138.少女、感謝する。

「俺とその性悪女神が居て、そんな単純な奇襲作戦するわけないだろう」


 その背後に影のように佇んでいた男が鼻で笑う。まさかと思い、黒竜の前でへたり込んでいたはずのニチカを見ると、立ち上がった彼女はウィッグをズルと外したところだった。まばゆい金髪がその下から現れる。


「影武者とかゾクゾクしたわぁ~」

「うぇ、血のりベタベタ」


 ニチカとオズワルドに成りすましていたのは変装したシャルロッテとランバールだった。激しく動揺したイニは混乱したかのように振り返る。


「だがいつの間に……いや、防護壁はどうやって!?」


 信じられない思いで見ると、師弟の背後付近、外した業火球が着弾した辺りがバラバラと崩れ落ちていた。


「もうっ、ほんっっと! 今までで一番信じられない作戦よ!!」


 涙目のニチカが憤慨したように叫んだ。


「竜のお腹に潜んで、ブレスと一緒に発射されるなんてっ!!」



 種明かしをしてしまえば、防火膜に包まれたニチカとオズワルドはヴァドニールの体内、火炎袋の中に忍んでいた。

 そしてわざと撃ち損ねたと思わせ炎に包まれたままシールドの後ろ側に回り込み、そのままの勢いを利用して体当たりで防護壁を壊したのだ。


「僕のサポートも万全だったでしょ、でしょ!」


 嬉しそうなウルフィが何かの板をくわえながら尻尾を振っている。その板の裏には錘が一本だけ取り付けられ、一点集中で打撃を打ち込めるようになっていた。

 つまりニチカたち自身がハンマーとなり、この板を釘にしてシールドを叩き壊したというわけだ。


「魔への耐久力は上げたらしいが、物理的には弱かったようだな」

「物理って! こんなファンタジー世界で突破口が力技って!」


 なぜか納得していなさそうなニチカだったが、気を取り直したかのようにカチャッと再度銃を構えイニに狙いを定める。


 場にシンと沈黙が降りる。


 誰もが固唾を呑んで見守る中、身構えたままのイニが緊張したように問いかけた。


「その銃、確か欲望を弾に変換する代物だと聞いたが」


 ニチカは答えない。神は全てを見透かそうとするかのように目を細めた。


「……聞いていた陣と違うな。真逆の性質を持たせているようだ」


 言い当てられて内心ギクリとする。だが顔には出さずに視線を逸らさない。


 このディザイアはユーナとオズワルドが手を加えた改造版だ。元の魔法陣は負の感情に反応するようプログラムされていたが、これはその逆、つまり希望や幸福感などに反応するよう組まれている。


「はは、読めたぞ。それを私に撃ち込み改心させようという寸法だろう! だが果たしてそれが上手く行くかな?」

「何――」


 警戒を解かず半歩下がった瞬間、ヴヴッという微かなノイズが響きニチカの周りに幻覚が現れた。



 ――ねぇ、誰が産まれてきてくれなんて頼んだの?



 聞き覚えのある声にサッと血の気が引く。

 母だ。あの燃え盛るような斜陽の差し込む部屋、首を絞めながら泣きそうな声で言ったあの時の



 ――は? 猫なんて知らねーし。あー、でもアンタが可哀そうなネコちゃんを虐待してる動画ならあるよー



 聞くな、聞いてはダメだ。これはこちらを動揺させるための幻覚……



「君に撃てるのか? 思い出せ、人は醜いぞ。自分のために子供の首を絞める母親! 誰も助けてくれない大人たち! 君の中にも似たようなドス黒い感情は潜んでいる! 思い知って絶望しただろう!」

「聞くな! 心を揺さぶろうとしてるだけだっ」


 ユーナの叫ぶ声が遠く聞こえる。


 覚悟していたはずだったのに、気分はどんどんネガティブな方向に引きずられて行ってしまう。


「わ、たしは、あたしは」


 やはりダメなのかもしれない。オズワルドはそのままで良いと言ってくれたが、臆病で弱虫なのはこういった場面では不向きだ。


「ニチカ」


 自分を呼ぶ声に振り向けない。震える手で構える銃口が少しずつ下がっていった。


「ど、どうしよう、嫌なイメージがチラついて離れない。こんな気持ちで撃っても、きっとダメだ……」


 失敗したら、上手く行かなかったらどうしよう。


 何か希望を、幸せだったことをと思考を巡らせるが、塗りつぶす勢いで幻覚がますます囁いてくる。



 ――もうちょっとさぁ、明るい顔しなよ。こっちまで暗くなるんだよね

 ――ふーん、それで?

