66.少女、デッドヒートする。

「邪魔!」

「うわっ」


 すでに飛び立つライバル達に続こうとしたニチカだったが、急に後ろからドンッと突き飛ばされ危うく落ちそうになってしまう。見上げれば、先ほどの青いドレスの美女がフフンと笑いながら飛び去っていくところだった。風のマナを引き寄せた美女は一気に加速してあっという間にトップ集団に行ってしまう。


「~~~っ!」


 さすがにカチンと来たニチカは、ゲートから飛び出し右手をまっすぐに前に構える。


「風のマナたちよ、力を貸して!」


 ひらりと現れた光の蝶がホウキに溶け込みポゥッと緑に光る。グンッと一気に加速した少女は中堅組を追い抜いていき、そのままトップ集団の後ろにピタリとつけた。


『さーてまずは第一のチェックポイント! メガネ橋だよ』


 実況の声に行く手を見下ろせば、街中を走る水路に橋が掛かっている。そのメガネのような高架下に薄い緑の光が張られていた。ためらわずにそこに突っ込んでいく先頭集団に続き、ニチカも後を追う。橋を抜けたところで手首のリストがポーンと音を立てる。見れば一番左の玉が点灯していた。


「なるほど、こうやって通過していくのね」


 独り言をつぶやいて空中旋回する。道順は光の矢印が表示されているので大丈夫だ。続いて空中に張られた光の壁に突っ込み二個目を点灯させる。


 と、ここでニチカのすぐ前を飛ぶ男女二人が小競り合いを始めた。驚いて少し距離を取ると、彼らは美しい顔を歪ませ互いを罵り始める。


「さっきから邪魔なのよ! このブサイク!」

「なんだと! そっちこそ豚が服着て飛んでるクセに!」


 よく見れば彼らだけではなかった。トップ集団が罵り合いをしながら飛んでいる。みな美形なだけに見たくなかった物を見てしまったような、そんな残念感がすさまじい。


(な、なに? これじゃ全然美しくも優雅でもないじゃない)


 そう思ったのは風のマナ達も同じだったのか、彼らのホウキから緑の光が放出される。途端にスピードが落ちゆっくりと落下していった。


「ちくしょーっ! テメェのせいだぞっ」

「何なのよこれは! いつもと違うじゃない!」


 わめけばわめくほど風のマナが離れていく。ついに五人が水路に落ちてしまった。実況がここぞとばかりに声を張る。


『おぉーっとこれは予想外! 優勝候補がいきなり脱落だぁ!』


 波乱の展開に観衆がどよめく。これはチャンスだ。ニチカは一気に順位を上げようと気合を入れる。だが、いきなり後ろから突風に煽られつんのめりそうになってしまった。何とか体勢を維持し後ろを振り向くと、派手な髪飾りで金髪をポニーテールにまとめ上げた同い年くらいの美少女がピタリと後ろにつけていた。やや体型に合ってないセクシー系の衣装がずり落ちそうになっている。彼女は追撃とばかりに風で煽り始め、ニチカはその攻撃から逃れようと斜め下にホウキの柄先を入れた。


「ちょっと、妨害は禁止なんじゃなかったの!?」

「おバカさんねぇ! ただの事故よ、事故」


 そんなことをしなくとも、その顔なら自分より充分有利なはずなのに――


「「ずるいっ!」」

「私より美少女のくせして!」

「私より可愛い服なんか着て!」


 金髪美少女とほぼ同時に叫ぶと、ガクンとスピードが落ちる。ハッとしたニチカは言い返したいのを堪えて無理やり軌道を変えた。


「ちょっと! 話は終わってないわよ!」


 後ろから飛んでくる声にも振り向かず住宅街に突っ込む。ニチカは観客の声援も耳に入らないほどに、自分の中にふつふつと湧き上がる感情と戦うのに必死だった。


(おかしいよ、こんな嫉妬するなんて――『嫉妬』?)


 まさかと思い目を凝らす。驚いたことに自分の身体をいつの間にか薄い紫のもやが取り巻いている。それだけではない、街全体が気づかれない程度にうっすら霧がかっているではないか。


「うそっ! いつの間に?」


 慌てて振り払うと、少しだけ落ち着きを取り戻す。間違いない、この妖しい紫の光はファントムの仕掛けて来た罠だ。まさかと思い、辺りの観客たちを飛びながら観察すると……不安は的中した。街のあちこちでいがみ合いが発生し始めていたのだ。普段は奥底に潜めている人々の嫉妬心が表に出てしまう。


「あぁ、私もレースに出れるくらい美人だったら……」

「お前いつもムカつくんだよ! ちょっと金持ってるからって偉そうに!」

「お隣の夫婦はいつも楽しそうよね、それにくらべて家の亭主ときたら!」


 住宅の壁に張られたチェックポイントをタンッと蹴りながらも、ニチカは魔水晶を探していた。負の感情の発生源が必ずどこかにあるはずだ。だが役場の冴えない実況の声がスピーカーからダダ漏れてきて気分が引きずられてしまう。


