136.少女、擦りあう。

「なっ……!!」


 それは、その言い方ではまるで――


 制止しようとするのだが、その前に抱え込まれ横向きに倒れこむ。苦しくはないが腰と背に回された腕に力強く引き寄せられ、二人の身体は寸分の隙間もなくピタリと合わせられた。


「う……あぅ……」


 言葉にならない声が漏れ出る。これだけ密着していたら早鐘を打つ心臓がバレてしまいそうだ。いや確実にバレている。


 トクン トクン トクン


 これは自分の鼓動だろうか? それ、とも?


「――」

「え……」


 知らない言語で何かを囁かれた気がしたが、聞き返す前に診察が始まった。


「!」


 身体の内側を何かに擦り上げられているような、体験したことのない感覚が駆け巡る。ぞわぞわとまでは行かないが、まるで全身を羽根で撫でられているかのようなくすぐったさだ。


「あ……あっ……」


 ピクッと跳ねたニチカを見たオズワルドは、さらに魔力を送り込み循環させる。


「ね、ねぇっ、これっ、いけない事なんじゃ……ひぁっ!」

「……」

「何か言ってよ! 絶対おかしいって、だって気持ちい――」


 涙を散らして訴えたその時、ひと際強い波に浚われる。頭の中が一瞬真っ白になって魂が吹き飛んだかと思った。


「っっっ……!!」


 目の前の身体に必死でしがみつき、何とかいなそうとする。

 チカチカと頭の中で星が瞬き、逝ってしまったのかと本気で思い込みじわりと涙がせり上がって来る。


 だが少女は生きていた。しばらくすると昂揚感は少しずつ収まっていく。

 荒い呼吸を整えながら見上げると、少しだけ息を乱した師匠がこちらを見つめていた。


「……」

「……」

「もう一回――」

「ふざけるなぁっ! 不安定だって言ってんのに何わざわざ飛ばすような真似してんのよっ!!」


 死んだかと思った、半ばそうキレながら入り込んでくる流れの量を一定量制限すようイメージする。マナ操作の仕方はよく分からなかったがチッと舌打ちが聞こえたところからすると上手く行ったようだ。


