57.少女、吐露する。

 ピンボール玉、ではなく転がっていったウルフィの声が岩陰の向こうから聞こえてくる。そちらに向かったニチカたちは、ふと辺りに甘い香りが漂っていることに気づいた。ふんわりと優しく、眠りに落ちていく寸前のような心地よさが身を包む。


「!」


 危うく意識を飛ばしかけていたニチカは、背後からのドサッという音に我に返った。振り返ればオズワルドが片ひざをついて岩に手をかけている。


「どうしたの? 大丈夫!?」


 慌てて駆け寄ると、彼は頭に手をやりながら呻くように言った。


「ねむい……」

「しっかりしてよ! いくら昼寝が好きだからって時と場所ってものがあるでしょ!?」


 その肩を掴んで揺さぶるも、支えていた身体が急に重くなり地面に倒れ込む。少し離れたところに居たランバールもグラグラと揺れ始めた。


「あはは、センパイだらしない……なぁ」

「ランバール!」


 同じようにぶっ倒れた彼に駆け寄ると、すうすうと気持ち良さそうに寝息を立てていた。


「ううぅ……」


 抗いがたい眠気が襲ってきてニチカは必死に意識を保とうとする。気がつけば辺りの霧には薄い紫の『もや』が混ざり込んでいた。


(しっかりしなさいニチカ、私まで倒れたら、誰がみんなを起こすの?)


 自らを叱責し、杖を支えに一歩ずつ歩みを進める。やがて辺りの『もや』はどんどん濃さを増して行き、見覚えのある紫になった。


「やっぱりこれ、ふつう、じゃ、ないっ」


 あの色だ。世界を蝕み、炎の精霊を狂わせた毒々しい紫。口に袖をあてて、なるべく『もや』を吸わないように発生源へと近づいていく。すると……


(ウルフィ!)


 道の真ん中で行き倒れてお腹をまるだしにしたオオカミが、鼻ちょうちんを出しながら爆睡していた。


(ってことは、この近くに?)


 辺りは岩場のようで、大きな石があちこちにゴロゴロしている。その中でもひときわ巨大な岩の上から『もや』は流れてきているようだ。足をひきずりながらなんとかその上へよじのぼったニチカは待ち構えていた物に目を見開いた。


 重そうな頭を垂れた蕾だ。茎を含めた大きさはせいぜい膝の辺りまでしかないのだが、強靭に張り巡らされた灰色の根がびっしりと石にへばりついている。『もや』と同じ紫の蕾は少しだけ開いていて、どくどくと脈動するようにそれを吐き出し続けている。


「っ……」


 ひときわ強い眠気が波のように意識をさらう。このまま倒れて眠ればどれだけ気持ち良いだろうか。一瞬意識が飛びかけたその時、霧の向こうから甲高い鳴き声がかすかに届いた。


 ――コロロォォ ぺタコロローッッ


 ペタコロン達だ。ここに来た目的を思い出した少女は、ダンッと足を踏ん張り眠気をムリヤリ怒りに変換した。


「……っに、するのよ……!」


 握りしめた杖の柄に魔力が収束し、先端の魔導球を通してニチカの中に炎のマナが取り込まれていく。見開いた瞳が真紅に染まり、彼女のシンボルである赤い蝶がその身を中心に舞い踊った。


「そのっ、ヘンなケムリをっ、出すなぁぁ!!」


 叫んだ瞬間、ニチカを中心に業火が走った。杖を構えその炎を絡め取るように花へと叩きつける。


「いっけぇぇぇ!!!」


 一瞬にして辺りは火の海になる。耐火性でもあるのか花は最初はビクともしなかった。だが根がじりじりと焦がされるにつれてまるで生き物のように身をよじり始める。ブルッと震えたかと思うと、一気に色を失いハラハラと崩れ落ちた。


「倒……した?」


 炎を収めたニチカは荒い息をつきながらぺたんと座る。ふいにカンッという硬質な音がして、花があった場所に紫色をした水晶が落ちた。見ている間にも急速に色を失っていくそれは、やがて小さな音を立てて真っ二つに割れてしまった。