『レースも中盤に差し掛かって来ました――が、そういえば聞いてくださいよ……僕の幼なじみが先月結婚しましてね……奥さんがそりゃあもうすごい美人で、ちくしょう……俺も結婚したい……』


 だがそんな実況などすでに誰も聞いていなかった。街では殴り合いが発生し、あちこちで乱闘騒ぎが起きている。


「何これ、どうなってんの!?」


 戸惑いながらもレースは止まらない。地面スレスレのチェックポイントを撫でるように触れ、商店街の横断幕下のポイントを通過する。再び住宅街に戻ってきたところで、ニチカは前方の屋根に立つ黒い影を見つけた。助けを求めてその名を呼ぶ。


「オズワルドっ!」


 師匠はすれ違いざまに小さな袋を投げ上げた。それをキャッチしたニチカは飛び続けながら中を覗き込んでみる。そこには見覚えのある青い髪飾りが入っていた。


「これって……!」


 手早く髪飾りを着けると、少しだけノイズが混じった不機嫌そうな声が頭の中に響いた。


『あのナルシスト! 何が「ヘンな物は侵入を許さない」だ、下は乱闘騒ぎですごいことになってるぞ』

「すごいっ、この髪飾り通信機の役割も果たすの?」

『酔った勢いで昨日改良した。あの風の通信機を参考にさせてもらったが、狙い通りレース中でも風属性は使えるようだな』


 酔った勢いでこんなものを開発しないで欲しい。自分のお粗末な魔女道具を頭の隅に追いやったニチカは飛び続けながら叫んだ。


「それより大変だよ! 魔水晶がどこかにあるみたいなの!」

『だろうな、でなければこんなことになってる説明がつかん』


 向かい合わせに二枚、壁に貼られているチェックポイントをタタンッと蹴りながら通過する、これで七か所。オズワルドの声が届く。


『上から何か見えないか?』

「そう言われても~……」


 あえて少しコースから外れ、高度を上げたニチカはハッとした。街の中心、時計塔の先端に取り付けられた風のオーブが禍々しく紫色に光っている。


「あったぁ!? っていうかゴールだし!」


 寄りによってなんてところに。愕然とする弟子をよそに、師匠はいたって冷静に指示を出した。


『さっきの袋にもう一つ入ってるだろ』

「え」


 慌てて探ると、黒い筒状の物が出て来た。昨日ホウキに仕込めないかと言っていた加速ブースターだ。質問しかけたニチカをさえぎり、オズワルドはとんでもない事を言い出した。


『出口を塞いで噴射エネルギーを詰まらせるようにしてある。横の赤いレバーを引いたら一分後に爆発するはずだ』

「ばっ、バクダンんん!?」


 慌てて取り落としそうになるのを何とかキャッチする。降下したニチカは八つ目のポイントを通過した。師匠が鋭く指示を出す。


『一度オーブに触ったら後は用済みだ、破壊しちまえ!』

「っ、わかった!」


 この際、四の五の言ってる余裕はない。このテロ……いや、爆破に巻き込まない為にも、なんとしても自分がまっさきに風のオーブにたどり着かなければ。


(早く、早く――!!)


 念じるニチカの眼が鮮やかなコバルトグリーンに染まり、一気に加速する。まごついていた先頭の二人をなぎ倒す勢いで抜き去った少女は、九つ目のチェックポイントに突っ込んだ。


『お、おぉ!? ついにゴールに王手! みなさまご覧下さい!』


 あまりの快進撃に我に返ったらしい実況が叫ぶ。街の人たちは罵りあうのをやめ空を見上げた。風のマナを引き連れた少女が、緑の光の尾を引くように通過する。ワッと歓声が上がり紫のオーラを少しだけ押し晴らした。


(後はあのてっぺん! 時計塔の先っ)


 その下まで来た少女は、力の限り叫んだ。


「みんなっ、下がってぇぇぇ!!」


 ブワッと風が発生し、ゴール付近に居た観客を吹き飛ばす。


(よしっ)


 なんとかギリギリ安全圏を確認したニチカは、爆弾のレバーを引いた。そのまま時計塔の壁面ギリギリを滑るように急上昇する。


(あと少し、あと――)


 緑と紫が渦を巻くオーブを視界に捕らえる。右手を伸ばしそれに触れようとした、時だった


「えっ」


 急に失速し、後一歩のところで手が届かない。見れば乗っているホウキが、バラバラと崩れ落ちていくところだった。


「う、うそ、やだっ」


 遥か上空に投げ出された少女は、カウントダウンを始めた爆弾を抱えたまま自由落下を始めた。


「きゃああああああ!!!」

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