終章-ひねくれ師匠と本当の私
139.少女、罵倒する。
今日も一日の始まりが訪れる。
数日前、雲の上で死闘が繰り広げられたとも知らずに、地上では平穏な朝を迎えていた。闇のマナ達の横行で精神のバランスを崩していた魔物たちも少しずつ沈静化しているようだ。
世界はゆっくりと正常に戻りつつあった。
「とかだったら良いのになぁぁぁ」
情けない声を上げながらユーナが机に突っ伏す。頼まれていた魔女道具を持ってきたオズワルドはその背後から呆れたように声をかけた。
「何の話だ」
「あっ、黒ちっち! 例のブツは!?」
「ほら、二本目以降は最低でも四時間空けろよ」
「助かルンバー!」
「一本5百な」
「高ェーッ! でも効くから止めらんねぇヒャッハー!!」
「っぷはー! 染みるー! っしゃ、これであと数時間は頑張れそう!」
シャキッと効果音でも付きそうに姿勢を正した彼女はストローを咥えたまま机の端をトントンと軽く二回叩いた。すぐさま白い平面に世界を上から見下ろしたような風景が現れる。
「ここと、ここと、ここはオッケー。こっちの澱みはさっき風のマナを流し込んだから1時間後にもう一回チェック。っあ゛ー! ここ見落としてた最悪!」
イライラとしながら手元のボードに書き込むと、一瞬光った文字は転送され消えた。バシンとペンを叩きつけてモニターチェックに戻るユーナは口を尖らせ愚痴をこぼした。
「ホント闇のマナをばら撒くとか迷惑極まりないわ! バランス調整するこっちの身にもなれってんだ。マジやったヤツ豆腐の角に頭ぶつけて死ねばいいのに」
一拍置いた彼女は、ワッと突っ伏した。
「僕だーっ!! 豆腐持ってきてえええ!!」
「これほど自業自得という言葉が似あうケースもないな」
「黒すけ冷たい!!」
あの激闘から数日。ユーナは自分が蒔いた厄介ごとの処理に追われていた。
各地に溜まっている闇のマナを適当に散らし、元の濃度に戻す。口で言えば簡単な作業のように聞こえるが実際は気の遠くなるような作業だ。詳細は省く。
ぐりりと首だけをひねったユーナは、机の傍らに置かれたガラス管を見上げた。
「こっちの身体に戻れば、だいぶラクできるんだけどなー」
その青い光を湛えた液体の中には、静かに目を閉じる女性の身体が浮かんでいた。黒く長い髪が水中でたゆたい、不思議な模様を描いている。
同じようにそれを見上げていたオズワルドは容赦なく言った。
「後悔するなら最初から壊さなければ済む話だろう。後先考えずに感情だけで動くからそうなるんだ」
「うぐ、それ言われるとツラぁ……」
耳が痛いとぼやいた彼女は上体を起こし、さしたる悲壮感もなく続けた。
「まぁ僕だって本来の肉体が良いから、一段落したらゆっくり器の修復方法でも探すさ」
そう呟き胸元にかけた小さなクリスタルを持ち上げる。
「それまでにはコイツも反省してるだろうしね」
微かに煌いたそれを少し遠ざけ、ユーナは顔をしかめた。
「うわ、肌身離さず一緒になれて本望とか言ってる。引くわー」
「意思の疎通ができるのか?」
「僕にだけ通じるみたい。おいイニ、キミだけラクしてずるいぞ。声援とか要らないから……愛の言葉はもっと要らん」
やり取りを見ながらオズワルドはその時の事を思い出していた。
***
「あ……あぁ……」
幸せの弾丸を撃ちこまれたイニは戦意を喪失し、ただ呆然と床に座り込む。
歩み寄ったニチカが転がった器を拾い上げた瞬間、光にほどけ身体に吸収された。
(おかえり)
魂が肉体にしっかりと定着したことを確認した少女は、振り向いて座り込む神に手を差し出した。
「こんな乱暴な方法じゃなくてさ、ユーナ様を元の身体に戻す方法みんなで考えようよ」
ゆるく笑うその優しさが偽善や憐れみではないことをイニは分かっていた。なぜなら撃ち込まれた気持ちが全てを伝えていたから。
あの燃え盛る部屋で死にたいと願った女の子が、ただの材料としか見ていなかった人間が、自分に手を差し伸べている。
「どうして君はそんなに――」
震える指先が触れようとしたその時、視界が左に90度カクンと傾いた。
「え」
