第4話

 とっくに日は暮れ、鬱蒼うっそうと茂る木々の隙間を縫って、ただ一筋の月光が前方を照らし出している。互いの表情すらも読み取ることが困難な状況で、手元には明かりの一つもない。時折風に煽られる草木の影は、恐ろしい化け物を彷彿とさせる。

 何人たりとも近づかない夜の森は異様な静けさに包まれていた――――ただ二人の周りを除いては――――

「一文無しのあんたに家まで案内してやるってんだからちゃんと感謝してよ」

「おいおい。いきなり異世界に引きずり込み、剰え半壊した隷属術式押し付た馬鹿野郎のお前の口が言えるか?」

「………それは見解の相違ってやつじゃない?」

 森の空気をかき乱す人間の一人――――神崎龍人は左腕を上げて強調してみるも、もう片方の少女にはそっぽを向いて見ないふりをされた。

「それに私にはフィニアって名前があるんだけど? ちゃんと名前で呼びなさい」

「それを言うなら俺も神崎龍人って名前があるんだけどな? 〝お前〟もちゃんと名前で呼んでくれよ」

「何で主たる私が〝アンタ〟の名前を呼ばなきゃいけないの」

 突発的な自己紹介は済ませたものの、どちらも名前で呼ぶ気は一向にないらしい。


「――――なぁ。本当にこの術外せないのか?」

「術式の詠唱の途中であんたが落下してきて、不完全な状態で終結しちゃったからね……少なくとも私にはお手上げ。今の状況は分かりやすく言うと雁字搦がんじがらめになった毛糸球かな」

 あの後、フィニアが何度か隷属術式を解呪しようと試みたものの、どういう訳か何をしても反応は無く、印はその場に今も刻まれたままになっている。


 術式によってはそのまま放置、なんてこともできるのかもしれないが、この術式は少々どころか、結構厄介でそうもいかない。


 ――――そもそも隷属術式というのは、その名の通り、家臣が目上の者と結び、逆らう事の出来ない隷属を強制する術式である。

 内容としては、まず、術式を結んだ隷属者は、主への一切の攻撃が無効化(与えた攻撃の形がそのまま自分に返ってくる)される。これは別に今の二人にとってはわりかしどうでもいいものではある。

 問題は次だ。

 ――――隷属者は主から離れるほどに力を失う。

 その効力は千の兵を片手で投げ飛ばすような強者でさえ、主から一キロメートルも離れればカブトムシにさえ敗北するとのこと。主を守るために命さえも賭さなければならない隷属者は、主から離れる事自体が論外であるという事らしい。話に聞くだけでは鼻で笑えるが、当事者となてしまってはひとたまりも無い。こんな足枷が無ければ、龍人はさっさと彼女とおさらばして異世界ライフに突入したはずなのだが、杭が出る前にコンクリートで固められた気分である。

 ともあれ現状で確認できる隷属術式の内容は以上だ。

 〝現状〟というのも、この隷属術式はものがものだけに、使用が徹底的に制限されており、深い内容は一般的には知られてないらしいのだ。

 更に、今の隷属術式の状態は、セーブ途中のゲームの電源を引っこ抜いたようなもので、予期せぬバグが発生している可能性も十分にあり得るらしい。

「不幸中の幸いだったのは言語が通じることぐらいか。これ通じなかったらマジで詰んでたかもしれん」

「でもそれはそれで謎じゃない? 異世界で完全に共通の言語が大成される確率って相当低いと思う。〝ニホンゴ〟ってもしかして全世界線の共通言語だったりして」

 この時点で、既に龍人が聞きたい事は山積みになっていたが、どうせ彼女に聞いたところで碌な答えは返ってこなさそうな気がした。――――という事で極簡単な問いから始めてみた。

「〝ニホンゴ〟――――? ああ。この言葉こっちの世界ではそう呼んでるのか?」

「そうだけど。あんたの世界では別の名前で呼ばれてたの?」

「いや、俺の世界ではわざわざ言葉に名前なんて付けてなかった。別にそれで困ることも無かったしな」

「ほうほう。なんだかまだ見ぬ異世界にちょっと興味が出て来たかも」

 目を輝かせフィニアは瞳を龍人へ向ける。それは、動物園で可愛らしい珍獣を見つけた小学生を思わせた。

 新たに分かった事だが、この少女精神年齢がそこそこに低い。すぐ怒るしすぐ機嫌を直す。見た目自体は龍人よりも一、二歳年下に見えるのだが、やはり外見と中身はなかなか一致しないらしい。

