13決戦
135.少女、夜が怖い。
キィとわずかな軋み音に、オズワルドは書き物の手を止めてそちらを振り返る。
扉に隠れるようにこちらを見ていたのは、不安そうな顔をしたニチカだった。
机の向かいでディザイアをいじっていたユーナが朗らかに片手を上げて迎え入れる。
「おっすニチカ、どうした寝れないか?」
その言葉に男はピクリと片眉を跳ね上げた。
イニからの衝撃的な招待状を受け取ってから数刻。ようやく冷静になった一同が取り組んだのは挙式に殴りこむ為の準備だった。ブチ切れたユーナを先導に、それぞれが己に出来ることを始める。
オズワルドはユーナと共にちょっとした道具を作るため研究室に、そして体力を著しく消費したニチカは、この時間きちんと休息をとり精神を安定させなければいけないはずだった。
なのになぜ、こんな夜中にふらふら出歩いているのだろう。たとえ寝れなくとも横になっているべきではないだろうか。
「さっさと寝とけ、明日から早いぞ」
「その……」
切り出すのを躊躇っているかのように視線をそらされる。
聞き分けのない彼女に小言を言おうとした寸前、ユーナが割り込んで来た。
「おーし分かった皆まで言うな、君が欲しいのはこれだろう?」
「!?」
いきなりドンと椅子を蹴られ、倒れる寸前で飛びのく。転倒を回避したオズワルドは相手が女神なことも忘れ噛み付こうとした――が、その前に袖口をキュッと握られそちらを見下ろす。迷い子がすがるような視線とまともにぶつかり、ドク、と胸の辺りが騒ぎ出した。
何も言えずにいると、まるで全てを見透かしているかのようなユーナの声が響く。
「今日は先に上がっていいよ。鏡見てみ? 寝不足で相当ひどい顔してるから」
「は? 陣の組み換えは――」
「だぁぁもうこのトーヘンボク! さっさと出てけっつーの!」
ピッと指された瞬間、ピンポイントで突風が吹き研究室から放り出される。
壁にしたたかに頭を打ちつけたオズワルドは、上にちょこんとまたがっているニチカを見上げてやや棒読みに言った。
「あー……とりあえず部屋まで送る」
地下の安置所から出されたニチカは寝所を上の階へと移していた。いつぞやのアンジェリカに成りすました時に入っていたあの部屋だ。
そこに向かう途中もピタリと寄り添うように歩かれ何とも落ち着かない。不安そうに胸の前を握り締め、左手はこちらの袖口を掴んだままだ。
「怖いのか?」
月の光が差し込む長い回廊で、そっと問いかける。ニチカはわずかに逡巡したが素直にうなずいた。
「寝るのが怖いの、寝たらそのまま目覚めないような気がして……」
まるで暗闇が怖い子供の言い分だ。だが、実際に器がないのでその可能性もゼロではない。
「確かにな。今のお前の魂は、細い糸で繋がれた風船みたいなものだ」
「……もうちょっと良い例え無い?」
「風前のともし火?」
「縁起悪いなぁ!」
もうっ、と頬を膨らませる少女に笑いそうになる。
そこまで心配しなくとも、よほどの事が無い限り大丈夫なはずだ。
ようやく部屋の前に来たとき、決意したかのように少女が切り出した。
しかし、その声はとても小さく消え入りそうな物だった。
「で、その…………て欲しいなぁって」
「ん?」
顔を赤らめた少女が俯きながら言う。聞き取れなかった部分を聞き返すと見る間に耳まで染まっていった。
「だからぁ……てる間だけ……」
「聞こえないぞ、はっきり言え」
そこまで言うと、半ば涙目になりこちらをキッと見上げて来た。
「だから寝るまでで良いから、手を繋いでいて欲しいって――!!」
そこまで言ったニチカはハッとして言葉を止める。ニヤニヤ笑うオズワルドにカァァと熱が上がっていくのを感じた。
「ば、ばかぁー! 絶対聞こえてたでしょ!」
「さて、どうだろうな」
「いじわる! ヘンタイっ! そういうとこ全っ然変わらないっ」
「あっさり引っかかるお前もな」
「~~~っ!!」
