104.少女、九死に一生を得る。

 オズワルドは祠の前へと進み出た。そっとその表面に触れ、目を閉じ集中する。

 すぐさま彼を中心に魔風が発生した。水面に波紋が発生し、黒い岩肌に青い紋様が走る。さほど間を置かずに扉がゆっくりと内側に動き始めた。

 魔法を発動させる時とはまた違う手順のようで、魔力を変換せずにそのまま放出しているようだ。


(どうやるんだろう)


 好奇心に駆られたニチカは、その様子をよく見ようとそーっと寄ってみる。師匠の後ろからのぞき込むようにした時だった。


「!? ッ……来るな!」

「え」


 気配に気づいたオズワルドが焦ったように手を払う。

 その手が肩に触れた瞬間、事件は起こった。


 バチッ


「ひぅ!」

「っでぇ!」


 二人の間に反発するような衝撃が走り吹っ飛ばされる。ニチカは祠の扉に叩きつけられ、肺の中の空気が押し出されて一瞬呼吸が止まった。

 せき込みながら膝を着いていると、向こうで川に尻餅をついている師匠の怒号が飛んできた。


「バカ! お前は火の属性だと言っただろうが! 放出中に反属性が寄……るな……」


 その表情が見る間に驚愕に染まっていく。視線の先を追った少女は、自分の背後の扉から半透明なゲル状の物が出てくるのを目の当たりにした。


「ニチカちゃん!」

「うやぁぁぁっ!?」


 そのまま圧し掛かってくるのを脊髄反射的に転がって回避する。それでも水の魔物は掴みかかろうとしてきた。


「いやー! いやー!! いやぁぁぁ!!!」


 死に物狂いで転がった少女は杖を構えて必死にマナを手繰り寄せる。


『ブラスト!』


 炎属性の爆破が命中し、水の魔物の片腕が吹き飛ぶ。……だが一度散った水はすぐさま集まり再び形成してしまった。


「実態がないんだよっ、こっち」

「ラン君っ」


 駆け寄ってきた彼に手を引かれ距離を取る。腰を抜かしている役員の側まで下がる事ができたが、オズワルドとは川を挟んで分断されてしまった。

 水に火を撃ち込んでも当然のごとくダメージは与えられない。何か有効な手立ては……


「えーとえーとえーと、どうしよう。……雷? 電気とか! 『サン――』」

「わーっ! 待った待った! オレらまで感電するからそれはやめて!」


 ランバールはパニックに陥ったニチカを何とか止める。実態のない相手に雷を撃ち込んでも電気を通すだけ、逆にこちらへの被害が出る、とんでもない自爆攻撃である。


「ニチカお前後で覚えてろよ!!」


 うろたえていると川の向こうから師匠が叫んできた。水のバケモノを一瞥しただけで現状を把握したらしい。


「そいつはおそらくガーディアンの一種だ。この祠の中に守護の要になっている物があるはず」


 水のガーディアンは、反属性だからか、はたまた単純に機嫌を損ねたからだろうか、執拗にニチカだけを狙い続けている。

 幸い動きはそこまで素早くないのでなんとか避けられてはいるが、いつ当たるかも分からない。


「じゃ、それ早くどーにかしてよぉ!」


 水中から間欠泉のごとく噴き上がった水柱に転びそうになる。

 だがその発言に師匠は祠の壁をドンと叩いて非情な現実を伝えてくれた。


「お前が邪魔したせいで中途半端にしか開いてないんだよ! すぐ開けるから何とかそれまで持ちこたえろっ」

「うわぁぁぁん!!」


 自分で蒔いた種とは言え悲惨すぎる。

 ホウキを取り出した少女はしがみつくように飛び乗り逃げ始めた。


 ところが水のガーディアンは不格好な人型から細い糸のようにスルスルと形を変え、まるで籠を編み上げるようにニチカの行く手をふさぎ始める。文字通り流れるような動きに一瞬だけ地上で見た噴水の事を思い出し見惚れてしまった。


「っ!!」


 だがその内の一本が鋭い錐のようにこちらを攻撃してきてその認識を改める。こんな危険な水芸があってたまるか。

 なんとか直撃は免れたが、かすめた頬から血が一筋流れ落ちる感覚が伝わる。その威力に冷や汗が吹き出る。


「下! 右斜め上! 下45度7時の方向!」

「ラン君わかんないってぇぇ!!」


 次なる攻撃を下から半精霊が教えてくれるのだが、頭がこんがらがってワケが分からなくなっていく。


「真下と右後ろから同時に来てる! 左に飛んでっ、そのまま急降下!」

「っ!」


 もはや感覚のみで避けていたのだが


「、う、あっ?」


 コンマ数秒、攻撃の手がピタリと止む。

 それまで張り詰めていた緊張感が、それでぷちんと、切れてしまった。

 リズムを崩されたニチカは空中でたたらを踏む。


「……」


 どう動けばいいか分からない。

 どう動いていた?