「もう無理ホント無理。何だったの今の」

「だからただの診察だって」

「うそ! うそ! 絶対うそ! 明確な悪意を感じたもの!」


 悪意ではなく、どちらかと言うと好意から来るものなのだが。

 そう言い掛けるが、腕の中でむくれたように見上げてくる少女に黙る。悪くない。


 頬を膨らませていたニチカだったが、ポスッと頭を埋めるとくぐもった声でこう言った。


「恋人でもないくせに、こんな真似しないでよ」

「恋人でもないくせに、そうやって抱きつくのは良いのか?」


 痛いところを突かれたのか黙り込む。

 しばらくすると離れるどころか余計に顔を埋めてきた。


「良くないけど、今夜はこうしないと許さない」

「…………」


 またそうやって煽るようなことを。

 やめよう、今夜はやめよう。さすがに自分も寝不足で体力が落ちている。


 葛藤している内に穏やかな寝息が聞こえて来る。安らかな表情を浮かべるニチカは安心しきっているようだった。


「……何の生殺しだこれ」


 そう不満を漏らしつつも、自分にも少しずつ眠りの波が押し寄せて来る。

 少女が倒れて以降、まともに睡眠をとっていなかったがようやく熟睡できそうだ。

 腕の中の暖かい存在を抱えなおし、オズワルドは心地よい気だるさの中に沈んでいった。



 その晩、二人は夢も見ないほどに深く眠った。

 ただただ 心地よかった。



***


 夜明け前のほの暗い世界。東の空が少しずつ明るくなるにつれて、濃紫色の空が薄まっていく。研究塔のとがった屋根に腰掛けながら、ユーナはそれをぼんやりと見ていた。


 しばらくして黒い風が巻き起こり黒竜が姿を現す。彼は器用に塔の先端部分に絡まるよう掴まった。


「やぁヴニおはよう。ついに結婚式だよ、フラワーガールでもやってみるかい?」


 ふふっと笑いながらその鼻先を撫でてやる。ヴァドニールは目を細めて小さく鳴いた。


「笑えるよねぇ、僕が花嫁だってさ。想像もしてなかったよ」


 この世界に召還され、初めて彼に会った日の事を思い出そうとする。

 余りにも遠い記憶だ。思い出すことは出来るがその時なにを感じたかなど覚えていない。


「長く生きすぎたんだ、僕もあいつも」


 気の遠くなるような年月を重ね、最終的にたどりついた結末がこれでは笑うしかない。


「ハッピーエンドのその先か。シンデレラも白雪姫も、王子様と末永く幸せに暮らしたって絶対ウソだよね。性格の不一致とかで破綻してるって絶対」


 かつてのヒロインが盲目の愛にくらんだ王子を成敗する。ユーナの物語はそんな結末を迎えるはずだ。上手く行けば、だが。


「さてと、うだうだしててもしょうがないっ」


 晴れ晴れとした表情のユーナは立ち上がりトンッと屋根を蹴った。ほぼ同時に塔から離れた黒竜が落下していく彼女を空中で受け止める。

 高らかに鳴いた竜は少し下の開けた屋上に降り立つ。驚いた顔をしたニチカに向かってユーナは手を差し伸べた。


「行こう! 最終決戦だよ!」


***


 つい一週間ほど前に昇った天界目指して、一行は上昇を続けていた。

 黒竜ヴァドニールに乗るのは女神ユーナ、ニチカとオズワルドの師弟、ウルフィ、そして四大精霊たち。寄り添うようにホウキで飛んでいるのはシャルロッテとランバールの飛行組。黒竜の定員と自力で空までいけるメンバーを絞った結果、この面子に落ち着いたのだ。


 最終決戦を目の前にして、皆は緊張の面持ちに包まれて――


「では、この善き日を祝しまして僭越ながら土の精霊ノックオックがスピーチを」


 包まれ……


「ねぇ待って、みんなグラス持った?」

「あのね、あのね、サンドイッチあるんだ~、ウィルさんが持たせてくれたんだよ」

「ノッくん手短に頼むよー、君の話は内容皆無のくせにダラダラ長いんだから」

「そなたあいかわらず箸の持ち方が下手くそだな、ここはこう持って」

「だからそちはわらわのオカンか! ええい離せっ、火が暑苦しいのじゃ!」


 ……。


「ニチカちゃ~ん、悪いけど串焼き投げてくれない?」

「オレコロコロ焼き! さんきゅーっ」



「何をぼんやりしてる、腹でも痛いのか?」

 オズワルドの言葉を横に、すっくと立ち上がったニチカは力の限りツッコミを入れた。



「なに宴会始めとるんじゃああああ!!」



 近くを通りかかった鳥がビクッと跳ね、そして落ちていった。

 きょとんとした一行を見回して少女はこの状況のおかしさを必死に自覚させようとする。


「おかしくない!? これから最終決戦なのよ!? 宴会を、しかも飛んでる竜の上で始めるとか何事!?」

「宴会違う、決起会」

「そこはどうでもいい!」


 ユーナの訂正を一刀両断の元に斬り捨てニチカは頭を抱える。


「なにこれ私がおかしいの!? この世界の人たちはこれが常識なの!? 助けて神さまぁぁ!!」

「その神を今から倒しに行くんだろうが」

「ノぉぉぉ!!」


 もしかしたら自分の死因はツッコミ死になるかもしれない。

 そんな心配を抱えていると師匠が袖を掴んで座らせた。


「落ち着け、一見そうは見えないかもしれないが、これらは有用な魔女道具ばかりなんだ。まず体力増強用のドーピング剤。食べるだけで疲労が溜まるのを翌日以降に先送りしてくれる」

「重箱に入ったおせちにしか見えない」

「次に精神を安定させる働きのある敷布」

「ピクニック用のレジャーシートかな?」

「竜の角につけた旗には俺の『隠れ玉』の成分を染み込ませてある」

「『大漁』って書いてあるんだけど」

「グラスの中身は全て精神高揚剤エーテル

「お水下さい!」


 どう見ても春のお花見会でしかない光景に(桜が舞っていれば完璧だ)ニチカはもう一度叫んだ。


「ビジュアルどうにかならなかったの!? 遊びに行くんじゃないんだからさぁ!」


 そういうとオズワルドは奥でエーテルを仰ぎまくる人物をクイッと指した。


「俺に言うな、デザインは全部あっちの女神担当だ」


 視線に気がついた女神はブイッと指を二本立てて見せた。


「匠とお呼び!」

「ユーナ様ぁぁぁ!!」


 師匠も大概だが、それ以上の絶望的センスだ。


 ぷつんと糸が切れたニチカはがっくりと膝を尽く。

 そうだ、この人は魔水晶にでかでかと『えっちぃの』とか書く人だった。

 ゼェハァと息をつくその肩を叩き、ユーナはケラケラと笑ってこう言った。


「リラックスした?」


 意外な言葉に顔をあげ目を見開く。


 彼女は知っていたのだろうか、竜で飛び立った時からどうしようもない不安に襲われていた事を。何もかも投げ出して飛び降りたくなった事を。

 震える手がホウキに伸びそうになった時、「じゃ、ここらで始めようか」と赤い敷布を広げたのは他でもないこの女神だった。


「君の切り札は精神が安定した状態で一番の効力を発揮する。いつも通りの君でいることを心がけるんだ」


 その言葉に腰のポーチを上から押さえる。


「できるかい?」


 『器』を奪われたニチカは魔導を発動させることができない。

 それをカバーするため、ある魔女道具をオズワルドとユーナの二人掛かりで用意してくれた。


 これさえあれば、もしかしたらイニを止められるかもしれない。全ては自分にかかっている。


 そのプレッシャーを少しでも和らげようとしてくれたユーナに微笑んでみせる。


「大丈夫です。やってみせます」


 やるしかない。器を取り返さなければ。

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