第100話 異質な感触
結局、
だが、悪い話ばかりではない。まだ未知数ではあるが、マリエッタのマナ探知能力が開花したのはせめてもの救いだ。魔物との距離や位置関係が分かるので、戦術的に撤退することができる。
それにペルシーが助けに来てくれるはずだ。それまで持ち堪えれば我々の勝ちだ。
「レイランさん、ちょっと来て下さい」
撤退部隊を指揮するのは一番位の高いクレイ中尉だ。サリンジャー司祭が補佐役として付いている。
クレイ中尉は残存兵を三つの小隊に分けて、
レイランはサリンジャー司祭の元に駆け寄った。
「最後尾が遅れ始めているようです。様子を見に行って下さい」
「了解しました。マリエッタ、後は頼むぞ」
「はい、任せて下さいレイラン様」
マリエッタは自信有りげに返事をしたが、本当のところはどうなのか分からない。彼女は研究職であり、このように大規模な団体行動に参加した経験もないし、ましてや魔物に追撃されるかもしれない状況なのだ。
レイランは彼女に使命を与えて、余計な不安を抱かないように最新の注意をしていた。それは探知や感知系の能力は精神状態にとても影響を受けるからだ。
撤退部隊の運命はマリエッタが握っている――
レイランは最後尾に付いている調査隊の仲間と接触した。
「アルフレッド、遅れているようだな」
「レイラン様、やはり怪我人の体力に限界が来ています。休憩しないとこれ以上の行軍は無理だと思います」
怪我人が最後尾の小隊に含まれているのは、撤退部隊が草原の道無き道を進んでいるからである。先頭の集団が踏み均した地面なら、怪我人も歩き易いという配慮からだ。この作戦が採れるのも、マリエッタが魔物たちの存在を把握できているからだ。現在、最後尾でも安全なことが分かっている。
難しい決断だ。最後尾に休憩が必要なことは明らかだ。しかし、その間に魔物たちが追いついてきたらどうする? 逃げ切れる体力のある者まで巻き添えを食らうことになる。
――ここは隊を分けるべきか。
弱った仲間を切り捨てて逃げる……。それは道義的な問題を孕んでいる。しかし、戦争では
何れにせよ、レイランはクレイ中尉やサリンジャー司祭に相談する必要があるだろう。
「アルフレッド、お前の言うとおりだ。休憩にしよう。私が隊を止めてくる」
「ありがとうございます。レイラン様」
「辛いかもしれないが辛抱してくれ」
「判っております、レイラン様」
アルフレッドのような経験の浅い魔導士(研究員でもある)を殿部隊に付かせるのは気が重い。だが、この舞台には負傷兵以外にも軍の魔導士が数名混じっているので、彼らと会話して精神的な重圧を解消してくれればいいのだがと、レイランは思っていた。実際、アルフレッドと魔導士たちはうまくやっているようだ。
レイランは先頭集団に戻ると、中尉と司祭が大声で怒鳴り合っていた。
サリンジャー司祭が怒鳴るところをレイランは見たことがない。余程のことがあったのだろう。
「サリンジャー司祭。お取り込み中のところ申し訳ありませんが、後続部隊の体力が限界に来ています。休憩を取らせて下さい」
「レイラン君、状況が変わったのだ。これから行軍の速度を上げなくてはならない。付いて来れないものは切り離す」
「中尉! それはやってはいけません。最後まで努力するべきです」
「今がその時なのだ。それとも司祭は全滅しろとでも言うのか!」
「ちょっと待って下さい。いったいどうしたというのですか?」
「レイラン様!」マリエッタが間に入ってきた。
「説明してくれマリエッタ」
「魔物たちが急速に接近しています」
「我々との距離は?」
「正確ではありませんが、一五キロメルほどです」
「三〇キロメルは離れていたはずだ……。完全に我々を追ってきているな」
「それに……。数がすごく多くなっている気がするんです」
マリエッタはマナ探知能力が開花したばかりだ。魔物の数や距離を正確に読み取ることはできない。
「大雑把でもいい。教えてくれ」
「控えめに言って、一万くらい……です」
マリエッタは申し訳なさそうに言った。
それが彼女の読み間違えであってくれたらどんなにいいか……レイランは焦燥感に襲われた。
――ペルシー様がいてくれたら。
レイランは自分でこの過酷な状況を打開できないか必死で考えた。調査隊の仲間だけならば、跡を残さずに隠れることができるだろう。しかし、この部隊は一二〇名も兵士がいる。しかも傷ついた兵士まで……。
「クレイ中尉、この辺りに山はありませんか?」
「五キロ先に小さな山がある。しかし、隠れる場所はないぞ」
「それでも構いません。反対側に回り込んで下さい」
「何か策があるのか?」
「私が囮になって、魔物たちを別方向へ導きます」
「レイラン様! そんなことしたらレイラン様が!」
「マリエッタの言うとおりです。レイランさん、それはあなたでも不可能だ」
