120.少女、封印する。

 鈍い音が辺りに響き渡り、衝撃をくらった男の身体が雪の中に沈み込む。その額は見事なまでに赤く腫れ上がっていた。


「頭突きーーっ!!!」

「よしっ」

「『よしっ』ではないわ!! 今の流れはだなぁ!」


 小さくガッツポーズをする少女に向かってルゥリアは盛大なツッコミを入れた。おかしいだろ、おかしいだろ


「流れ?」

「う、うむ。なんでもない……」


 こうしては居られない。白目を剥いている男の身体をゴロンと転がし尻ポケットを探る。ところが目当ての物が見つからずここに来て焦りが生じ始めた。


「ない、ない、ないじゃない~っ」

「何をしておる。おぬし見た目に寄らずヘンタイよのぉ」

「違うってば! 私はただ――」


 弁明しようとしたその時、触れていた男の口からいきなり白いもやのような物が噴き出した。エクトプラズムよろしく体から出てきたその物体は禍々しい気配を放ちながら語り掛けて来た。


『娘……よくもやってくれたな』

「うわぁ!」

『屈辱の極み……ッ だが返って都合が良い』


 ビュゥゥと不気味な風が巻き起こり闇色のマナが集まり出す。

 本能的な恐怖を感じたニチカは凍り付いたように動けなくなった。


『このまま取りついて殺してくれるぁっ!!』


 ビュッと空に舞い上がった亡霊が急降下してくる。横のルゥリアが水の刃を放ったがその攻撃は難なくすり抜けてしまった。


『無駄だぁっ!! そのような攻撃が効くとでも思ったか!』

「逃げるのだニチカ!」


 もう間に合わない!

 覚悟してギュッと師匠にしがみついたその時、指先に何か固い物が当たった。


(あ……っ)


『死ねェェェ!!』


 迷う事なくそれを取り出したニチカは、迎え撃つように頭上に掲げた。


『なにッ!?』

「いけぇぇぇぇ!!!」


 掛け声と共に光があふれだす。

 それは中身を抜き取られ打ち捨てられていた魔水晶の残骸だった。真っ二つに割れていた水晶はニチカの魔力に感化されまばゆいばかりの光を放ち始める。

 慌てて引き返そうとした亡霊がたぐり寄せられるように引っ張られた。しばらくは均衡を保っていたが少しずつ引き寄せられ――


『う、うぉぉおおおおああああ!!!?』


 シュポンッ、なんて音がしたかどうかはともかく、永い時を存在し続けた亡霊は割れた水晶に吸収された。すかさずもう片方でガチッと合わせ封じ込める。さらに師匠の懐から強力粘着テープを取り出しグルグル巻きにしてペッと切り、耳を近づける。


『~~~!! ~~~~~!!!!』


 かすかな声が聞こえるが中から突き破り飛び出して来ることは無さそうだった。

 そこまでやり終えたニチカは力が抜けたように膝を着き、詰めていた息をようやく吐いた。


「っぁぁあああ~っ、上手くいったぁぁぁ~」

「な、なんじゃ、何をした?」


 状況がよく分かって無さそうな彼女にも見えるよう、片手で持ったボール(そう、テープを巻きつけ過ぎてほぼボールになっていた)をゆすってみせる。


「この水晶には元々【傲慢】のエネルギーが封印されてたの。でも『白』はそれを取り出して吸収していた。だから親和性の高いこれだったら【傲慢】ごと『白』ごと引っ張れるんじゃないかって」


 イチかバチかの賭けだったがどうやら上手くいったようだ。


「??? ごーまんとはなんじゃ?」

「あ、そこから……」


 説明しようとしたその時、倒れていた男がムクリと身体を起こした。

 満身創痍の彼はしばらくぼんやりしていたようだがいきなり身体をくの字に曲げると叫び始めた。


「痛ぇぇぇっ!」

「オズワルド! 大丈夫!?」

「これが大丈夫に見えるか!?」

「全部あの始祖の仕業でね」

「頭が割れる……なんだこのタンコブ」

「あ、ごめん。それは私」

「お前ーっ!!」


 ともあれ元気そうで良かった。夢の中で起きたら覚悟しろと言ったがこれだけ痛めつけられて居るのだ。無かったことにしてあげよう。決して師匠の自分に対するイメージ=ペタコロンを蒸し返すのが嫌なわけではない。