 いや、むしろどうやって飛んでいた?


「後ろ!」


 切り裂くような声に呪縛が解ける。

 振り向いたすぐ目の前に、水の槍が迫っていた。


 時間がゆっくりと動いた。

 槍はあと数センチで突き刺さる。

 だが体はもどかしいほどゆっくりとしか動かない。


(もうダメだ――!!)


 絶望に駆られた少女の耳はそれを捕らえた。

 流れるような詠唱が響く。


 ――凍てつく風 凍える風


「!」


 ――冷やせ 氷らせ 熱を喰らえ


 いつでも弾んでいるような声。

 発動呪文スペルを操るその時でさえ彼女は楽しそうだった。


「『我らに仇なす敵を絶対零度の世界へいざなえ』ぇぇーッ!!」

「シャルロッテさん!?」


 ホウキに乗って現れた彼女は、金色の尾を引きながら水の槍に向かって何かを投げ込む。空中でクルッと一回転したかと思うと、指を鳴らし合図を出した。


「急速冷却弾!」


 バキン!という強烈な音を立てて、水が瞬時に凍りつく。ニチカの腹へ迫っていた槍は、触れるか触れないか本当にギリギリの位置で止まった。

 少し押されたら刺さりそうな位置からじりじりと下がり、ほーっと息を吐く。


「だいじょ~ぶ? ニチカちゃん」


 ニッと笑った魔女は顔の横でVサインを決めていた。



「いやホントぎりぎりだったわねぇ、オズちゃんの冷却弾じゃなきゃ危なかったかも」


 二人で同時に空中から飛び降りると、下であっけに取られていたランバールが一つ瞬く。警戒しているのかその表情は固いものだった。


「ロッテ先輩、どうやってここに……」

「あー、そういうのは全部後々。とりあえずこのガーディアンをなんとかしなきゃでしょ?」


 割り切った表情でシャルロッテはガチガチに凍ったガーディアンの根元をたどる。

 こちらをじっと見据えるオズワルドに気づくと少しだけ肩をすくめた。


「言いたいこともあるだろうし、話したいことも色々あるけど。そっちが先」


 祠の岩扉は猫くらいなら通り抜けられそうなぐらいには開いていた。もう何かに追われることもない。時間さえかければ問題なく開くだろう。

 ところがシャルロッテはいきなりガッと手をかけると、ふすまでも開け放つような気軽さで押しのける。


「!?」

「ハイハイ、これね」


 そのまま上半身だけを乗り出し、白い台座の上に奉られていた青く輝く魔導球をむんずと掴む。事も無げにそれを取り出すと繋がりが切れたのか、氷付けのガーディアンはバラバラに崩れ水の中に還っていった。


「……水属性だったんですか?」

「そうよ、言わなかったっけ?」


 尋ねたいことは色々あった。

 だが口を開きかけたところで師匠と目が合う。その視線の意味は言葉にしなくても伝わった。黙って居ろ、と。


「……」


 沈黙が訪れる。気まずい雰囲気の中、口火を切ったのはオズワルドだった。


「シャルロッテ。話を始める前にこれだけ答えろ」


 答えによっては殺さんばかりの気迫にランバールは固唾を呑み、ニチカはホウキをギュッと握り締めた。


「俺たちを裏切ったのか?」


 しばらく俯いていた彼女は、ゆるゆると小さく頭を振った。


「いいえ……でも、結果的にはそうなっちゃったのかしら」

「箱の中身がディザイアだったのは――」

「それは本当に知らなかったの! 私には開けられなかったし、本当にただ運べと命令されただけで」


 命令。


 その言葉を口にしてしまったシャルロッテは息を呑み、オズワルドは一瞬考えを巡らせたあと地の底から這うような声を出した。


「あの男か」

「あ……」

白魔ハクマだな、そうだろ? シャル!」


 最後はほぼ怒鳴りつけるように問い詰めると、彼女の緑の瞳がたちまちの内に潤んでいく。


 そのまま流れの中に膝をついたシャルロッテは、張り詰めていた気持ちが割れてしまったかのようにすすり泣いた。


「お願い、助けて……オズワルド」

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