第9話
甲冑を着た兵隊らしき二人組に見守られながら、三人は街の門をくぐった。
街の内部は、道の幅や建物の隙間など、全体的にゆったりとした、ゆとりのある構造になっていた。通りを歩く人々も、誰一人として急いている様子は無く、誰もが皆笑顔を浮かべている。それがこの町全体に明朗さを生み出しているようだ。ビルのような建物が無いため、街のほとんどの通りに陰は無く、それがまた明るい雰囲気を感じさせるのかもしれない。
門を入ってすぐの場所は、赤レンガ造りの建物が集中しているブロックになっていた。どうやらこの辺り一帯は、西洋の面持ちが強く出ているブロックらしい。しかし、開いた横道へ視界を広げると、数十メートル先には木製の建物が集中しているのが分かる。奥を探してみれば、龍人が落下した時に見た珍しい建物以外にも、もっと珍妙な建築物があるだろう。
「これはこれは、また面白い街だこと。赤レンガ街の傍に立派な書院造、和洋折衷なんでもありだ」
「ここは王国全体の中でも、王都から一番離れたところにあるの。元は特にあても無くふらふらと彷徨っていた各地の人たちが、旅路の末に集まって出来た小規模都市だったんだけど、その文化の多様性に魅せられた全国の人が移住して、いつの間にやらこんなになっちゃたらしいね」
「王都の南側では見る事の少ない、特殊な種族もこの辺りに住んでいるのですぞ」
周りの人間観察をしてみると、洋服や着物は勿論の事、頭にターバンを巻いたり、裸体に草を巻いただけだったり、本当に多くの種類の服が見受けられた。驚くべきは、その国際色豊かな人々が、道端で何の屈託もなく会話をしている事だ。この街では、余りに多くの文化がごった煮になっているせいで、その違いなど水の膜程度の認識でしかないのかもしれない。
「しかし、予想よりも人間らしい町並みなんだな。異世界って言うから、もっと半人半獣みたいのなんかが跋扈してるのかと思ったが」
「そのような種族も居るには居ますが、やはり彼らの大半は他の種族と接するのを嫌がるのですよ。そのような少数種族は、基本的に王都の東側で集まって暮らしています」
執事は説明をしながら慣れた足取りで二人を先導する。
「ちなみに、街はそれぞれ王都を中心とした座標で表されることも多いの。王都は(0.0)で、この街――――『ファーゼスト・エンド』は(−75337.79326)に位置しているって感じ。最初の数字で南北、次の数字で東西を表すの。忘れちゃいけないのは北、東の方が値は高くなるって事。つまりこの街は、王都から見て南東の方角にあるって事」
「数字が一個上がるごとに一キロ増えるって考えればいいのか? でも、そこまで桁が増えると、便利なんだか、不便なんだか分かりにくくなるな………。――――というかこの世界広すぎかよ。そりゃ地平線も見える訳だ」
「私たちはよくこの世界を、〝夢幻世界〟なんて呼んだりしてるわ。誰が最初に名付けたのかは知らないけど、なかなか得て妙なのよね。なんせ、〝夢幻世界〟の終わりを見た人は誰も居ないんだから」
「世界の終わりを見たことが無い? それマジで言ってる?」
この世界がもしフィニアの言う通りの大きさならば、それだけの距離を移動するだけの手段が必ずあるはずだ。大方テレポートなんかの魔法を使っているのだろう。しかし、どうやら〝夢幻世界〟の住人は、そんな異次元の移動手段を持ち合わせてなお、この世界の端を見た事が無いのだという。
(この世界が破格の大きさを持つ星だって言う事か
龍人はフィニアと話し合いながら執事の後ろをついて行く。
街は普通の民家も多いが、小さな商店の方が比率的には高いようで、あちこちで店の看板が上がっている。
執事はその中の一つの前で立ち止まる。筆記体で〝フィルヴィ衣裳店〟と書かれたその店は、普通の一軒家と同じ大きさの敷地で特に飾り気も無く、他の店と大差は無いように見受けられた。
「最初に本来の目的を済ましてしまおうかと思います。お嬢様のドレスを誂えるのには少々の時間を要するので、その間に龍人様はご自分で着られる服を見繕っておいて下さい」
執事がドアを開けると、龍人が思っていたよりも中は広かった。ただ、所狭しと洋服が並んでいるため、かなり内装は窮屈に感じられる。雑多に掛けられたハンガーに秩序なんてものは無く、洋服の森と言っても過言ではないほど、服が犇めき合っている。
三人が店内に足を踏み入れると、店の奥から声が掛かる。
