Enthusiasm Engine Refurbished #2
水樹悠
第一章 持てる者、持たざる者
Prologue
Prologue
世の中には笑ってすごす人もいれば、泣いて過ごす人もいて、無気力にただ過ぎゆく時間を待つ人もいる。
時間がすぎれば何かが起きるとか、その先に何かが待っているとかそういうことではなく、時間は強制的に過ごさねばならないものだからだ。
森井海斗にとって、時間とはそういうものであった。
海斗の部屋は、何もないに近い状態だと言っていいと思う。
あるのは机、教科書、ノート、筆記具、衣類、ベッド、スマートフォン、充電器。
殺風景ということはないのだが、その人を表すものがここにはなかった。
だが、それは致し方のないことなのかもしれない。なぜならば、海斗自身自分はどういう人であるかを説明する言葉を持たないからだ。かろうじて、「高校一年生」という言葉は用意できる。だが世の中には高校一年生はたくさんいる。彼女がいないことも、友だちがいないことも、特に自分を説明できるようには思えなかった。
スマートフォンには、ツイッターの画面が表示されていた。そしてそのスクリーンの上を指は所在なさげに漂っていた。彼はおもしろいことを言って注目をひこうとして、かれこれ2時間近く流れていくだけのスクリーンを見ているのだが、その自覚はない。
ただ、時間が随分経ったように感じられるたのは、空腹を覚えたからだった。夕飯を食べなくては、そう思うのだが、このままでもいい気もしていた。
相変わらず漂っていた指は、特に意識もしないうちにフォロー一覧を選び、そのスクリーンを辿って見覚えのある名前をタップしていた。
かわいらしいアイコンの主が誰か、海斗は知っている。水上若菜。隣のクラスの、控え目で清楚な、かわいい女子である。男子がかわいい女子として名前をあまりあげないけれども、海斗は彼女がかなりかわいいということに気づいている。目立つタイプではないし、押しに弱そうでもあるし、自分でもいけるんじゃないか…などと甘い妄想を抱いているのだが、五月にそんな妄想を抱いてからもう十月なので、なにもしないまま卒業するであろうことを海斗は理解していない。
若菜は夕食を済ませたらしい。自分でつくったオムライスだそうで、やっぱりかわいいと心の中で確認した。
彼は気づいていない。彼は孤独であることこそが、彼のアイデンティティたりえるほどだということを。
◇
風が吹いていた。
どこから吹いてきたのか、どこへ吹いていくのかはわからない。
そこには風に吹かれる男がいた。自分はどこにいるのだろう。完全に見失っていた。
その男は一度うつむいてからゆっくりとこちらをむき、やわらかに微笑みかけた。夕焼けの逆光でその顔は判別できなかったが、やわらかな笑みを浮かべていることは理解できた。
そして確かな足取りでこちらへ向かってくる。海斗は怯え、後ずさろうとしたが動かなかった。否、動かすべき体を見つけることができなかった。
だが、その男はそのまま脇を通り過ぎると右手を軽く上げた。
海斗は振り返った。そこには女たちが並んでいた。まるで主人の帰りを整列して待つメイドのようだ、という感想を持った。女たちは大人の女だった。だが、左に立っている女は大学生くらいに見える。その左にいる女はもっと若いようだ。だが、逆光のままで誰もその顔はよくわからない。
そのとても若い女は駆け寄るように男に近づいた。横顔が夕陽を隠し、その顔が薄闇の中に映し出された。それは、よく知っている顔だった。
急に、激しい動悸に襲われた。これはどういうことなのか。
彼氏がいない、ということは既に調べて知っている。なのに、なぜ男を取り囲む一団の中に彼女がいるのか。
気づけばパーカー姿だったはずの男は革ツナギ姿になっていた。それがバイクのレースで着る装束であることは海斗も知っていた。
右の女からヘルメットを受け取り、左の女からグローブを受け取った。それを身につけると、いつの間にだろう、海斗と男の間に置かれた黒いバイクにまたがった。
黒いバイクからは紫色の気が浮かび上がっていた。男はそれにまたがったまま背を伸ばし、そのバイクに手をおいている。女たちは深々と一礼し、一歩下がった。
男が手を広げると、バイクは突如として凄まじいうなりを発した。暗黒の気が爆風のように襲いかかり海斗を吹き飛ばそうとする。なんとか踏みとどまるが、そのうなりは鼓膜を突き破るだけでなく、脳を押しつぶすかのようだった。
一瞬の静寂のあと、そのバイクは姿を消した。女たちの姿もなかった。
(追わないと)
そう思った瞬間、海斗は飛翔していた。
風が吹いていた。
普段、風を意識することなどない。せいぜい、雨の日に傘をもっていかれないか気にするくらいだ。
しかしこれは、海斗の知っている風ではなかった。
風に翻弄され、凄まじい勢いで突進したかと思えば、今度は吸い込まれるように右へと体は飛んでいく。必死で前を向こうとすれば、そこには紫の気を発しながらあの男がバイクと共に華麗に舞っている。
このままでは、彼女が連れ去られてしまう。
その一心で必死に前を向くのだが、華麗に舞うあの男と無様な翻弄されている自分とでは勝負にならないのは明らかだった。
だが、隙をつけば…そう思った瞬間、男は後ろを振り向いて、嘲笑った。駆け巡ったのは、怒りではなく、恐怖だった。そして次の瞬間、男は加速し、海斗を置き去りにした。
海斗は為すすべもなく、この壁のような風にその身を持ち去られた。
そして、水中から浮き上がるように、その夢は終わりを告げた。
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