の住人から財布を盗り返すなんて、いったい何者か。
「あのような素敵な女性に出逢えるなんて、来た甲斐がありました!」
「へぇ………」
女、か。ますます解らない。
解らないなりに、女主人は自分の予想を口にする。………それが、少女の行く末を決めるとも知らず。
「何にせよ、そうだね………そういうことをするのは、正義の味方、
「がーど………!」
夢見るような眼差しで、少女はその名前を繰り返した。
そして、少女は決意した。
「あの人のような、立派な巡視隊になります!!」
――ここに、少女の
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