「いらっしゃい、アルトラの嬢さん。久しぶりだねぇ。今日は新しいお連れさんも一緒かい?」
「フィルヴィさん、こんにちは。こいつは連れじゃなくて、ただの居候だから」
「どうもお久しぶりでございます」
鼻眼鏡をかけた老婦人が、細い通路の先から首だけを出して此方を見つめる。三人を順繰りに見ていった目は、龍人の位置でピタッと止まった。
「どうも、ただの居候の神崎龍人です。知らない人物の存在を、足音だけで判断するとは、面白い特技をお持ちで」
「そりゃどうも。何年もこうやって座っていると、自然とそういうのが身に付くのさ」
フィルヴィは暫く龍人を観察した後、手招きをする。それに従い奥へと進むと、部屋の最奥部に少しだけ開けた場所があった。フィルヴィは、そこでソファーに腰かけている。
手には刺繍針と白い糸が握られ、今まさに一つの服を縫っている最中だった。
頭部に生える白髪が嘘のように、背筋は弓の如くピンと張り、揺らぐことの無い視線は、手元へと注がれている。椅子に座り手芸をするという動作のみで、年齢からは考えられない、力強さを溢れさせていた。
「嬢ちゃんも舞踏会に着ていく服の新調に来たんだろう? 仕事は早い方が良いからさっさとだしておくれ」
「はい。じい、ドレスをフィルヴィさんに渡してあげて」
「了解しました」
執事は短く返事をすると、右手に抱えたドレスをフィルヴィに渡す。ドレスを受け取ったフィルヴィは、服を縫い合わせていたた手を止めると、机の上にそれをはらりと広げる。
「流石に貴族の衣装は違うねぇ。これくらい繊細なドレスだと………三十分もあれば見繕いは終わるんじゃないかね」
高級な素材によって織りなされたドレスは、フィニアには少々勿体無いほど立派な逸品だ。それをフィルヴィは、僅かな光でさえ捕らえて輝く金糸から、裏地を張り合わせているだけの細い糸にまで真剣に目を通s――――
「………っておい。執事、お前今どこからそのドレスだした?」
「――――といいますと?」
「ここに来る途中、お前さっきまで手に何も持ってなかっただろ。カップの時は触れなかったが、そんなデカいもんどこから取り出したんだよ」
「――――それは企業秘密という事にしておきましょう」
「はぁ? そういわれる方が気になるんだが」
更に問い詰めようとする龍人の追及から逃れるように、執事は、
「龍人様は私たちの用事が終わるまで、ご自分の服を見ていてください。代金は気にしなくてもよいですよ」
「わーったよ。まさか四次元ポケットでも持ってるのかと思ったんだけどな」
頑として譲ろうとしない執事に、龍人は拗ねたように手を頭の後ろで組むと、服の山へ足を運ぶ。
フィルヴィと話し込んでいたフィニアが、ソファーから立って、その背中へ声を掛ける。
「三十分したらちゃんと戻ってきなさいよ!」
「あいよ」
通路を挟んだ先から、くぐもった声が聞こえてきたのを確認すると、採寸を始めたフィルヴィに身を任せた。
◇
龍人は通路越しに聞こえて来たフィニアの声に適当に答えると、自分の周りを囲む迷路を見渡す。服は大型チェーン店のように、列ごとにカテゴライズされている訳では無く、そもそも列が定められているのかすら分からない。傍目には、高校生男子の部屋の中よりもなお雑多にさえ映る。ただし、物一つ落ちていない床はピカピカに磨かれ、空気清浄機があるわけでもないのに、塵一つ舞っていないのを、考えなければの話だが。
何百もの服は、天井から吊り下げらえた二段の横棒に掛けられ、店内を何等分にも分断させる壁になっている。シャツがあったと思えば、その隣にコートがあったり、そのまた隣には着ぐるみがあったりで、この場所には『整頓』の文字は全く無いらしい。
その服に至っても、よくよく見てみれば解れが多く見られ、服を長年管理せずに放っておいたのが、容易に見えた。
龍人は、全体的に緑色の生地に、フード部分に口をへの字に曲げたドット絵がプリントされたパーカーを手に、独り言を漏らす。
「こりゃ酷い。何で執事はこんな店をわざわざ選んだんだ? 今時古着屋でも、もっと服の扱いには気を遣うぞ――――、いや、この店内の様子は意図的にお得意以外の客が来るのを拒否してると見た方がいいのか………?」
暫くそのどこか間抜けな顔とにらめっこを続けた龍人は、徐にパーカーを手に取ると、一息に羽織る。道を歩けばすれ違う人に後ろ指差されて笑われそうな、奇怪なパーカーだが、龍人は何故だかとても満足そうだった。
「なかなか面白い趣味を持っていますね」