 ないったらない。


「何があったんだ、書庫にいたはずじゃ……」


 記憶が混乱している師匠と状況のわかっていなさそうな水の精霊を前に、少女は上手く説明できるだろうかと手の中のボールを見下ろした。


「あのね――」



 ようやく話し終えた頃、東の空はうっすらと白み始めていた。夜明けが近いのだろう。いつの間にか雪も止み、森の向こうから新しい一日がやってくる。


「まぁ、だいたいの事情は分かった」


 さすがに呑み込みの早い師匠は座り込んで軟膏をぬり込みながら続けた。


「俺の父親は父じゃなくて遠いご先祖様だったわけだ」

「……いつ元の『白魔』さんが乗っ取られたかはわからないけどね」


 それに対しては特に何もコメントをすることもなく、オズワルドは話題を変えるように思いがけないことを言った。


「ま、これで図らずも精霊集めと魔水晶の破壊の両方が達成できたわけだ」

「えっ?」


 言われるまで気づかなかった。確かにこれで四大精霊の全てを――旅の目的を達成できたことになる。

 腰の魔導球を外して捧げ持つと、火・水・風・土のシンボルカラーが透明な球体の中で渦巻いていた。


「そっか、ついに私……」


 突然おとずれた達成感に感無量になる。


 これで条件は整った、元の世界に帰れる切符を震える手で握り締める。これが片道になるかフリーパスになるかは分からないが。


「いや、まだこっちは終わっとらんぞ。どうするんじゃこの悪霊」


 見ればルゥリアが『白』を封印したボールをちょんちょんと蹴りながら難しい顔をしていた。確かにそうだった。うーんと考えていた少女はとりあえず妥当な案を推す。


「このままずーっと厳重な金庫に保管しておくとか――」


 だがそんな心配は次の瞬間すべて無用になった。

 空の彼方より飛来した氷の槍が、『白』もろとも水晶を粉々に打ち砕いたのだ。


 場にサッと緊張が走る。


 身構えた彼らの前に現れたのは滝のような髪を流した風花だった。森から出てくる彼女に既視感を覚えたのだろう、オズワルドがビクッと身体を強ばらせた。


「あらあら、手元が狂って何か壊してしまったようね。大切な物だったらごめんなさい」


 目を伏せたままの彼女は緩やかに微笑むと小首を傾げて見せた。ぴりりと空気が緊張感を孕みだす。その気配を敏感に察知したのだろう。口元に手を当てた当主の妻はコロコロと笑い出した。


「嫌だわ、警戒なさらなくとも結構よ。あなた達に危害を加えるつもりは毛頭ありませんから」


 コッソリ魔導球に手を伸ばしていたニチカは意外な言葉に「へ?」とマヌケな声を漏らした。風花は実に感じの良い声でこう続ける。


「我が一族としてはその亡霊を排除してくださり感謝していますの。なかなか手が出せなかったので助かりましたわ」

「亡霊って、知ってたんですか? 白魔さんが始祖に取り憑かれてたのを」

「白魔?」


 そこで目を開けた彼女は光のない開いた瞳孔で笑って見せた。


? それは」


 感情が欠片も感じられない声にぞっと背筋が冷たくなる。

 またすぐに目を閉じた風花はくすくすとたおやかに笑い出した。


「順当に言えばわたくしが当主の役目を引き継ぐべき。ですがこの老いぼれた身には少々身に余る大役、養子ではありますが吹雪に跡を継がせわたくしは補佐に回ることに致しましょう」


 それだけを言い残し、しゃなりとまた森へと消えていく。

 しばらく固まっていた3人だったが、ニチカのぽつりと漏らした言葉が皆の気持ちを如実に表していた。


「もしかして、一番怖いのってあの人なんじゃ……」


***


 それから数日は慌ただしい日が続いた。亡霊に乗っ取られ無理やり慣れない魔導を行使させられたオズワルドが城に戻るなりブッ倒れてしまったのだ。


 そのまま熱を出した彼がようやく起き上がれるようになったのが今朝の事。魂が疲弊する倦怠感は知っているのでもう少し休めと言ったのだが男は聞き入れようとしなかった。



 昼前、師弟は中央大陸へと戻るため入ってきた時と同じ港町に来ていた。

 しかし来るときはユキヒョウに乗って来れたが、帰りはどうするのだろう?