完全にペースを取られたニチカは、ぷいっと背を向け部屋に引きこもろうとした。
「もういいっ、おやすみ!」
だが一歩踏み出そうとしたところで手首を掴まれ引き止められる。
振り向けずに居るとクッと引かれ背中を受け止められた。
持ち上げられた左手首に軽く唇が触れる感覚が走る。
「手、握ってて欲しいんだろ?」
答える間もなく抱き上げられ窓際のベッドまで運ばれる。そしてふわりと存外丁寧に下ろされ上掛けを掛けられた。
傍らに腰掛けた男を見上げると絡められた指をギュッと握られる。それだけでふわついて居た魂がしっかりと現世に繋ぎ留められるような気がした。
「寝付くまでこうしてるから」
その優しい表情に胸のあたりをきゅうっと締めつけられる。
彼がこんな顔を見せるのは自分だけであって欲しい、そんな小さな独占欲が顔を出す。
「どうした?」
「……その顔、他の女の子に見せないでって言ったら怒る?」
「顔?」
自分がどんな顔をしていたと言うのだろう。まったくの無自覚だった男は不思議そうに問いかけた。
上掛けを引き上げたニチカは恥ずかしさで顔を背けながら言う。
「だって……ずるいよ、絶対好きになっちゃうもの」
窓から見える赤い月と青い月が重なり合い、やわらかい光を落とす。
しばらく何も返さずにいたオズワルドは唐突にこんなことを尋ねてきた。
「マナの流れはどうだ?」
「流れ?」
何を言われるかと少しだけ身構えていたニチカは、意外な問いかけに振り返る。視線の先にあった表情は『師』らしく真面目なものだった。
ドキドキしているのは自分だけなのかと悲しくなるのはさておき、なんとなく上体を起こして姿勢を正す。教えてもらう側としての礼儀と心構えだ。
「精神とマナの流れは直結している。心が安定すれば体内のマナがスムーズに流れるようになるから一つの指標になるんだ」
「……あ、あぁ!」
思い当たる節があり少女は思わず声を漏らす。
水の都サリューンでやけに体内をグルグルと巡っていた不快感。あれはマナの流れだったのだ。確かに心が揺れていた時期と重なる。
「って言っても、今は別に普通?だと思うんだけど……自分じゃよく分からないかな」
それを聞いたオズワルドは心の中で感心半分、呆れ半分のため息をついた。
さすが感覚だけで魔導を発動させて居ただけある。並みの魔導師はまず全身のマナの流れを知覚するところから始めるはずなのだが。
改めてこの少女の素質の高さに呆れた師匠は、繋いでいた手を一旦ほどき彼女の両手を握りなおした。あどけない表情に、お前こそそんな無防備な顔を他の男に晒すなよ、と思いつつあくまでも真面目な表情を崩さない。
「俺が診てやろうか?」
「どうやって?」
この両手を繋いだ体勢はどこかで――
思い出した瞬間、ニチカはおびえたようにビクッと跳ねた。
「あ、あれでしょ! 初めて会った時に魔力を流し込んだヤツ! あれすっごい痛かったんだから!」
「あの時は淀んでいたマナの流れを強制的に起こすため引っ
「でも、でもさぁ」
どうもこの世界に於いて魔力というものを操るには、最初に他人の魔力に感化される必要があるらしい。そしてその儀式は魂に直接触れるのと同等の意味を持つため、通常ならば親や兄弟など近しい者に、もしくはエルミナージュのような学校の先生などに頼むことが多いそうなのだが……いずれの場合も同性が好ましく、異性ではまずしないとの事だった。
だからこそ、ニチカの『初めて』の相手がオズワルドだと聞いたときあれだけランバールが動揺したらしい。
「今、作っている道具の為にもどのくらい安定したか知る必要があるんだ。俺が穏やかな気分でいる内に頷いた方が自分のためだぞ」
「わかったわよぉ」
まぁ、前にも一度やってるし、と承諾しかけたニチカは急に頭を引き寄せられ、耳元で囁かれた。
――優しくするから
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