突如響いた青年の声に龍人はくるりと後ろを振り返る。
するとそこには、一人の〝イケメン〟が立っていた。百九十センチはあろうかという長身に、微笑んだ口の隙間から覗く白い歯、更には西洋人特有の高い鼻と翡翠の双眸という、男ならば誰もが夢見る好漢像を全て持ち合わせている。
汚れ一つない純白のコートに身を包むさまは、まさに王子様と言って差し支えないだろう。腰に差してあるサーベルも、七宝に彩られており。盗賊でなくても否が応に目を引き付けられた。
「似合うか? こいつのポケットに入ってた説明書によると、どうやらこの〝クリーチャー〟ってキャラの他にも、同じシリーズで〝グリーンデビル〟って名前のやつもあるらしいんだが、どこにあるか知らないか?」
「さ、さあ。――――というより、それ本当に着るんですか? いえ、別に人の趣味にあれこれ言うのもどうかとはいますが………」
「いやー、そのもう一つの方の服がまた面白そうで。そっちは、フード部分に緑のキノコがプリントされてるらしいんだけどよ」
青年の話を聞いているのか聞いていないのか、説明書を広げてくどくどと解説を始める龍人。青年はそれを困ったように、愛想笑いを浮かべて流していた。
しかしそれが何分も続くと、やがて耐えられなくなったのか、青年は、
「あっ、そういえばまだ僕の名前を話していませんでしたね。僕の名前はルーク・フォン・シリウスです。どうぞお見知りおきを」
「フォンって事はやっぱお前も貴族か。俺の名前は神崎龍人だ。こちらこそよろしく」
龍人は、挨拶をすると説明書を捲る手を止める。青年は、少なくとも形式通りの挨拶が交わせたことに一息つく。しかし、安心したのも束の間だった。
やがて短い説明書を見るのも飽きたのか、龍人は顔を上げる。
そして一言、
「――――んで、〝さっきからそこで身を潜めてる〟奴は名乗らなくてもいいのか?」
――――刹那、周囲の雰囲気が変わった。暖かかった空気は凍り付き、流れる時が非常にゆっくりと感じる。目には見えない本能的な感覚により、そこに居る人間全員が、極度の緊張を受け、感覚が鋭敏に研ぎ澄まされる。動けば殺す、とでも言いたげな殺気がその場を支配していた。
しかし、それも数秒の事で、すぐに何事も無かったかのように引き伸ばされた時間は戻って来た。
「いつから気づいていたのだ?」
龍人はゆっくりと後ろを振り返り、声の主――――もとい、激しい殺気を生み出した主と相対する。
「最初からだ。俺が店内に入った時、確かに気配が三人分あった。それなのに、フィルヴィと話した後の気配の数は俺を含めないで四人分。その間店から誰かが出た様子は無いんだから、誰かが意図的に気配を消して隠れたのは、小学生だって分かるよなぁ?」
相手を捉えた龍人は、怪訝な顔をして前方を睨む。
そこには、龍人が予想だにしなかった人影が見えたからだ。
「何だそんな事か。完全に気配を消したはずなのに、それすら気付かれたのかと思ったぞ。結局張られたヤマに引っ掛かったしまったことには変わりはないのだがな」
彼女は鈴の鳴るような、美しい声音で話す。
背丈は小学生と見間違うかのような小さい体をしているが、某誰かさんとは比べ物にならないほど大人びた印象を感じさせる。
ただ、身に着けたふわりとしたメイド服によって、元の体の幼さが強調され、あどけない少女の可愛さもまた、垣間見る事が出来る。この体をそのままフィギュアにすれば、男性女性どの年齢層にも大うけするに違いないだろう。
だが龍人が見るに、間違いなく激しい殺気は彼女の下から放たれていた。冷たい微笑を湛え龍人を俯瞰する少女。その瞳は、何一つの感情も映してはいなかった。
「はぁ。グロウ、君が居ると話がややこしくなるから下がっていてくれ。それに、彼はアルトラ家の客人でもあるんだよ」
「………承知した」
ルークが二人の間に漂う剣呑な空気を察して、メイド服の少女――――グロウを窘める。グロウは不承不承に頷くと、狭い通路を通ってルークの横に付いた。――――途中、龍人はすれ違う時に足を踏まれた気がしたが、気のせいという事にしておく。
「ごめんなさい。驚かす気は無かったんですよ。ただ彼女はその………少しだけ命令遂行に従順過ぎるというか………」
「別にいいぜ。俺の知り合いにはもっと変人がいるからな。これぐらい許容範囲だ」
龍人は特に気にすることも無く、ショッピングを続行する。
今度は紺色のジーンズを手に取りながら、
「んで、結局お前らは何の用だったんだ? 会話をしたいから話しかけて来たんだろう?」