 そんなことを考えていたニチカは今、波止場で待ち構えていた一羽を前にヒクリと頬を引きつらせていた。

 白く気高く美しく、そして獰猛なくちばしを持った鳥。雪で出来た風花の警備兵だ。


「たっ、たべっ、食べられる……!」

「……」

「押すな押すな押すなぁぁ!! 何笑ってんの!!」


 アホなやりとりをしていると背後からコホンと咳払いが聞こえた。続けて無理して固い口調を意識しているような声が続く。


「ご安心ください、風花様は確実にお二人を向こうの地へ送り届けると仰っています」


 その低くなりきれない声に振り向くと、今や当主となった吹雪がそこに立っていた。出迎えた時と同じようにピシッと立っている。だがその表情は非常に複雑そうな物だった。


「あなたとは今後も懇意な取引を続けたいとも言っていました。大切な客人に無礼な真似は致しませんよ」

「大切な客人、ね」


 オズワルドは冷えた眼差しを先ほどまでいた雪華城へと向ける。再び染め直された黒髪が海風に揺れてなびいていた。


(やっぱりこの方がしっくりくるよね……銀髪も似合ってたけど、なんというか神々しすぎて浮世離れしてるというか)


 そんなことを考えている間にオズワルドは気持ちを切り替えたらしい。バサリとマントを翻し軽く片手を上げた。


「じゃあな当主さん。せいぜいあの雪女の傀儡にならんよう気を付けるんだな」

「っ、あの! 差し出がましいようですが!」


 ためらってためらって、ポンと後ろから押され口からとび出てしまったかのような一言だった。一瞬しまったという顔をした吹雪だったが、グッと唇を噛みしめると決意したかのようにツカツカと寄ってきた。そのまま黒い長身に掴みかかる。


「私も過去に当主の一族に起こった事件も多少は知っています。その上で申し上げます、ここに戻るという気はないのですか!?」


 いや、少女の目にはそれが縋りつくように見えた。

 突然降ってわいた『当主』という重圧に押しつぶされそうになっている年端もいかぬ少年。目の前の、ともすれば兄になっていたかも知れない青年に助けを求めたくなるのは当然の心理かもしれない。


「この地に残り私の補佐をすると言う選択肢も……いや、いっそあなたが当主に、正当な血筋をたどれば天華さん!あなたこそが――」


 だがオズワルドは少しだけ笑みを浮かべたかと思うとその泣き出しそうな少年の頭に静かに手を置いた。


「天華は死んだ」


 静かに、しかしハッキリとよく通る声だった。

 落ち着いたトーンのまま彼はこう続ける。


「リッカもロッカも居ない。白魔も消えた、後はお前しか居ないんだ」


 その言葉に俯き、吹雪は拳を握り締める。責任が重く肩にのしかかってくる。

 声を上げて泣き出しそうになった直前、暖かみさえ感じる声が届いた。


「だけどな、困ったことがあればすぐに連絡しろ。俺は魔女、依頼主の願いを叶えるのが仕事なんだ」


 そこでニッと笑った男は確かに天華ではなかった。この地に住まう住人はこんな開けっぴろげな表情はしない。


「もちろん、謝礼はたんまり貰うけどな。いつでも呼んでくれ」


 こんな、生き生きとした表情をする青年が悲惨な末路をたどった天華のはずがないのだ。観念した少年はそう思うことにした。にじむ涙を払い、初めて年相応の笑顔を浮かべる。


「……わかりました、その点はご心配なく。僕、けっこう貯めこんでるんですよ」


***


「こ、これ、で、ホントに、よよよ、よかったの?」


 凍えるような海上を、これまた凍えるような雪で出来た鳥の上に乗って移動しながらニチカは歯をカチカチ鳴らしていた。

 もはやホワイトローズの地は遥か後ろ。前に座った師匠が寒さなど平然と受け流しているのが何とも腹立たしかった。これも水属性の加護だと言うのか。ずるい。


「なんだって?」

「だからぁ、残らなくて良かったのかって聞いてるのっ」

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