「レイラン君。どうやって魔物たちを誘導するんだね?」
「魔物たちの習性を利用します」
「レイラン様、マナの質を利用するのですね」
「そうだ、それしかない」
「レイラン君。よく分からないが、そんなことができるのか?」
「説明している時間はありません」
マナを放出しながら魔物たちを誘導する。おそらくそれは可能だろう。しかも、マナの量が人間とは桁違いに多い龍人であるレイランにしかできない方法だ。
「それは自殺行為だぞ、レイランさん!」
サリンジャー司祭が怒鳴った。まさしく聖人のような彼が怒るところを一日に二回も見ることができるなんて、何という奇跡だろう。
「自殺行為などではありません。私ならばやり遂げることができるのです。信じて下さい。サリンジャー様」
「レイランさん。何でそんなに自信があるんだね」
「自信ではありません。確信しています」
「分かった、レイラン君。急いで隊を山の陰に隠すことにする。残念ながら今はそれしか策がなさそうだ。君に頼らせて欲しい」
「そんな無責任な……」
サリンジャー司祭としては一人を犠牲にして逃げ出すことなど、自分の心情として許せないのだろう。しかし、それをしなければ一二〇人の全滅は免れない。いわゆる究極の選択なのだ。
「司祭様……。私を信じて下さい」
「おお、神よ……。あなたは私を赦してくださいますか……」
「司祭様、今信じるのは神様ではありません。レイラン様です」
「そ、そうだねマリエッタさん。あなたの言うとおりだ。レイランさん、無力な私を赦してください」
「それには及びません。私には別の神様いるのです」
「「「はい?」」」
そして作戦は実行に移された。
状況が変わったので、三つに別れていた小隊が一つになり、全員で負傷兵を助けながら南東の小さな山に向かった。
レイランは魔物軍団の方向へ移動しながら妖精通信を使った。
『クリスタさん、緊急連絡!』
『はい、レイランさん。私たちは
『魔物たちの数が一万にまで膨れ上がった上に追撃されているの。負傷兵もいるから逃げ切れない状況よ』
『接触までどのくらい余裕がありますか?』
『先ほど一五キロメルまで追いついていたので、一時間かかららないはずよ』
『……。ペルシーさんと替わります』
『よお、レイラン。何か策があるのか?』
『私が囮になって魔物たちを別の方向に誘導するつもりよ』
『ああ、マナを放出しながら逃走するんだな。いい考えだ……と言いたいところだけど』
『えっ? 何か問題でも』
『あいつら軍隊だよな。指揮官がいたらうまく誘導できないかもしれないぞ』
ペルシーの言うとおりだ。すでに
レイランは自分に都合の良い解釈をして作戦を立てた。自分の考えに酔ってしまったのだ……。
――まったく情けないわね。
『しかしだ。今はそうするしか手がないというか、俺たちにとっては都合がいい』
『どうして?』
『レイランは単独行動してるんだろ?』
『そうよ。誰も連れていけないもの』
『いいね、いいね。それじゃあ魔物軍団の南側に回り込めないか? マナを放出しながら』
『回り込むことは可能よ。でも、誘導できないんじゃない?』
『誘導できなくてもいいよ。奴等を惑わせることができれば』
『分かったわ。でもそれでいいの?』
『レイランを目印にして転移する』
ペルシーは行ったことのない場所へは転移できないはずだ。レイランは混乱した。
『ペルシー様、どうやって』
『レイランを愛しているからだよ。君がいる場所へならどこへでも飛んで行ける』
『ペルシー様……。冗談を言ってる場合じゃないんだけど』
いきなりの告白に、レイランは顔を紅潮させていた。動揺しているところが誰にも見られていないのは幸いだった。
『へへへ、でも信じて。南に回り込めたら連絡してくれ』
『判ったわ。ペルシー様、私も愛してる』
『えっ、ま、まじですか?』
『大まじよ』
『クリスタです。ペルシーさんはのたうち回っているので返事ができません。とりあえず、作戦を実行して下さい』
どうやらレイランの復讐は簡単に遂げられたようだ。
愛していると言われ慣れていないペルシーには強力な爆弾になったようだ。
それにしてもペルシーは呆れるほどちょろい――
『了解したわ』
『ご武運を』
レイランは先ほどの不安な気持ちが不思議なほど消え失せていた。
――私にはペルシー様がついている。
一方、魔物たちの纏わり付くようなマナの感触が、レイランにも判るほど強くなって来ている。
いや、魔物の感触だけではなさそうだ。レイランは漠然とだが、異質な存在を感じ取っていた。
【後書き】
100話です。ついにここまで来ました。
12月で一年ですから、進行が遅かったでしょうか?
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