111.少女、修繕する。

 目の前の壁がすぅっと無くなり、気持ちを引き締める。


 慎重に様子を伺い一歩踏み出すと、そこは一階の外れの廊下だった。

 ここ数日ひそかにあちこち駆け回っていたので大体の構図は頭に入っている。ここからだと、そう遠くない場所に覚えのある裏通路への入り口があるはずだ。そこから自分の部屋へ戻れるだろう。


 足音を立てないよう慎重に移動を始める。ところが最初の曲がり角を曲がったところで少女は固まった。


「――」


 白く美しい髪をなびかせた女性、風花が少し先のドアからぬっと出てきたのだ。

 悲鳴は上げなかった。上げられなかった。人間心底驚くと本当にフリーズするものなのだとこの時はじめて知った。


「……」


 ついに見つかってしまった。どう言い逃れも出来はしないだろう。

 観念して次の言葉を待っていたニチカは、はて、と違和感に気づいた。風花は声をかけるでもなくぼうっとした目で左右に顔を向けている。


(そうだ、目が見えないんだ)


 これはいける。まだチャンスはある!

 しかし視覚を失っている者は代わりに別の感覚が発達していると言う。さらに悪いことにこちらへ歩いて来た。ニチカはそうっと壁際に後ずさり背中をビタリとつける。


「……」

(ひぃぃぃ!!!)


 目の前にやってきた風花がピタリと停止し、光のない緑の目でじぃぃーっとこちらを見つめてくる。本当に見えていないのか? 実は見えてるのではないか?

 スッと白い手を掲げた彼女は、こちらに向かってゆっくりと手を伸ばしてきて――


(ぎゃあああああ!!)


 カコッ


(へっ?)


 もうダメだと思った瞬間、耳のすぐ横で何かを押し込む音が響いた。

 ドッドッドと耳鳴りがする横で壁がスライドしパネルのような物が現れる。

 目を剥いている内に、風花は慣れた様子で左上のマスから順に押さえていった。


「壱番グループ、異常なし。弐番グループ、異常なし。参番グループ……消耗七十五% 侵入者? ただの密漁。処理済。了解、エネルギーを補填します」


 しばらく聞いて分かったのだが、どうやら風花はホワイトローズを警備しているあの雪鳥と通信しているようだった。あの美しくも恐ろしいガーディアンを操っていたのは彼女らしい。


「通信終了。引き続き警戒を怠らないように」


 スッと壁から離れた風花は最後にこちらに一度振り向くと行ってくれた。一気に安堵感が押し寄せてフーッと息をつきズルズルと壁伝いに落ちる。


(もうダメかと思った……)


 さて戻ろうとしたその時だった。


(ん?)


 視界の端に青いものが見えたような気がして顔を向ける。

 風花が去ったのとは逆の方向だ。立ち上がり壁からそうっと覗いたニチカは目を見開いた。


 まず最初に目に入ったのは青い二つの輪。

 上半分をとって耳のように大きくリングにしている髪型が特徴的な女の子が背中を向け歩いている。腰辺りまで伸びた青水晶のような髪がさらりと揺れる。


 目を凝らした途端驚きの声をあげそうになった、女の子は大量の青いマナを引き連れていたのだ。それも尋常な量ではない、通路を埋め尽くすほどの数だ。


(見つけた――!!)


 慌てて後を追うのだが、青い髪が消えた曲がり角へ飛び込んだ瞬間、目を瞬いた。


「消え……た?」


 いや、まだマナの残滓が濃い。その辺りに居るかもしれないと小走りで後を追っていく。この辺りは今まで来た事のない場所だ。城の本宮からは少し離れた塔へと続く長い通路はひんやりとうす暗い。


(マズいかな? いやでも、ようやく見つけたんだから!)


 いざとなれば窓から外に出てしまおうと判断し、突き当たりにあった古い両開きのタイプの扉の前に立つ。


 そっと耳を当ててみるが中から音はしない。扉はここ最近開けた形跡はないようで床にはうっすらと埃が積もっていた。


(もう使ってない部屋なのかな?)


 精霊なら扉を開けずにそのまま素通りで中に入っていけるはずなので、先ほどの女の子が水の精霊の可能性がさらに高まる。

 冷たい鉄輪を掴んだニチカは、扉を少しだけ開けて慎重に中を覗いた。


 ……青く沈んだ部屋だ。

 かつては誰かの居住空間だったのだろう。荒れ果てた室内は塔の一階部分をそのまま使っていたようで丸いワンフロアになっていた。

 手前に埃まみれの青いラグが敷かれ、奥にはクモの巣の張った白いソファとネコ足テーブルが置かれている。その上には上品なカップとソーサーが虚しく一客だけ転がっていた。


「あの……突然お邪魔してすみません。水の精霊さまは、居らっしゃいますか」


 部屋の中央まで進み、小声で問いかける。返事は――ない。


 壁に取り付けられた青い水晶がぼんやりと光り、時おりジジッと点滅しては部屋を照らしている。ニチカは部屋のあまりの静けさに底冷えするような恐ろしさを感じた。

 そう、この部屋にはまったくといって言いほど生気がなかった。もし自分が死んで埋められたら、土の下はこうではないかと思わせるような静けさだ。静かすぎると感じた本宮でさえ暖かみを感じ恋しく思えてくる。