「あ、そうでしたね。ええと、それが別に大した用では無いんですけど――――」
「じゃあ、聞かなくていいか」
「――――実は、ってまだ話もしてませんよ!」
「おい、黒猿。我が主殿に何て非礼な行為をするのだ。今すぐ切り捨ててやる」
「ルーク、お前のとこのメイド口悪すぎだろ。さしもの俺も黒猿呼ばわりされたことは無いぞ」
「あぁ、はい! すいません!」
ルークはあたふたと、殺気を放出し始めたグロウを説得にかかる。当の本人は、ルークの話に頷きつつも、敵意を収めようとしていないが。
その間に龍人はマイペースに、ショッピングを続行する。
今度はしなやかな皮で作られたグローブを手に取りながら、
「んで、折角こっちはお前の恋バナに付き合ってやってるんだけど、早く話を進めてくれないか」
「いいかい、まずはその殺気を抑えて瀟洒なメイドたるものが何かを――――って、神崎さん今なんて?」
「お前がもたもた愛の告白に入らないから、面倒だっつってんだよ」
その時確かにルークの心臓は止まっていた。
「ど、どうしてその事を?」
ルークは平静を装っているが、あからさまに声が震えている。それを見てにやにや笑いながら龍人は、
「そんなん見てればわかるさ。わざわざ、本人じゃなくて取り巻きに声を掛けるなんぞ、まどろっこしい事すんのは、恋に落ちた馬鹿どものテンプレートだろうが」
前提としてルークは貴族であり、恐らくフィニアとも顔を合わせたことがあるはずであろう。それなのに、本人に話をせずに、全く面識のない誰かさんと先にコンタクトを取るというのは、どう考えてもおかしい。
とすれば、フィニアとルークとの間に何かあると考えるのが当然だが、特にルークがアルトラの人間を嫌っているようには思えない。二人の間に直接話すのを憚るような何かがあり、なおかつそれは負のものではない。更にルークのもじもじした物言いに鑑みれば、もはや答えは一つしかない。
「そうは思わないかい、ワトソン君?」
「な、成程。でもそんな小さい情報だけでここまで推理するなんて、凄い頭の回転ですね!」
「いや、ホントは、最初にお前の顔を見た瞬間色恋沙汰だと思ったから、結論から論理展開したんだけどな」
「僕ってそんなに顔に出ます?」
ルークはあせあせと手鏡を出して、自分の顔を確認しにかかる。
ただし、そういうのは本人から見ても、面白いほどに気付かないもので、結局何も分からずに首を傾げるばかりだった。
それと同じくして、龍人は別の事情で首を傾げていた。
「しっかし、納得できないな。あのお嬢の何処をお前は気に入ってるんだ? 少女趣味とかだったら少し引くぞ」
ルークは何の発見も得られず、がっかりしたように手鏡をしまうと、心機一転、顎に手を当てて真剣に考え始める。
「そうですね、しいて言うとするならば――――一目惚れといったところでしょうか。といっても、感情的で一過性とかじゃなくて………そうですね、彼女の心に魅せられたというか………」
うーん、と唸りながら言葉を少しずつ捻りだすルーク。彼は、上手く感情を表す事が出来ずに、納得がいかない様子だが、龍人はそれを聞いて少し驚いていた。
「へぇ、案外人を見る目はあるのかもなぁ」
「どうかされましたか?」
「何でもない、独り言だ」
ルークは抱えた頭から、瞳だけで龍人を見上げる。
龍人はそんなルークへ一つニヤリと意地の悪い笑みを向ける。
「さて、そんな事なら善は急げだ。今すぐお嬢と会ってその気持ちを伝えてくるがいい――――と言いたいが、それで済むなら俺のところに来てないよな」
「――――はい。どうもヘタレなもので………」
「そこでだ、俺らはこれから街の散策をする。それに一緒に来てくれないか?」
「はい!?」
大袈裟なまでに仰け反って反応するルーク。それはまさに恋する乙女のそれであり、完全に役が板についている。
「コッチは終わったから早く戻ってきなさーい!」
そこへタイミングよくフィニアの掛け声がかかる。
「――――てなわけでどうする? 伸るか反るか、どっちだ? 時間が無いから早くしてくれ」
「ちょっと心の準備が――――」
「じゃあいいわ。今すぐお嬢のとこ行って大声で話してこよ」
「わ、分かりましたよ。行きますって………」
ルークはフィニアの方へと歩き始めた龍人を止めると、泣きそうな声で承諾した。
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