 ――あー、あの地味な子? 人として魅力がないよね。居てもいなくてもどーでも良いっていうか

 ――ごめんもう一回言ってくれる? ハッキリ言ってよ



「希望を捨て、期待しないことが唯一の防御策、全てが上手くいく? そんなものお話の中だけのまやかしだ、現実は厳しいぞ」


 薄く笑ったイニが魔導球を握る手に力を込める。輝きを増した引力はますますユーナを引きずり出そうとした。


「撃ちたければその希望の銃で撃てばいい! ハハハハ、失敗するヴィジョンが見えているのだろう? 君には無理だ、絶対にな!!」

「ぐぁぁあぁぁ限界! もうダメだぁぁぁ」


 床に這い蹲るユーナの姿がジジジとブレ始める。


 イチかバチか撃つしかない、一度器に魂が入ってしまえば取り返しが付かなくなる。


「う、ぐぅっ……!!」


 涙で歪む視界。

 震える手で無理やり撃とうとした瞬間、頭に暖かい手が乗せられた。


「最後までしょうがないやつだな、お前は」

「し、しょお……」


 ボロボロと泣くニチカに少しだけ苦笑したオズワルドは、くしゃりと頭を撫でた。


「この局面でもポンコツな弟子に一つだけアドバイスをやろう、どうしようもない状況の時は目先の幸せだけ追いかければいい」

「目先の?」

「少し頑張ればすぐ手が届きそうな小さな幸せ。たとえば、」


 左に立つ男を見上げた少女に嫌な予感が走る。師匠はなぜか意地悪そうな笑みを浮かべていた。


 この顔は知っている。そして全身をぞわりと撫でられるようなこの色気、も、


「お前、気持ち良いのが好きって言ったよな?」

「なっ、それが今なんの関係が――!!」


 ディザイアを取り落としそうになるが、男の手が添えられ再び銃口は正面へ向けられる。


「アイツを倒せたら、」


 耳元に顔を寄せたオズワルドは甘く痺れるような声でささやいた。



「ご褒美だ。お前の望む場所に、お前が望むだけ、気持ちいい事をしてやる」



 耳から入ったその言葉が全身を駆け巡り熱を灯していく。


「な、なっ、」


 何か言おうと口をパクパクさせている間に、手に持った銃がすさまじい勢いで光りだした。

 白く純粋な光は周囲に影を作り出すほどに強烈な輝きを放つ。その美しさに場にいた全員があっけに取られたように目を見張る。


「う、嘘……こんな――嘘でしょおお!?」

「すごい反応だな、お前やっぱり欲求不満なんじゃないか?」

「ばかぁーっ!!」


 恥ずかしさと、認めたくは無いが『イイ事』への期待で、ネガティブ感情が全て押し出されてしまった。


「こんな、こんな展開って……っ」


 頭を振ったニチカはまっすぐにイニを見て――笑った。


「あぁ、もうっ」



 もう幸せなことしか考えられない。

 ここに至るまでの絶望も、これから先への希望に比べれば何と小さなことか。



 だってそれらは全て終わったことじゃないか。

 もう気に病む必要など、どこにも無い。



 師匠に背中を押されイニに数歩近寄る。彼は怯えたように後ずさると転んで尻餅をついた。


「何をした!? やめろ、なぜ幻覚が効かない!? 来るなぁ!!」


 その瞳には、きっと復讐されるのだろうと恐怖の色が浮かんでいる、でも


「イニ、ごめんね。約束破っちゃうけど、やっぱり私、生きてみたい。器は渡せない」


 グリップを握る手に力を込めれば、光が収束し銃身自体が輝きだす。充填が完了した。


 引きつりながらユーナの身体と器を掻き抱くイニに向けて、ニチカは正直な気持ちを打ち明けた。


「あなたに感謝してる。イニがこっちの世界に転移させてくれなければ、私、哀しい気持ちで一生を終えるところだった。やり直すきっかけをくれた恩人だもの」

「嘘をつくな! 私は君を騙したんだぞ! 怨んでないわけがない、そんなことを言っておきながら腹の底では――」


「ねぇイニ、私いま幸せだよ。あなたにもこの気持ち、伝えたい」


 少女が小さくつぶやいた「ありがとう」の言葉と共に、銃弾が発射される。




 純度100%の嬉しさと感謝で出来た弾は、静かにイニの額に命中した。








 ねぇ、あの時ね


 うん?


 イニ、自分から当たりに行ったように見えたの。どうしてかな


 ヤツもきっかけが欲しかったんじゃないか


 ユーナ様と仲直りするための?


 さぁな、本人にしか分からないことだ。今度会ったときに聞いてみろ


 ……また、会えるのかな


 お前が望むのなら、たぶん向こうからやってくるさ

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