 立ち上がってそれを確かめようとしたその時、突然背後から聞きなれない声が響いた。


「あーあ、なんてことするのさ。それ作るのにどれだけマナ費やしたと思ってんの。ひどいなぁ」


 ニチカは弾かれたように振り返る。謎の人物は白い霧に溶け込むようなローブを目深にかぶり、岩に腰掛け、足を幼子のようにブラブラさせていた。見覚えのあるその姿に少女は杖をギュっと握り、鋭い声を出した。


「あなた、桜花国で私たちを襲った子じゃない!」


 風の魔弾を由良姫の元から盗み、路地裏でウルフィを撃ったあの時の子供だ。だが問いかけにもひるむことなく、白いローブの子供は首を傾げた。


「ん? あぁそうか、あの時やっぱり見られてたんだ」


 少しも悪びれた様子のない少年は、クスリと口元を歪ませたかと思うと肩をすくませる。鈴を転がすような可愛い声で辛辣な事を言った。


「でも『私たちを襲った』ってのはちょっと違うな。僕が狙ったのは君だけだから。あのオオカミ君は完全なるとばっちりだったね。『君なんか』庇ったりするから」


 その言葉に胸がズキリと痛む。なぜだか知らないが自分はこの少年に嫌われているらしい。知らない内に何かしてしまったのだろうか? そう考えたニチカはとにかく事情を聞きだそうと口を開く。


「ねぇ、もしかして私あなたに何かした? もしそうなら謝るから」

「うっざ」


 遮るように吐き捨てられた一言に凍りつく。少年は上からこちらを指さし、嘲笑うかのように口の端を歪ませた。


「ウザいウザいウザい。自分は清く正しい蒸留水ですみたいな顔しちゃってさ」

「わっ、私そんなこと……」

「そういう態度、鼻につくんだけど」


 嫌悪丸出しの声に冷や汗がにじみ出る。タッと降り立った少年はニチカの胸元に指を突き立てると今度は打って変わって優しく諭すようにささやいた。


「精霊の女神の復活させようだなんてやめときなよ、やめてそんな魔導球さっさと叩き割っちゃえば?」

「だって、イニに頼まれて」


 震える声でニチカは答える。なぜこの少年が使命の事を知っているのか、そこまで頭が回らなかった。少年は急に高笑いを始める。


「イニ! あのペテン男! ふふふっ、アハハハハッ!! やっぱり、やっぱりそうかぁ!」

「っ!」


 いきなり威圧感を増した少年は、今度は敵意にまみれた低い声でニチカに告げた。


「これは警告だ、今後もあの男に協力するようなら今度こそ潰す。聞き入れないならぐちゃぐちゃに切り裂かれて『早く殺して下さい』って泣いて懇願するはめになるよ」


 押しつぶされそうなプレッシャーに足がガクガクとする。それでも少女は必死に口を開いた。


「あなたは一体……」


 すると少年は威圧をかけるのをやめ、親しげともいえる口調に戻った。


「僕? そうだなぁ『ファントム』とでも名乗っておこうかな」


 一歩下がった白いフードの少年、ファントムは両手を広げた。ふわりとローブのすそが舞う。口元だけでニコッと笑った彼は最後に言った。


「イニに会ったら伝えておいてよ、僕はまだ君のことを許してなんかいない。これから先も絶対に許すつもりは無いってね」

「っ!」


 急に激しい風が巻き起こり、思わず目を閉じる。うっすらと目を開けた時、そこに残されて居たのは少女一人だけだった。


「ファントム……」


 何とか今起きた事を整理しようとしていると、立て続けに訪問者が空から舞い降りてきた。


『クケェー!!』

「わっ!」


 巨大な鷲がバサバサと羽ばたく。思わず顔を覆うとすぐ間近から聞き覚えのある声が響いた。


『ニチカ君! 無事か!』

「えっ」


 驚いて肩に留まる鷲を見る。その大きな翼の中には輝く金色の羽が一枚差し込まれていた。まさかと思いながらも尋ねてみる。


「もしかして、イニ?」

『どうやら無事のようだな』

「あなた変身もできるの?」


 そう言うと鷲は鋭い目つきのまま流暢に言葉を操った。


『いや、これはこの鷲の体を借りて喋らせているだけだ。私はエルミナージュを出て天界に帰ったところで……いやそんなことはどうでもいい! それより誰かに襲われなかったか! 今どこにいる!』


