第5話

 屋敷へ近寄ってみるとやはりというべきか、とにかくデカかった。

 そのスケールを一言で表すなら、団地一つ分の土地を一個人が所有しているようなものである。扉の大きさだけでも見上げるほどで、それは圧巻の一言に尽きる。

 屋敷に使用されている柱は、殆どが大黒柱と比べても遜色ないほどの太さを誇っている。それらはダークオークの様な、暗めの色で統一され、屋敷に重みと落ち着きを与えていた。そんな中でも、窓枠の装飾などには、金銀が装飾されていて 加えてただ大きいだけじゃなく、質素な木柱が立ち並ぶ中にも、窓枠など細かい所には金銀が装飾されているのが、小洒落ている。

 豪華絢爛とは言わぬとも存在を大きく見せつけ、なおかつ多角的に見てバランスが整っている所に家主のこだわりを感じた。

「――――マジで、想像の百メートルは上に行ってるんだけど。お前の事見直したわ」

「言ったでしょ? 私は荒野との境界を守る貴族の娘なの。これからはきちんと敬称をつけて呼ぶことね」

 龍人はまさに芸術作品と言える屋敷と、ぼろいローブを身に纏ったフィニアを順々に見比べる。

 どう見ても気品など微塵も感じられず、金に困り、物乞いに来たようにしか見えない彼女を見て、

「貴族ということをまったく感じさせずに距離感を詰めるため、わざと自分の格を下げているなんて感動だな、お嬢」

 フィニアの誇らしげな顔が、龍人の一言によって一瞬にして凍り付く。フィニアの頬が凍結フリーズした時間と表情を無理に動かすように。ピクピクと震えた。

 新人のコンビニ店員の様なぎこちない笑みを浮かべ、口から漏れ出すように声を作る。

「――――………邂逅速攻斬首刑確定大罪人にして差し上げましょうか? 無期無限孤独牢獄内生活の方がその身には応えるかもしれせんねフフフ」

「フィニア様が大変バイオレンスなのは理解できましたのでその邪悪な笑みを止めて下さるよう誠意をもって謝罪します本当に申し訳許せ」

 フィニアの中で遂に何かが壊れ、魔女の様に『ヒヒヒ』と唇の端を上げて笑う。その背後からは黒い何かが漏れ出しているように思えた。多少引きつつ龍人が眺めていると、扉が微かに軋む音を立てた。

 中から初老の男が一人出てくる。

 男は執事服に身を包み、頭の上から下まで一本の棒に貫かれているかの様な姿勢を保っている。白髭を清潔に整え、白髪も短く切りそろえている。目は老獪な光を携え、真っすぐ正面を見据えている。

 左腰には魂喰蛇ソウル・イーター程ではないが、長い大剣を差している。厳格。それが彼の第一印象だった。

 彼はゆっくりと無駄のない動きで二人の前に歩いて来る。

「――――あっ。見つかっちゃった………」

 フィニアは額にペシンと掌を当てる。どうやら彼には見つかると悪い事でもあるらしい。

 その間にも執事との距離は狭まって来――――

「セイヤッ――――‼」

「――――っ!?」

 執事との距離が十メートルに差し掛かった刹那、彼の姿が消えた。本能的に危険を察知した龍人は反射で右ポケットに掛けていた銃を引き抜く。

 ガギンという金属音と共に剣と銃が交わされる。刀とは違い相手の鎧を叩き切るために作られた西洋剣は、銃で受け止めるには重すぎるため、龍人は右へいなすように手首を捻る。重心操作によりバランスを崩させ、極短い間だけでも執事の動きを止められる――――はずだった。

 続けて気絶させるために額へ振った銃が、強引に上体を反らして躱された。それと同時に、今さっき振り下ろされたはずの剣が、弧を描くようにして龍人の背後へ迫ってきている。

 強いの慣性とかなりの重量をもった大剣を、筋力と体の動きで制御し、隙を生み出す大ぶりの動きをそのまま次の攻撃へと繋げることで隙を失くす。全ての動きが一体化し、流れるように攻撃を仕掛けるその技は、まさに修練の賜物だった。

「――――って嘘だろ!?」

 龍人は銃で殴った勢いそのままに地面を転がり、剣を辛うじて避ける。拍子にフードが脱げ、靡いた髪の毛に僅かな抵抗を感じたが、構わずできる限りの距離を取る。しかし、慌てて起き上がった時には既に次の攻撃が繰り出されるところだった。

「っちょ!? じい‼ そいつ敵じゃない‼」

 フィニアが仲裁しようと声を張るがもう遅い。斜めに斬りつける剣筋はどう足掻いても逃れられない未来だった。

 それを見た龍人は――――笑っていた。気怠げで軽い表情を捨て、その下から彼の本気が現れる。顔に浮かべた獰猛な笑みは、この状況を嘲笑する余裕ですらある。

 体を軽く落とし深く息を吐く。フィニアは、龍人から放出された殺気に、周りの空気がピンと張り詰めるのを感じた。まるで周りの気温が急激が下がったかのように震えが止まらなくなる。