そのまま右側頭部に衝撃が伝わる。
状況を理解できない内に、ドウと音をたて首の無い身体が目の前に倒れてきた。
シワ一つ無い白い礼服。見覚えのありすぎる体躯。自分の身体だ。
ヒュッと息を呑むような音が響き、ニチカが青ざめた顔で一歩下がる。
噴水のように噴き出す血が辺りを赤く染めていった。
やがてその池の中をピシャと踏み込みながら誰かがやってくる。
彼女はひょいと自分を――今や首だけになった自分を持ち上げると目の高さまで持ち上げた。
「やっと届いた。まだ意識はあるんだろう? イニ」
ユーナの眼差しはどこまでも穏やかだった。ドクドクと自分から噴き出る血が彼女の腕を赤く染め上げていく。
「僕もキミも長く生きすぎたんだよ。そろそろ引き際だ」
少しずつ視界が白んでいく。
声は出なかった、声帯も息を送り出すための肺も下で転がっている身体の方に置いてきてしまった。
それでもイニは舌を動かした。愛しいその名を呼ぶために。
……ぅナ
ユーな
ゆー ぁ
それを見ていた彼女は少しだけ困ったように微笑んだ。首を抱いて優しく諭すように語りかける。
「大丈夫だよ、僕もすぐに後を追うから」
おやすみイニ。
柔らかい声にまどろむように意識が落ちていく。最愛の人に抱かれたイニを、最後に満たしたのはこれ以上ないほどの幸福感だった。
彼はそっと目を閉じ、生命活動を止めた。
「……」
それを確認したユーナはヒュッと右手を振り上げる。すぐさま闇のエネルギー弾が彼女の頭上に現れた。
「あ……ユーナ様やめて!」
意図を感じ取ったニチカが叫ぶも、彼女は穏やかに微笑み続けていた。
「ほんとキミ達には迷惑をかけたね。悪役はまとめてここで消えるさ」
「そなた何を考えている!」
「思いとどまるんじゃユーナ!」
我に返った精霊達が止めるも、凄まじい重力波は少しずつ降り始めていた。
「大丈夫、キミ達ならやっていけるよ」
少しだけ疲れたような声に辺りは静まり返る。
永き時を生きた女神は、幕を下ろそうとしていた
さぁ、フィナーレだ――
「逃げるんですか?」
だが、静かに突き刺さる声がホールに響く。
ふ、と目を開けたユーナは少女を見た。
戦いでボロボロになったニチカだったが、目だけは恐ろしいほどに澄み切ってこちらを見ていた。あぁ、自分もかつてはこんな目をしていたかもしれないと、思わせるようなまっすぐな瞳だ。
「死んで、何になるんですか。それって何か私たちのプラスになるんですか」
拳をぎゅっと握りこんだ彼女はキレていた。怒りをむりやり抑え込もうとしているが言葉の端々から怒気がにじみ出ている。
「死んで責任を取る? そんなんされたってこっちは一ミリも嬉しくないんですよ。だって死体は働いてくれないから! 闇のマナだって魔物が暴れまわってるのだってまだまだ問題は山積みで……フェイクラヴァーズだってそう!」
限界とばかりにフロアに足を叩き付けた少女は、率直な気持ちを叫んだ。
「死んで逃げるな! せめて全部蹴りを付けてから死ねーっ!!」
***
「死ねなんて説得があるかよ」
苦笑いでこぼした感想に、ツンツンとクリスタルを苛めていたユーナが反応する。
「あぁ、ニッちゃんの説得? あれにはビックリした。言われてみればその通りなんだけどさ」
涙ながらに命の大切さを切々と訴えるならわかるが、その後の彼女から飛び出したのは罵詈雑言と苦情の嵐だ。感動もへったくれもない。
「正直、僕も場の雰囲気に酔ってた感はあった。物語りで言うならラストシーンだし、元凶はここで死んどかなきゃ! みたいな」
「小説の読みすぎだ」
あれだけ罵倒されれば消えるわけにもいかなくて――結局、思いとどまったユーナは離れかけていたイニの魂を回収してクリスタルに宿らせた。肌身離さず共に居られて彼は嬉しそうだ。
ここで仰ぐように首を後ろに反らしたユーナはニヤニヤと笑い出した。
「んーふーふー、でもお師匠サマは寂しくなるんじゃない? 可愛い弟子はこれから僕の右腕だもんね~」
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