 普段とはまるで違う真剣な声に気圧されるが、ニチカは今あったことを素直に話した。


 霧の谷でペタコロンに会ったこと。彼らの成体が眠りこけていたこと。原因とおぼしき花を燃やした途端、白いローブの少年に遭遇したこと。ここまで話し終えた少女は、不安げに問いかけた。


「ねぇイニ、あの子はいったい誰? あなたのことずいぶんと恨んでいるみたいだったけど、何があったの?」


 ファントムの口ぶりから察するに尋常ではない憎みようだった。それなのに鷲の向こうに居るはずのイニは黙り込んでしまう。しびれを切らしたニチカは少しだけ強く出た。


「なんとか言ってよ、ユーナ様の復活を阻止するって言ってたけど、どうしてジャマをしてくるの?」

『すまないニチカ君。この件に関してはまだ何も言うことができない』


 納得できないと、反論しようとしたところでイニがかぶせるように叫んだ。


『だが! これだけは信じてくれ、君の旅は決して間違ったものではない! 世界が闇のマナに呑みこまれてしまうのを防ぐことが出来るのは君なのだ!」

「そりゃまぁ、あんな危険なもの放っておくわけにはいかないけど……」


 これまで何となく信じていたイニに対して微妙な不信感が生まれる。それに気づいたのかどうかは知らないが、うなだれた鷲は話を打ち切るように金色の羽根をスッと抜き去った。


『今は何も考えずに精霊を集めるだけでいい。いつか必ず全てを話すと誓おう』


 それがハラリと落ちた時にはもう、鷲は物言わぬ鳥へと戻っていた。


***


 浅い眠りを繰りかえしていたオズワルドは、ようやく覚醒し瞼を持ち上げた。相変わらずの白い霧に一瞬だけ顔をしかめたが、すぐ間近で座り込んでいたニチカに気づき目を一つ瞬く。固い表情を浮かべた彼女は短い挨拶をかけてきた。


「おはよ」

「ベッドの上じゃなさそうだな」


 男はあちこちをさすりながら上体を起こした。少し離れたところで跳ねまわるペタコロン達が目に入ったのか、そちらを見ながら口を開く。


「一体何があった? アイツらが起きているということは原因がわかったのか」


 数秒の沈黙が流れる。返答が無いことを不思議に思ったのだろう、少女に視線を戻したオズワルドは怪訝そうな表情を取った。ニチカはとんでもなく思いつめたような顔で膝に置いた手を握りしめていたのだ。しばらくして開いた彼女の口から、驚くほど重たい声が流れ出す。


「私、散々ノーテンキだの考えなしだの言われてきたけど、自分ではちゃんと考えてるつもりだった」

「ニチカ?」

「でもやっぱり、あなたの言う通りだったのかもしれない。深く考えずに二つ返事でイニの依頼を受けたけど、それって正しかったのかな」


 ニチカの中で、これまで感じていた小さな違和感が手をつないで巨大な不安になっていく。一度疑い出すともう止まらなかった。不確かな世界の中で震える声が加速していく。


「真実ってなに? 私が忘れてることってどんなこと? 精霊を集めたらどうなるの? ユーナ様ってホントに居るの?」


 止まらない。膝についた手が震え、太ももに涙があたり弾け飛んだ。自分が今座っているこの地面でさえ、もしかしたら存在しないのかもしれない。語り掛けている目の前のこの男だって――


「私、本当に帰れるの? アルカンシエルって何? オズワルドって誰? もしかしたら、ぜんぶぜんぶ私が夢を見ているだけなんじゃ」


 とつぜん額に強烈な衝撃が走り、少女は後ろによろけた。何とか踏ん張って目を開けると、オズワルドがこちらをにらみつけながら指を降ろすところだった。不機嫌な低い声が飛んでくる。