「なぁ、お前歳幾つだ?」

「――――レディーにおとしをお聞きになられるとはいい度胸じゃない………十五歳よ」

「なんだかんだ言ってちゃんと答えんのな。にしてもホント予想通りだな。――――その歳ならまだ希望はある頑張れ」

「――――ちょっと何の話をしてるか分からない」

 怒る事すらやめてフィニアは龍人をジト目で睨む。

 度重なるセクハラも、三度目となると心に余裕が生まれるものらしい。

「大体ね、あんたはもっと他人を敬う心を持ちなさい。そうやって当たり散らすといつか自分に返って来るよ」

「何馬鹿なこと言ってんだ。俺は自分より上と認めた人にはしっかり敬語使うぜ?」

「それ私は格下って遠回しに言ってるよね!?」

「そうやって冗談にすぐ切れるから格下扱いされるんだろうが。ちゃんと下見て歩かないとこけるぞ」

 横歩きになっていたフィニアは案の定樹の根に足を引っかける。少女は盛大に転びかけるが、それを予測して事前に用意していた龍人の右手に肩を掴まれ、何とか堪えた。

「あ、ありがとう………」

「ほんと危なっかしい奴だな。お前にあんな複雑そうな魔法で喚起されたとか思うと背筋が凍る」

「――――上げて落とすことに関して世界で一番上手いと思った人一位を贈呈してあげる」

「あ、有り難う(笑)」

「…………………。」

 フィニアは何か言おうと口を開きかけたが、龍人の無駄にいい笑顔を見て諦めた。

「にしてもこの刀、山道歩くのには邪魔だな………」

「アンタの物じゃ無いんだったら捨てちゃえば? ここほとんど人来ないから拾われる可能性かなり低いと思うけど」

「何となくだがそれはダメな気がする。もしもだとしてもこれは常人の手に渡しちゃまずい気がするんだよ」

 二人の注目が魂喰蛇ソウルイーターへと移る。

 あの後一緒に落ちて来た鞘と銃も回収しここまで持ってきているが、長くて重い刀身は邪魔臭いこと極まりない。キルアは腰に専用のホルダーを用意し、そこに差していたようだが、それを持っていない龍人は左手で直持ちしていた。価値の高そうな鞘を傷つけないよう細心の注意は払っているものの、時折枝に当たってカツカツと音を立てている。

 龍人はふと立ち止まると、怪我をさせない程度に加減をし、フィニアの脳天を柄で小突く。

「イタッ! 何すんのよ!?」

「――――いや気付けよ」

 龍人は生暖かい目をフィニアに向けると、

「オワタッ‼」

 今度は手刀を脳天へ振り下ろした。

 手を抜いているとはいえ、そこそこの威力を持った手刀にフィニアが反応できるはずも無く風を伴って指が突き刺さった。

 それと同時に「ピシッ!」という心地よい音が〝龍人の頭〟から発せられる。

「あれ……痛くない。そういえば隷属術式の効果にそんなのもあったっけ」

「Do you understan? これで言いたいこと伝わったろ。隷属術式がお前への攻撃を反射するなら、〝この刀の攻撃は何故ダメージが入る?〟」

 想像以上に痛かったのか龍人は涙目で魂喰蛇ソウルイーターを立てる。

 二匹の蛇は然として無機質の宝石から、嘲りを向けている。さっきまでただの彫刻だったそれらが、突然生命を持った様な気がしてフィニアは身を震わせた。

 恐怖を汲み取ったのか龍人は魂喰蛇ソウルイーターを持ち直し、少女から遠ざけた。

「――――ったくこんなもんを平気で振り回すキルアの野郎は何考えてんだか。俺なら頼まれてもこいつは二度と使わないね」

「――――キルア? それの持ち主キルアっていうの?」

「本名かどうかは知らんがそう名乗ってた」

 フィニアは怪訝な表情を龍人へ向ける。

 一人でブツブツ「本当に………」だの「そうだとしたら………」だの呟いているが、全容は見えてこない。やがてフィニアは一人で納得したのか顔を上げると、

「まぁその辺りはまた後で話そうか。もうそろそろ私の家に着くころだしね」

「やっとかよ………もう小一時間は歩いてるんじゃないのか………」

 葉の隙間から覗くすっかり暮れてしまった空を見上げ思う。この世界にも星と月が浮かんでいるという事は、今立っている大地は自転をしているのだろうか? ついでに言うと、それは太陽系の様な構造をしているのだろうか? 謎は尽きる事はなさそうだ。

 前方に生い茂る木々が開け、突如として広大な土地に放り出される。

 ゴルフ場程の広さである草原の中に一つだけ大きな家が建っているのが遠目に確認できた。呆気にとられる心の中で一つの答えを龍人は絞り出した。

「あのさ、もしかしてだけどこの草原ってあの家の庭か?」

「そうだけど」

「あのさ、もしかしてだけどあの家ってお前のか?」

「そうだけど」

 ここまで聞いてようやく頭が衝撃の事実を受け入れる。


 俄かには信じがたいがこいつもしかして…………


「お前の名前もう一回Plz」

 フィニアは決して大きくはない胸を張ると自慢気に、



「〝フィニア・フォン・アルトラ〟この辺りの土地を治める貴族の娘ってことよ!」

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