「――――っ!?」

 執事はフィニアの悲鳴に今にも獲物の首を跳ねようとする剣を制御しようとする。――――が、一度勢いづいた大剣はその技術を以てしても止めるのは困難である。

 マズイ、とフィニアが最後に龍人の死を予測し、目を閉じる

 ――――しかし、そんな恐怖を吹き飛ばすように龍人の足が一蹴した。

 袈裟に斬りかかる剣に合わせて刃の無い側面を思い切り蹴りつける。爆発的に飛び出した一撃は、指向性の爆弾の如く襲いかかった。予想外の重さに執事は思わず剣から手を放す。主の元を離れた大剣はクルクルと縦回転を重ねて十メートル先に突き刺さった。

「――――ふぅ………。こっち来てから調子いい」

 思い通りに決まり気持ちよさそうに腰に手を当て伸びをする龍人。だが、他の二人は唖然として固まったままになっている。執事など信じられないと言った形相で手を何度も握り返していた。震える声で執事は問いかける。

「い、今のは………」

「気功術の一種だよ。原理は発勁と同じだな」

 龍人は特に自慢する訳でも無くさらりと言ってのける。しかし執事はそれが常人には理解できないほどの神技であることが分かっている。

 あの手の技は強力な力が出せる反面、気を溜めるために多くの時間がかかるというデメリットがある。それをあの短時間で、しかも瞑想にも似た深い集中をしている間に高速で動く剣の動きを捕捉するなんて神技としか言いようがない。

「――――というかだな。どうしてお前らはそうやって人の顔見た瞬間親の仇みたいに刃物をブンブンブンブン‼ もしかしてこの世界では『挨拶代わりに相手を殺しましょう!』なんてふざけた法律でもあんの!?」

 龍人はうんざりした眼付きで文句を語る。今日は、神が『神崎龍人を殺そうデー』でも制定しているのかと思う程殺されかけている。そこいらの不良ならば片手すら使わずに百を落とせるかもしれないが、この執事のように一人だけで存在が百を超えている馬鹿らしい奴ら相手では流石にいつか死ぬとも限らない。


「こ、これはすいません………お嬢様が夜中に失踪されて、戻ってきた時にはこんな服装で隣に怪しげな男が一人などと怪しい状況でしたので、誘拐犯かと思い先手を打ってしまいました………」

 執事の弁解を聞いた龍人はフィニアへ「ほぼお前のせいじゃねーか」と非難の目を浴びせる。自分へ矛先が回ったのを感じたフィニアは、慌てて顔を逸らした。

 龍人は舌打ちをすると、糾弾を再開する。

「それでその怪しげな男が実はただの一般人だったらどうするつもりだったんだよ! 何、死体に向かってごめんなさいもうしませんってか。そんなんで殺されたら向こう百年は呪い続けるぜ!?」

「本当に申し訳ない。このツヴァイ一生の不覚」

「それと、アンタは執事としてお嬢の動向をしっかり把握しとけよ! こんな何もない所で転んで頭打ちそうな馬鹿を放置させといたらどんなことになるか分からんぞ」

「――――以後気を付けましょう」

「まだある。そもそもお前はお嬢が居る前で――――」

「――――そろそろその辺にしておいたら? 結局誰も怪我してなかったんだし………。というかアンタは何どさくさに紛れて私の悪口言ってるのよ!」

 一頻り言葉をぶちまけた龍人は、フィニアの声を聴いて目をそちらへ向ける。視線の先には心からの安堵を浮かべた少女の純粋な笑顔があった。龍人は舌打ちをすると再び気怠そうな顔つきに戻り、フードへと手を伸ばす。

 執事は闇の中へと顔が半分ほど隠れた時、僅かに瞳が光ったのを見た。何処までも強かに放たれる光は、執事を射すくめるには十分だった。何か含みのある非難するようなそれに執事は戸惑うが、執事が意味を汲み取る前に元に戻った。

「お前戦闘に関しちゃプロだけど執事としては半人前らしいな。ま、精進しろよ」

「――――そのようです」

 執事はその言葉を噛みしめるように深く唸る。龍人は肩を竦めると、戦闘中に落とした魂喰蛇ソウルイーターへ黙って手を伸ばした。

 漂う微妙な空気を直すようにフィニアは声を上げる。

「とりあえず家の中に入ろう? いつまでも外に居るのもあれだし」

「おう。内装の方も気になる所だし」

「承知しました」

 外は数メートル先すらも見通せないほど暗かったため、扉から覗く光はとても暖かく感じる。一行が家へと足を踏み入れる中で龍人は一人、これから本格的に異世界へと踏み込むことへ一抹の不安を覚えていた。

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