 恐怖で足が竦みそうだったが、床にキラキラとした青い光が落ちていることに気づいて気持ちを奮い立たせた。目を凝らさなければわからないほど微かなものだったが、確かにマナの片鱗だ。

 その後を追っていくと、部屋の隅の小さな扉へと消えているようだ。先ほどの扉よりは幾分軽いそれを引っ張ると、地下への小さな折り返し階段が見えて来た。


 地下と聞くと恐ろし気だが、階段の踊り場に取り付けられていた明かりは暖かなオレンジ色で、背後の青い死の部屋を見た後ではホッとしてしまった。

 ここまで来たのだからと杖を構え、三段+三段のささやかな階段を下りる。


 そこにも小さな扉があり、『ぼくのへや!!!』と元気な字のプレートが下げられていた。


 ぼく。この城にそんな小さな子が居ただろうかと思いながら扉を押し開ける。感応型魔法なのか部屋の中がじわぁっと明るくなっていった。


「うわ……」


 見えてきた部屋の全景に思わず息を呑む。そこはぎっしりと本が詰められた棚がいくつも並ぶ書庫だった。

 本棚だけでは収まらない本が床にまであふれ出し、そこかしこに崩れそうなタワーを建設している。その内のいくつかを手に取った少女はタイトルを読んでみた。


『マナエネルギーの仕組みとその起源』

『人体の仕組み』

『人心掌握のすべて』

『今日のお料理』

『魔導理論』

『高等魔法陣』


 ありとあらゆる分野の専門書が無造作に転がっている。パラパラとめくっただけでめまいがしてそっと閉じて戻した。

 この高度な知識の海と、表書きにあった『ぼくのへや!!!』の幼さがどうにもちぐはぐで違和感を覚える。

 首を傾げながらも進むと、部屋の突き当りに大きな机が見えてきた。


 どっしりと構えたマホガニーのデスクの上には、ペンチやらルーペやら細々とした道具が無造作に転がっていた。

 机の上に散らばっている羊皮紙にはぎっしりと文字が書き込まれていて、相当熱心に研究していたことが伺える。その内容は暗号化されているのか支離滅裂な文章で読み解くことは難しそうだ。


「ん?」


 その時、ふいに目の前を青い蝶が横切りどこかへ飛んでいく。

 無意識にそちらを追ったニチカは、奥まったところにある書架の下段、一番左に収められた分厚い本にマナがスゥッと吸い込まれていくのを見た。


「なに? この本、光ってる……」


 本自体が青白く発光しているようで、人差し指を引っ掛けコトンと引き出す。タイトルが無く表紙も無地だ。


 さすがに警戒心が働いたが、持ち前の好奇心には勝てなかった。おそるおそる伸ばした杖で、ギリギリのところから本を開ける。

 幸いにも開けて爆発するようなことはなく、中の文章が見えてきた。どうやら手書きの日記のようで乱雑な走り書きで文字が綴られている。これもまたデスクの主が書いたようで暗号化されていて読めない。


「よっぽど読まれたら恥ずかしいことでも書いてあるのかな」


 もうすっかり警戒を解いたニチカは床に膝を着き、ペラペラとめくっていく。よどみなく動いていた手があるページでぴたりと止まる。


 終わりに近いページ。両面を使って大きく描かれていたのは奇妙な魔法陣だった。


「破られてる?」


 少女の言う通り、そのページだけ右隅が破り取られビリビリにされている。口に手を当てた少女はついいつものクセで残った陣からその意味を読み取ろうとした。


「今まで習ってきた攻撃魔法の魔法陣とは違うみたい。4大元素の印は全くなくて、変わりに見たこともないマークが当てられている。だけど基本的な順路は変わらない? もしこの破れてる部分を補えたら――」


 うずっ


 好奇心が顔を出すのを感じた。俄然楽しくなってきた少女は解を求めて思考を巡らせる。


「要は途切れてるここからここへ道を作ってあげればいいんでしょ? そうだ!」


 先ほどのデスクへ引き返し、まっさらな羊皮紙一枚とペンを持ってくる。ビリッと適度な大きさに切った紙の上にサラサラと筆を走らせた。


「ここの流れからいったんこの羊皮紙に流れを移して、橋みたいにこっちへ渡して上げればいいんだ。うん、理論的には合ってるはず」


 あーだこーだと試行錯誤し、ついに完成した『渡し橋』を嬉しそうに掲げ満足そうにうなずく。少しだけ発動させても良い物かと不安がよぎったが、ここまで来て実行しないのは女が、いや魔女の弟子がすたる。


「そ、それにこのくらいの問題解けないようじゃ、いつまでたっても師匠を見返してやれないもんね」


 まぁ攻撃性のあるような物ではなさそうだったし大丈夫だろう。何かのヒントになるかもしれないし。


 わくわくしながら橋を本の魔法陣に重ねたニチカは、そっと魔力を流し込んでみた。


「おぉぉ!?」


 本を包んでいた青白い光は輝きを増したが、しばらくするとゆっくりと収束し暗くなっていった。


「あれ?」


 失敗かな? と、思った次の瞬間、目の前が真っ白になるほどの光が爆発し、思わず両腕で目を覆う。それでも強烈な光はまぶた越しに網膜を突き刺した。


「うわっ!?」

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