「このワラジ虫が。勝手に人を夢の住人にするな」

「だって、だってぇぇ うぁ!」


 再度デコピンが飛んでくる。相変わらず星が飛ぶほど痛い。涙目になりながら額を押さえたニチカ向かって、師匠はまっすぐに指をさしてきた。


「その痛みは幻か?」


 目を見開く少女は、急に胸倉をつかまれグイと引き寄せられる。


「んっ……」


 ピクリと反応しながらも大人しく受け入れる。ようやく口を離し、短く息をついたオズワルドは静かに問いかけた。


「…………『この』感覚も幻か?」


 どう答えたらいいか分からず黙り込む。至近距離にある青い瞳には、かすかな苛立ちの色が浮かんでいた。その目のまま意地悪く笑った師匠はとんでもないことを言いだした。


「無かったことにされるのは気にくわん。魂に刻み付けてやる」

「ちょっ、何いって――っ!」


 腰に回された手にビクッとするが、間一髪のところで顔面を掴んで押し返す。


「だからそういうのはナシっていってるでしょーっ!!」

「なんだ、俺は幻なんだろ? 幻になら何をされても構わないんじゃないのか」

「認める! 認めるからっ、幻なんて言って悪かったわよ!」


 赤い顔で背を向けた少女は、沸騰しそうな頭を抱える。先ほどまで感じていた不安な気持ちは、荒波のような感情がすべて押し流してしまった。激しく脈打つ胸を抑えながら考える。


(ダメだ、実在する・しないの問題じゃない、こんな気持ちになってる時点で私……)


 チラッと振り返ると、師匠は意地悪な笑みのままこちらを見ていた。からかうような響きでいつかの言葉を繰り返す。


「豆腐頭のくせに何をいっちょまえに悩んでんだか。お得意の持論はどうした、考える前に一歩踏み出すんだろう?」


 そうだ、その時の気持ちは変わっていない。しばらくすねたように頬を膨らませていた少女は、やがてフッと笑うと吹っ切れたように思いっきり伸びをした。


「そうね、こんなところで考えてても答えが出るわけじゃないし」


 そして開かれたまなざしは、いつも通りまっすぐな光を宿していた。


「仕方ない、行くしかないよね」


 ポンと立ち上がり、他の二人を起こしに行こうと歩き出す。


「……」


 ニチカは先を行く黒い背中を見つめていたが、ふいと視線を逸らした。その頬が少し赤いことに気づいたのは、足元にいたペタコロンだけだった。


***


 ピッという短い電子音が一度響きイニは鷲との通信を切断する。その表情は重く晴れず、しばらくはその場に立ち尽くしていた。だが一度頭を振ると、無機質な白い材質で出来た天空回廊を進みだした。やがてある部屋の前で立ち止まり、古めかしい扉をギィと押し開ける。……室内はひどく暗い、両脇にガラス管でも並べられているのだろうか、わずかに反射した光が床に伸びている。入り口から通路を進み、部屋の突き当りまで来たイニは『それ』を見上げた。


 透明な液体で満たされた巨大なガラス管の中に、一人の女性が浮かんでいた。一糸まとわぬすべらかな肌、すんなりと伸びた長い髪がわずかにたゆたう。美しく神々しささえ感じる顔立ちだったが、その目はしっかりと閉じられていた。


 彼女が入っているガラス管自体が尊いものであるように、イニはそっと表面に触れる。微かに口の端を吊り上げると話しかけた。


「ユーナ、どうやら私はあの子に許してはもらえ無さそうだよ。どこまでも追いかけてくるだろう、あぁそれでも」


 額をピタリとつけた彼は、祈るように囁く。


「もう一度君をこの手で抱き締めるためなら、私は何を犠牲にしても構わないと……言ったら君は怒るのだろうな」


 その悲痛な声にも、彼女は目を覚まさない。


 あとは静寂ばかり。泡がはじける微かな音だけが、いつまでも響いていた。

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